第129話 蜜蜂と花

「花琳と芽衣のおかげで、避難者と現地人との摩擦はずいぶん減っているそうだ。今日は士燮シショウ様に褒美をいただいたよ」


「まぁ、元々あれだけ補助をいただいているのに」


 花琳は太守の気遣いに恐縮して箸を止めたが、芽衣は肉を噛みながら堂々とうなずいた。


「もらえるものは何でももらっておこうよ。実際、頑張ってるんだし」


「口に物を入れたまましゃべらない」


 小芳に小言を言われ、芽衣は子供のように肩をすくめた。この辺りは二人の子持ちになってもあまり変わらない。


 食卓の席で、許靖が家族に今日あったことを話していた。


 許靖はたまに士燮から呼び出され、現地人への講義や人物鑑定を頼まれる。しかし今日はそのどちらでもなく、花琳の主催する武術教室についての謝礼目的で呼び出されていた。


 士燮は花琳の言う通り、元々かなりの補助を出してくれている。道場の建物は郡所有の物件を無料で使わせてもらっているし、参加者の人数に応じて銭も支給してくれた。


 おかげで月謝は無料であり、それも好評を博している理由の一つだ。


「士燮様のお話では、袁徽エンキ殿と趙奉チョウホウ殿も面と向かって言い争いをしなくなったらしい。相変わらず仲は良くないのだが、少なくとも表立って争うことを避けているそうだ。花琳の思惑が当たったな」


「子供が絡むと、親は大人気ないことができなくなりますからね」


 それが花琳の狙いだった。


 特に子供同士の仲が良ければ、親同士も揉めるのを遠慮してしまう。子供の友人関係への配慮ももちろんだが、教育にも悪かろうと思うのが普通の親の感覚だ。


凜風リンプウ翠蘭スイランは本当に仲がいいんですよ。二人の中では、お互いを姉妹ということにしているんです」


 花琳は楽しそうに笑い、芽衣も同じように笑った。


「そうそう。翠蘭が凜風のことを『お姉様』って呼んでてびっくりしちゃった。凜風にどういうことか聞いたら、『花琳先生の姉妹弟子なんだから、姉妹になってもおかしくないでしょ?』だって。ってことは、花琳ちゃんは二人のお母さんになるよね」


「あら嬉しい。じゃあ芽衣は私の一番弟子だから、一番上のお姉さんね」


「そっか。なら春鈴シュンレイユウは姪っ子と甥っ子だね。だからあんなに可愛がってくれるのかな」


 芽衣はいつも道場に赤子たちを連れてきている。まだ授乳も必要な時なので当然のようにそうしているのだが、道場の人気者になっていた。


 特に凜風と翠蘭はとにかく双子をかまいたがり、道場がない日でも遊びに来るほどだった。


 小芳はそんな二人の話をただ楽しそうに聞いていたが、許靖は複雑な感情を抱いていた。


 花琳は実の息子の許欽を失ってまだ日が浅い。ただの日常会話とはいえ、弟子たちの母親とかいう話が花琳にとって辛くないだろうかと心配になったのだ。


 しかし、花琳はむしろ嬉しそうに見える。弟子たちに母と思われるのが、そして弟子たちを子だと思うのが、実際に嬉しいのかもしれない。


(それならば良いことだが……)


 許靖は微妙な機微の要る心配をしていたが、現状は特に問題なさそうだ。


 それとは別に、ふと気になったことがあって話題を変えた。


「そういえば、陶深は今日も仕事なのか?ここの所、食卓にも顔を出さないが……」


 小芳がため息をついてから答えた。


「朝からずっと仕事部屋です。交州に来てから目新しい物ばかり見たせいか『創作意欲がー、創作意欲がー』って言い続けてますよ。後で私が食べさせておきます」


 陶深は宝飾品の職人だが、創作意欲が湧いた時には仕事以外のものが目に入らなくなる。


 小芳が『後で私が食べさせておきます』と言ったのは字面以上に言葉通りで、本当に口元まで食事を持っていかなければ食べもしないのだ。放っておけば倒れるまで仕事を続ける。


 許靖は後で陶深の仕事部屋に行くべきか悩んだ。


「実は士燮様から、陶深への感謝も伝えられているんだ。でも今は仕事の邪魔をしない方がいいだろうか?」


「え?あの人は今回の件でなんにもしていないはずですけど」


 小芳の言う通り、陶深は武術教室には全く関わっていない。


 士燮から感謝があったのは全くの別件だ。


「いや、武術教室とは関係ない事だ。私も知らなかったんだが、陶深の作品のおかげで避難者の一部、特に女性たちが交州の文化への印象を急激に良くしているらしい」


「……あぁ、なるほど。分かる気がします」


 小芳だけでなく、花琳も芽衣もうなずいた。


 許靖だけが感覚的にいまいち分からないが、士燮から話を聞かされているので理屈での事情は理解している。


「やはり女性からしたら分かるんだな。作品に上手く現地の文化を取り入れてると仰っていたが……」


 交州に来てからの陶深の作品は、現地の文化や模様、絵柄、意匠を積極的に組み込んでいる。


 そういったものを、中央に住んでいた者の感覚で好まれる宝飾品に上手く取り入れているわけだ。


「あの人は、元々が洛陽でそれなりに人気があった職人ですからね。確かに中央から避難して来た女性が受け入れやすい物を創りますし、そこに交州の文化が溶け込んでいれば印象は良くなるでしょうね」


 陶深はすごい勢いで作品を作り続けているので、すでに結構な量が流通していた。


 避難者の中には職人としての陶深の名を知っている者も相当数おり、それが交州に来たことを喜ばれたりもした。


「あの人も、たまには役に立ちますね」


 小芳は素面だったが、毒を吐いてみせた。


 だが家族の全員が、実は小芳が夫のことを誇りに思っていることを知っている。許靖と花琳に負けず劣らず、夫婦仲はとても良いのだ。


「太守様の感謝は伝えなくていいです。これ以上頑張られて倒れられでもしたら、こっちが迷惑ですから」


 小芳はそう言いながら、陶深のところへ持って行く分の食事を別皿に取り分けていく。


 皿には陶深の好物が盛り上がっていった。

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