薔薇戦争1
――蒼穹より生まれし者、蒼穹へと帰らん。遥か空の彼方にはまだ見ぬ透徹の世界があると信じて、人々は闘い、突き進む。
――ギルドイベント『叛逆のカエルム』、ただ今より開催!
ギルドイベントが今日から始まった。
ゲームにログインするとともにイベントバナーが目に入り、久々の感覚に心を踊らせる橘。
「イベントやるの何ヵ月ぶりかなぁ。このわくわく感が懐かしいよ」
橘はギルドイベントの開催を心から待ちわびていた。それは単にゲームとしての面白さが群を抜いているからというのもあるが、何よりもついこの前勃発した薔薇戦争が関係している。
今回のイベントボス『レイドオブローズ』討伐戦にて、ヒナノと空想少女がMVP争いをする――薔薇戦争。
昨日のルーム内では、橘は太公望と二人で悪巧みについて話し合っていた。
「橘くん、君がクッキーくんと賭けをしてみるのはどうだい? 薔薇戦争の勝者がどちらになるか予想するという賭けをね」
腹黒い笑みを浮かべる彼が提案したのは、薔薇戦争に乗じてクッキーにイタズラを仕掛けてやろうという試みだった。
雑談部屋ではこういった悪ふざけをするのもしょっちゅうで、特に太公望や橘が企画して実行することが多い。
「この賭けをするにあたって、『勝った方が負けた方に顔写真を見せる』という条件をクッキーくんに飲ませれば、君にとってはウィンウィンじゃないかな。どうせ彼は空想少女に賭けるんだろうし」
――馬鹿げているが、クッキーの顔写メがワンチャン手に入るかもしれない。
そう考えれば余興としては悪くない遊びだった。仮にクッキーがこの話に乗って来なかったとしても、他メンバーたちで笑い合うネタにできる。
太公望も橘もこういうイタズラには余念がなく、作戦はかなり緻密に練った。明日の薔薇戦争が楽しみだな、と二人で下衆く笑いながら昨日の話し合いは終わったのである。
「クッキーに痛い目見させてやれれば儲けもんくらいの気持ちかな」
橘はふふ、と楽しげに笑い、クッキーの作った雑談部屋に入室した。
やはりギルドイベントの影響でいつもより団員の数が多く、話題もイベントに関する内容で賑わっている。既にボスを召喚してバトルを始めている者も多い。
辺りを見回すと、ルームの隅のベンチでクッキーと団員が座って談笑する姿を見つけた。
「わだかまり よりも重い思いやり 心の広さ 探す空旅」
「クッキー団長、それは何でしょうか?」
「イベントにちなんで詠んでみた和歌」
「藤原道長の子孫みたいですね」
クッキーの和歌センスを褒めているのは、確かこの前ギルドに入団してきた、シャルナという名のプレイヤー。
頭に犬耳をつけた男性アバターが特徴的で、直接会話したことはまだない。ただ、彼が他の団員に親身に接する姿や会話の端々から垣間見える人柄の良さは、遠目で見る橘にとって好印象に映っていた。
――あの子と一度話してみたいなぁ。
そんなふうに思いつつ二人の会話に混ざるタイミングを伺っていると、
「――あ、橘めるさんですよね。こんにちは」
シャルナがこちらの存在に気づいて明るく声をかけてきた。やや面食らう橘に彼はにこっと微笑み、
「今日からギルドイベントですね。俺そこまで役に立てないかもですけど、同じ団員として一緒にバトルとかできたら良いなって思ってます。それに――いつも雑談部屋で貴方のこと見てました。ファンです」
「えっ?」
「皆さんと雑談してる姿を見ていて面白い方だなぁって思っていました。ぜひ仲良くしてください」
穏やかで紳士的ながらも、後輩のような親しみやすさで話しかけてくるシャルナ。
彼が自分に向けてくる態度には思わず「相思相愛」なんて言葉が思い浮かぶが、さすがに気持ち悪いと思って頭の外に追いやる。ともかく、まさかヒナノ以外に自分をそんなふうに言ってくれる存在がいるとは思っていなかった。
しかし橘はつい頬が緩みそうになるのを抑えて、シャルナに人差し指を立てる。
「君の気持ちはとても嬉しいよ。でも僕のファンになるのはそう簡単な話じゃない。だから、ここでひとつテストをしよう。君が本当に僕のファンとしてふさわしいかどうかを確かめるテストだ」
首を傾けて「テスト……?」と訝しむシャルナに、橘は万丈にも用いた手法で提案する。
「顔写メください」
なぜこんな頼みをするかと言えば、相手を変に期待させないためである。顔写真という、普通の人なら見せたがらないものをわざと要求して『橘める』という人間の本性を把握してもらうのが目的だ。
だからてっきり「頭沸いてるんですか?」なんて冷たい返事が来ると予想していたのに、
「俺のですか? いいですよ」
「へ?」
「どうぞ。個人チャットで送りました」
予想外にもシャルナはあっさり承諾し、ギルドの団員同士だけが使える個人メッセージで顔写真を送ってきたのだ。通知を反射的に開くと同時に犬感のある少年らしいシャルナの顔が目に入る。
もはや止める間もなくダイレクトな個人情報を渡され、唖然とした。
「あ、閲覧注意なので気を付けてください。俺がいくら紳士でも顔まで紳士とは限らな……」
「ネットリテラシー! 個人情報保護法! ネトゲ晒し! そういうのホントにダメだって! みんながみんな僕みたいに優しい人とは限らないんだから、簡単に見せるのはやめようよっ」
自分で要求したくせに何を言うんだと思いつつそれらしい言葉を並べる。だが案の定、シャルナの写真はばっちり保存してフォルダに入れるのは忘れない橘。
「今のところ見せたのは橘さんが初めてですよ。そこまで言うなら他の人には見せないようにします。ちなみに……保存はダメですよ?」
「……もちろん」
せっかく貰ったものを削除する度胸は橘にはない。というわけで、若干の申し訳なさを感じながらも彼には嘘をついた。
大抵の相手は、渋々顔写真を見せたとしても読み込めるかどうかという速さで削除してしまう。だからこちらは削除前に速く保存しようと必死こくものだが、今回のパターンは珍しい。
そばで自分たちのやり取りを聞いていたクッキーは、呆れたようにため息をついた。
「橘さぁ……相変わらずやな。てかせっかくギルイベ始まったんだし、みんなでバトルでも行かね?」
二人でクッキーの提案に賛同し、バトル用の編成の準備をしようとしたそのとき。
「ヒナノ、降臨!」
例のごとく挨拶とともに美少女がルームに入室する。それと同時にもう一人のプレイヤーもやってきて、
「やあ。薔薇戦争を見に来たよ」
橘に賭けを提案した少年、太公望が楽しげにそう言った。
「それね! でも空想まだ来てないよね? マジで早く始めたいんだけど」
彼女の姿が見えないことに不満そうなヒナノ。そう、肝心の空想少女は未だルームに来ていないどころか、本日一度もゲーム内で顔を出してすらいない。
しかし彼女が不在なのは想定内だ。なにせ、空想少女が「ギルドイベント期間中は家族と旅行に行く」と言っていたと橘に伝えてくれたのは、紛れもなく太公望。最初から空想少女がいない前提で計画を立てたのである。
橘は太公望にアイコンタクトを取ると、「そうそう」と手を叩いて本題を切り出した。
「雑談部屋で薔薇戦争やることなんてなかなかないし、この際だからみんなで賭けでもしない? 空想少女とヒナノ、どっちがMVPを取れるか予想して、予想に外れたら自分の顔写真を公開する、なんてのは!」
「えぇ……」
「橘くん、それは実に面白そうなアイデアだな。ワタシは乗ったよ。空想少女に賭けます」
打ち合わせ通り、橘が賭けを提案し、それに太公望が乗るという展開。
クッキーはかなり困惑したように、橘から太公望へと視線を移す。いきなり突拍子もない話がトントン進むものだから理解が追い付かないのも仕方ない。
しかしヒナノは雑談歴がそれなりに長いせいか、場の雰囲気に悪ノリするのも早かった。若干驚いたのちにすぐ話の趣旨を理解したようで、
「え、太公望さん。わたしに賭けてくれないの……?」
「こればかりは真面目に考慮した結論だよ。MVPを取るのに必要なのは姫力ではなく純粋な戦力。なので致し方なし」
「安心して! 僕はヒナノに賭けるよ!」
「橘さんマジ!? ありがとう!」
ここまで自然な流れで話を進め、まだどちらに賭けるか決めていないクッキーに太公望がさらに念を押す。
「クッキーくん、君も空想少女に賭けないか?」
男性からの人気を得やすい彼の勧めであればクッキーも乗りやすいだろうか。ヒナノも、太公望と橘の計画を知らないながらも「クッキーはどうせ空想だろ」と笑って後押し。
彼らの誘導にクッキーは顎に手を当ててしばし悩んだ末、
「……んー。じゃ、僕も空想に賭けるわ」
と、雰囲気にうまいこと乗せられてしまったのである。
かなり雑なゴリ押しだったが一応は上手くいったらしい。
そうしたら次は計画のフェーズⅡだ。空想少女不在のまま『レイドオブローズ』討伐戦を開始し、ヒナノとのMVP争いをするという流れになる。
空想少女がいないのにどうやって? と思われるかもしれないが、そこで橘の出番なのだ。
「オッケー、後から賭ける相手変えるとかはなしね。いやー結果が楽しみで仕方ない。あ、僕はちょっと用事あって離席するから、その間に勝負始まってたらあとで結果教えて。じゃ、申し訳ないが一旦失礼!」
わざとらしく残念そうな素振りをしながら、橘は皆の輪を離れてルームを退出。それからできるだけ早く『変装』を済ませ、再び雑談部屋に戻った。
「こんにちはー! お兄ちゃんぎゅーちゅ!」
昆虫のスキンから『ウィザード』のジョブに着替えたため、今の橘はピンクのフリルスカートの服装になっている。
いかにも空想少女の言いそうなセリフで挨拶をすれば、真っ先に反応したのはヒナノだった。
「空想、来るのが遅い! さっさとバトル終わらせてケリをつけようよ」
「はぁー? マジだるいんですけど。――そっちが負けて恥かいても知らないからね」
「へぇ……おもしれーこと言うじゃん。余裕でわたしが勝つに決まってるのに」
わざと挑発的な態度を取ると、ヒナノもまたわかりやすく挑発的に返してくる。本物の空想少女であれば、意図的な挑発などしないどころか勝負すらしようとしなかっただろう。
だから橘が成り代わることになったのだ。
――不在のはずの彼女に成り済まして、ヒナノとの勝負を決行するために。
「空想、なんかいつもと変わった……?」
「クッキーお兄ちゃん、どうかしたの? 今から勝負するために気合い入れてるだけだよ」
橘の成り済ました空想少女とクッキーが会うのはこれで二度目である。初対面のときはわざとふざけていたが、今回は『本人だと思われる』必要があるので真面目に彼女の言動をコピーしているつもりだ。
それでも橘が真似しきれない部分で、クッキーの違和感を拭えていない。
「私が勝てるように応援してね、お兄ちゃん!」
眉を寄せる彼に何とかキャラを演じてみせると、「ふーん」と一応は納得してもらえたようだった。
今回の計画を立てた太公望だけは、橘が成り済ましていることを知っている。それもあくまで『今だけ』の話で、普段から頻繁に成り済まし行為をやって遊んでいることまでは彼も知らない。
だからどっちにしても正体がバレたら橘は皆の信頼を失うリスクがあり、大きな賭けであることに間違いはない。
目の前の光景を静観していたシャルナは、ついに耐えきれなくなったように口を開く。
「なんだか俺、全然話が読めないんですが……今からなにが起こるんです?」
「まぁ見てるといい。祭りが始まるよ」
困惑する彼にそう伝え、太公望は腹黒く不敵な笑みを表情に浮かべるのだった。
※※※※
ウィンドウの通知音に、万丈はてっきり空想少女からメッセージが来たのだと思った。以前はともかく、最近は彼女くらいしか話す相手がいなかったからである。
だからコメント欄を見て、その意外な人物に思わず眉を寄せた。
「誰だ、コイツ」
――『ショウ』という名の低ランクプレイヤー。
こいつが他のコメント欄に変なコメントを書き込んでいるのを見た記憶はあるが、まさか自分のところにも来るとは思っていなかった。
正体などわかるはずもないし、興味もない。
ただ『雑談部屋に来い』と、意図の不明なコメントが自分のコメント欄に書き込まれているだけ。
正直、橘めるのせいで雑談部屋に行きたくなかった。例の膝枕の写真を晒すと言われたわけではないし実際晒されたわけでもないが、奴の反応が何となく悪ふざけを目論んでいそうに見えたから。
それでも、
「一回だけ、行ってみるか」
万丈が渋々でも顔を出す気になったのは、ショウが『雑談部屋に来い』というコメントの次にもう一言、
――『面白いものが見られる』と、書き込んでいたからだった。
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