雑談部屋の正しい使い方
ピコ、と通知音が聞こえ、何事かと思って自身のコメント欄を確認する橘。そこに届いていた新たな新着メッセージはなかなかひどい内容のものだった。
『お兄さん、良い年して童貞なんだって? おすすめ店の紹介するよ!』
書き込んでいるのは『ショウ』という名のプレイヤーで、問題を起こして非難されたり炎上したりした奴の元に必ず沸いている低ランク。例えるならうんこに集るハエのような存在だ。
「兄さんじゃなくて姉さんなんだよなぁ」
性別すら勘違いしているクソみたいなコメントだが、普段から雑談部屋で悪目立ちするせいか、橘の元にはこういう荒らしが時々沸いてくる。
自分を荒らしてきそうな人物は何人か心当たりがあるが、ありすぎて特定はできない。そのくらいには嫌われている自覚があった。
とはいえ、ショウは橘だけでなく空想少女にも結構荒らしコメントを送っている。それも『ピンクビーン@9 空想タンキーのみ♪』などの意味のわからないコメントではあったが。
少々腹は立つが、気にしても仕方ない。
というわけで橘はなくなった雑談部屋を作り直すと、真っ先に入室してきたのは太公望だった。
「やぁ橘くん、ワタシのいない間に面白いことが起こったらしいじゃないか。薔薇戦争について詳しくお聞かせ願いたい」
雑談部屋の大事な場面が起こる時に限って太公望は席を外していたということが多い。
おまけに天然な一面がありながら、それとはかけ離れた腹黒さも持ち合わせている彼は、揉め事に関する話題には大抵興味津々に食いついてくる。
ヒナノと空想少女が喧嘩したというだけの薔薇戦争について、知っていることを一通り説明すると、太公望は案の定、興味深そうに口角をあげた。
「ふむ、あの二人が……なるほど。そういえば、空想とクッキーくんは結構仲が良かった気がするな。なら少しばかり面白そうな考えがある」
「え、なになに!? 気になる!」
クッキーと空想少女が付き合っていることをまだ知らなくとも、彼らの様子から薄々感づいているのだろう。「それは……」と太公望が話し始めたとき、新たな入室者が複数人一斉に入ってくる。
そのうちの一人、ほのるるが自分たちの様子を見て頬を緩めた。
「おっ、二人とも相変わらず仲良いね。さすが太公望、橘の腰巾着と言われるだけある」
「その呼び方はやめてくれないか、本当にそういうんじゃないんだ」
ほのるるが太公望に軽口を叩いている中、橘は入室者の中に一人だけ、見知らぬメンバーがいるのを見つけた。黒装束の少年のアバターである。
こちらから挨拶をしようと近づいていくと、彼の方から先に気づいて声をかけてきた。
「よぉ、万丈だ」
顔にはマスク、腰に短剣、黒いマントをたなびかせる姿は如何にも闇の組織に属していそうなダークっぽさがある。厨二病感満載のアバターを選ぶセンスはなかなか良さそうだ。
しかし同時に、
――コイツ、どこかで見たな……?
橘は判然としないデジャブを感じ取った。ただ、雑談メンバーが多すぎていちいち覚えていられないのと、元から記憶力が残念なせいでデジャブの正体がわかりそうにない。
そうして首を捻っていると、万丈は突如「フッ」とニヒルな笑みを浮かべた。
「いきなりだけど、お前ってSかMでいったらMっぽいよな。しかもドがつくレベルの」
いきなり予想外なことを言われて「……え?」と呆けた顔をする橘。初対面のはずなのに自分を知っているかのような言い草もそうだし、なぜかドMだとバレているのが妙な感じである。
「いや? 僕は王道を行くNだけど」
「オレこう見えてドSだから、虐められるのが好きならオレのギルドに入るといいぜ。相手をドM100%にさせるのは得意だしな。どうだ? 来るか?」
近々ギルドイベントが開催されるのもあって、「うちのギルドに入りませんか?」という勧誘が増えてきている。
ただ、万丈が謎に自信満々などや顔でサディストアピールしてくるのはわりと腹立たしい。現実ではただの勘違いキモオタ童貞のくせに。
「いいぜ、とか語尾がワイルドすぎる」
普段なら「鏡見ろ」と追い払う場面だが、橘は顎に手を当ててしばし思考する。
人を第一印象だけで判断すべきではない、とは考えているが、第一印象が悪い時点で相手を人間扱いするのも無理な話だ。そういうときに橘が重視するのは、道化や玩具として見たときに飽きさせない面白さを携えているかという点である。
多くのゲームがそうであるように、このゲームでもギルドは一人一つしか所属できない。橘は現在クッキーのギルドに所属しているので、わざわざ退団して万丈の元に移るかどうかはよく考える必要があるだろう。
だから橘は万丈を試すことにした。
「それじゃあテストをしてみよう。君が真のサディストかどうかを確かめるテストだ。今ここで僕を罵倒するがいい。もし罵倒に満足できたらそちらのギルドに入るよ」
待ってましたと言わんばかりに、万丈が嗜虐的に嗤った。彼は口元をいびつに歪めながら橘を冷たく見下ろし、
「お前みたいなボンクラがこの世界で、一人で生きられるのならこのチャンスを逃すといい。お前みたいなのは他のギルドも拾おうとしないしな。それともあれか? 僕は心弱いのでトレーニングとか無理ですってか? そんなんなら街から出ないで一生貧民生活してるんだな」
「ふむ」
橘はぞくぞくとマゾヒストがくすぐられるのを感じた。涎が出そうなほど良い罵倒だし、何なら万丈がもしSMクラブにいたら通ってもいいくらい。
しかしあともうひとスパイス足りないのだ。例の計画もといクッキーの監視をやめてまでこちらのギルドを選ぶには、若干説得力が足りないというのが正直な感想。
というわけで非常に惜しいが、
「出直せ豚」
「えっ?」
「いやぁなかなか良かったよ! だけど今すぐ決めるのは難しいから、もう少し検討してみる。ギルドに誘ってくれてありがとね、万丈」
できるだけ相手を傷つけないようにやんわりと断るが、自信満々だった万丈は一気に表情を曇らせる。それからがっくり肩を落として無言になったかと思うと、スタスタとルームの隅の壁際まで歩いていった。
「ははは……」
どんよりとした陰鬱なオーラを放ちながら、体育座りしてうずくまる彼。どう見てもかなり落ち込んでいる。
「だ、大丈夫かい?」
「はぁ、寂しい……どーせオレなんて、ずっとぼっちのままなんだろうな。またフラれちまったしな……はは……」
ギルドへの勧誘が失敗したからか、はたまた罵倒に満足してもらえなくて自信を喪失したのか。
いずれにせよ、落ち込ませる原因となった橘がいくら慰めても逆効果である。声を掛けたらさらに空気が暗くなったからだ。
「厨二病のくせにメンヘラかよ……」
また濃いメンバーが来たな、と頭を抱えたくなっていると、ふいに万丈の元に歩いていく影が見えた。
彼女は万丈の目の前に来てしゃがみこむと、彼の頭に手を当てて、
「万丈さんよしよし、辛かったね。もう大丈夫だよ」
途方にくれた子供をあやすような、慈愛に満ちた母のような声。
なんと空想少女が優しく万丈を慰めている。
彼女の得意技『童貞殺し』の発動だ。
その名の通り、男性にひたすら優しい言葉を掛けて虜にする技であり、特に童貞に対しては効果が効きやすい。橘には使えないが、雑談部屋にいる女子はほぼ習得している。
しかも実際はプレイヤー同士は触れないので『撫でる』行為も真似事に過ぎないのに、万丈にとっては嬉しいらしい。それまでの暗い雰囲気はどこへやら、パッと顔を上げて空想少女に満面の笑みを見せたのだ。
「空想……ありがとう……今から二人で話そう?」
「いいよ」
万丈の誘いに空想少女は迷うことなく乗り、二人はあっという間にルームからいなくなった。
彼らの背中を見送った橘はぽつんと立ち尽くす。
「え……えぇぇぇえ?」
あまりの展開の早さに拍子抜けしてしまった。二人してルームを抜けて一体何をしに行ったというのか。
彼らがいなくなったことだし、太公望やほのるるたちの楽しそうな談話に戻って混ざろうかとも思ったが、橘は妙に落ち着かない気分だった。――いつもの、悪趣味な好奇心のせいで。
何となく、空想少女か万丈が作ったルームがないか探してみたが見つからなかった。
だがひょっとして――と思い、空想少女のプロフィールから挨拶欄を覗く。
すると、
『114514。ルームID』
このように、短く万丈からのコメントが書かれてあった。
実はルームは非公開に設定すると検索欄で探してもヒットせず、IDを打ち込まないと入れなくなる仕組み。
万丈はおそらくコメントを消し忘れているのだ。誰でも見られる挨拶欄にIDを書いたままにしておく詰めの甘さは、橘にとってまさに極上の獲物。
先程の二人の様子ならルーム内部で何をしているか大体察しはつくし、なおさら第三者に見られたらまずいだろうに。つい頬が緩んでしまう。
「最高だな」
※※※※
「やっぱ膝枕されたいな」
「私が万丈さんの膝の上に寝ればいいの? それとも私がすればいいの?」
「オレに寝て」
「うん」
空想少女はおずおずと膝の上に頭をのせる。実際は万丈の膝をすり抜けて頭が床についただけだが、それでも欲求を満たすには充分だ。
万丈はリアル世界においてボッチを極めた拗らせ童貞である。常日頃から女の子とイイことしたいと願うも、それは妄想止まりで実行には移せない。女子との会話を弾ませることでさえ至難の業なのに、女子の肌に触れるなど前しっぽが爆発する危険がある。
それに自分がなりたいと願う理想のキャラを現実でやるのはいささかハードルが高い。
その点、ゲームの世界は気軽で良いのだ。顔が見えないから、本来ならイケメンにしか許されない言動もできてしまう。
「ね、寝たよ」
「なでなで。さっきのお返し」
――最高だ!
肌の温もりや柔らかさを感じられなくても、女の子を自分の思い通りに動かせるのがたまらなく快感なのだ。やはり男らしく支配し、かっこよくリードしてこそ女性の心を鷲づかみにできる。
万丈は至福の時間を堪能する。
しかしふいに重大なことを思い出した。ルームのIDを空想少女の挨拶欄に書いたままにしていることを。
このままだと常識はずれな奴が勝手にルームに入り込んで、二人だけの楽しい時間を邪魔しに来るかもしれない。
すぐにコメントを消さなくては。
――と思った頃には、もう遅かった。
「君たちさ、ラブホが何のためにあると思ってるんだい?」
笑いを含んだ少女の声。続けざまにパシャ、とカメラみたいな音が響き、ワンテンポ遅れて万丈の脳内警報が鳴り響く。どうやら非常にまずい状況らしい。
自分たちから少し離れたところに別のプレイヤーが立っていた。あの人物は確か、先程の雑談部屋で話したばかりの――、
「橘める――ッ!」
ルームを作成した『部屋主』は他のプレイヤーと違い、自分の作ったルームを削除してからでなければ他のルームに移動できない。
部屋主である橘が、わざわざ雑談部屋を削除してまでここに来ると思っていなかったのは万丈の考えの至らなさゆえだろう。
即座に異物を排除すべく、コンマ単位の速さでウィンドウを開いて退室権限を実行する。
「良いもの見させてもらったよ。ごちそうさまでした」
消える直前、意地の悪い笑顔で合掌をする橘。
万丈は奴をほぼ反射的に退室させ、コメント欄に書き込んだルームのIDも削除はしたけれど、もはや何もかも手遅れだった。
「――ぁ」
――見られた見られた見られた! しかも写真に撮られた!
とてつもない羞恥心が込み上げてきてがっくりうなだれる。こんなのって、オカズのために保存していたエロ絵を友人に見つかったときよりも辛い。
空想少女は起き上がって心配そうにこちらを見る。
「ば、万丈さん……」
「心配するな。お前はオレが守ってやる」
イケメン風に安心させようとしてみるが、それでも彼女はすぐれない表情のまま首を横に振っただけだった。
言ったからには絶対守ってやりたいけれど、一体どうすればいいのやら。
万丈は必死に頭を巡らせるが、取り返しのつかないことをしてしまったという後悔と羞恥だけが胸中に満ちていた。
※※※※
「空想を手のひらで転がすの楽しー」
荒らしコメントの次に届いた通知はクッキーからの新着メッセージだった。それも、ギルドの団員同士限定で使える個人用チャットで。
『付き合うって二人にとっての困難はあるけど、それを乗り越えるのが愛だよね』
「空想がこんなこと言ってるんだけどマジきっしょいわー。あ、僕が裏でこういうふうに言ってることは内緒にしてね。まだこのおもちゃで遊びたいから」
ゴミみたいな内容のコメントとともに、空想少女がこんなことを言っていた――みたいなことをわざわざ画像に撮って送ってくるクッキー。
空想少女の気持ち悪いコメントにクッキーがさらに気持ちの悪い突っ込みをする。そんな流れがここ最近のお約束となっていた。
幸か不幸か、空想少女が万丈と仲を深めていることを彼はまだ知らない。ましてや、ついさっき二人が『膝枕ごっこ』をして遊んでいたことなど。
「おもちゃね……壊れないように遊んであげなよ?」
橘は手元の写真――万丈と空想少女の膝枕シーンを眺めながら、くすりと笑ってクッキーに返信をした。
――そんなこんなで何日かが過ぎ、プレイヤーたちが各々の思いを抱えて挑むギルドイベントは始まったのだった。
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