第48話 花神の御者
許靖は五人の様子を見て、そう切り出した。
「おかげさまでだいぶ落ち着きました」
「しかし……孫堅殿に劉備殿ですか。曹操殿についてはある程度知っているつもりですが、他のお二人のことはあまり知りませんね」
「私もです。孫堅殿は大きな戦果を上げているから噂はある程度聞きますが、失礼ながら劉備殿に関してはほとんど名前も聞きません」
他の三人の認識も同じようなものだろう。
孫堅は地方から出て来てそのまま戦場へ向かっているので、洛陽の人間にはあまり馴染みがない。そして劉備に関しては地方から出た一介の義勇兵だ。
その点、曹操は洛陽における人気者だ。直接の知人でなくとも馴染み深い。
許靖も五人のそういった認識は理解できた。
「そうだな。しかし孫堅殿、劉備殿はともに曹操殿に勝るとも劣らない人物であると私は見た。三人とも、これからの時代を背負って立つほどの器だ」
「それほどですか」
陳羣は目を大きく見開いた。
他でもない月旦評の許靖がそう言うのだ。ただの人が褒めるのとはわけが違う。
許靖は首肯した。
「それほどだ。そう言って間違いはない。それに……おそらく一番知名度の低い劉備殿が陳羣、袁渙とは特に相性が良いと私は思っている」
まだ二十歳前の陳羣、袁渙は劉備と年が近い。劉備もまだ若いので年下のほうが扱いやすいだろう。
そして何より、劉備の大きな腕に抱かれる猫と犬の姿が許靖には目に見えるようだった。特に袁渙などは恩をかけられれば、劉備に対する忠犬になりうるだろう。
「お前がそこまで言うほどだから、三人とも相当な器なのだろう。だがそれほど器の大きな人間でもやはり合う人間、合わない人間がいるのか」
「合う、合わないはどうしてもある。もちろん三人とも様々な人間を容れることのできる器を持っているが、ある程度の相性はどうしようもないな」
先ほど
「じゃあ、全員に全員は紹介しないのか?俺は割とどんな人間相手でも上手くやれる方だと思うが……」
許靖は華歆の言うことに苦笑した。
「ああ、華歆は三人のうち誰とでも大丈夫だと思う。むしろ、三人の中から自分の良いと思う相手を自分自身で選ぶことになるだろう」
燕が己の好む場所を選んで巣作りするように、華歆自身がともに仕事をしたいと思える相手を取捨選択するはずだ。
それができるだけの器用さと自由な心、そして確かな実力が華歆にはある。
許靖は言葉を続けた。
「今のところ、一応全員に全員を紹介しようと思っている。私が相性をどう見たところで、実際に会えば思いもしなかったようなハマり方をすることもあるからな」
それは本当のことだったし、曹操たちから頼まれたのは『能力のある若者を紹介する』ということだった。
それを自分の味方につけられるかどうかは曹操たちの力次第だし、そこまでの責任は持たなくていいはずだ。
「それでも念のため、許靖さんの思う相性を教えておいていただけますか?お会いするにあたって、多少の心積もりができます」
袁渙がそう言って不安そうな表情で頭を下げた。一番の年少者なので、大物に合うのにはまだ緊張感があるのだろう。
「そうだな……とりあえず、曹操殿に関しては合う合わないをあまり気にしなくていい。あの方は人柄よりも能力を愛する。能力があって結果さえ出せるのならば、他のことはよほど酷くなければ問題にしないだろう。それこそ、儒教的な倫理観も能力に比べれば二の次だ」
「それは……よほど合理的な方なのですね」
袁渙は驚いた。
儒教教育が重視されるこの時代、それは異常なことだった。
漢の中央政府では普段の言動を儒教的な倫理観に照らして評価され、それに基づいて出世することが多い。儒教の価値観を無視しかねない姿勢には、不満や不安を覚える人間も多いだろう。
許靖は袁渙を安心させるように笑った。
「曹操殿は倫理を無視する方というわけではないから、心配はしなくていい。むしろ『倫理的に正しいことをすることが自分への評価にも繋がる』ということまで合理的に理解している方だ。袁渙なら分かると思うが、その方がそこらのエセ儒者よりもよほど信頼できる」
なるほど、と袁渙はうなずいた。
「それに、曹操殿はご自身が文武ともに多才で大変頭の良い方だ。部下になるとしたら尊敬して仕えることができるだろう。人材収集の気持ちも強いし、正直三人の中で一番人材が集まるのではないかと思っている」
「逆に合わないのは誰と誰だ?」
王朗がそう尋ねた。
許靖は王朗の目をまっすぐ見返しながら答えた。
「お前だよ、王朗。王朗と孫堅殿は合わないように思う」
王朗は特に驚いた様子もなく、淡々とした口調で答えた。
「やはりそうか。孫堅殿は戦で身を立てた武人だと聞いていたからな。そんな気がしていた」
王朗は武人が嫌い、というわけではなかったが、武人には理屈や通すべき筋を無視する人間が多い。少なくとも王朗はそう考えている。
戦場で生き死にがかかっている武人の身からすれば、時に理屈や筋など考えていられないこともあるだろう。理屈がおざなりになりがちなのも仕方ないことではあった。
しかし、理屈に頑固な王朗としてはそれが許せない。そもそも王朗からすれば、通すべき筋を無視して力で相手を思うままにしようという戦自体が許せないのだった。
許靖は王朗自身が自分の頑固な部分に気付いていることをよく知っているので、特に隠すことをせずに伝えた。
「孫堅殿は理屈を理解できるだけの頭はお持ちだが、完全に叩き上げの武人だ。王朗が理屈をもって諭しても鬱陶しいと思うだろうし、王朗も理屈が通らないことで
許靖は虎に率いられた海賊に混じって戦う鉄人を想像した。それはそれで強そうだが、どこか強い違和感がある。
恐らく互いの求めること、行うことに理解ができず、苦しむ日々が待っているだろう。そういう違和感のある「天地」では、そのうち互いを異物と認識して攻撃し合うことになるのだ。
「孫堅殿の息子たちにも会ったというが、そちらもだめか?」
「二人ともまだ幼いから何とも言えんが、少なくとも長子の孫策殿は孫堅殿の武人の血を強く継いでいるな。本人も父親のようになりたがっている節がある」
「ふむ」
王朗は無表情に鼻から息を吐いた。
この男は不用意な期待などしないから、現実を淡々と受け入れる。
孫家が合わないということも特に残念がる様子はなく、そういう現実をただ認識しただけだった。
その横から華歆が王朗の肩を叩いてくる。
「相変わらず王朗は固いな。相手が武人だろうが何だろうが、上手くやり過ごせばいいだろうに」
王朗はそちらを見もせずに答えた。
「お前にそれが出来ることは知っているが、世の中うまくやり過ごせばいい、ということばかりではない」
こちらを見ない王朗の横顔を、華歆はじっと見つめながら尋ねた。
「じゃあ例えばだが……お前がどこかの地方を治めていたとしてだ。絶対に勝てないような強い敵から攻められたら、受けて立つか?許靖、孫堅殿も孫策殿も武人としては強いんだよな?」
許靖はうなずいて答えた。
「強いな。孫策殿はまだ幼いから恐らく、といった所だが。孫堅殿に関しては黄巾の乱鎮圧での評判以上だろうと思う」
「ほら、もし孫家の連中が攻めてきたらどうする?負けることが分かっていて、それでもぶつかるのか?それこそうまくやり過ごすべきだろう。武人相手にはそれが一番だ」
王朗はやはり華歆の方を見ず、首を横に振った。
「相手が強いとか弱いとか、そんなことは関係ない。もし攻められたのが筋の通らないただの侵略行為なのだとしたら、相手の強さに関わらず戦わなければならない。戦は好かんが、それをせねば筋が通らない」
王朗にとって通すべき筋、道徳的な理屈こそが何よりも優先するものだった。
その横から許貢が口を挟んできた。
「戦はできるだけ避けるべきだ。しかし、重要なのは守るべきものを守れるかどうかという点だろう。守るために戦わなければならないのなら、戦も仕方がないことだ。逆に守るために戦うべきでないならば、うまくやり過ごす方法を考える」
許貢はその重厚な門の内側に守るべきものを抱えている。守ることこそが、許貢にとっては一番の優先順位なのだ。
華歆は鼻を鳴らして背もたれに身を預けた。
「戦なんてくだらないもの、割に合わなければさっさと降伏すればいいんだ。上手い条件で降伏し、さらにその後を上手く取回すことが大切だ」
華歆は速く長く飛べる燕の羽で、どこまでも自由に生きられる。王朗や許貢のようにこだわりを持つことに対して、理解の薄いところがあった。
王朗・許貢・華歆。
それぞれ異なる言だったが、許靖にはどれが間違っているとも思えなかった。それはその時の状況と、その人に何ができるか次第だろう。
そして王朗も許貢も華歆も自分たちの「天地」、魂に基づくことしかできないはずだった。
(それこそが、その人の生なのだ)
許靖は人生というものをそのように考えていた。
王朗も許貢も、それ以上は特に何も言わなかった。
陳羣は三人の話が終わったと見て、気になっていたことを口にした。
「私と袁渙が劉備殿と相性が良いという話でしたが、許靖さんの評価が高いとはいえ、今の劉備殿は一介の義勇兵ですよね?」
陳羣の発言はもっともだった。曹操、孫堅に比べて劉備の立場というのはあまりに軽い。かしこまって紹介というのも仰々しいように思える。
許靖はうなずいて答えた。
「実は役所で確認してみたんだが、劉備殿は黄巾の乱鎮圧の功績で
許靖の回答に、陳羣は微妙な表情をして見せた。
「それは……それなりの立場ではありますが、あまり高い地位とは言い難いように思えますね」
義勇兵が受ける褒賞として決して悪い待遇ではなかったが、中央政府の高官がひしめく洛陽で聞くと微妙な役職としか言いようがなかった。
許靖は陳羣の表情を見て笑った。
「気持ちは分かるが、まあ一度会ってみることだ。私だけでなく、曹操殿も一目置いていると思えばかなりの器であることは想像がつくだろう。それに、私は陳羣の人物眼もなかなかだと思っているからな。自分の目で見て確かめればいい」
陳羣の「天地」の猫はたまに鋭い目つきを見せる。
それは許靖が思わず緊張するほどのもので、相手のことを見透かそうとする意志を感じられた。
「はあ」
「気のない返事だな。劉備殿はそう遠くない時期に、少なくとも県尉から県令(県知事)程度にはなるだろうと私は思っている。そうしたら仕事のしがいもあるだろう。繰り返すようだが、とりあえず会ってみて欲しい。劉備殿の魅力は口で説明するのは難しいが、会えば必ず分かるはずだ」
陳羣はまだ微妙な顔をしていたが、むしろこんな男が気づいたら劉備の下で働いているのだろうという気がした。
知らず知らずのうちに、あの長い腕に抱き留められているのだ。
(結局のところ、何を話したところで会わなければ分からないだろう)
許靖は心の中でそうつぶやいて、手を一つ叩いた。
「そんなわけで、今日は全員の紹介状の草稿を持ってきた。各々確認して、追記・修正して欲しい箇所があれば言ってくれ」
今回の紹介は曹操たちに依頼されてのことだが、紹介される若者たちからすれば有力者に自分たちを売り込んでもらうようなものだ。
紹介状はある意味で就職の推薦状のようなものなので、本人たちの希望があれば、できるだけそれに沿うようにしたいと考えていた。
「その草稿はどこにあるんだ?」
王朗に尋ねられ、許靖はきょとんとした。
「……ああ、すまない。一階の妻たちの所に忘れてきた」
そう言って頭を掻いた。
「私が取って来ます」
袁渙は素早く立ち上がると、俊敏に階下へと降りて行った。本当に真面目でよく働く。
しばらくすると、袁渙が木簡を五つ持って帰ってきた。それを一つ一つ全員に渡してから、不思議そうに首を傾げて許靖を見た。
「あの……下で小芳さんから『はい、うっかり者の花神の御者へ』って渡されたんですが。何ですか、花神の御者って?」
言われた許靖は素早く袁渙の襟首を掴み、ぐいっと自分のほうへ引き寄せた。
その耳元で、静かだが強い口調で、噛みしめるように言葉を紡ぐ。
「二度と、その言葉を、口にしないでくれ、分かったな」
これまで常に温厚だった許靖の変わりように、袁渙は冷汗をかいた。無言で首を縦に振り続ける。
事情を知っている他の四人はその様子を笑いながら見ていた。
考えてもみれば、これは幸せな光景だろう。これから来る激動の時代の中で、許靖はこの頃の日々をよく思い返す事になる。
それはとても温かい記憶であり、その時にはもう手の届かない太陽のような日々なのだった。
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