第114話 鬱

「あなた、春鈴シュンレイユウを連れてきましたよ」


 花琳は両腕に赤子を抱いて部屋に入ってきた。


 相変わらず横になって天井を見つめ続けている許靖の横に座る。


「あなたの孫ですよ。顔を見てやってください」


 花琳が二人を連れてきたのはもう何度目だろう。あれこれと考えて、許靖の元気を出そうとしてくれている。


 花琳だけではない。陶深も小芳も芽衣も、陳覧までもが部屋へ来て話をしていってくれたが、許靖の返答はいつも同じだった。


「……一人にしてほしい」


 そして、いま花琳に対しても同じことを口にした。


 花琳は少しだけ言葉に詰まったが、何も聞かなかった振りをして一人言葉を続けた。


「ほら、もう産まれて十日も経ちましたからお猿さんから人間の顔つきになっていますよ。体もだいぶ大きくなりました。芽衣は初産だったのに、乳の出がいいんです。私の時はずいぶん苦労しましたが……」


 無理に笑ってしゃべり続けながら、赤子の顔を許靖の視界に入るように差し出した。


(……私がこの子たちの父親を奪ってしまったのだ)


 許靖はそう思い、反射的に顔を背けた。花琳は孫が可愛かろうと連れてきてくれるのだが、むしろ許靖にとっては辛いことだった。


 この子たちに将来、なぜ自分には父親がいないのかと聞かれたら一体何と答えればいいのだろうか。


(お前たちの祖父が、どうしようもなく臆病で間抜けだからだ)


 二人の孫が可愛ければ可愛いほど、愛おしければ愛おしいほど、許靖は自分のことが嫌になるのだった。


 しかし、花琳にとっては孫たちが自身の生きる力になっている。許靖もそう感じるはずだと思い、悪気なく二人を押し付けるようにしてきた。


「ほら、あなたも抱いてやってください。いい匂いがして、柔らかくって、とても幸せな気持ちに……」


「やめてくれ!!」


 許靖はとっさに片腕を上げ、花琳の肩を突き飛ばしてしまった。


 それは大した力ではなく、花琳の体が少し揺れただけだったが、花琳の心は大きな衝撃を受けた。


 許靖と結婚してからこの方、手を上げられるどころか、このように邪険に扱われたことすら一度もなかった。


 許靖もとっさとはいえ、花琳を突き飛ばしてしまったことに自身で衝撃を受けていた。


「あ……すまない」


 許靖はかろうじてそれだけを言った。


 花琳も、


「……いえ」


とだけ言ってから許靖に背を向け、部屋を出て行った。


 部屋の外で春鈴と游が泣き始めた。おそらく祖母の辛い感情が伝わったのだろう。


 そしてそれは許靖自身にも十分すぎるほど伝わってきた。


 そのことで許靖はまた自分を責め、自己嫌悪の沼にいっそう深く沈んでいった。

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