第130話 蜜蜂と花

 凜風リンプウは体を軽く跳ねさせながら拍子を取りつつ、両腕を上げて構えた。


 対峙する翠蘭スイランは凜風とは対照的に、じっと動かず相手の動きに目を凝らしている。


 凜風の取る拍子は小気味の良いものだったが、心には焦燥が絡みついていた。


(翠蘭には、普通に打ち込んだんじゃ当たらない)


 これまでの組手でそれはよく分かっていた。翠蘭は相手の攻撃をいなすのが上手いのだ。


(私はもう、大人の兵だって素手同士なら倒せるのに)


 武術を始めてすでに半年が経っていたが、花琳は半年でここまで上達した凜風を手放しで褒めてくれた。


 しかし、それは翠蘭に対しても同じだ。


 凜風と翠蘭は全く違う形の才があると花琳が言っていた。そして、花琳はそれぞれの才の形に合わせた闘い方を指導してくれた。


 凛風は動きが速く、それで相手を翻弄するような闘い方が得意だ。器用ではないが元々の運動神経と反射神経が良いため、それを最大限活用するような立ち回り方を教わった。


 反対に翠蘭は元々の身体能力はさほど高くない。その代わりに難しい技や動きの習得が上手かった。教えられたことを素直に実行できるのだ。


 それに加えて相手の動きを冷静に分析できたから、翠蘭には相手の力を上手くいなしたり、利用して攻撃するような技をいくつも身に着けさせた。


 先日、二人は初めて大人の兵を相手に組み手をさせられた。


 凜風の父で歩兵隊長を務める趙奉チョウホウが連れてきた部下だが、並の能力はあると言っていた。言われた部下は複雑な顔をしていたが。


 しかし見た目はまるで小娘の凜風と翠蘭に立て続けにやられ、部下は複雑どころではない表情をして帰って行った。


 趙奉はというと、部下のやる気に火がついたと言って喜んでいた。


 正直なところ、凜風は自身の成長が嬉しかった。ただ、翠蘭のことを考えるとその喜びも滲んでしまうのだ。


 今のところ、凜風と翠蘭のどちらが強いとも言い切れない。


 しかし、凜風は翠蘭よりも強くありたいと思った。自分が姉だからという気持ちもあるし、そうでなくとも翠蘭のように可愛らしい人形のような少女を守る立場でありたいと思ったのだ。


(他の人には勝てなくてもいいから、翠蘭には勝ちたい)


 守りたい相手に対して抱く感情としてはやや捻れているかもしれないが、それが今の凜風にとって一番の望みだった。


 その守りたい相手に対し、凜風は牽制の拳を素早く繰り出した。


 しかし翠蘭の腕が回転すると、いとも簡単にいなされてしまう。


 翠蘭は目がいい。牽制は牽制だとすぐに見破ってしまう。


 いや、いいのは目ではなく頭かもしれない。闘い全体の中で、今が本気で攻められている時なのかそうでないのか、流れをきちんと考えている。


(軽い牽制が無効な時は、無視できない程度の牽制を繰り出す)


 先日、芽衣からそう教わった。


 凜風は先程よりも少しだけ間合いを縮め、少しだけ拳に力を込めた。そして体の芯を狙って突きを繰り出した。


 翠蘭はまたそれをいなしたが、先ほどよりは大きな動作になっている。凜風は効果を感じ、矢継ぎ早に突きを繰り出した。


 しかし、油断はできない。下手に突っ込んだ攻撃を繰り返していると、翠蘭は隙を見て返し技を食らわせてくる。


 拳は早く戻し、体勢もできるだけ崩さないように気を付けた。


(速く、もっと速く!)


 突きの回転数が上がるにつれ、凜風の気持ちもたかぶってくる。気持ちの昂ぶりに応えるように、突きの回転数もまた上がる。


 この好循環で、車輪が坂を転げるように凜風の突きは加速していった。連続で繰り出される突きは、あたかも蜂の群れが翠蘭を襲っているようだ。


 翠蘭は次第に受けきれなくなり、腕でいなすのをあきらめて大きく後ろに下がった。


 しかし、足を使えば凜風の踏み込みの方が早い。完全に凜風の間合いに入った。


(捕まえた!)


 そう思った瞬間、凜風は次の突きを止めなくてはならないはずだった。道場の組手では完全に入ることが分かっている攻撃は寸止めする決まりになっている。


 しかし、昂ぶる気持ちと加速する体がそれを阻んだ。


「きゃあっ」


 翠蘭が短い悲鳴を上げ、左頬に拳がまともに入ってしまった。


 凜風はなんとか止めようとしたため多少の勢いは殺されていたが、それでも翠蘭は後ろに倒れ込んだ。


「ご、ごめん翠蘭!大丈夫!?」


 凜風は汗が冷たくなるのを感じながら、うずくまる翠蘭の肩に手を添えた。


 組手の審判をしていた芽衣も駆け寄ってくる。


「あちゃー……まともに入っちゃったね。私がもう少し早く止めなきゃいけなかった。ごめんね」


 芽衣に謝られると、凜風は余計に申し訳ない気持ちになった。


 翠蘭は二人に気を使ったのか、すぐに立ち上がった。


「だ、大丈夫ですわ。それほど強くは入ってませんから」


 そんな事はないはずだが、無理に笑顔を作ってそう言った。


 凜風は翠蘭が気遣いの篤い子だとよく知っているだけに、余計に辛くなる。妹に無理までさせてしまった。


「ごめんね、つい熱くなってちゃって……」


 凜風は消え入るような声で謝った。


 別の組手を見ていた花琳も駆け寄ってくる。


「大丈夫?」


「はい、大したことはありません」


 花琳の質問に、翠蘭はまた笑顔でそう答えた。


「私も横目で見てたけど、多分あざぐらいにはなるでしょうね。顔ですし、後でお父様のところへ一緒に行って謝っておきましょう」


「い、いえ……それは結構です。本当に大丈夫ですから」


 翠蘭は両手を振って拒否をしたが、花琳としてはそうもいかない。


「念のためでも、礼儀としてそういうことはしておくべきなのよ。それより凜風」


「……はい」


 凜風の返事は弱々しいものだったが、それは花琳に叱られると思ったからではない。むしろ、できるだけ強く叱ってほしいほどだった。


 しかし花琳の口調は優しく、教え諭すようだった。


「武術を習っているのだからそういう事も多少はあります。大切な妹を傷つけて辛いでしょうけど、あまり引きずらないようにしなさい。それよりも、あなたはまず自分の特性を理解したほうがいいわ」


「特性?」


「そう、特性。気づいてるかもしれないけど、あなたは気持ちの昂ぶりで身体能力も感覚も跳ね上がるの。そして、その跳ね上がった力がさらに気持ちを昂ぶらせる。そうやって加速度的に強さが増していくのがあなたの特性よ」


「確かに……自分でもそう思います」


 凜風は花琳の言葉に納得し、隣りで翠蘭も頬を押えながらうなずいていた。


「だけど、その加速にただ身を任せてしまうと思わぬ隙ができたり、今みたいに制御が効かなくなる可能性があるの。この加速は間違いなく強い武器だけど、心の芯には常に冷静な自分を残しておきなさい」


「……はい、気をつけます」


 凜風は今ので十分過ぎるほど花琳の言うことを実感できた。翠蘭を殴ってしまった時の背筋の冷たさを思えば冷静でいられそうだ。


「ごめんね、翠蘭。痛かったでしょ?」


「いいえ、お姉様。それは本当に大丈夫です。大丈夫ですけど……」


 翠蘭は左頬に手を当てたまま、首を横に振った。


 それから花琳の方へと向き直る。


「あの、花琳先生。やっぱり父へは何も言わないでいただいて……」


「そういうわけにもいかないわ。大切なお嬢さんを預かっているんですもの」


 花琳は言下に翠蘭の要求を拒否した。


 気の弱い翠蘭はそれ以上何も言えなかったが、凜風から見ると頬の痛みよりも父のことの方を気にしているように見える。


 しかし陽気で小さなことを気にしない父を持つ凜風には、何をそんなに気にしているのか理解できなかった。


 もし理解できていたならば、泣きついてでも花琳を止めていただろう。

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