橘フレンズ

@Lumpy

クッキー編part1

最悪の出会い

  

 仮想現実大規模多人数オンライン、通称VRMMO。五感全てを没入させ、三次元の立体的な世界観を楽しめるのを大きな特徴とするゲーム。

 これはそんなゲームの世界で起きたとある事件の記録である。


 本作の主人公――橘めるは、学校から帰宅するやいなやそそくさと自宅に籠った。扉に鍵をかけたあと、白くて丸みのあるゲーム機器を頭に装着してベッドに横たわる。


「今日も思いっきり楽しむぞー!」


 視覚と聴覚のみで楽しむ従来のゲームとは違い、五感全てを没入させて楽しめる立体的な世界観を可能としたのがこれ。

 ヘッドギアと呼ばれるこの機器は一年前に発売されて以降、爆発的な売り上げを叩き出してゲーム業界の勢力図すらも激変させるほどの人気を誇った。


 スイッチが入った途端、橘の目に映る景色はたちまち変化する。

 飾り気のない自室から、壮大な青空に包まれた別世界へ。ファンタジーさながらのビジュアルは幻想的で、単なる作り物だとはにわかに信じがたいほどのクオリティである。


 VRMMOで橘がプレイするのは近ごろ人気沸騰中のソーシャルゲーム。『君の友達は空で待っている!』がキャッチフレーズで、聞けば誰もが名前を知っているほどの有名なゲームだ。


 このゲームに出会ったきっかけは些細なことだった。テレビのコマーシャルを見て「絵が可愛い」と思い、何となく始めてみたらそのままドハマリしたというだけ。

 最初の頃は右も左もわからずにフィールドをさまよっていたが、心優しいプレイヤーやフレンドに教えてもらいながら戦い方を身につけ、今や高ランカーの部類に入る程度には成長したのである。


 ゲームの主な目的は敵を倒したりイベントに参加したりしながら、自身の装備を揃えて強くなること。


 しかしそれよりも橘は今ハマっているものがある。


「さて、雑談部屋行くか」


 『雑談部屋』――運営が本来意図しなかった形で誕生したグレーなコミュニティ。


 ゲームのシステム上、プレイヤー同士で協力してバトルを行うための『ルーム』が存在する。自発素材を消費し、目当ての敵を召喚してバトルを行う場所だ。敵の討伐によって得た報酬は自身の強化などに使用する。

 本来、ルームはそうして使うものだった。


 そんなある日、一人のプレイヤーがバトルを行わずに雑談目的でのルームを作った。

 ゲームのプレイとは無関係なその存在に、最初は「ゲームの邪魔」とか「雑談なら他でやれ」と非難が殺到。しかし次第に純粋な雑談を楽しむ者が増えていき、ルーム内で雑談をするのはひとつの文化になっていった。


 橘は空間に手をかざしてウィンドウを表示させ、雑談部屋というワードでルーム検索をかける。雑談部屋を作る『部屋主』はほぼお決まりのプレイヤーなので、頻繁に出入りする橘は部屋主の名前を大体は把握している。

 しかし検索結果から表示された名前を見て、「あれ?」と首をかしげた。


「クッキー……初見かな?」


 初めて見るプレイヤーだった。このランクと名前は他のルーム内でも会ったことがない。ということは、この人は今日初めて雑談部屋を作ったのだろう。

 新しく雑談しに来たプレイヤーにはいつも挨拶を欠かさない橘。さっそくルームに入室しようとしたが、


「ふふ、ちょっくら変装していこうっと」


 入室する前にふと思い付いた悪巧み――それはいわゆる成り済まし行為だった。



 ※※※※



「お兄ちゃんぎゅーちゅ! そこのプレイヤーさん、良かったらオフパコしませんか? こちら中学女子、十四歳です!」


 ルーム内部はまるで豪邸の庭みたいに、草木や花の生い茂る景色をしている。


 橘はいつも自分が使うアバターではなく、フリフリのスカートのデザインが特徴的な『ウィザード』というジョブに着替えていた。なぜこのジョブかと言えば、成り済ましの再現度を高めるため。

 可愛い子ぶった仕草と共に媚びる声を出しながら、ルーム内の男性アバターのプレイヤーに片っ端から話しかけていく。彼らの反応は食いつく者が半分、気持ち悪がって離れていく者が半分といったところ。


 元々ゲーム内の人口比は圧倒的に男性が多く、雑談部屋にいる女性らしきプレイヤーは一割程度。VRMMOの革命的な利便性で女性ユーザーの参入も増えたとはいえ、ゲーム内を見渡せばまだまだ男性ばかりなのが現状だ。


 まずは女性という珍しさがユーザーたちの関心を引く。橘もまた女性ユーザーではあるが、今は別の女性プレイヤーの成り済ましの最中である。


「名前は空想少女です。胸はEカップくらいあって、友達には大きいねってよく言われます!」


 空想少女――中学二年生の女子で、約一年前から雑談部屋に頻繁に顔を出すようになった。彼女は口を開けば「お兄ちゃんぎゅーちゅ!」などと言って男性プレイヤーと戯れ、熱狂的な『囲い』や『親衛隊』まで作っている。


 橘が彼女の成り済ましをするのは、彼女に対する嫌悪感と単なる悪ふざけが理由だった。

 嫉妬心はない。単に『香ばしい』プレイヤーにイタズラするのが好きな、元々性格の悪い人間が橘めるというだけ。


 何人かに声をかけておちょくったりからかったりしたあと、おふざけもそこそこに、今度は別のプレイヤーを探し始める。


「部屋主、一体どんな奴なんだろうな」


 まだ見ぬ部屋主、クッキーとまだ話していない。もしバトルの最中であれば、ルーム内にいても姿が見当たらないこともあるけれどどうだろうか。


 新しく会うプレイヤーに期待半々であたりを見渡していると、橘はふいに背後から声をかけられる。


「――オッス、挨拶するとは言ってない」


 何だかよくわからない言葉に振り返れば、一人の少年が笑顔で自分に話しかけていた。

 腕に『Owner』というマークの腕章がついていることから、彼が部屋主のクッキーだわかる。


 雰囲気的に学生だろうか。陰毛みたいな天然パーマ、知的だが陰気くさい印象を与える眼鏡、水色のチェック柄のシャツ。


 何となく、こういった見た目を、誰かが「役満だろ!」と笑っていたのを思い出す。


「お、お邪魔します……どうも初めまして、クッキーさん。雑談部屋を作るのは初めてですか?」


 彼は橘の問いかけに返事をせず、「いいゾーこれ」とか「あぁーいいっすねー」とブツブツ独り言を言っている。

 まるでヤク中のようだった。初対面だから人物像が掴めないのは当然だが、悪い直感というのは大概当たるもの。


 雑談部屋は不特定多数のプレイヤーがごまんと出入りするため、世間一般常識が通じない摩訶不思議な生き物もたびたび出現する。要は変な奴がいるのは日常茶飯事ということ。


 もう少し時間が経ってから見に来ようと思い、橘はルームを退出ボタンに手を伸ばした。

 しかし直前、


「――うわ、偽物マジ消えて」


 怒気を含んだ騒々しい声に咄嗟に振り向く。するとなんと、橘が成り済まし中の空想少女本人がルームに来ていたのである。


 派手なピンク色のフリル服を着た、小柄で幼い少女のアバター。ちょうど今、橘が真似て使っているのと全く同じ見た目である。

 予想外の遭遇に呆気に取られていると、空想少女はさらに憤慨して橘に詰め寄り、


「そうやって成り済ましされると迷惑なんだよ! 毎回毎回しつこい。本気でうざいし消えて!」


 実は彼女はまだ、成りすましの正体が橘めるだと気づいていない。普段は雑談部屋で馴れ合っている相手が自分の成りすましだなんて、きっと予想すらできないだろう。


「クッキーさん、こいつをルームから蹴って。私の偽物だから」


 空想少女は顔を赤くして偽空想少女こと橘を指さす。


 部屋主にはルーム内のメンバーを自由に退出させる権限がある。通称『キック』と呼ばれる行為で、自主的に退出するのとは違い、強制的に退出させられるとそのルームには二度と入れなくなるという面倒なシステム。


 というわけで橘も空想少女に指をさし返し、


「は、何言ってんの? 偽物はあんたでしょ。そっちこそ私の成り済ましやめてよ! ルームから追い出すならあっちをお願いしまーす」


「何それ! ふざけるのは今すぐやめて!」


 さらに怒って地団駄を踏み始める彼女の反応があまりに面白く、薄ら笑みを浮かべる橘。

 すると、それまで静観していたクッキーはいきなり口に手を当てて「ひひっ」と引き笑いをし、


「女の子同士の醜い争い良いゾー」


 にやにやしながら面白そうに二人を眺めている。その挙動は陰気くさいことこの上なく、例えるなら教室の隅で魔術の本でも読みながらホコリを食っていそうな感じ。

 しかしここで出会う人たちのリアルについては詮索しない方が良い、というのはお約束である。理由は単純、まともな人間は雑談部屋などに来ないから。


 ここで本物の空想少女が、何かを思い出したように「うわ」と声をあげる。


「用事あったんだ……ああもう、こんなときに」


 そう言って彼女はウィンドウの退出ボタンを押し、瞬時に姿を消す。こうして成り済ましの方の橘が残り、ルーム内は一気に静かになった。


 と、ふいにクッキーが真面目な顔になって「なぁなぁ」と橘に話しかける。


「君は顔ブス、性格ブス、ネットブスのどれがいい?」


 質問の意図が読めず、「はぁ?」と間の抜けた声が出る。

 三つとも初めて耳にする単語だったが、何となくネットブスという言葉が自分に当てはまると自覚してしまったのは内緒。


「どれも嫌だよ」


「理想高すぎるやろ、全員どれかに当てはまるから」


「クッキーさんはどれなの?」


「僕は顔ブスじゃなければオケやで。ブスは性格いいとか言ってる奴が信じられない。頭おかしいんちゃうかって思う」


 容姿に関する文句を語るクッキーに、橘が感じたのは強烈な不快感だった。

 そもそも『ブス』という単語が嫌いで、ブスが嫌いなどと公言する輩はもっと嫌い。さらに言えば容姿差別が大嫌いで、橘が女であるがゆえに女性特有の生理的不快感を感じてしまう。


 つい眉を寄せてしまったが、自分の本心をこの場で明かすことはせずに、


「ふーん、じゃあ私も整形しようかな」


 波風の立たない、適当な返事のつもりだった。


 しかし次の瞬間、クッキーはひどく白けた顔をする。


「――うーわ、整形ブスとか最悪やわ」


 一瞬、何を言われたのか理解できなくて橘は目を瞬かせる。

 最悪。頭が真っ白になりながら、その言葉を胸の中で反芻する。


「顔は生まれつきだし、仕方なくない?」


「整形するぐらいなら死ねって言いたくなるくらい嫌い。極論言うと生まれた瞬間に差別されるのが自然の摂理やぞ」


 生まれてこのかた聞いたこともない、恐ろしい言い分。あまりに予想外の返答に混乱するしかない。


「整形ブスだったら普通のブスと結婚するわ、整形する奴は性格も悪いし」


「でもさ、いじめられて整形とかはどうなるの?」


「整形しないで我慢してるブスの方がよっぽどかわいいわ」


 整形に親でも殺されたのかというほど、クッキーの言い方は憎しみに満ちている。ここまでの差別と悪意を真っ向からぶつけられたのは、橘も初めてだった。

 だからなのか、ついつい苛立って言い返してしまう。


「顔と性格は関係ないと思うよ」


 するとクッキーはさらにつまらなそうに肩を竦めて見下したような顔をする。


「じゃあなんで整形するんだよ。これだからガイジは……ハア」


 その小馬鹿にした態度は腹立たしいことこの上なく、橘は青筋を立てるのを抑えて笑顔を取り繕う。


「顔が良い方が色々得でしょうが」


「性格悪いじゃねーか、お前がその例だわ」


「えぇ……ひ、酷い……酷くない?」


「今の発言に君の性格の悪さが出てるね。顔のいい方が得だとか、分かっててもまともな奴なら言わないからな」


 怒りと悲しみにわなわなと震える橘に、クッキーは「ハッ」と鼻を鳴らす。


「整形ブスはゴミ、はっきりわかんだね」


 心底軽蔑した言い方で、いとも簡単に橘の地雷を踏み抜いたのだった。



 ※※※※



「整形してもブスはブスだからまともなやつは整形した奴とは付き合わんぞ。それだったら普通のブスと付き合うわ。整形がバレたら離婚まである。ああそうか、整形ブスが怖いから同級生と結婚するのか。なるほどな。まあ君は同級生とは結婚できないだろうから諦めて合コンしな」


 こちらの反応などおかまいなしに、ペラペラと罵詈雑言を喋るクッキー。醜い妄言の数々に、橘はとうとう頭に血がのぼってしまう。


「勝手なことばっか言ってんじゃねぇよ! 僕がブスかどうかなんて知らねぇだろ!」


 感情的に声を荒らげ、ほぼ本音に近いそれを言ってからはっと我にかえった。


 ここで怒りをあらわにしてしまえば、クッキーの罵詈雑言が真実だと認める行為に他ならない。彼の思うつぼだ。

 それに、顔の見えないネットで顔面について論じることほどくだらないものもない。

 一度深呼吸し、まだ心臓が早鐘を打つなかで思考をぐるぐると巡らせて、再びいつもの悪巧みを思い付いた。


 幸い今の自分は『橘める』ではなく『空想少女』。

 それならばと、鼻白むクッキーに嘲笑し返し、片手を背中に回して見えないように中指を立てる。


「私の顔見せてあげる。幻想市立浪漫中学校、野外活動で検索して。上から五枚目のボート乗ってる女の子の写真、それが私だから。こうへいさんやその他の人達に可愛いって言ってもらえたんだからね!」


 橘が今言った女の子の写真というのは橘めるではなく空想少女の写真である。彼女が学校の課外授業でクラスメイトと一緒にボートで川を渡っている時に撮られた写真であり、まだ出会ったばかりの頃に彼女自身が橘に教えたものだ。

 空想少女は知り合ったばかりの他人にもすぐに顔写真を渡してしまうため、写真がどんどん拡散されていっていつの間にかフリー素材になっていた。


 空想少女が可愛いかどうかが知りたい? 気になる者もいるだろうが、それについて記すのは不毛だ。

 確かなことは、本気で可愛いと言っていたのはこうへいという名の中年男性一人だけで、他の連中は笑いながら横綱呼ばわりしていたということ。


 しかしそこへ、


「――嘘言うのやめたら?  偽物のくせに」


 用事でルームを抜けたはずの空想少女が、いつの間にかいて話に割って入ってきたのだった。


 彼女の戻ってくるタイミングが絶妙過ぎて思わず笑ってしまったが、それでも橘はふざけた言動を続行。


「嘘なんか言ってないし、全部本当のことだよ? ねぇ、クッキーさんどう? 見たでしょ、私の顔。あれでもブスだってバカにできるの?」


「ピンクのタオル巻いてるね、そのままボートから落ちればいいのに。整形しても肉まんが豚まんになるだけだゾ」


「ひどいこと言わないで! しかもピンクじゃなくて赤!」


「何言ってんだ、ブスにはこの程度のことは挨拶だろ?」


 橘が本人に代わってクッキーに返事をしていると、今度は本物の空想少女が業を煮やして橘に殴りかかった。


「ふざけんなふざけんなふざけんな! いい加減にしてよ、顔まで勝手に教えて! クッキーさん早くこいつを蹴ってよ!」


 トラブル防止のため、ゲーム内でプレイヤー同士は互いに触れられないシステム。空想少女がいくら拳を降り下ろしても橘の体をすり抜けるだけだ。


 そもそも自分から顔写真を見せておいて被害者面するのもおかしな話だが、ネットにはそんな奴がごまんといるのだからどうしようもない。


 そうして戯れを続けていると、突如橘の目の前の景色が変わった。二人の姿が消えて、代わりに視界に入ったのはどこまでも続く青い空と大きな船。

 どうやら橘はルームから追い出されたようだった。


「あの野郎……」


 思わず舌打ちをする。

 咄嗟にクッキーのルームに再度入室を試みたが、ウィンドウに表示されたのは『オーナーの要請により退出したため、入室は不可です』という文字のみ。


 雑談部屋とはいえ、先程の橘のようにふざけていたら荒らし行為とみなされて部屋主に追い出されるのは当然だ。しかし問題はそこではない。


 状況を理解するとともに、クッキーの罵詈雑言を思い返してふつふつと行き場のない怒りを感じた。


「整形ブスは死ねって言いたくなるくらい嫌い、か」


 彼のその発言が特に、わだかまりとなって脳裏に引っ掛かっている。あまりにも不快で不愉快。

 ただ初めて会うプレイヤーがどんな人なのか気になっただけなのに、どうしてこんなことになったのだろう。


 何だかひどく疲れたように感じ、今日はもう休もうとゲーム世界からログアウトした。


 それと同時に、橘はひとつの決意を抱く。


 ――容姿に関して馬鹿にした発言をクッキーに撤回させてやる。

 そしてそのうち痛い目を見させて、自分の言動を反省させてやるのだ。


「ははは……待ってなよクッキー、舐めた口聞いたことを後悔させてやるよ」


 やると言ったらやる、橘はそういう人間だ。

 彼との最悪の出会いは、橘の最低な決意によって悲劇の幕を開けることになったのだった。


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