小休止
クッキーとの邂逅を果たしてから数日が経った頃、学校が休みだった橘は午前中からゲームにログインしていた。
ウィンドウで情報を漁り、自分がいない間にゲーム内で最近起こった出来事を大まかに把握する。
あった出来事と言えば、雑談部屋関連では空想少女がネット彼氏と別れたとか、ゲームでは間もなくギルドイベントが開催されるとか、特に変わったことはなさそうだ。
それからいつものようにルーム検索欄を漁っていると、とある文字が目に飛び込む。
『雑談部屋』、してその部屋主はというと、
「……まだいたのかよ、このイキリ陰キャ」
クッキーは今日も、雑談部屋を立てていた。
つい先日彼に言われた罵倒の数々と、人を小馬鹿にするような態度。嫌な記憶をありありと思い出してしまい橘は不快な気分になる。
しかし今日はあの時とは違う。あれから色々と考えた結果、橘は一つの作戦を思い付いたのだ。
――ずばり、『クッキーの顔写真入手作戦』。
奴と仲良くなるふりをして信頼を得たのち、油断させたところで「顔写メ交換しない?」と持ちかけて写真をゲットする、というもの。
しかしなぜ顔写真なのかといえば、もちろんブスは死ね的な発言を撤回させるためである。
別に得た写真を大衆の前に晒すつもりなど毛頭なく、ただ彼自身に自分の顔面を顧みてもらい、馬鹿にしたことを反省してもらいたいだけ。
そうなるとこの作戦にはひとつ問題がある。もし彼が自分に自信のある美形だったら、反省などしないのではないかという問題だ。
「まぁ……そこはやる前から考えても仕方ないか」
自分の顔面を晒した状態で強気な言動ができるメンタルの持ち主もそうそういるまい。
ということで作戦を決めてクッキーの雑談部屋に入室し、まずは内部の様子を確認する。
公園らしい風景の中には、先日よりもたくさんのプレイヤーがいて賑わっていた。雑談はもちろん、敵を召喚してバトルを行っている者もわりといて、ルームの空間上にバトルへ参加するためのIDがいくつか表示されている。
「お、グランドオーダーもやってるのか。素材集めたかったしちょうど良かった」
ルームで行えるバトルは大きく二種類、通常マルチバトルと特殊マルチバトルの二つだ。
現在表示中のIDの中の『グランドオーダー』は通常マルチバトルの中でも最強クラスのボスで、その分討伐報酬も美味しい。
橘は『ガンスリンガー』という銃使いのジョブに着替えて戦闘の準備を終え、IDからグランドオーダーのマルチフィールドに入った。
目の前には美少女の姿をした巨大なボスが佇み、その近くには橘の他に二人のプレイヤーがいる。
「うれしいっ。わたしのために自発素材負担してくれてありがとぉ、左翔くん。でもこのボスと戦うの初めてだから、ちょっと怖いんだよね……」
「どうせオレの自発だから失敗しても構わんよ。できるだけカエデちゃんが攻撃しやすいようにサポートするから、遠慮なくMVPとってな」
媚びるような甘ったるい振る舞いの女性アバターのプレイヤーに、応対する男性アバターの方はまんざらでもなさそうな様子。特に女性アバター、橘は経験則からそのプレイヤーを見てほぼ直感的にわかった。
――ああ、コイツはネカマだな、と。
橘はすぐに銃を構え、ボスに向かって連射を始めた。突然の戦闘の開始に、こちらの存在に気づいた左翔が慌てて声をあげる。
「なっ、しまった! IDを非表示にするの忘れてた! カエデちゃん、MVPとられる前に早くボス殴れ!」
「嘘っ!? んだよもう!」
――結局、高ランクで戦力もそこそこな橘がMVPを取ってしまい、左翔とカエデにとっては目的を果たせず残念な結果となった。
恨みがましそうに橘を睨むカエデは、可愛い子ぶるときとは違う明らかな素の顔が出ている。その反応に対し、こちらは「横取りしてごめんね、オカマくん」と聞こえないように呟いた。
そんなこんなで日課のバトルを終えてすぐにクッキーの元へ向かう橘。
彼はベンチに座って二人のプレイヤーと雑談している。橘はクッキーの正面に立つやいなや、気持ち悪いくらい爽やかな笑顔でにっこり微笑んだ。
「やぁ、はじめましてクッキー。僕は橘める、十四歳の女の子だよ。雑談部屋にはできた当初からずっと出入りしてるから大体のことは知ってるんだ。よろしくね」
「あぁ、どうも……はじめまして」
今日は空想少女の成りすましではなく、自分の本体『橘める』のアカウントを使用している。ちなみにアバターの見た目は、プレイヤーに「気持ち悪い」と不評な昆虫スキンだ。
だからクッキーとは実質初対面であり話すのも初めてだが、橘を見る彼の表情は「何だコイツ」という微妙なもの。
「君って最近雑談部屋に来たばっかりじゃなかったっけ? 仲良くしたいなぁ」
「十四歳と話が合う自信がないかな。橘さんのこともまだよく知らないし」
あくまで初対面らしい距離感を保つクッキー。するとその隣にいた別のプレイヤーからの突っ込みが入る。
「ほぅ、今日の橘くんは十四歳なのか。ついこの前は十八歳と言ってたのに、設定コロコロ変わりすぎじゃないかね」
「なななに言ってるんだ?
「相変わらずだね君は」
やれやれ、と肩をすくめて笑う、藍色の呉服のアバターの少年――太公望。
名前や外見からわかる通り生粋の歴史好きで、しかもたびたび高学歴イケメンと呼ばれるほどの博識でもある。
『橘の腰巾着』、『橘の奴隷』などという蔑称がつくほど橘との距離は近いが、いつなんどきも崩さない冷静さとミステリアスな雰囲気は雑談部屋でも珍しく、特に男性プレイヤーからは「かっこいい」と評判。それでいて、誤って橘に自分の顔写真を送りつけるなどの凡ミスをする天然さもある。
そんな性格が災いしてか、彼自身は異性愛者にも関わらずリアルでも男性にばかりモテるし、話したこともない男にいきなり告白されることもしょっちゅうあるらしい。
そして太公望の隣では、雑談一の美少女と名高いプレイヤーが他の男性プレイヤーにナンパされていた。
「ヒナノさん、良ければ今度会いませんか? 一緒に食事とかしてみたいです」
「あーうん。そのうちね。でもしばらく忙しいから結構後になっちゃいそう」
「いつなら空いてますか?」
「ごめん、しばらくはずっと予定あるかな……」
「予定が空くのはいつですか?」
「おーおー、やけに食い下がるね、オフパコ狙いの出会い厨くん。未成年淫行で警察の世話にならないよう、せいぜい気を付けるんだな」
しびれを切らして橘が口を挟むと、ナンパ男は鼻白んで眉を寄せ、急に居心地が悪くなったように「すみません」とだけ言い残してその場を立ち去った。
ヒナノは橘を見てぱっと表情を輝かせる。
「橘さんありがとおおおお! いつの間に来てたんだね。いたの全然気づかなかったよー」
魔法使いの少女っぽいアバターの彼女は、雑談部屋で見かける度に誰かにナンパされている。
ここまでモテるに至った経緯は、リアルの彼女は顔面偏差値七十は越えている、という噂がかなり広まったからであった。
「てかさ、聞いて。わたしね、今日学校でイケメンと目が合ったんだよ! その人学校の中でも一位か二位ってくらいかっこいいの!」
「目が合った、だけ? 声かけないの?」
「うん……緊張するから無理なんだ」
実際、ヒナノがリアルでどのくらいモテるかといえば、一週間に二、三回は告白されるし、机の上は毎日送られる童貞からの貢ぎ物でいっぱいになっている程度。
にこっと微笑むだけで男を細胞単位で発情させるほどの顔面らしく、そのプリティフェイスの前では貞操を守る術などない。
そういうわけだから『歩く媚薬』なんてあだ名を付けられるほど。
「そんな可愛いのに恋愛に奥手って、嘘だろ……守りたい、この処女」
「でもそのイケメン、他の女子にも人気あるしわたしが絡むのも気が引けるんだよね。あんまりグイグイ行くとかわいこぶってるとか思われそうだし」
「ヒナノが可愛いのは世界の条理だよ。それに少し声かけるだけでだいぶ変わるって。クラスの女子が敵に回っても僕はずっと応援するからね」
「ありがとう! 橘さんも可愛いと思うよ!」
橘がヒナノを好ましく思う理由のひとつに『嘘をつかない』というのがある。体感として、女子は特に本気で思っていなくても「可愛い」と褒めたりする傾向があるが、ヒナノにはそれがない。真っ直ぐで正直な性格だからこそ面食いでも嫌いになれないのだ。
対して太公望は、ヒナノの発言に理解が及んでなさそうな顔をして首を捻る。
「橘くんが、カワイイだと……? そもそも中身が女とは思えないが」
雑談部屋で日々、お世辞にも可愛いとは言えない言動をしているとはいえ、こういった反応をされるのはかなり癪だ。太公望はともかく、橘は男性プレイヤーからは不評を買うことが結構多い。
元からヒナノと空想少女と違い、女の子的な可愛さがほとんどないから仕方なくもあるのだが。
「僕の良さがわからないなんて実に哀れだね。そんなだからホモにばっかり狙われるんじゃないの? 君はせいぜい自分の尻でも守っているといい」
「はい? 今それ関係あるか?」
「それマジ!? 確かに太公望さんイケメンそうだもんね! 男でも好きになるのはちょっとわかるかも」
「言っておくがワタシの顔面はボストロール以下だぞ」
「やめて……そういうのなんか嫌……」
太公望のストレートな物言いに橘は吹き出しそうになりながらも、嘆くヒナノを優しくたしなめた。
「まぁアレだよ。顔の皮なんかより謙虚さの方が大事じゃない? 自分で顔に自信ありますとか言っちゃうのは色々と凄いって」
「そうなん? ――まぁ僕は普通にイケメン童貞だけどね」
それまで黙っていたクッキーが急に喋ったかと思えば、口にしたのは意味のわからない珍妙な発言だった。
「友達にはイケメンって言われるし、リアルでもネットでもそこそこ女の子にモテるけど、面食い女はお断りやで。顔で選ぶやつにろくなやついないからね」
コイツはついに気が狂ったのかと思った。ついこの前、「整形ブスは死ねって言いたくなるくらい嫌い」と発言した張本人が一体何を言うのかと。
橘はこの矛盾を指摘してやりたかったけれど、そんなことをしたら空想少女の成り済ましだったとバレてしまう。だから今はなにも言えないのがもどかしい。
だが、橘の気持ちを代弁するかのようにヒナノが不快感をあらわにする。
「クッキーキモすぎ……モテるとか嘘つくな」
「は? 事実だから。ちょうど君みたいな面食いが僕は嫌なんよね。しかも少し前に顔面偏差値七十オーバーって自分で言ってなかったか? 出会い厨キモいって言ってるわりに囲われるのは好きそうやし。いやーきついっす」
「死んどけ。クッキーの方がキモいし」
「まぁまぁ、お互い様ってことでいいじゃないか。ねぇ?」
いきなり険悪になりかける二人の間に咄嗟に割って入る橘。お互い様と言いつつヒナノを庇っている感は出てしまったが、ひとまず腰を低くしながら、
「ところで、クッキーはイケメン童貞って本当なの?」
「うん、まぁ」
「マジか! じゃあ僕と顔写メ交換しようよ!」
顔写真入手作戦、ここで決行。
イケメンを自称するのであれば、きっと顔くらい難なく見せてくれるに違いない。ネットで顔を明かさずにイケメンムーブをかますことほど滑稽なものはないからだ。
ヒナノでさえ、きちんと相手に顔を見せた上で「自分は可愛い方」だと自称している。それはそれでネットリテラシーが心配ではあるが、一応筋は通っている。
「えぇ……」と困惑するクッキーに、橘はさらに詰め寄って畳み掛けた。
「だってほら、イケメン童貞なんでしょ? そんなこと言われたら気になって夜しか眠れないじゃないか。本当にイケメンなら顔くらい見せてくれても良いよね。ぜーったい晒さないって約束する。だから写メください、お願いします! 何でもしますから!」
写真ほしさに必死な感じが滲み出てしまい、太公望に若干引かれているが橘は気づかないどころか自覚もない。
クッキーなんてあからさまに嫌な顔をしているけれどはやお構い無しだ。
「何でそんなことしなきゃならないんですかねえ」
「まさか拒否権があるとお思いで?」
「さすがにガイジすぎ」
彼の呆れた声が聞こえた次の瞬間、目の前の景色が一瞬で変化。はっとして見渡せば公園風景は青空に包まれた草原に変わっており、先ほどまで会話していた相手も皆いなくなっていた。
またしても橘は、ルームから追い出されたのだった。
「――っ」
短気な性質がすぐに治るはずもない。冷静に仲良くなるふりをする計画のことはすっかり忘れ、今度はどうやって嫌がらせするかという考えにシフトする。
すぐに良い考えが浮かび、大急ぎでクッキーのアカウントを特定した。目当てはプロフィール画面の少し下に存在するコメント欄というもの。
ルームで対面して話すのとは違い、プロフィール画面のコメント欄という枠でメッセージのやり取りができるチャットシステム。書き込んだコメントは全てのプレイヤーに閲覧可能な状態なので、まともな人間であれば変なコメントはまず書き込まない。
だが、
「知ったことか。お前が悪いんだからな、クッキー」
数分後、ヒナノが雑談部屋を作っていたので橘はそこに入った。
ちなみにルームにはタイトルを記載できる機能があり、例えば『グランドオーダー周回』とか『カズヤを倒します』など、見た者が一目で部屋主の目的を把握できるようにするための文面を表記できる。
ヒナノが付けたルームタイトルは『クッキー討伐戦』というもの。
「クッキーブッころ部屋と聞いて」
橘が入室するやいなやヒナノは「おかえり!」と言って嬉しそうに微笑んだ。
「クッキー倒したら何が手に入るんだろうね?」
「良くても親に買ってもらったチェック柄のシャツしかドロップしなそう」
「橘さんそれウケる!」
ちなみになぜかクッキーもこのルームに来ており、冗談で笑い合う自分たちへの反応はかなり冷ややかである。
といっても、雑談中の相手をルームから追い出すなんて真似をしたのだから当然、印象は良くない。
部屋主は暴君気取りで気に食わないメンバーを追い出し、追い出された者は別のルームを作って腹いせに変なタイトルをつけたりする。こんな小学生以下の応酬が雑談部屋の日常だ。
クッキーはため息をついて「あのさぁ……」と切り出した。
「コメント欄荒らすのやめて貰えませんかねえ」
彼がここまでげんなりするのはコメント欄に大量に書き込まれた暴言コメントのせいである。橘がひたすら『シネシネシネ』と書きまくったので彼のコメント欄は荒らしの嵐に覆われている。
「人をルームから蹴っておいて荒らされるのは嫌なのか!」
「ガイジを追い出すのは当然やわ。悔い改めて」
「顔写真要求しただけじゃん。も、もしかして見せられない事情があるの!?」
「そういうところやで。誰が初対面に顔写真なんか渡すかよ。ネットリテラシーって知ってるか?」
ぐうの音も出ない正論に橘は何も言い返せなくなる。彼の言う通り、自分だって初対面の相手に顔写真なんて絶対に見せないのになぜクッキーならいけると思ったのか、不思議でならない。
それに、
「橘さん……」
ヒナノの心配そうな声に気づけば、ルーム内はいつの間にか自分たちの言い争いのせいで神妙な雰囲気に。
さっきまでバトルや雑談をしていた者たちは、橘とクッキーの言い合いの顛末を見守る感じになっている。橘は急に居心地が悪くなってきた。
このまま言い合いを続ければヒナノは部屋主の権限を使ってクッキーを追い出すだろう。しかしそれでは顔写真を入手するという当初の計画が遠のく。
そもそもコメント欄を荒らしたことに関しては間違いなく橘が悪いし、そこを認めないと話が進まない。
だから、
「自分、謝罪いいっすか?」
「いいゾー」
「し……荒らしてごめんね、クッキー。僕が悪かった」
ついつい暴言を吐きそうになるのを堪え、形だけでも反省の意思を示す橘。こちらが折れた以上、向こうはちくちく嫌みでも言ってくるのだろうと身を構えるが、
「ふーん。そう。今回は許すけど次から気を付けてくれな」
クッキーはあっさりと許した。三千文字近くの荒らしコメントを書き込まれたにも関わらず、寛容なのか意に介していないだけなのか。いずれにせよ拍子抜けする返事である。
「……ありがとう」
ここに至るまで、彼には良くも悪くも予想の斜め上をいくリアクションを返されている。つまり橘の想定できる範疇にない、先が読めてないということ。
この調子で一矢報いてやることが本当にできるのだろうかと、やや自信がなくなってくる。
「どうしたもんかね」
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