第二部:月の章

第一話 動き出す時間

 薄暗い部屋。目映いはずの朝日は厚いカーテンに遮られて、部屋を照らすことはない。そう、ここは寝室だ。その中心に設置された寝台には、一人の女性が眠っていた。その顔は安らぎに満ち、この地上に苦悩など何も無いと言わんばかりだった。

「ふふふふ。幸せそうな顔しちゃってさあ。これから、どんな目に遭うかも知らないで、いい気なものね」

 その傍らに立つ、二つの小さな人影。寝台の主に気付かれぬようにか、ひそひそと言葉を交わす。

「ねえ? 本当にやるの?」

「当然よ。あの人がやれって言ったんだから。あの人に逆らったのが運の尽きなのよ」

「……悪役に浸ってるね? そーいうの、好きなんだから」

「いいの、いいの。さあ、いくよ? 手伝ってね」

「わかったけど。……あとで怒られても知らないよ?」


 どーん。

 真王国最北の地、フレイズ藩の主都、フレイズ藩主の居城の一室から、耳をつんざく轟音が響きわたった。ずずずず。それに誘発されて、どこか遠くで雪崩が起きたようだ。

「うああああああああ!」

 同時に、女の悲鳴。「絹を引き裂くような」と形容するには、少々勢いがありすぎた。

「な、なに? 何事?」

 轟音に驚いて飛び起きた赤毛の娘は、慌てて周りを見渡した。耳がビンビンと悲鳴をあげるのに耐えながら周囲に目を配ると、視界に二人の少女が映った。それに向けて怒鳴る。

「朝っぱらから何するの!」

「わーい。義姉様が怒ったぁ!」

「ま、待ってよー」

 弾けるようにして、少女達は走って逃げ出した。

「こら! 待ちなさい! 二人とも!」

 二人の後を追いかけるには、まだ体が固い。声で威嚇するのが関の山だった。それとて、常ほどの声量は無い。

「起こせって言ったのは母様だもの。こんなに良い天気なのに、いつまでも寝てる義姉様が悪いんだよー」

 そう言う声も遠ざかっていった。

「まったく……起こすにしたって、もう少しまともな起こし方ってものがあるでしょ」

 幸せな夢から叩き起こされた赤毛の娘――ティフ・セントールは一人でそうぼやいた。

「ディオラだけならともかく……ファルまで。【式】をろくな事に使わないんだから」

 その二人の義妹に【式】を教えたのはティフ自身だ。こんな時には、少し後悔してみたくもなるけれど。

「まあ、いいか。今日はテリウスが帰ってくるはずだし。たまには早起きしましょうか」

 ティフは寝台から這い出て、朝の支度を始めた。彼女の気性をそのまま映したような、長い赤い髪を纏め上げる。ぐっと伸びをする。彼女の体格は、同年代の娘たちよりもやや小さい。しかし、それを感じさせない、素晴らしい生気に満ちていた。今年で21歳になる。女性的な魅力もまた、それにふさわしいものになっていた。


真王国暦304年 10月

 北海上で交易船と所属不明の私掠船団(後に、アシン藩のものと発表されたが、真偽は不明)が交戦。交易船側の奮闘により私掠船は撃退されたものの、被害を受けた交易船に【白夜の歌姫】フレイズ公女サティナルクレールが同乗していた事から、フレイズ藩は対外姿勢を硬化。【北海戦役】勃発。


同 12月

 アシン藩領境にビード藩所属軍が侵入。アシン警備軍との小規模な戦闘。

 フレイズ公女サティナルクレール、【蒼鷲】【群青の戦士】テス・ディオール、自由国境域ジーファステイアに入る。


真王国暦 305年 1月

 自由国境域トラントで宰相リーリンバロス・メッセナによる大規模な叛乱発生。正規軍の初動が遅れ、領主オムニ・ガンヒス戦死。その後に発生した火災により、トラント焼失。リーリンバロスは生死不明。


同 2月

 自由国境域クラウトセイム宰相ディ・グヴァイン、独断で自由国境域アーエンフルと開戦するも、【白鴉】ネイ・イザークに挟撃され潰走。ディ・グヴァインは戦死。

ネイ・イザーク、クラウトセイムを出奔。


同 4月

 フレイズ公女サティナルクレール、テス・ディオール、フレイズ公女リィンドレイク、ネイ・イザークらと共に、フレイズに帰還。

 クラウトセイム領主パント・タネル暗殺。自由国境域中北部の緊張が高まる。


同 5月

 フレイズ藩主【北の餓狼】ヴィダルモール、アシン藩援護のため出兵。

【テウロン平原の戦い】。ネイ・イザーク、テス・ディオールとともにフレイズ軍を指揮し、北部蛮族を撃滅。テス・ディオール、少数の騎兵を抽出し、南へ。

 リーモス藩主ダルシャーン逝去。

 リーモス公子マーリクシーン、リーモス藩主に即位。


同 6月

 【ミベル峡谷の戦い】――【群青の戦士の伝説】再び。

 ミベル峡谷にて、フレイズ藩主ヴィダルモール、アシン藩主キールコルツ共同軍と、ビード藩主ミンネアスルトが衝突。アシン軍の突然の反転によって戦況は混迷を極めるも、テス・ディオールの突入によって収束。アシン藩軍は全戦力の3割を喪失。


同 7月

 アシン藩の降伏、ビード藩の撤退により、【北海戦役】終結。アシン藩コーツをフレイズ藩へ割譲。ネイ・イザーク、フレイズ藩軍事顧問に就任。

 【式使】の総本山スーレイル、突然の消滅。原因は未だ不明。

 テス・ディオール、フレイズを去る。


同 9月

 アシン藩水軍将ギミルスール・マルキの叛乱(【9月の叛乱】)。アシン藩主キールコルツ、初動を抑えて事無きを得る。ギミルスールは処刑される。


同 10月

 テス・ディオール、スーレイル跡で死亡。


真王国暦 306年 1月

 【叛乱の一月】。アシン藩ジービィで大規模な住民叛乱発生。アシン公子キシマリアン暗殺。アシン藩主キールコルツ、藩軍を投入し叛乱を鎮圧。

 リーモス公弟パラストジエム、リーモス南部軍を率いて叛乱。

 自由国境域ヘーリクス、周辺地域への侵攻開始。


同 3月

 ヘーリクス、自由国境域オーモを制圧。

 自由国境域ジーファステイア領主ジン・コルセア逝去。新領主にヒアス・ハーハネラ。

 自由国境域パーレクイム、コーム、ゼダが三者同盟締結。ヘーリクスに対し宣戦布告。


同 8月

 フレイズ藩主ヴィダルモール逝去。

 フレイズ公女サティナルクレール、フレイズ藩主に即位。

 リーモス南部軍、北上を開始。


同10月

 リーモス公女ダミアリンカ、挙兵(フレイズ藩の支援を受けていたとの説が有力)。南部軍と正規軍の双方に対し宣戦布告。

 ヘーリクス対三者同盟、双方の被害甚大で痛み分けに。


同12月

 リーモス公女ダミアリンカ、モニーク・シーヴァを総司令官に任命。

 モニーク・シーヴァ、リーモス公弟パラストジエム率いる南部軍を撃破。パラストジエム戦死。公女軍、リーモス城下に迫る。

 ヘーリクスと三者同盟、和解。三者同盟の解散。


真王国暦307年 2月

 モニーク・シーヴァ、リーモス藩主マーリクシーン率いるリーモス藩主軍を撃破。

 リーモス公女ダミアリンカ、リーモス藩主に即位。【紅い公女】と称される。前リーモス藩主マーリクシーンは捕縛、幽閉(後に処刑)。

 タージス藩、フレイズ藩と相互協定締結。

 以後1年半程度、目立った戦闘、叛乱が無く、【継承戦争】は小康状態に。


真王国暦308年 6月

 ビード藩主ミンネアスルト、アシン藩領境に侵入開始。

 クォール藩主キィリシマル、公弟マイルリンクスを追放。


同 9月

 アシン藩主キールコルツ、ビード軍迎撃準備中に急逝(暗殺説もある)。

 これによりアシン藩家の主系統が断絶。支配者を失ったアシン藩は崩壊を始める。

 ビード藩軍は撤退。

 自由国境域カイム、ジーファステイアと新商業協定締結。


同 11月

 ビード藩、クロレトゥ藩と相互防衛同盟締結。

 アシン主都で大規模な火災発生。アシン主都焼失。

 (これを以て実質的なアシン藩の滅亡とされる)


真王国暦309年 3月

 ビード藩・クロレトゥ藩共同軍、アシン藩跡に侵入。

 ネイツ軍、タージス軍も個別にアシン藩跡に侵入。


同 4月

 フレイズ藩主サティナルクレール、海軍を含めた軍備の大幅増強を宣言。

 リーモス藩主ダミアリンカ、産業復興計画を発表。


同 6月

 タージス公子クライムホリン率いるタージス軍がネイツ軍と接触。膠着状態に。

 ビード・クロレトゥ共同軍、アシン主都跡に到達。アシン藩の廃滅を公式に宣言。


同 8月

 【デリミガの戦い】。タージス公子クライムホリン、ネイツ軍をデリミガ港郊外で撃破。余勢を駆ってアシン藩跡に突入。ビード・クロレトゥ共同軍と戦闘、これを破る。

クライムホリンは【獅子公子】の異名を取る。ビード・クロレトゥ共同軍撤退。


同 10月 

 【アシン協定】。アシン主都跡で真王国七藩主による休戦協定締結。以後、元アシン藩中核地は中立地帯に。タージス軍撤退。

 自由国境域メイ近郊で地震発生。死者、行方不明者多数。復興途中のトラントで特に被害が甚大。


真王国310年 2月

 ネイツ藩主ファーフサリク、ネイツ藩の中立宣言。これにより中立地帯を挟んでフレイズ藩・タージス藩・リーモス藩の北部合同と、ビード藩・クォール藩・クロレトゥ藩の南部同盟の対峙体制が確定する。

 クォール公弟マイルリンクス、クォールに帰還。


同 7月

 自由国境域同盟船団、フレイズ藩領海域に来襲。フレイズ藩軍事顧問ネイ・イザーク、リーモス藩軍務宰相モニーク・シーヴァと共に、これを撃退。同盟船団の一部は南下を開始。


同 9月

 自由国境域同盟船団、アシン藩跡のキミジアの港を占拠。真王国開闢以来初めての侵略を受け、七藩主に動揺。自由国境域殖民団、周辺に殖民開始。


同 12月

 クォール藩主キィリシマル、協定を破りアシン藩跡に侵入。自由国境域殖民団、全戦力を前線に投入し、これを迎え撃つ。


真王国暦311年 3月

 【ハージ平原の戦い】【3月の失墜】。クォール藩軍と自由国境域殖民団、ハージ平原で決戦。自由国境域殖民団の圧勝に終わる。クォール藩主キィリシマル戦死。クォール軍は総戦力の3割を失う。


同 4月

 クォール公弟マイルリンクス、クォール藩主に即位。


同 9月

 自由国境域殖民団内部で叛乱発生。その内の一派が北上開始。


同 12月

 【ヴィジャの惨劇】。自由国境域殖民団北上部隊、タージス公子クライムホリン率いるタージス軍の奇襲を受け潰走。旧アシン藩ヴィジャに敗走する。混乱を来した敗走兵がヴィジャで殺戮を行い、民間人数千人が惨殺される。


真王国暦 312年 3月

 フレイズ・リーモス共同軍、南下を開始。旧アシン藩領に侵入し、ヴィジャを包囲。

 ビード軍、旧アシン藩領に侵攻開始。


同 6月

 ヴィジャ陥落。首謀者以下400人が処刑される。

 ビード藩主ミンネアスルト率いるビード軍、自由国境域殖民団を撃破。

 ネイツ藩主ファーフサリク、引退、退位を表明。次期藩主に公女ファサリカーナが即位。


同 8月

 自由国境域殖民団撤退。

 七藩主は真王国の回復を宣言。第2次アシン協定締結。


同 12月

 リレイトゥレス・アシン、アシン藩主の血統を僭称し、アシン藩の復活を宣言。七藩主はこれを否定。

 (リレイトゥレスは前アシン藩主キールコルツの私生児とされるが出自の詳細は不明)

 自由国境域カイム・ジーファステイア、中南部に対し経済封鎖開始。


真王国暦 313年 2月

 【僭主戦役】-第一次アシン攻略戦。

 第2次アシン協定破棄。クォール軍、クロレトゥ軍が同時にアシン藩に侵攻開始。

 自由国境域ヘーリクス、周辺への侵攻を再開。


同 4月

 アシン僭主リレイトゥレス、アシン郊外の戦いでクォール軍、クロレトゥ軍を各個撃破。


同 5月

 クォール藩主マイルリンクス再度追放。新藩主は弱冠12歳の公子シオネイル。摂政にテラストモール・リシテ。

 カイム・ジーファステイア、経済封鎖の範囲を拡大。北部連合協定締結。

 ヘーリクス、コーム、ゼダを吸収合併。


同 7月

 七藩主、新生アシン藩を異端と断定、宣戦布告を行う。ビード軍、フレイズ海軍、タージス軍が侵攻を開始。


同 8月

 【僭主戦役】-第二次アシン攻略戦。アシン僭主リレイトゥレス、フレイズ海軍を【ジャンナ沖の戦い】において撃破。続いてタージス公子クライムホリンと対峙すると見せ、反転してビード藩主ミンネアスルトを撃破。孤立したタージス軍は撤退。リレイトゥレスは【真王】の再来との声も。


同 10月

 【僭主戦役】-第三次アシン攻略戦

 ネイツ藩主ファサリカーナ、中立を破棄。アシン藩に侵攻開始。


真王国暦 314年 2月

 ヘーリクス領主ウェサル・サヴァー逝去。以後、ヘーリクス領は分裂をはじめる。


同 3月

 ネイツ軍、アシン藩の焦土戦術の前に、戦わずして撤退。

 (但し、この焦土戦が以後のアシン藩領、特に南部に与えた影響は大きい)

 フレイズ藩、旧アシン領リシア港を併合。


同 5月

 【僭主戦役】-第四次アシン攻略戦

 ビード・クォール・クロレトゥ、タージス・リーモス・フレイズがそれぞれ共同軍をアシンに派遣。アシン僭主リレイトゥレス、クロレトゥ軍、クォール軍を撃破。続いて北部連合軍と衝突。戦闘を有利に進めるも、その間にビード軍がアシン主都に到達、陥落。新アシン藩滅亡。リレイトゥレスは行方不明。


同 8月

 第三次アシン協定。七藩主、旧アシン領に代理領主を派遣し、分割統治を行う事を決定。

 自由国境域オーモで大規模な住民叛乱発生。独立を宣言。


同 11月

 リーモス藩主ダミアリンカ、大規模な軍備再編成を発表。

 旧アシン主都、解体される。


「……こんなものか」

 フィン・テリウスは執務室で一人呟いた。現在執筆中の物語の為に年表をまとめていたところだ。ほぼ事実のままであっても、彼が見てきたものは充分に読書心をそそるものだ。誰にも見せるつもりは無いのだが、無限の記憶を持つ彼にとって、この執筆活動はある種のストレス発散にもなっていた。とはいえ、この年表はフレイズに提出する報告書の一部も兼ねているのだから、単なる趣味だけではない。

 こうして見てみると、まさに戦乱期といえよう。恐るべき戦闘、動乱の頻度である。これでも自由国境域の小競り合いなどの大部分は省いているのだ。【継承戦争】は終結の気配さえ見せない。

「よう……入るぞ?」

 部屋の外から声をかけられて、テリウスは慌てて机の上を整理をしようとした。それも途中で、副官ヴァスカール・ミルス=ヴァスの入室を許してしまった。

「なんだ? なに隠してるんだ? ん?」

 遠慮の無いヴァスの詮索に、テリウスは正直に応えた。別段、隠すものではなかったのだが、何となく気恥ずかしかっただけだ。

「あ……ああ。いや、別に隠すつもりはないさ。戦史関連の年表を書いていたんだ。君も見てみるかい?」

 そんな上官の反応を、ヴァスは好ましく思っている。

 ここダイクの港の海戦部隊に配属された当初には、なんとも貧乏籤を引かされたものだと感じていた。フレイズ軍の花形といえば、やはり重騎兵なのだ。地上最強を謳われるフレイズの重騎兵の一員として、戦地を渡り歩くというのはヴァスの幼いころからの夢だった。彼の身体能力は高い。雄大な肉体と、それに相応しい膂力の持ち主でありながら、俊敏さにおいても何ら劣るところがない。訓練課程においても、最優秀の成績を修めてきたのだ。特に失策をしでかしたわけでもなければ、上官に反抗したわけでもない。それが、特に理由もなしに、海戦部隊に配属されてしまった。

 それだけならまだ良い。6歳も年少の小僧の副官とされたと知ったときには、正直、呆れた。さらに悪いことに、その小僧は藩主の古い友人だという。縁故抜擢など、良い結果を生むはずがない。絶望したヴァスは、その身の程知らずの上官殿を周囲の面前で再起不能程度に痛めつけてやって、そのまま脱走する計画すら立てていた。

 そんな不埒な考えを抱きながら、ヴァスはテリウスと出会った。体格は自分より二回り程劣る。180cmを少々上回るくらいか。よく引き締まった体躯は素晴らしく均整が取れているが、さほど膂力に勝るものではあるまい。くすんだ金髪と灰色の瞳、整った顔立ちではあるが、華やかさはない。まだ幼さが抜けきってもいない、地味な青年だ。

 そのときのヴァスが抱いた初印象は「思ったよりはまともそう」程度だ。しかし、その程度ではやはり意志を変えるつもりにはなれなかったヴァスは、握手を交わしざまにぶちのめすつもりでいた。そうして、拳を振り上げかけて、慌てて引っ込めた。

――勝てない。

 こいつをぶちのめす? 冗談ではない、こいつに自分の未熟な格闘術が通じるはずがない。自分の拳を命中させるどころか、擦ることすらできずに、逆に百回はぶちのめされるだろう。それでいて息一つ切らさず、顔色一つ変えないのだろう。こいつは、自分とは別の場所に立っている。ヴァスは自分の直感を信じた。

(こいつは、英雄か、怪物。そのどちらかになる)

 だからこそ、それを見たくなった。それが危険な思想だとは、自分自身でも気が付いてはいるが、仕方があるまい。自分に無いものに惹かれるのは自然な事だと、そう割り切ってしまっている。

「まあ、何でも良いけどな」

 ヴァスは窓の外を少し確認して、カーテンを閉めてから自分の席に着いた。ダイクはフレイズ藩にとって数少ない本格的な港だ。その駐留部隊700あまりを任されているテリウスの責任は重い。フレイズ藩の海戦力不足を改善しようとする動きの中枢でもある。第一次アシン攻略戦における、無様な大敗を糧にしようというわけだ。重騎兵のような華やかさはないが、極めて重要な立場なのだ。

 テリウスはその期待に良く応えていた。そして、いよいよフレイズに帰還するのだ。ヴァスはしばらく残兵を指揮し、フレイズから入れ替わりの領境警備隊が到着するのを待ってからの帰還となる。

「ヴァス。君には感謝してるさ」

 ヴァスも年少と軽んじられがちのテリウスをよく支えた。彼自身、指揮官をするよりも、こうした副官職のほうが向いていたのだろう。この配属が誰の指示かはわからないが、二人の性質をよく理解していた者の仕業かもしれない。

「よせやい。まあ、今後とも頼むぜ。……で、どうよ?」

 手に持った酒瓶を軽く振ってみせるヴァス。

「昨日もしこたま飲んだばかりじゃないか。あんまりだらけているのは、部下に示しが付かないよ」

「あらま、相変わらず真面目なことで」

「悪いね、一通り報告書がまとまったら、最後に一杯付き合うからさ」

「いや、いいさ。明後日には発つんだろ? 邪魔をするのは悪いからな」

 それだけ言って、ヴァスが席を立つ。

「やれやれ、何しに来たのやら」

 テリウスが頬杖を突きながら、冗談交じりにため息を吐く。

「ケケケ、赤毛のお姫様によろしくな。せいぜいがんばってくれ、健闘を祈るよ」

 ヴァスがそう下世話に言うのを、テリウスは複雑な気持ちで聞いていた。


 【陽門】から生還したティフとテリウスはフレイズに戻った。あの男の死を、全てを、サティンに伝えるためにである。二人にとって辛い仕事だったが、避けて通るわけにはいかなかった。

 サティンは二人の話を、取り乱すこともなく、泣き叫ぶこともなく、ただ静かに聴いていた。ティフには、その時、サティンが何を考えていたのかはわからない。ただ、人の悲しみ方にはこういう方法もあるのだと。そう知っただけだ。

 身寄りを全て亡くしたティフは、サティンの養女としてフレイズに入った。テリウスも同様にして、フレイズに滞在することになった。

 やがて、サティンは白銀の髪と漆黒の瞳を持つ娘を産んだ。父親が誰かを疑う愚か者はいなかった。サティンはその娘に父親の名を与えた。真王国人の名前としては短すぎるが、それを気にする人間がいるはずもなかった。後に、いや、誕生と同時に、その存在を地上あまねく知られる事になる、【銀の翼】フレイズ公女ディオラの誕生である。

 また、その2年後には、サティンは一人の赤子を拾った。とある夜、歌を歌うつもりで尖塔を訪れた際、そこに放置されていたのを見つけたのだ。猛禽にでも攫われたのだろうか、不思議な縁を感じたサティンはその赤子を養女として、ディオラの義妹として育てることにした。ファルセルティア・フレイズ。それが彼女の名前となった。ディオラのそれと対照的な、濡れ羽の様な黒い髪と琥珀の瞳には妙な既視感を抱いたが、気にすることもないだろう。

 それよりも少し前、ディオラの誕生直後に、フレイズ藩主ヴィダルモールが急逝した。【北の餓狼】とまで呼ばれた真王国政史上最悪の謀略家は、娘と孫達に看取られ、穏やかに地上を去った。

 それに伴い、公女サティナルクレール=サティンは藩主位を継承した。前藩主の長女であり、唯一の後継者である彼女を否定するような者も存在しなかった。

 既にアシン藩は崩壊しつつあり、戦乱の気配を強めていた真王国だが、サティンは軍事顧問に就任したイザークとリィン達の補佐もあり、これまで無事にフレイズ藩を維持してきている。新藩主の体制は信頼と正義によって立つべく、たゆまぬ努力が続けられている。

――あれから9年。あの時、時間が止まってから、9年の月日が経った。


「まったく。あれは誰に似たのかしらねえ……」

 ティフは身支度を終えて、朝食を摂るべく食堂に向かっている。

 サティンの娘、ディオラは悪戯な娘だった。元気快活を通り越して、行動が行き過ぎていて、不安になることすらある。もっぱら、ファルがそれを抑える役になっているが、抑えきったためしがない。ティフにとって、二人の義妹が悲しみを見せることなく、幸せに育っているという事は最高の歓びであったから、本気で怒っているわけではないのだが。

「それを素面で言ってるのか?」

「あら? クレイ、クルト。おはよう」

 ティフは二人の若者に挨拶をかえした。彼等はクルターク・ハサートとクレイクドルト・ハサート。かつて、サティンを守って死んだ、レイシュローグ・ハサートの双子の遺児である。母シエラが夫を追うようにして亡くなったために、サティンの保護を受け、後にフレイズの軍に入った。二人ともかなりの体躯の持ち主で、軍の若手達の中でも前途有望だろうと、評判は上々だった。

 クルトは自分に絶対の自信を抱いているタイプで、その実力もさながら、女性関係での猛者として知られていた。その類い稀な男性的な魅力でもって女たちを惹き付けておいて、ある時、その関係をぽいと捨ててしまうのである。数々の武勇伝と、それにまつわるトラブルの持ち主だ。彼等の後見人のサティンにとって、頭痛の種の一つでもある。

 一方、クレイの方は大人し目で、やや内気なところを見せた。クルトとは対照的に、その才能にそぐわない無気力さを見せる事もあった。ディオラとファルの関係に似ていなくもない。ちなみに、二人は現在19歳。ティフの二つ年下である。

「本気って、それってどういう意味よ?」

 言い返すティフに、クルトがきっぱりと言った。指をビシリと突きつける。

「お前に似たに決まってるだろ。見事なまでに、性格が写ってるじゃないか。どうしてくれるんだよ」

「……失礼ね。私が写したのはファルの方だと思うよ? ほんと、ディオラは誰に似たのかしらねぇ?」

 すっとぼけるティフ。無論、その辺りのことについては、自覚が無いわけではないのだが。

「言ってろ。それより、今日は愛しの戦士様の帰ってくる日じゃないのか? いいのか? こんなところでのんびりしてて」

 クルトがからかうように言う。この男が言うと、どんな言葉でもイヤラシク聞こえる気がするのは、なにもティフだけではあるまい。しかも彼の場合、それがわかっていてやっている節がある。

「何よ、それは。テリウスと私は長いこと付き合ってるけどね。そこまで爛れてないわよ」

「……よく続くよな、お前らも。幼なじみってやつとも少し違うだろうにさ。どうだ? 俺に乗り換えてみないか?」

 クルトが呆れたように言う。彼の信条にしてみれば、おおよそ理解できぬ愚行なのだろう。

「冗談。あんたは嫌いじゃないけど、好みでもないの。一昨日おいで」

 ティフはテリウスに対して、サティンのディオールに対する様な、もしくはイエムのヴェンに対する様な、激しい想いを抱いたことはない。だからといって、ただなんとなくというわけでもない。ただ、この穏やかな気持ちというものが好きだった。

 同時に、クルトがやりたい放題やっているのを見ても、なぜか腹が立たない。彼ら兄弟を男性として見ていないのかもしれない。

「どちらにせよ、テリウスさんを迎えに行くんでしょう?」

 クレイが言う。

「まあね。でも、今日の午後だって言ってたから。まだ、早いのよ」

「先程の音、ティフさんのところでしょう? 早起きはしたほうがいいですよ」

 ティフは朝が弱い。低血圧というわけではなく、単に夜更かしが過ぎるからだ。だが、毎朝こんな風に叩き起こされるのなら、クレイの言葉にも一考の余地があるかもしれない。

「肝に銘じるわ。じゃあ、また」

 二人と別れたティフは食堂に向かった。既に、サティンと二人の義妹がそこにいた。

 藩主として多忙を極めるサティンではあるが、毎朝の食事のときには、必ず娘達と共に過ごすことにしている。せめてこれだけでもと決めた、家族の団欒だ。側近達もそれを知っているために、敢えてここに来ようとはしない。

「あ、おはよう、サティン」

「おはよう。ティフ。よく眠れたかしら?」

「とんでもない。二人が無茶してくれたおかげで、すっぱりと目が覚めたわよ」

 二人の義妹を睨むティフ。

「へへへ。お目覚めはいかが?」

 ディオラが悪戯っぽく笑う。

「あのね、あのね、酷いんだよ、ディオラったら、自分だけ先に逃げちゃうんだもの」

 ファルが弁明ともつかぬ事を言う。

「……起こし方ってものがあるでしょ。【式】を無闇に使うなって、いつも言ってるでしょ。今後は気を付けなさい」

「はーい」

 ディオラは、いつも返事だけはいいのだ。返事だけは。

 ディオラとファルには、【式使】としての素質があった。しかも、なかなかに見事なものが。ティフは二人の妹に【式】を指導することに躊躇うことはなかったが、【式使】として扱うことはしなかった。スーレイルが消滅した今、義妹達をそんなことで縛りたくなかったのだ。自分と、自分の大事なものを守る力になればいい、そうとだけ思った。

 自分が最後の【式使】になるのかもしれない。それなら、それで構わない。そんなものに義務感を抱いた事など、ティフ自身、一度も無かった。

「今日はティー義兄様が帰って来るんだよね。迎えに行くんでしょ?」

「もちろん。四ヶ月ぶりだものね」

 テリウスは現在、フレイズ軍の兵士と共に海境警備に向かっていた。戦争状態になっているわけではないが、警戒を怠るわけにはいかない。それが現在のフレイズ藩の置かれた立場である。これでも、最近は大分落ち着いたのだ。

 テリウスは既に軍の中でも頭角を現し、まだ若いながらも、皆から一目置かれる存在にまでなっていた。それゆえに、今回も数百人からなる海境警備隊の隊長に任命されたのだ。少なからぬやっかみもあったようだが、今はそんな声も消えた。この数ヶ月の間に、初任とは思えないほど見事な実績を残している。

「私はちょっと行けなさそうだから、三人で行ってくれるかしら? イザークも行くと言っていたけれど」

 とサティン。

「忙しそうね」

「仕方がないわね、こればっかりは。後で少し書類を回すから、手伝って頂戴」

 愛した男を永遠に失ったサティンは、以前からの美貌に加え、昏く翳った美しさを漂わせるようになった。男達にしてみれば、それは一子を産んで30歳を超えた女性の持つべきものとしては、最上のものだろう。もともと、年齢よりも幼く見えたが、未だ二十代半ばでも充分通用する。10年来からの親友であるティフから見ても、寒気がするほどの美しさを感じさせる事があった。それは、なんだか捕らわれそうな予感がして、怖かった。

 しかし、サティンはそのような気配を微塵も見せなかった。子供達に愛を注ぐ、一人の母親が在るだけだ。その瞳は、かつての色違いではない。理由はわからないが、失明のために銀の色を湛えていた左目は、誰も気が付かないうちに、もう一方と同じ様に藤色の光を放つようになっていた。

(この人は多分、永遠に一人で生きるつもりなのだろう。あの男を待って)

それが、彼女の周りの人間の一致した見解である。

「ああ、こら! ディオラ。行儀の悪い。ああぁ、ファルも」

 サティンが食事の行儀を守ろうとしない娘を叱る。あちこちに手を伸ばす。食器を荒す。しまいには、本を読みながら食べる。いつも誰かさんがやっていることだ。現に、今もやっている。

「義姉様だってやってるよ」

「……ティフ、娘の教育に悪いから、そういうことはやめてね?」

「……私のせいなのかしら」

「そこまでは言わないけれど。ただ、説得力が無いのよ。貴女がそうしてると」

「んー、やっぱ、私かな。影響与えてるのは」

 ティフは先程クルトに言われた事を思い返してみる。受け入れるのは癪だが、確かに事実なのかもしれない。

 ディオラ達の周りには、影響力の強い人格の持ち主が多い。ティフや叔母のリィンはもちろん、母親のサティン自身こそが、その最たるものなのだから。それにテリウス、イザーク、クレイとクルトなどの特色豊かな男衆の事を考えれば、何色かに染まってもおかしくはない。

「ま、わかったわよ。義妹に変な影響を与えたのは私だって言われたくないから。ほら、二人とも、行儀よくしなさい。一緒にテリウスを迎えに行くんでしょ? あとでおめかししてあげるからね」

「はーい。わかりましたー」

 ディオラは返事だけは、いつもいい。


 午後になってから、ティフ達三人は街の南門に向かった。テリウス達が帰って来るのを迎えるためだ。

「まあ、皆様方、お出かけですか?」

「うん! 義兄様をお迎えにいくの!」

 通りがかりの市民達と挨拶を交わす。二人の公女とその義姉は皆の人気者だった。

 城門でイザークとリィン、それにその長男のシュリクに出会った。

「おう、ティフ。お前も出迎えか?」

「まあね。ザクおじさん達こそ、ご苦労様」

 そう挨拶を交わす。

 イザークは今年で46歳になる。だが、その肉体も精神も、ともに衰えを見せる事は無かった。現在の彼の立場は【鴉党】代表者兼フレイズ藩の軍事顧問ということになる。――現フレイズ藩の体制については、後程、詳しく解説する。

 リィンは一子の母親とはいえ、現在28歳だ。華盛りといえるだろう。公妹でありながら、第一線に立つのをやめようとはしない。前線に生きがいを感じている節がある。「シュリクもお手伝い?」

「うん、そう。せっかくだから、父さん達と一緒に」

 今年11歳になる、藩主の甥っ子がそう答えた。落ち着いたところのある子だ。ティフにしてみれば、昔のテリウスや義兄を思い出す。きっと、聡明で、強靱な精神の持ち主である両親の、良いところを受け継いだのだろう。少し身体が弱いところがあるようだが、頭の回転は速い。将来は良い戦術家になるかもしれない。

「今朝の凄い音はディオラ達だろう? 今度は何をやらかしたんだい?」

「うん。義姉様がいっつも朝ご飯に間に合うように起きないから、ちょっとおどかしてあげたのよ」

 シュリクは主に軍舎の方で生活している。これは、彼の両親が【北の餓狼】亡き後も、藩主というものに接触させる事を嫌ったためだ。おかげで、ディオラ達とは、兄妹というよりも近所の友達といった関係になっていた。

「あまり無茶はしない方が、いいと思うよ?」

「それはもう、義姉様に言われたからさ。今後は気を付けるってば」

「君の『気を付ける』は、役に立った試しが無いじゃないか。どうせ、今朝はファルにも手伝わせたんだろ? あれだけの音、君一人じゃ無理だろうからね」

「そうよ、ディオラったら、そのうち怪我しちゃうんだよ」

「……今度は多分、大丈夫よ」

 そんな子供3人を大人3人が笑う。ティフがかつて一度失った全てが、そこにあった。

 そんなことを話している内に、国境警備隊が帰ってきた。軽騎馬、水兵からなる600人程の部隊だ。その先頭にはテリウスがいた。

 彼もまた、立派な若者に成長していた。体躯こそ師に及ばないが、その肉体はよく鍛え上げられ、無用な贅肉のかけらも見出すことができなかった。若者らしからぬ落ち着きを備え、相対する人に信頼を与えた。その戦闘技術もまた、右に出るものは無かった。彼は【蒼鷲】を継いだのだと、人は口々に言った。

 その現在のテリウスが置かれた立場は、フレイズ軍の小部隊の隊長だ。海戦部隊の訓練兼海境警備を任されてダイク港で四ヶ月を過ごした後、港の閉鎖に伴って部隊を引き上げ、フレイズに帰還したのだ。

「ティー義兄様、おかえりー!」

 ディオラが飛びついて、器用に馬上まで駆け上がる。

「ただいま。元気だったかい?」

「うん! 義兄様も元気そうだねっ」

 テリウスが穏やかな笑みを義妹に向ける。そのままディオラの身体を抱いて、馬から下りた。ディオラを降ろすと、姿勢を正し、イザーク達に向き直る。

「イザーク軍事顧問、フィン・テリウス並びに海境警備隊591名、ただいま帰還いたしました。なお、ヴァスカール・ミルスと残61名は引き続き、海境警備にあたらせております」

 それにイザークが応える。

「四ヶ月間もの間、ご苦労だった。ただ一人の脱落もなく、無事に将兵を帰還せしめたこと、非常に見事である。君達にはしばらくの間、休暇が与えられる。充分に体を休めてくれ」

 ここまでは公人としての挨拶だ。10年来の付き合いとはいえ、通すべきものもある。しかし、すぐに互いに相好を崩した。特にイザークは、この手の堅苦しさが苦手だ。

「まあ、無事で何よりだ。元気だったか?」

「ええ、こちらも何もなかったみたいで安心しましたよ」

「ようやくアシンのリレイトゥレスが片付いて、最近は落ち着いているからな。ひとまず春までは大丈夫だろう」

 そこに、やっとティフが声を掛ける。

「テリウス、お帰り」

 久しぶりに見るテリウスの顔。ティフにとって眩しい物ではないが、満ち足りた物を感じることもまた、事実だった。それはテリウスとて同じことなのだろう。微笑を返す。

「ティフ、それにファルも。出迎えてくれたのかい? ありがとう」

「義兄様、お帰りなさい」

 テリウスは最近になって多忙になり、なかなか義妹達をかまってやれなくなっている。それでも、二人の義妹は、優しくて、真面目で、とても強い義兄の事が大好きだった。まったく血の繋がらない4人の兄妹達だが、その絆は強いものだ。

「ほらほら、テリウス達は疲れてるんだから、休ませてあげましょ」

「うん」

 彼等にはまだ事後処理が残っている。あまり手をかけさせてはいけないからと、ティフ達はとりあえず戻ることにした。話なら後でもできる。今は、こうして出迎えることが大事なのだ。

「ああ、ティフ。後で部屋に行くから。夜になってしまうかもしれないけれど……ちょっと話があるんだ」

 別れ際、テリウスがそう言った。

「わかったわ。私としても、つもる話もたくさんあるから、空けて置くわね」


 一通りの任務を終え、休暇を与えられたテリウスは、主君にして養母となっているサティンにも挨拶をすることにした。

「……立派になっていくものね、男の子は」

 サティンがポツリと漏らす。

「いつまでも子供というわけにもいきませんよ。特に、僕の場合は」

 優れた素質がある。周囲の期待がある。激しい過去がある。

「フレイズや私のためだなんて、考えるのはお止めなさいよ?」

 彼はやがてはフレイズ藩を支える人物になるだろう。その一方で、必要以上にフレイズ藩に束縛される事も無いだろう。いわゆる忠誠心の類が明らかに欠如しているのも、考えようによっては、彼の強さの一つなのかもしれない。それならば、それでも良いだろう。自分自身に悖る事さえなければ。サティンはそう考えている。

「そうですね、『お役に立ちたい』とは考えたくないです。ただ、家族や友達の力になりたいって思っているのは本当ですよ」

 かつて生死の狭間を共に潜り抜けた仲間同士だ。この主従関係はお互いの立場の結果であって、やはり本質的には友人でありたい。ディオラ達もまた、主君の娘ではなく、大事な家族なのだ。

「ところで、例の件、よろしいですか?」

 テリウスが話題を変えた。以前、届けられた手紙に書いてあった件だろう。サティンにはそれを拒否するつもりなど毛頭無かった。

「もちろん、良いわよ。ただし、うまくいったら、だけれど。こればっかりはね?」

 サティンが悪戯っぽく笑う。それを聞いたテリウスは不敵な――あるいは不適な笑いを見せた。

「うまくやって見せますよ」

「ふふふ、健闘をお祈り致しておりますわ」

 そんなぎこちないテリウスの様子を見ながら、サティンはくすくすと笑い続けた。


 ようやく用事を片付けた頃には、既に陽が落ちていた。軍舎で軽く夕食を済ませた後、テリウスはティフの部屋に向かった。

「ティフ、居るかい?」

 部屋の扉をノックする。

「テリウス? どうぞ、入って」

 中からティフの了承があったのを確認して、テリウスは部屋の中に入った。

「やあ、相変わらずだね」

 ティフの部屋は散らかっている。だらしがなかったり、不潔だったりするわけではなく、書籍やら実験道具やらが多すぎるのである。彼女にとって、フレイズに入った事の一番の利点は、この手の資産に困らないことだろう。フレイズの書庫は非常に充実していた。高価な実験道具の購入には困らないし、サティンは時折、講師を雇い入れるなどの便宜を図ってくれた。個人で研究を行うには充分すぎるほどだ。

「ごめんね、散らかってて。この部屋の広さじゃこれが限界なのよ。これでも一生懸命片付けたんだけどなあ」

 仮にもフレイズ公女に与えられている部屋が、そんなに狭いはずがない。単に、物が多すぎるのだ。

――ティフは7年ほど前から、【式】の研究に加え、医学の勉強を始めた。生命に干渉することのできない【式】に代わって、自分の大事なものを守る手段を得たいと考えたためだ。さらに、義兄ヴェンが目指していた、【式】と戦闘術の融合の訓練も行っている。それほどの負荷をかけていては、どれも中途半端になって大成しないぞと周囲には言われながらも、各分野で順調に実力を伸ばしていくことができているのは、彼女の才能の僥倖だったのだろう。

「いいさ。君っぽくって、とてもいい」

 テリウスがおかしな誉め方をした。彼にしてみれば、普通に誉めているつもりなのだ。彼はジーファステイアの祖父の工房で育ったから、こういった活力に満ちた雰囲気には好感が持てた。

「変な誉め方ね。まあ、そこに座ってよ」

 ティフはそう言って椅子を勧めた。手近なポットを取り上げて茶を注ぐ。このポットも、ティフが【式使】としての知識を利用して作った保温瓶だ。なんと、湯を入れたままにしても丸一日以上冷めないという素晴らしい一品だ。問題点は、一つ作るのにかかる材料費が甲冑一式の調達費に匹敵することだけだ。他にも色々と作ってはいるが、ほとんどが何の役にも立たないガラクタと化すのは仕方が無いだろう。密かにフレイズ藩の財政を圧迫しているという笑い話もある。

「で、話って何? テリウスから話していいわよ。私のは多分、愚痴になるから」

「……うん。ティフ、こっちでは何か変わったことはないかい?」

「別に。平和そのものね」

 【僭主】リレイトゥレスが率いたアシン藩が陥落した後は、フレイズ藩では大規模な戦闘は行われていない。消耗した力を蓄えるには、丁度よい休息になるだろう。フレイズは雪国だ。雪の溶ける春までは、無事だろう。こちらから出征することもないだろうし、敵が攻め入ることもないだろうから。北方の雪国というのは弱みであり、同時に強みでもある。

「……そうかい」

 テリウスはそれきり何も言わない。そんな彼を、ティフは不審に思った。いつもの彼らしくない。彼は穏やかな性格をしてはいるが、優柔不断にはほど遠いはずだ。

「ん、なに? なにかあったの?」

「……うん、実は……その……」

「なによ? あなたらしくない。はっきり言いなさいよ」

「ああ……えーと、君と初めて会ったのは、バーバィグの市場だったよね」

 テリウスの灰色の眼が周囲をさまよう。羽虫でも飛んでいるのだろうか?

「うん? そうよ、貴方とサティン達が一緒にいたのよね。凄い偶然だったわよね。あれがなければ、今頃の私は、果物屋の主人だったのかもね」

 あの時、幼いティフは一人で彼らを探していた。しかし、探すあてもなく、途方に暮れていた。そんなところに、ひょっこりとテリウスが現れたのだ。あの偶然が無かったならば、今頃はどうなっていただろう。

「そう、凄い偶然だよね。普通じゃちょっと考えられないような。……僕は、その頃からだね、その……」

 もごもご。語尾が消える。

「んん? なに?」

 とうとう、テリウスは覚悟を決めた。

「えーい。一気に言ってしまおう! ……僕と、僕とだな……結婚して欲しいんだ」

 テリウスの話とは、これに他ならない。ずっと以前から、一緒になるなら、ティフしかいないと思っていたのだ。遠征の間中ずっと、今こそ好機だと考えていたのだ。いろいろと洒落た求婚の言葉なども考えてきたのだが、彼の記憶力を持ってしても、まるで思い出せなかった。

「僕はずっと前から……一緒になるのは、君しかいないって思ってた。サティンさんやディオールさん、それにヴェンさん達の事が関係あるとも、無いとも思わない。ただ、君が好きなんだ。君と一緒にいたいんだ」

 どうしても、正面の女性を直視できない。こんな経験は初めてだ。今だけは、クルトの剛胆さが素晴らしい物に思える。彼に指導を受けてくるべきだったかもしれない。サティンの前で見せた不敵さは、微塵も無くなっていた。空元気だったのかもしれない。

「……」

 言い終わったテリウスは、やっとの思いで正面に視線を戻した。

「? ……ティフ?」

 ティフは下を向いて、肩を震わせている。

「急にこんな事言ったから、怒ってるのかい?」

 テリウスはそう訊こうとして、相手が何をしているのか気が付いた。――笑っている!

「ティフ! 僕は真剣に……!」

 言ってるんだぞ! そう激発しかけたテリウスの口に、ティフの唇が重ねられた。

「……ティフ?」

「ふふふ、バカね。私が断るかもしれないだなんて思ってたの?」

「ティフ……いいのかい?」

「勿論。何時言うかって思ってたわ。テリウス!」

「ティフ!」

 固く抱きしめ合う。互いの胸を、静かな幸せが満たした。10年前、気まぐれな偶然がもたらした出会いが、死んでいった者たちの想いが、実を結んだ瞬間だった。互いが互いを得た、そんな祝福されるべき瞬間だった。

「そうね……でも、一つだけ、条件があるの」

「条件?」

「うん。……これだけは譲れないから。ああ、いや、そんな大仰な話じゃないんだけど。ま、約束は約束だからね」


 翌朝、二人は軍舎の訓練場にいた。

 ティフの出した条件というのは、一度、一対一で勝負をして欲しいということだった。勝敗は関係ない。

「昔、言ったでしょ。貴方とはいつか決着をつけるって。覚えてる?」

「勿論、覚えているよ」

 かつての約束を果たしたい。そう互いに願ったからこそ、こうしている。

 二人が互いに向き合う。二人とも武装している。テリウスは愛剣と同じ程度の長さの棒と、皮鎧。ティフは空手だが、【式使】としての正装をして、彼女なりの武器を多数用意していた。さすがに真剣は使用しないが、それでも、かなりの緊迫感があった。続々と集まってきた観客達も、興味津々といった様子でそれを眺めている。下馬評ではテリウス優位だ。ティフがどれほどの秘策を隠しているかはわからないが、やはり実戦経験が違う。

「準備はいいかい?」

 リィンが言う。審判役を買って出てくれたのだ。お祭り好きは昔と変わらない。

「問題ないわ」

「こっちも」

「よし。では、これよりフレイズ第一水軍将フィン・テリウスと、フレイズ藩養公女ティフ・セントールの試合を開始する。勝敗はどちらかが行動不能になるか、降参することで決まるとする。分かっていると思うが、無理をするな? こんなことで怪我をしてもつまらないからな……ああ、いや、是非がんばってくれ、今週の生活費がかかってるんだから」

 観客がどっと笑う。例によって賭の対象になっているらしい。

「ま、気を取り直して、と。……では、試合開始!」

 声と同時に、テリウスが一気に詰め寄る。極端な前傾姿勢をとり、地を這うほどに身体を低くして走る。それは、かつての【蒼鷲】の得意としていた歩様だ。ティフの強力な射撃を警戒している。

 観客からどよめきがあがった。ティフがテリウスの接近を真っ向から受けたからだ。【式使】の戦いの基本は、距離を取って【式】の起動時間を稼ぐことにあるはずだ。無論、単なる無謀ではない。ティフが接近戦を決意したのは、それなりの準備があるからだ。

 テリウスが腰を狙って下から突きあげる。ティフはそれを【式】の盾で打ち返して、左手を閃かせた。

「!」

 ティフの左手には数本の糸があった。【式】によって硬質化した絹糸、【糸剣】だ。かつてイエムが得意としていた【髪剣】を真似たものだ。

 テリウスは間一髪でそれを避けた。さらに、小さな衝撃が襲ってきた。ティフが立て続けに【式】を起動して、ぶつけてきたのだ。テリウスは外套と棒を振り回してそれを避けつつ、再び距離を取った。テリウスが押し戻されたのを見て、観客達のどよめきが大きくなった。

(いつの間に【式】を起動したんだ?)

 ティフはそれほど大規模な【式】を使用しているわけではない。しかし、その起動速度が異常に速かった。これだけ速ければ、いちいち起動時間を稼ぐ必要などない。これこそが彼女に接近戦をさせる自信の基なのだろう。

 テリウスは知らないが、ティフの超高速の【式】起動には秘密がある。本来、【式】の起動にはそれなりの手順がある。定められた身振り手振りや言葉などによって、世界の法則に一つずつ介入する必要があるのだ。さもなくば、それは【式使】自身に返ってくる。それで斃れた者も数多い。

 彼女は、それを【式】に任せた。その面倒な手順を自分の起動した【式】に行わせることによって、自分自身の行動の自由を確保したのだ。その【式】起動のための【式】、【もう一人の自分】とでも呼ぶべきものは、ティフ本人が必要とする【式】本体に比べれば負担がずっと少なく、使い方次第で【式】起動の高速化を実現できる。防御や攪乱をまかせてもいいし、ティフ本人と複合【式】を組む事さえできた。

 誰にでもできる技術ではない。強力な【式】能力に加え、本来あり得ない自分の身体を認識し、動かす才能が必要だ。そうでなければ、身体と精神の均衡を失い、発狂しかねない。現在のティフは2つの身体、8本の腕、4本の足、36本の手指を同時に操っている。近接戦闘をしながらだと、これが限界だ。

 距離が離れたと見るや、ティフは身体を平行に向けて、何もない空中で何かを弾いた。矢だ。いや、矢だけではない。弓をも【式】で作ってみせたのだ。手で投じるよりも威力、速度共に優れている。連射した。


「ほう、凄いな。ザクはどっちが勝つと思う?」

 審判役といっても、たいした仕事はない。リィンは遅れて見物にやってきた夫に感想を求めた。

「二人は天才だ。戦闘の、とか【式使】の、なんて狭いものじゃない意味でな」

 それについては、リィンには異存が無い。

「ほう? なら、どうなんだ?」

「天才同士なら、積んできた鍛錬と経験が全てを語るさ。後は運だな」


 テリウスは攻撃を躱すので精一杯だ。この距離では圧倒されると判断して、再び接近戦を挑んだ。ティフが反応するよりも早く、その間合いに飛び込んで突きを放つ。それをティフは難なく躱したが、もともと、これは捨て打ちだ。その隙に、テリウスはティフの腕を取った。関節を極めにかかる。これならば、【式】に干渉されにくい。

 それだけではない。【蒼鷲】テス・ディオールが、その並外れた体躯をもって敵を圧倒する中距離戦を得意としたのに対し、テリウスの戦闘術は似て異なる。彼の本質は零距離、超接近戦にこそあるのだ。この距離での彼の戦闘力は群を抜いていた。

 ティフの自由な左手が閃くのを平手して弾く。さらに手刀が乱れ飛ぶのを、ティフは【式使】ならではの防具で躱した。よく躱したといえるだろう。しかし、このままでは、いずれ滅多打ちになる。なんとか腕を外そうとしたティフの隙を狙って、テリウスはあえてティフを突き放して間合いを取ると、斬りつけるように棒を振り下ろした。彼にはディオールほどの上背は無いために、一撃の破壊力に欠けたが、その分だけ小回りが利いた。それは、特に超接近戦からの距離変化の際に、特に威力を発揮した。零距離戦と中距離戦との落差に、追随できる敵はいない。

 ティフとて黙ってやられはしない。【式】でテリウスの足場を崩して不安定にすることによって、威力の下がった一撃を避けた。こういう避け方もある。

 テリウスが勝負を決めにかかった。武器を捨て、一気にティフに組み付きにかかったのだ。組み付かれてしまえば、敗北必至だ。ティフは自分の周りの空気を一瞬だけ振動させた。テリウスの手が弾かれる。殺傷力は無いが、瞬間的な防御にはこれで充分だ。

 テリウスの視界から、ティフが姿を消した。足場を空中に配置することによって、敵から逃れるだけでなく、三角飛びの要領でもって、テリウスの後ろを取ったのだ。逃げるだけが【式使】の戦いではないということだろう。

 しかしながら、それはテリウスも感知していた。振り向きざまに一撃を放つ。それをティフが手で受ける。服装飾を硬質化したのだ。反撃に転じようとしたティフだが、さらにテリウスが外套を振り回し、打ち付けるのには辟易した。殺傷力こそ無いが、ティフが怯むには十分だった。

(ええい、やりにくいわね)

 外套が視界をふさぐ。これが見た目よりもはるかに危険な武器だということを、ティフは熟知している。下手に手を出せば、かえって危ない。そう判断したティフは空気を手繰って風を起こし、それを吹き飛ばした。

「あっ!」

 ティフが驚きの声をあげた。外套が風を受けたことで大きく広がり、かえって視界を大きく塞いでしまったのだ。邪魔な外套を何とかするために風を利用するであろう事は、テリウスに読まれていたのだ。いや、誘導されたというべきかもしれない。敵に武器を見せつけることで強い印象を持たせ、それを防ごうとする相手の意志を利用する、超高等戦術だ。

 勿論、その決定的な好機を逃すテリウスではない。素早く踏み込んでティフの足を払い、押さえつけることに成功した。

「勝負あり!」

 一つの決着があった。あるいは、9年越しの。


(勝てなかった、か。……残念だけど、悔しくないわね)

 ティフは、本気でテリウスとの決着をつけ、上下をはっきりとさせたかったわけではない。自分達を慈しんだ人々の技術を継承した自分達を確認したかっただけだ。かつて【陽門】で中断させてしまった決着を、自分達の手で再現したかったのだ。

(ごめんね、義兄さん。やっぱり、貴方のお父様は強かったわ)

 もはや、互いに剣を向け合うようなことはないだろう。ティフがテリウスに勝つ機会は失われただろう。このときのために、様々な鍛錬は欠かさなかったが、とうとう届かなかった。悔しくはない。自分が認めた男と、自分の価値を確認できた。それで十分だった。

(私はね、サティンみたいなのは御免。待つだけなんてのは、私には向かないから。私は鷲にだって負けない翼を身に付けてみせる。鷲と共に在ってみせる)

 静かな誓い。その誓いを守るべく、そして確かめるべく、今日の自分があった。

「私もあなたも、【運命】が大き過ぎるからね」

「……そうなのかもね」

 イエムが言っていた【運命】という言葉。自分達のような人間が普通に、静かに生きていけるはずがない。それは9年前に、嫌と言うほど思い知った。ならば、その中でも幸せに生き抜いてやろうじゃないか。それは二人が互いに秘密の内に誓っていたことだった。

「ねえ、テリウス?」

 ティフは傍らの夫にそう語った。

「……ティフはさ、僕の何処が好きになったんだい?」

 そう妻に返事をするテリウス。

「殺しても死ななさそうなところ。頑丈そうじゃない。とりあえず、私よりは長生きしそうだからね。あなたは?」

「同じだよ。……たとえ引き裂いても、きっと死なないよ、君は」

 お互い、悲劇を目の当たりにしてきた。その傷の舐め合いとは思わない。その想いを忘れることなく抱いたまま、互いに暖め合ってきた結果なのだ。


 サティン達は彼等を祝福してくれた。フレイズで盛大な結婚式を執り行ってくれた。テリウスの黒を基調とした正装と、ティフのドレスは互いに引き立て合った。男女どちらも特別な美人同士というわけではないが、確かに輝きを放っていた。

 サティンはその二人を眩しそうに見つめた。自分が結局、手にする事ができなかった幸せ。彼らはそれを得た。それが嬉しい。

「私はね、二人のこと、初めからこうなるって思ってたわ。バーバィグでじゃなくて、船の上でティフと、ジーファステイアでテリウスに会った時にね」

「……いいか? テリウス。尻にだけは敷かれるなよ? お前は押しが弱そうだからな。俺は経験者として心配でしょうがない」

「なんだ、ザク? 何を話している? いいか、ティフ。こういうものはな、主導権を握った者勝ちだ。絶対に隙を見せるな?」

 大人達がそれぞれなりの言葉で祝福した。子供達や同僚も皆、心から祝福した。

「二人は、どこか旅行する予定はあるのかしら?」

 サティンがそう言った。真王国には、いわゆる新婚旅行の風習は無いが、彼ら二人のしたい事くらいは見通しているつもりだ。

「ええ。以前お世話になった人たちに挨拶して周ろうと思ってます。祖父との約束もありますから」

 せっかくの休暇だ。二人はこの際にカイム、ジーファステイア、コットエムといった、思い出深い地を訪問するつもりでいた。互いに会いたい人物、もう一度見たい物などが沢山あった。

「貴方達のために馬車を用意したから、是非使って頂戴」

 サティンは二頭立ての小さな馬車を用意した。特別に立派な物ではないが、丈夫で小綺麗な物だった。二人の旅行に使うには、ぴったりだろう。

「ありがと、サティン。大事に使わせてもらうわ」

「休暇の期日がどうとかは考えなくていいからね? ゆっくりしてきて」

「わかったわ。じゃあ、行ってきます」

「おみやげをよろしくね、ティー義兄様」

 ファルがお土産の催促をする。

「期待してくれていいと思うよ。びっくりするようなものを捜してくるから」

「うん」

「貴方達なら大丈夫だと思うけど、身体には気をつけてね?」

「わかっています。じゃあ、行ってきます」

 テリウスが手綱を押す。馬車が進む。ゆっくりと、軋む音をたてながら。

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