第18話 馬泥棒

 三人が屋敷に着くと、王順と朱烈が奥の部屋で向かい合って座っていた。


 朱烈は何やら書き物をしており、手元の筆を忙しく走らせている。この頃は紙が十分に普及する少し前で、木や竹の札がその代用品として使われていた。


 二人は入ってきた許靖、花琳、小芳の三人へと目を向けた。


「挨拶はいい。とりあえず座りなさい」


 王順に促され、軽く会釈だけして席に着いた。


 朱烈は視線を手元に戻し、筆を動かしながら口を開いた。


「すまんな、あと少しで書き終わる……終わった」


 軽く文章を読み返し、王順に渡す。


「賊の情報をまとめたものです。今回だけでなく、これまでの犯罪やその立証につながるようなことも含めて書いてあります。高承コウショウへ届けさせてください。まだ尋問は続いているでしょう」


 王順は頷いて受け取ると、使用人に言付けて渡した。


 朱烈は改めて隣に座った許靖へ向き直り、頭を下げた。


「まずは、いつぞやの礼を言わねばならないな。頂戴した食料でなんとか逃げ切れることができた。感謝する」


「ご無事で何よりでした。しかし……上手く逃げ切れたのに、またこの街へ戻ってらしたのですね」


「ああ、このままでは終われん事情があってな。賊の連中が『指名手配されている者でも上手く街に入れる手管がある』というので協力する振りをして帰ってきた」


「賊に紛れるというのは、さぞ大変でしたでしょう」


「いや、割とすんなり受け入れられたよ。結局のところ、賊などという集団は追われてる人間が行き着く先だ。似たような境遇の人間が多かった。私も実際に手配犯であることは間違いないから、むしろ同族だと思って優しくしてくれる人間も多かったな」


「なるほど」


「ただ、奴らの信頼を得るために小さな犯罪を見逃したり、荷担したりするのが辛かった」


(この人らしい)


 許靖は朱烈の潔癖なほどの倫理観に思いを馳せた。


 朱烈は次に花琳の方へ向き直ると、また頭を下げた。


「そして花琳さんも、いつぞやは随分と馳走になった」


「……その節は、大変失礼いたしました」


「……その節は、大変失礼いたしました」


 うつむいた王順と花琳の言葉が重なった。


「いや冗談だ、すまない」


 朱烈は笑って手を振った。そして王順に向き直る。


「むしろ大変に立派なものです。今日の戦いもそうだ。あれだけの人数を相手に勝てる者など、軍の中にもそういません。私でも正面きって相手をするのは厳しいから、夜間の逃走中に騒ぎを起こして警戒中の兵に捕縛してもらうつもりでした」


「娘が計画のお邪魔をしてしまいましたか」


「いや、結果として犯人は一人残らず捕らえられたし、馬の盗難も防げました。私の計画ではおそらく捕り逃しがあったでしょう。そして何より、私の身の置き場がこうして確保できたことはありがたい」


 朱烈はあらためて王順にも頭を下げた。


「礼にはおよびません。しかし、これからどうなさるおつもりで?匿うことはできても、冤罪の証明などはさすがに私共では難しい」


 許靖もそれが気になった。


 朱烈の罪は物証や証言が揃っているらしいし、冤罪の証明などそうそうできるものではないだろう。


「わざわざ街へ戻ってきたのです。もちろん私自身で決着をつけるつもりですよ」


「決着、ですか」


 許靖はその言葉にどこか引っ掛かりを覚え、オウム返しに繰り返した。


 朱烈の瞳が許靖へと向く。


 その奥の「天地」は半年前にも見た白い街だった。建物も、道路も、人も、樹も白い。朱烈の潔癖な正義感を示しているのだろう。


 しかし、よくよく見るとほんの少しだけ白でなくなっている部分があった。行きかう人々の足元が、墨で汚れたように黒ずんでいる。


(半年間もの逃走の間に、この人も変わっているようだ。人の世を生きていくのに潔癖すぎるのは辛い。色がつき始めたこと自体は悪いことではないのだろうが……)


 それでも気になる変化だった。


「真犯人の目星はついている」


「噂では郡丞ぐんじょう韓儀カンギ様、ということですが……」


 許靖がそう言ったところで、廊下の方から何人かが歩いてくる音が聞こえた。


 話している内容が内容だけに、全員が口を閉じる。


 足音は部屋の前で止まり、一番番頭の白佑ハクユウが扉から顔を出した。が、その直後にそれを押しのけて入ってきた男がいる。


「先ぶれもなく失礼するぞ。お忍びなのでな」


 その顔を見て、王順と朱烈が驚愕した。


「りゅ、劉翊リュウヨク様!?」


 許靖、花琳、小芳は朱烈の言葉に耳を疑った。


 突然、部屋に入ってきたのは郡太守の劉翊であるという。


 郡太守というのは一般人がそうそう会えるような人間ではない。三人は顔を見るのも初めてだった。


 許靖に関しては劉翊の馬の世話をしているが、太守とやり取りするのは上長の陳覧だけだ。直接会ったことなどない。


「朱烈、久しぶりだな。ずいぶんと災難だったが、助けてやれずにすまなかった」


 そう言いながら、驚く一同を尻目にどかっと腰を下ろした。


 小芳など、突然太守様が隣に座ったので目を白黒させている。


 劉翊は全員の顔に浮かんだ驚きを気にする様子もなく、話を続けた。


「王順、連絡に感謝する。突然押しかけて悪かったが、仕事の早さが私の信条であることはお前も知っているだろう」


 全員が王順を見た。


 許靖は頭を素早く回転させ、状況を飲み込んだ。


(詰まるところ、王順さんは『朱烈殿を匿いつつ、それを捕らえる立場にいる太守様にも報告をしていた』ということか。太守様が冤罪だと考えていれば上手く計らってくれるだろうし、そうでなければ兵が派遣されて捕縛、店にもお咎めはないだろう)


 どちらにしてもお上に対していい顔ができ、店として大きな利益になるはずだ。


 そこまで考えて素早く行動した王順は、商人としてこれ以上ないほど利に聡く、優秀といえるだろう。


 ただ、まさか太守本人が直々に、しかもこれほど早く現れるなどとは予想できなかったようだ。


(しかし、商人というのは恐ろしい生き物ではあるな……)


 店で働いてほしいと誘われたことを思い出し、許靖は自分に商人が務まるだろうかと改めて不安になった。


 王順はバツが悪そうに咳払いをした。


「……太守様、言ってくださればお迎えのご用意をいたしましたのに」


「いや、お忍びなのだから用意などない方がいい。私も監視されている身なのでな。悟られずに出てこようと思ったらこのように来るしかないのだ。許せ」


「監視?太守様を、いったい誰が」


「さっき話していた韓儀さ」


 劉翊は唇の端をにやりと上げた。


「私は地獄耳なんだ」


 そう言って可笑しそうに笑う。


 朱烈は劉翊に向かって深々と頭を下げた。


「申し訳ありません、劉翊様。私があの時、韓儀を挙げられていればこのようなことには」


 劉翊はその肩に手を置いて、体を起こしてやった。


「やめろ。むしろ謝るべきは私の方だ。お前にばかり辛い思いをさせた」


 顔を上げた朱烈の瞳から涙をこぼれていた。


「私のことなどはいいのです。しかし、部下たちが……」


 震える声に、全員が黙った。


 朱烈は部下を五人殺され、あまつさえ顔まで岩か何かで潰されたという話だった。その心情はいかばかりか。


 しばしの間沈黙の時が流れたが、朱烈はやがて涙を拭うと、決然とした顔で言った。


「失礼いたしました。大切なのはこれからどうするか、ということです」


「その前に、話の筋を確認させていただけますかな」


 王順がそう切り出した。


「今のお話から察するに、お二人は朱烈様の脱獄があった半年前、韓儀様の不正を暴こうとなさっていた。しかし残念ながら返り討ちに遭い、罪を押し付けられる形で朱烈様が逮捕、脱獄という流れになった、ということでしょうか」


 話を聞く限り、そういうことだろう。


(まず劉翊様がどのように朱烈様の味方なのか、はっきりさせておきたい。そうでなければ太守の前で下手なことが言えない)


 それが王順の本音だった。


「大体その通りなのだが……その前に失念していた。ここにいる三人は王順の身内か?」


 劉翊はそこではじめて許靖、花琳、小芳の三人に目をやった。


 劉翊の目と許靖の目が合い、許靖は太守の瞳の奥を覗いた。


 劉翊の瞳の奥の「天地」では、巨大な船が造られていた。


 屈強な男たちがせわしなく動き回り、材木や金具などを運んでいる。その全員がいきいきとした表情で働いていた。


 船は美しく壮大で、波がどれほど荒れ狂おうが悠々と越えていけそうに思える。見るも見事な造船の「天地」だった。


(太守様は仕事が生きがい、という人だな。しかも相当できる方だろう。それに頼りがいもあって、周囲の人の心を安定させる。組織の長としては理想的な方だな)


 そう感じた。


「今のところ、身内というと二人ですな。娘の花琳と侍女の小芳です。もう一人は朱烈様の逃走の際、縁あってお手伝いされた許靖様です。許靖様は太守様の馬磨きをされておられますので、あながち太守様とも無縁ではございませんな」


「なに、お前が許靖か?月旦評の許靖……このような形で会うことになるとは」


 許靖は立ち上がって拝礼した。


「太守様、お会いできて光栄です。本日は無事に峻が戻りまして、本当によろしゅうございました」


 劉翊は許靖のことをしばらくじっと見ていた。


「……許靖、そのうち話をしたいと思っていた。何かの縁だな。後日ゆっくり話そう」


 それを聞いた王順のまぶたがピクリと動いた。が、それ以上の反応は示さない。


 劉翊は改めて全員に向き直った。


「では簡単に説明しておこう。韓儀が賄賂や職権乱用で不正を働いているという噂はみな知ってるな?」


 劉翊の言葉に全員が頷いた。


「もちろんそれを監察するのも私の仕事だが、奴は賄賂を大量に受け取る分、ばらまきもするので不正仲間が多い。役所の人間にもかなり食い込んでいて、先ほども言ったように私自身が奴の害になることをしていないか監視されているほどだ。なかなか捕らえきれずにいた。それに加えて奴の親族は中央政府に顔が利くから、半端な罪ではもみ消されてしまう。そこで朱烈に秘密裏に動いてもらっていた」


 朱烈は劉翊から視線で促され、説明を引き継いだ。


「指示を受けた私は、信頼できる部下だけを使って調査した。郡丞の職掌で大きいものは特に三点で、文書、倉庫、獄の管理だ。そのどれもで不正が見つかった。公文書を書き換えたり、倉庫の物品を横流ししたり、囚人を死んだと偽って解放したり、といったことだ」


(やりたい放題だな)


 許靖たちはさすがに呆れたが、王順の表情だけは動かなかった。街の有力者にとってはすでに常識なのかもしれない。


「奴の罪は明らかだったが、絶対に言い逃れできないだけの物証が必要だ。証拠を集めさせた。しかし、それを集めている間に奴に悟られたようで……あの日……証拠と共に部下たちが……」


 朱烈の言葉はそこで途切れた。目を閉じて、歯を食いしばる。


「……私のせいなのだ。多少証拠が甘くても早めに捕縛していれば」


 劉翊も目を閉じて首を振った。


「いや、韓儀はこれ以上ないほどの証拠を揃えねば挙げられん。中央政府からの干渉があまりにひどいからな。半端な証拠では屁理屈でごり押しされて、無かったことになる」


 劉翊は気持ちを切り替えるように一つ息を吐いた。


「ざっと話すとこんな所だ。それで、これからどうするかだが」


「その前に」


 王順は手を上げて劉翊の言葉を遮った。


「もうすぐこの屋敷に、その韓儀様がいらっしゃいます」

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