第127話 寒と暑

 袁徽エンキ趙奉チョウホウは道場の前でばったり出会った。


 二人とも、それぞれの娘を連れている。


 袁徽は一瞬硬直したものの、やはりそこは儒学を修める者としてきちんとした挨拶をしようと口を開きかけた。


 しかし趙奉はそれが分かっていながらあえて横を向き、さっさと一人で道場に入って行ってしまった。


 凜風リンプウはそんな父の背中と眉をしかめる袁徽とを交互に見比べた後、翠蘭スイランへと目を向けた。


 そして、その顔をじっと見つめる。


 突然見つめられた翠蘭は戸惑いつつも、とりあえず会釈をした。


 凜風は会釈を返さず、代わりに父親譲りの人懐こい笑顔を向けた。そしてひらひらと手を振りながら、父を追って小走りで駆けていった。


 袁徽は咳払いをしてから居住まいを正し、自分も道場へと入った。それに翠蘭も続く。


 道場には十数人の子供と、その親たちが集まっていた。だいたい半数が交州への避難者で、残りの半数が兵の家族や近所に住む者だ。


 子供たちの年齢はまちまちで、小さい者では五歳ぐらいからおり、最も大きな者は翠蘭や凜風の十代半ばだった。


 しばらくすると芽衣が声をかけて、子供たちは整列させられた。


 前に立った花琳が子供たちへ笑顔を向けて、挨拶をした。


「皆さん、今日は来てくれてありがとうございます。私が先生の花琳です。こちらはお手伝いしてくれる芽衣ね」


 花琳に紹介された芽衣はぺこりと頭を下げた。花琳は言葉を続ける。


「皆さんにはこれから武術を学んでもらいます。武術とは、相手を倒す技のことです。ですが、あなた達は相手を倒すために学ぶのではありません。自分自身や大切な人を守るために学ぶのです」


 花琳はそこで一旦言葉を切り、子供たちを見渡した。一人一人の顔を見てから言葉を続ける。


「いいですか?もし強い人が弱い人をいじめていいなら、世の中は強い人ばかりが好き勝手をする嫌な世の中になってしまいます。皆さんが武術学び強くなっても、自分より弱い人を傷つけるためにその力を使ってはいけません。自分や大切な人を守るためだけに使ってください。これが約束できない子には、武術は教えられません。約束できますか?できる子は大きな声で返事をしてください」


 子供たちからぱらぱらと「はい」という返事が返ってきた。


 それを見た芽衣が右手を高く挙げた。


「もっと大きな声で、はーい!」


 それにならうように子供たちから、特に小さな子供たちから大きな返事が返ってきた。


 花琳は満足そうに笑顔でうなずいた。


「ありがとう、では皆さんに武術を教えることにしますね。よろしくお願いします」


 花琳は次に、子供たちの家族へと目を向けた。


「ご家族の皆様。子供たちの習得には個人差がありますから、他の子と比べないようにしてあげてください。あまり上手にできなくても、その子なりの成長があるはずです。それに武術の上達が遅い子でも、心はとても成長していることも多いのです。そこをよく見てあげてください」


 家族たちの何人かは花琳の言葉にうなずいてくれた。


「それと、教えるのは武術ですからどうしても多少の怪我をすることもあります。予めご了承ください」


 花琳は家族たちに念を押すように伝え、子供たちへと向き合った。


「では、始めましょう。いったん座ってもらっていいですよ。それから、まずこの動きを見てください」


 全員が座るのを待ってから、花琳は目の前の空間を拳で素早く突いてみせた。左右にそれを何度か繰り返す。


 趙奉をはじめ、兵たちからは「むぅ……」と唸るような声が上がった。


 花琳はしばらくその動きを見せてから、今度は許靖を手招きした。


(え、私か?)


 道場の隅で見ていた許靖は戸惑ったが、手招きされるままに子供たちの前まで出た。今日、自分が何かをするとは聞かされていない。


 花琳はにこやかに子供たちへと告げた。


「今のが正しい突きの動きです。では次に、このおじさんの突きを見せてもらいましょう」


 許靖の片頬が引きつるように上がった。


 船上での武術教室の経験から、大体どんなことになるのかは想像がつく。


「いや、花琳……」


「いいからやってください。真剣にね」


 花琳にうながされ、というかこの状況ではもうそれ以外の選択肢はなかったので、許靖は仕方なく構えることにした。


(真剣にって……もしかしたら真剣にやれば、上手にできるかもしれないじゃないか)


 許靖はそう思いながら、ごく真剣に突きの動作をやってみせた。二度、三度、それを繰り返す。


 道場内が爆笑に包まれた。


 子供たちだけでなく、大人たちまで腹を抱えて笑っている。意外なところでは、あの厳格な袁徽までもが笑いをこらえきれずに下を向いて肩を震わせていた。


 花琳はパンパンと手を叩いて道場内を静めようとした。しかしなかなか静まらないし、何より花琳自身も笑っているのだ。


 ようやく声が通るようになった頃、花琳は子供たちへ向かって喋りかけた。


「はい、見て分かりましたね。簡単と思われる突きの動きでも、やはりちゃんとした動きとそうでない動きがあるんです。皆さんにはまず正しい動きを学んでもらいましょう」


 この掴みのおかげで、子供たちもその家族も皆この武術教室が好きになっていた。


 そのお陰ばかりではないだろうが、花琳の武術教室は人気が出た。そして回を重ねるごとに参加者は増えていくのだった。

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