最終話 閉じる世界

 ディオールとティフ、テリウスの三人は再び海を渡り、自由国境域カイムの街、ティフ達の家まで戻ってきた。コットエムから姿を消したまま音信不通のヴェンとリアの行く先を知るには、ここを調べるしかないと判断したのだ。

 1年近く空けていた家だが、何者かによって荒らされることもなかったようだ。ティフは積もった埃の掃除もそこそこに、家の倉庫と格闘を始めた。

 伊達に二ヶ月近くもの間、フレイズの書庫に籠もっていたわけでは無い。ある程度の見当はついている。先生は何かを隠そうとして、自分達へ与える情報を偏らせていたのは確実だが、そうとわかってしまえば、隠しきれるものではない。カイムの家に「無い」もの。その中に手がかりはある。

「やっぱり、間違いないと思う。スーレイルよ」

 【式使】の総本山、スーレイルには各地より最優秀の【式使】達が集められ、研鑽を重ねているという。そこまではティフも知っていた。スーレイルに招集され、最先端の知識に触れ、研究に携わること、それは【式使】達の目標の一つなのだ。

 そのスーレイルが【式使】達の元祖たる【陽の権】によって築かれたこと、そして先生が正真正銘の【陽の権】だったこと。つまり、スーレイルは先生自身の手によって築かれたのだ、となれば話が変わってくる。

「手紙も、報告書も、何にも無いってのは、おかしいじゃない」

 先生は各地の【式使】達と交流を持っていた。昨年の真王国へのお使いもその一環だったし、コットエムのバーテルとの縁もそうだ。先生の文書箱にはそうした手紙や論文等が大量に詰まっていた。しかし、スーレイルとのやりとりだけが一つもないのだ。先生がスーレイルの【式使】達と全く交流をしていなかったはずはない。弟子達の目につかぬよう、処分していたのだろう。

「先生がスーレイルを作ったって話が本当なら、私達になにか関係があるのかもしれないけど……」

 思い返してみれば、先生は「がんばって勉強して、スーレイルにいけるようになろう」などとは一度も言わなかった。そのためにか、ティフはスーレイルに憧れ、行ってみたいと思ったことは無かった。それに、義兄は姉の行き先を知っていたようだったのに、自分には決して教えようとしなかった。同行も許さなかった。危険だから絶対に来るな、と言っていたようにも見えた。皆、自分をスーレイルから遠ざけていたように思える。それでも。

「ディオール、悪いんだけど、もうちょっと付き合ってもらいたいの」

 彼女は行かざるを得ないのだ。


 しかし、スーレイル近くの集落までやって来た三人を、信じられない事実が待ち受けていた。

――スーレイル消滅。

 数ヶ月前のある時、スーレイルは消滅したのだという。

 突如として生じた凄まじい光に驚いて外を見てみれば、その直後に爆風と衝撃波が麓の集落を襲った。幸いにして、いくらかの古い家屋の破壊と、少々の怪我人で済んだものの、これは尋常の事態ではないと考えた何人かがスーレイルを訪れてみれば、現場は半球状に地面が抉れた状態になっており、スーレイルは破片一つ残さずに消えてしまったのだと。麓の住民達は、どうせ【式使】達がろくでもない実験で失敗して、自爆でもしたのだろうとの結論に達していた。――それは、まさしく真実だったが。

「手がかりがなくなっちゃった。……正解ぽかったんだけどなあ、」

 はるばるここまでやって来たのはいいが、肝心のスーレイルが消えて無くなってしまったのでは仕方がない。破片さえ残さずに消滅したとなれば、何も調べられないだろう。

 しかし、さらに住民達の話を聞いて回るうちに、ティフはとんでもない情報を入手した。スーレイル崩壊の直前に、呆然とした風の若い女の【式使】が山中に入っていったというのだ。軽装な上にほとんど手ぶらだったため引き留めようとしたのだが、振り払って行ってしまったとのことだ。そして、そのすぐ後には若い男の【式使】がそれを追っていったというのだ。しかも、彼等は下山していないという。

「姉さんと義兄さんよ。間違いない……。やっぱりここに来たんだ」

(目的も何もわからないけれど……)

「……行ってみるか? どうする?」

 そんなディオールの問いに対するティフの答えなど、決まっている。

「行くよ。当然でしょ」

 だが、テリウスはそれに疑問をはさんだ。

「待って下さいよ。スーレイルは全部吹き飛んだって話ですよね。ティフのお義兄さん達がやってきてから、もう2ヶ月以上は下山してないってことになります」

 そんなことは、ティフにも解っている。彼女はテリウスを睨み付けた。

「お願いだから、それ以上言わないでね。あなたをぶん殴らないといけなくなるから」

 言いながら握り拳を作って見せて、しかし振り上げるようなことも無く、自分で手首を握りしめた。

「テリウスに言われなくても、そんな事、解ってるよ。いいの、なんだって。……私は知るの。先生の想いを、義兄さん達の考えを」

 かつての誓い。先生の死に対して、ティフはそう誓った。それは未だ達せられていない。

「あなた達が行かないって言うなら、私は一人ででも行くからね」

 そんな事を、テリウスが許せるはずがない。この険しい雪山に、少女一人を挑ませるわけにはいかない。

「わかったよ。僕も行く。だけれど……充分に用心しなければね」


 スーレイルのあった場所はボウル状の大穴と化しており、雪と氷の湖となっていた。一面の白銀の世界。かつての世界の知の頂点の、なれの果てだ。

「これは……一つの街が丸ごと消えるなど……一体、なにがあったというのだ」

 ディオールをしても、これを一人の【式使】がやったなどとは想像もつかない。麓の住民達の推測は正しいのだろうと想像しただけだ。

「【式】よ。これをやったのは。しかも、連鎖【式】なんてものじゃないよ。……一発よ。信じられないや」

 だが、式使たるティフにはそういったことがわかる。それでも、まさか姉が一人でやったなどとは夢にも思わない。

「でも……どうやってやったっていうんだい? 【式】では物を暖めたり冷やしたりはできても、消滅させるなんてできないんだろう?」

 【式】は世界の在り方に介入して、いまある姿を変えることはできる。だが、物質そのものを消したりはできないはずだ。【式】でやったというならば、この氷湖の周りに、抉れた大地の分の土砂がなければおかしい。

 ティフは湖の縁の土を掬ってみた。よく見てみれば、土と氷のほかに、ガラス状のものが含まれている。凄まじい高熱が生じた跡だ。

「物質を、熱に変換したのかな? ええとね、土砂とかが無いのは、物質の質量を熱に変えたからって可能性はあるけれど。でも……それもおかしいなあ」

 質量を熱量に直接変換したのだとしたら。これだけの質量だ。この地上世界全てを焼き尽くして、なお余るだろう。麓に衝撃が飛んできた程度では済まなかったはずだ。

「ともかく、少し調べてみるとしよう。幸い、氷の上を歩けそうだ。俺は中心部が気になる」

 円形に抉れているということは、それがなんであれ、中心で起こった可能性が高い。

「そうね」

 三人は注意深く氷上を進んだ。足下の氷は驚くほど強固に凍結しており、水中へ転落する危険はなさそうだ。

「この氷もおかしいな。……綺麗すぎる」

 スーレイルが消滅したのは数ヶ月前だという。その後に水や雪が流れ込んで湖になったのだとしたら、これほど強固に凍結しているのはおかしい。しかも恐ろしく透明だ。これでは、まるでガラスの上を歩いているかのようだ。

「なんだこれ、薄気味悪いな……」

 そんなテリウスの懸念はすぐに現実になった。湖の中心に辿り着いた三人は、遙か深みにまで続く円筒状の縦穴を発見した。しかも、その壁面には氷の螺旋階段まであったのだ。あきらかに人工物だ。底が見えないほど深いというわけではないはずだが、光の反射の加減のせいで、下の様子はよくわからなかった。超常現象というほかない。三人の誰もが遭遇したことのない程の。

「どうする……何者かはわからないが、先客がいることは確実だ。確かに気味が悪いが、悪意は感じない。降りてみるか?」

「勿論よ」

 聞かれるまでもない。ティフは既に結論を出しているのだから。

(私は知るの。知らないことが幸せなんて考えは嫌だから。そんな幸せはいらないから。……この先に何があっても。……私はもう、何も知らないでいたカイムのティフじゃないのよ)

 足を滑らせないように十分に注意しながら、螺旋階段を下りる。深さは建物10階分程度だろうか。途中から壁面が氷から土に変わった事を考えると、ここは湖の地下なのだろう。底には目映い光で満たされた、ドーム状の大きな空間が広がっていた。

「これは……これだけのものが地下に埋没していたというのか?」

 地底に広がる空間は、三人を圧倒するのに十分だった。これほどに巨大な遺跡が地下に存在したという事実は、常識で測ることができなかった。スーレイルはこの真上に建設されていたのだ。それとも、スーレイルの真下にこの空間が作られたのか。どちらが先かはわからない。いや、もしかすると、これこそがスーレイルの本体、中枢なのかもしれない。

 明らかに人工物とわかる石の柱が建ち並ぶ。各所には自ら光を放つ石が埋め込まれており、この空間を光で満たしている。その中心には、かつてティフがトラントで見た【陽の結界】によく似た何かがあった。

 三人は、誰がそう言うとでもなくそこに向かっていった。そこはトラントの【陽の結界】と同様に、目映い光で満たされていた。中心部には光を放つ穴のようなものが。そして、そこには若い男女の姿が。男は青く染めた髪と、同色の瞳。女の方は艶やかな黒髪と、琥珀の瞳。

「義兄さん! 姉さん! 良かった、無事だったんだね」

 間違いない。自分の家族の顔を見間違えるはずもない。

「ようこそ、【陽門】へ。ティフ。それに、そちらがテリウス君だね? ティフがお世話になっているらしいね」

 お互いの無事と、数ヶ月ぶりの再会を喜ぶでもなく、ヴェンは落ち着いた口調で淡々と言った。

「義兄さん……?」

 ティフがその義兄の様子に異常を感じないはずがない。どこか吹っ切れたような、諦めたような、決意を感じ取った。そして。


「お久しぶりです。……父上」


「――は……?」

 お前はいったい何をわけのわからないことを言っているのだ、そう言おうとして、どうしても言葉が出てこない。ぱくぱくと口を開けて、あやうく窒息しかけて、胸を打ち抜かれた様な衝撃に耐えながら、ようやくディオールは言った。

「父……? 馬鹿な……お前が俺の子であるはずがない。お前が……? あれは……8年前の事だ。だから……お前が俺の子であるはずがない!」

 ディオールはそう言いながら、それは間違いなく真実だと認識していた。カイムの【式使】、ティフとリアの義兄ニク・ヴェンタールこそが、自分が探し求めていた我が子だという事実は、あまりにしっくりとした。

 年齢が合わない。理屈が合わない。だというのに、ただ、それが事実だということだけが直感できる。訳がわからない。その理性と直感との狭間で混乱し、朦朧とする意識に耐えかねて、それでもディオールは膝を付くような無様は見せずに、自分の身体を支えた。

 そんな父の様子にもヴェンは動じた風もない。

「義兄さん……? なにを言ってるの? わけわかんないや」

 ティフの問い掛けにも、ヴェンはきっぱりと応えた。その表情には、それまで彼が抱えていた苦悩のようなものは、一切感じられなかった。

「ティフ。私はずっと嘘を吐いていました。私はこの地上に産まれ出て8年。本当は、君の義弟なんですよ」

「う……うそだ! うそよね……義兄さん? いくらなんでも、無茶苦茶よね。そんなはず、ないよね」

 ヴェンは首を左右に振りながら言葉を続ける。

「サリアさんのお話を覚えていますか? 【魔人】はその力の器を守るために、老いることをしないという話を。……その逆ですよ。呪われた生命を支えるべく、私はこの姿で在り得るのです」

 【魔人】が持つ力は、老人では支えきれない。だから老いない。ヴェンが持つ力は、幼児では支えきれない。ならば、成長すればいい。簡単な話だ。

 ヴェンのその言葉を聞いたディオールが、口を開いた。

「貴様……呪われた生命と言ったな?」

 怒り。頭上の氷湖を全て熱湯に変えんばかりの熱い怒りだ。セル・セリスと、その愛を侮辱された怒り。そして、自分の求めていたものに気が付かず、見落としていた自分自身に対する怒り。

「その通りです。父上」

 ヴェンはなおも語る。

「貴方は苦しんでいた。自分が何を為せばいいのかも解っていなかった。あのとき、私が正体を明かしてみても、きっと貴方には理解いただけなかったでしょう。私は、貴方が真実を隠していても、たとえそれが見せかけのものだとしても、貴方にとって私は既に死した者として、埋葬されてしまっているのだとしても。それでも、そうだとしても。ただ、私は本当に嬉しかったのです」

(私は、貴方を赦すことにしたのです)

「だから、私は私なりの生活をしようと決めました。義妹達と共に静かに暮らそうと。貴方の魂が、いつか癒されることがあればいいと願って」

 しかし、それはできなかった。師の死、日常の崩壊。イエムとの出会いと別れ。

「貴方には、分かり合えた、守るべき人達がいる。愛し、慈しみ、育むべき人達がいる。ですが、私には、もう……なにもできません。時間が、命が、世界が、私という歪みを許さない」

 これほどに歪み拗くれた存在を、世界は決して許さない。遠からず、この地上から放逐されることだろう。

「それでも。決着をつけることはできる。これは、私が貴方にして差し上げられる、最初で最後の事なのです。ここでなら世界の目も届かない。……きっと成し遂げられることでしょう」

 ヴェンは自らの最期を決めているのだ。苦しみからの解放を望んでいるのだ。そして、父の魂の解放を。

 それまで黙ってヴェンの言葉を聞いていたディオールが、二人の連れに優しく語った。

「ティフ、テリウス。俺達は決着をつける。こんなことが、こうなることが、ずっと前から決まっていたなどとは思わない。だが……きっと俺達は望んでいたのだ」

「待って……待ってよ。お願い、義兄さんを、殺さないで……」

 ティフが弱々しく懇願したが、それが受け入れられることはあり得なかった。

「すまない。俺はお前の義兄を殺す。二人とも、俺達を静かに見ていて欲しい。決着がついたなら、全てが終わったら……俺を殺しても構わない。だから、それまで待っていてくれ」

 ディオールは二人の肩に手を置いて、優しく語った。

「そんなこと……できるはず、ないじゃない……」

 ティフとて解っている。義兄は、もう、駄目なのだと。

「リアも。私達に手を出さないで下さい」

 ヴェンが傍らのリアに語る。

「承知しました」

 リアが頷く。彼女には別の目的がある。妹を救うという、唯一至高の目的が。

 それを確認したヴェンは、光の溢れる穴、【陽門】に対して【式】を起動した。光が無秩序に増加し始める。

「【陽門】が暴走を始めました。私は時間軸を壊して、原初へと遡り、イエムさんを、母上を救うつもりです。8年前の私を消去することによって」

 過去に干渉するのは不可能とされている。ならば、時間そのものを崩壊させればいい。【陽門】の破壊によって。そして、この悪意に満ちた世界を書き換えてみせる。いや、それとて、もはやどうでもいいことなのかもしれない。父と戦う理由が欲しいだけだ。

「それで、この世界がどうなろうと、私の知ったことではありません。……父上。私を止められますか? 貴方の大事な人達を守るために」

 ヴェンの手には【式】による空気の剣。あまりの圧力に、プラズマ光の塊になっている。それに対して、ディオールは、この白光の中でさえ黒く輝く【ミエグ・クルタ・ジーン・ユン】――セル・セリスの形見を抜いた。【陽】の光には相容れない、【星】の輝きが剣を包む。

「俺は【蒼鷲】【群青の戦士】の名を持つテス・ディオールだ。この地上の守護者の一人として、お前の暴挙を許すわけにはいかない」

 ディオールの、やや形式張った名乗りに、ヴェンも応えた。

「【三つ名】たるテス・ディオール、丁重な挨拶痛み入る。私はニク・ヴェンタール。貴方は我が父なれど、実姉を愛して、それにとりつかれた罪人だ。私が道を正してみせる!」

 それが二人の戦いの始まりだった。


 まずはヴェンが仕掛けた。【式】による攻撃。ヴェンは伊達に【式】と戦闘術の融合を目指していたわけではない。未だ完成にはほど遠いが、【陽】の力に満ちる地上最高の【式】の結界という、この場所でならば、実戦に投入できるだけの武器になる。

 ヴェンの投じた複数の空気の剣がディオールを襲う。【式】の殺傷力は強力だ。一つでも当たればただでは済まないそれを、ディオールは前進速度を緩めることなく躱した。

 あまりにディオールの接近速度が速かったために、自滅を恐れたヴェンは、空気の剣の誘導操作は諦めた。代わりに、次の【式】を用意する。しかし、それよりもディオールの方が迅い。

 接近に成功したディオールはそのまま斬りつけたが、それは見えない盾でもって逸らされた。【式】によって、攻撃の方向を変更されているのだ。いかに強力な斬撃とて、方向を変えられてしまってはどうにもならない。

 【式】は人間の肉体そのものに作用することはできない。それならばとヴェンの身体に直接掴みかかろうとしたディオールだが、ヴェンは空中に足場を生成して逃れた。空中から、光を同方向に集積して射つ。膨大な熱量を保持する熱線による攻撃だ。

 だが、ディオールはその光速攻撃からさえも逃れた。盾に使った外套が燃え上がる。ヴェンはそのまま空中の足場をたどって、ディオールと距離を取ろうとした。【式】による攻撃は極めて強力だが、実戦使用のためには、やはり速度が足りない。なにより、相手があまりにも迅すぎる。時間を稼ぐ必要があった。


「なんでよ……なんで殺しあってんのよ! ……親子なんでしょ!」

 そんなティフの叫びも空しい。

「なんで、なんで、殺しあって理解しあおうとか、わけのわからないことやってるの! もう……やめてよ! あなた達の醜態を、これ以上私に見せつけないでよ!」

 それをテリウスが制した。

「駄目だよ……ティフ。……悲しいことだけど、邪魔はしちゃいけないよ」

 そんなテリウスを、ティフはもの凄い形相で睨み付けた。それは、いままで彼女が見せたこともないような顔だった。

「あなたに何が解るのよ! いや、いやなのよ。もう、私から大事なものを取らないでよ! 私に返してよ!」

 テリウスはそう言って駆け出そうとしたティフを必死になって抑え込んだ。

「ティフ! 駄目だよ。今行ったら、君まで死んじゃうよ! 頼むよ!」

「何でよ! 何で私にこんなのを見せるのよ! 私はこんなのを知りたかったわけじゃない!」

 ティフの叫びは、二人には届かない。


 ヴェンが再び空気の剣を放つ。それを躱そうとしたディオールは、それに違和感を感じ取った。

「……!」

 ヴェンは空気の剣を放つと同時に、それを光学的に隠し、さらには同様の映像を重ねてカムフラージュしていたのだ。ディオールが視覚だけでそれを追っていたなら、直撃は免れ得なかっただろう。しかし、それに反応してみせるのがディオールという戦士だ。彼は間一髪でそれを避けた。

 しかし、避けたはずの空気の剣が執拗に追ってくる。逃げ切れないと知ったディオールは、躱しざまに【星】剣でうち砕いていく。【式】に直接【星】をぶつけることで、【陽】を綻びさせているのだ。【星】に干渉された【式】が崩壊していく。それはディオールを酷く消耗させたが、それ以上に、ヴェンは【式】を破られた衝撃を受けていた。

「くっ! これならどうです!」

 ヴェンが音の固まりを作り出して投じた。それは十分に躱せる速度だったが――

「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

 命中させる必要などない。ディオールの目前で破裂した【式】は、凄まじいばかりの轟音を放った。人間が麻痺するには充分な音量だ。さしものディオールも、例外ではあり得ない。続けざまに放たれた熱球を躱しきれなかった。

「ぐ……おっ」

 ディオールは熱球の直撃を左腕に受けた。燃え上がる皮鎧を無理矢理引きはがす。幸いにして、熱球の殺傷力は分散したことで弱まっていたために、致命傷ではないが、大きな隙になったことは否めない。

 その間にヴェンが距離を詰めた。彼の方にも余力が残っていない。新たな【式】を起動するには、体力が底を尽いていた。接近戦に勝負を賭けたのだ。プラズマの剣を振り下ろす。

 空気の振動による物質破砕と高熱を伴った【式】の剣だ。いかなる名剣とて、受けとめることもできずに真っ二つになるだろう。しかし、【星】剣はプラズマの剣を受け切った。黒い【星】の輝きが増す。

(綺麗な光……なんでしょう……不吉なのに……怖くない……魅せられる光だ)

 不意に、ヴェンの脳裏にそんな考えがかすめた。それが決定的な隙に繋がったのかもしれない。ディオールはヴェンの胸元を掌打して間合いを取ると、一気に長剣を振り下ろした。

「うわああぁ!」

 ヴェンの肩口から血しぶきが上がる。攻撃を逸らしきれなかったのだ。

――ヴェンは死そのものに魅せられたのだ。

 もっとも、ディオールの近接戦闘能力はヴェンのそれを圧倒している。【式】による遠距離攻撃で押し切れなかった時点で、勝敗はついていたのだ。生きてきた年月が、あまりに違いすぎた。

「く……おぉぉ」

 肩口から血を迸らせるヴェン。

(なんだ……私の血も赤いのですか。意外……でしたね)

 一撃で致命傷には至らなかったものの、もはや勝敗は決した。だが、二人とも退かない。互いに目を合わせた後、最後の一撃を放った。

(さようなら……父上。リア、ティフ。……母上! 貴女にお返しします! 私の、【翼】を!)


「いや!!」

「ティフ?! 駄目だーっ!!」

 ティフは自分でも信じられないような力でテリウスを突き飛ばして、二人の斬撃の間に飛び込んだ。

 ティフ達二人の位置から走ったところで、最後の一撃の間に割り込めるはずがない。しかし、確かにティフは二人のもとに辿り着いたのだ。それは、奇跡と呼ばれるものだったのだろうか。

「もう、やめて!!」

 ディオールの前に立ちはだかり、義兄を背中にかばうティフ。

「!!」

 ティフが飛び込んだタイミングは最悪だ。落ちかかるディオールの斬撃は止まらない。ディオールがティフの存在を感知したところで、間に合うはずがなかった。


――だが、間に合った。ディオールはぎりぎりで斬撃を逸らして、剣を引くことができた。

(よかった……義兄さんを助けられた!)


――だが、間に合わなかった。

 手傷を負っていたヴェンには、咄嗟に攻撃を止めるだけの余力は残っていなかったのだ。自分を庇うべく背中を向けたティフの胸を貫き通してしまった。

「え……?」

 ティフは背中から貫かれた痛みも、自分の胸からあふれ出す鮮血も、何も意識することができなかった。二人の間に飛び込んだ勢いで、数歩よろめいて、そのまま【陽門】に落下していくことしかできなかった。意識できたのは、真っ白な光の世界だけだった。

「あ……」

 自分の全てである愛しい妹が、将来豊かであろう元気な赤毛の娘が、僅かな間に親しくなった女の子が、自分の守るべき義妹が、絶対的な光に灼かれるのを、呆然と見ることしかできなかった。あまりに突然に訪れた少女の死を前にして、誰も動けなかった。

「う……ティフ……?」

 それは誰の呻きだっただろう? ただ一つの目的を失ったリアの? 自分の戦いに巻き込んでしまったディオールの? 庇いきれなかったテリウスの? ――その手で愛すべき義妹を刺したヴェンの?

「うああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 ヴェンから強大な【力】があふれ出した。無秩序な、無制限な力だ。

――ヴェンは崩壊したのだ。


「何……!?」

 【それ】は、すぐ側のディオールとリアを襲った。テリウスは距離も遠く、障害物があったおかげで直撃を免れたが、地上最強の戦士たるディオールと、世界の理を制したリアでさえ――もっとも、彼女には避ける気もなかったのかもしれないが――それを避けることができなかった。木の葉のように吹き飛ばされて、壁に叩き付けられた。

「ぐおっ……グッ……」

 それでも、ディオールはなんとか立ち上がった。口の中に吹き上がった血を吐き出す。手足腰は無事だが、内臓をどこかやられたかもしれない。リアの方は反対側の柱に叩き付けられたまま動かない。ここからでは、生きているとも死んでいるとも判断できなかった。

 降り注ぐ瓦礫を避けつつ、テリウスがディオールの元に駆け寄ってきた。

「ディオールさん! しっかりしてください!」

 そんなテリウスの言葉も、ディオールの耳には届いていない。

(馬鹿な……ヴェン……。ならば……お前は……? 俺は? ……お前は一体何者だ?)

 意味を為さない思考だけが錯綜する。

 なおもヴェンの崩壊は続いていた。凄まじい【力】の奔流。溢れ出す【力】は周囲すべてを破壊すると同時に、ヴェン自身の肉体をも砕き始める。

 ここは地底だ。このままでは全員生き埋めになるだろう。しかも、まだ【陽門】の暴走も続いているのだ。いま、この場で、世界が終わろうとしている。

(馬鹿な……お前は……ならば……)

「ディオールさん! ……ディオールさん?」

(そうか。そうなのか。……よくわかったよ、セル。俺の為すべきことが)

「テリウス。少し離れていてくれ。俺には、まだやらねばならぬ事が残っているようだ。……だから、少し待っていてくれ」

「……ディオールさん?」

 テリウスはそのディオールに薄ら気味悪いものを感じたが、ディオールの様子に気圧されて、何も言い返せなかった。

(……まさか……この人は死ぬつもりじゃないのか? 冗談じゃあ……ないぞ?)


「ヴェン……俺にしてやれることが、まだ一つだけある」

(貴方は為せることを為せば良いのですよ。仇なら討てばいい。負けるかもしれない。でも戦う。貴方の全てを賭けて。そのことを誇れこそすれ、断じて恥じることはありません。その子を見つけたなら、怖くはなかったか? 寂しくはなかったか? そう訊いて、抱けばいい。我が子として育てればいい。違いますか?)


「俺は……お前を我が子として育てることができなかった。怖くなかったか、寂しくなかったかなどと、優しい言葉もかけてやらなかった。こんな男は、父親と呼ぶには値しないのだ。……だが、これだけはできる。俺は戦士だから」

 ディオールはゆっくりと【星】剣を構えた。本来、ディオールの戦闘術には決まった構えはない。それゆえに、あらゆる状況に対応し、いかなる体勢からでも攻撃を繰り出すことが可能なのだ。だが、そのディオールが構えた。【星】剣【ミエグ・クルタ・ジーン・ユン】の輝きが増していく。それまで見せたこともない、崩れゆく【陽門】にも劣らないほどの漆黒の輝きを放つ。――命を喰らって。

(俺は……新たな罪を犯す)

  振り下ろした。


「これが俺の全てだ!!」

 黒い閃光が世界を切り裂いた。その輝きは【陽門】さえ圧倒した。命の奔流。


 リアは血で汚れるのも気にせずに、義兄の亡骸を抱えた。苦悶のままに見開いた瞳をそっと閉じさせる。そうして、ディオールの方を向き直った。深々と頭を下げる。

「ありがとうございました」

「……本当に、本当にこれで良かったんですか? こうなるしかなかったのですか?」

 テリウスは問わざるを得ない。結局、全ては無に帰した。全ての人々の想いは、ただ空回りしただけだった。何一つ残らなかった。しかし、リアにはそのテリウスの言葉は届いていない。

「……私には……ティフは見えなかったのです。この地上の全てを知りながら、あの子が次に何をするのかだけは、私は予測できなかったのです。……なのに……なのに、あの子が最期に義兄を庇うことだけは解ってしまった。……あの子は、私にとって【未知】ではなくなってしまったのです」

 リアがそう悲しげに語り、慟哭するのを、ディオールが制した。

「愚か者め。……それは『理解していた』というのだ。姉が妹を理解して、なにがおかしい。お前達が本当の家族だった証だろうに……」

「……ありがとうございます」

 ディオールの言葉を聞いたリアは表情を和らげた。この悲しい娘にそんな顔ができたのか、というほど優しい顔だった。彼女が今まで生きてきた中で、初めて訪れた安らぎに満ちていた。

「ならば……ありがとうございました、ディオール様。……あの子を頼みましたよ、テリウス君」

 そう言い残して、ヴェンの亡骸を抱えたまま、リアは【陽門】に身を投げた。止める間も無かった。あっという間に光の中に消えた。

「リアさん!」

 静寂。全てが失われた事によって、永遠に静寂が支配するかとも思われた。それを打ち破ったのはディオールだった。

「さあ、行け。ここはもう長くは保たない。……行って、生きろ」

 テリウスはその言葉には従うわけにはいかなかった。

「……貴方は何を言っているんです? まるでもう駄目になったみたいに。いやです。僕は貴方と一緒でなければ行けません!」

 静かに、ディオールは首を左右に振った。

「すまん。俺は行けない……。もう、立つこともできないんだ」

 ヴェンに受けた衝撃と、最後に放った一撃は、ディオールから全ての力を奪っていたのだ。

「そんな……。サティンさんになんて言えばいいんです!? 僕は! 僕はそんなことをするために、ここまで来たんじゃない! 嫌です。僕は、引き摺ってでも、貴方をあの人の所に連れていきます!」

 ディオールは弱々しく言うだけだ。

「すまない。……俺は貴女を裏切った。……そう……伝えてくれ」

(結局……結局、僕は何のためにここに来たのだろう。……こんな悲しい結末を見るはずじゃ無かったのに。僕もあの人達と一緒だ。見ていただけ……なにもできなかったんだ。好きな女の子一人さえ、守ることができなかったんだ)


 ティフは【陽門】を落下し続けていた。いや、上に向かっているのかもしれないし、横に進んでいるのかもしれなかった。一面の白い世界。方向など無意味だった。

(私は……私は、結局、なんにもできなかったんだ)

 二人の戦いを最後まで見届けるべきだったのだ。二人の道の終着を。たとえ、どちらの道が途中で途絶えたとしても。

(だけど……私は、捨てられなかったのよね)

 それでも、どうしても、義兄を見捨てる事ができなかった。だから、救おうと思った。そのことが、全てを失わせる原因になってしまったのだ。結局、義兄も、姉も、ディオールも、自分も、全てを失う結果になった。

(私がみんなを助ける……全てを知るなんて、大それた望みだったのかな?)

 かつての誓い。それに縛られたなどとは思わない。自分は、自分がしたかったことをしただけなのだから。ただ、それによって何も為し得なかったことが悲しかった。

(まあ、いいや。私はこのまま、永遠にここを漂うことになるのかな。それもいいや。それが私に対する罰だっていうなら)

 どうせ、時間は無限にあるのだろう。いろんな事を考えたかった。船上で出会ったサティン達のこと、自殺した先生のこと、失われた家族のこと、旅先で出会った一人の悲しい女性のこと。

(言ったろう? 私が今あるのは、あの時に出会った一人の女の人のおかげだって思わせたいって)

――イエム。【蛮族】にして【巫女】。悲しい過去と、熱い情熱を持った人。

(私は貴女に【運命】を押し付けた。許してはくれませんよね。それは私のわがままだから)

――先生。【陽の権】として長い年月を生きた人。それからの解放を願った人。

(貴女は私にとって、唯一絶対の存在。愛しい妹。失いたくない。無くしてはいけない)

――リア姉さん。全てを知っていて、全てを諦めていた人。でも、私を守った人。

(私は君を私の罪に巻き込んだ。罰を受けるべきなのは、君ではないのですよ)

――ヴェン義兄さん。解かれることのない罪を背負った人。私を最期まで守ろうとしていた人。

(あなたは……まだ……死なない……死んでいない……失われていない……)

――身体の、いや、もっと本質的な何かの中の【なにか】――【陽杯】だ。あの時、トラントで少女が触れた瞬間に、自らの主人を定めた【陽】の秘宝。

――だから。


「……すまん。俺の教えられることは、もう無い。【支払い】は完了したんだ」

 あまりに深い絶望がテリウスを襲う。魂が、じわりと軋む。

「嫌です……嫌なんです。……もう、人が死ぬのを、人が悲しむのは見たくないんです。……嫌なんです」

 ディオールはテリウスに優しく語りかけた。父親が我が子にそうするように。

「行け、テリウス。……行って、サティンに伝えてくれ。そして……」

 【陽門】から何かが浮上してきた。赤毛の小さな女の子。ティフだ。気を失ってはいるが、胸の傷もない。生きている!

「この娘には、これまで辛いことしかなかった。お前が……いや、お前でなくともいい。この娘が幸せになるのを見届けるんだ。……いいな?」

「……はい」

 テリウスの返答を聞いたディオールは長剣を差し出した。

「俺にできるのは、あとはこれしか残っていない。【ミエグ・クルタ・ジーン・ユン】をお前に継承する。【支払い】未納分の代わりだ。受け取れ」

「……はい」

 テリウスは差し出された剣を受け取った。本来、遠く離れていたはずの、テリウスとディオールの交わった道の、そのきっかけとなったもの。【血】を意味する二本一対の長剣。【星】の力を秘めた秘宝。軽いはずのその剣が、ずっしりと重い。

「……行け。生きて、戦士になれ。俺の跡を継げなどとは言わん。だが……」

 言いかけたディオールをテリウスが制した。静かな涙が頬を伝う。

「僕は、ここに誓います。貴方の名を貶めないような、立派な戦士になると。……いいじゃないですか、それくらいの我侭は許して下さいよ。……ねえ、【父さん】?」

 ディオールの笑み。それは、すべてが終着した人間だけにできるのかもしれない。

「行け。我が愛し子よ」

「はい!」


 テリウスは行った。これでいい。これで、守ることができた。身体から力が抜けていく。ディオールはそのまま目を瞑った。

(セル……もう良いだろう? もう。俺は……俺にできることはもうないんだ。俺はもう、眠りたいんだ)

――それは本当かしら? 貴方にはやるべき事が残っていたのではなくて?

(そんなことはない。……俺は……俺はもう、なにもできないんだ。あの子にも、なにもしてやれなかった)

――嘘をおっしゃい。私には見えるわ。銀の髪をした、すごく綺麗な人。……この浮気者!

(サティン……サティンか。サティンは強い。だから、生きていける。俺みたいな男が、側にいてはいけないんだ)

――あら、浮気者だと思ったら、甲斐性なしだったの? 貴方は。……情けないこと。

(俺は……もう少し、あの女が、あの甘え方を知らない娘が、どう生きるかを見てみたかった。共に在ることはできなくとも、どこかで、遠く離れていても、あいつを見ていたかった)

――だから、なにか大事な事があったのではなくって?

(…………そうだ、俺は約束したんだ。あいつが、サティンが、サティンの最期の時には必ず迎えに行くと)

――ほぉら、やっぱり忘れてた。いや……違うわね。解っていて、あの人を捨てたのね。最低よ。

(違う! 俺はあいつを捨てたりはしていない! 俺は……俺は、あいつを……)

――言い訳は見苦しくってよ、テス・ディオール。この裏切り者!

(俺は! ……行くんだ。あの女のもとへ。行って、今度こそ、あいつを幸せにするんだ。お前がかつてそうしてくれたように、今度は、俺がそうするんだ!)

――でも、もう駄目ね、可哀想に。私の愛しい弟。さあ、お眠りなさいな。


「嫌だ……死にたくない」

 まずは、立つ。そして、歩く。よし、まだいける。――しかし、役目を終えた英雄に対し、世界はあまりに残酷だった。

「……なんでだ」

 視界が回転したことで初めて、ディオールは自分が倒れたことに気が付いた。何万と繰り返し修練した受け身もとれず、全身を打ちつけた。それにもかかわらず、その痛みすら感じない。

「嫌だ、俺にはまだやることがあるんだ」

 ずるり、と。大空を翔けるはずの大鷲が無様に地を這う。しかし、幾ばくかも行かずに、それは手で地面を引っ掻くだけに変わった。

「俺は……まだ……死にたくないんだ! サティン! サティン! サティン……!」

 ディオールの手が虚しく宙を掻き――落ちた。 


 テリウス達が【陽門】に続く大穴を出ると同時に、穴には水が流れ込んで凍結した。氷穴を支えていた【式】が崩壊したのだ。【陽門】への道は閉ざされた。

「ねえ……もう、降ろしてよ。一人で歩けるからさ」

 背中から声。

「駄目だよ、まだ。君はまだ本調子じゃないんだから。……死にかけたんだよ? 胸に大穴が開いてたんだからね」

「わかってるよ。……ふんだ、こうなったら山を下りるまでしがみついてやるんだから!」

 拗ねるような声が背中から聞こえる。肩を掴む手に力が入る。

「それは勘弁して欲しいな。さすがに、このままで下まで行くのは大変そうだから」

「だから、荷物を持ってあげてるんでしょ。文句言うと、捨てちゃうよ?」

「困ったな……じゃあ、どうすればいいんだい?」

「降ろしてくれないっていうなら、きりきり歩きなさいってこと」

 きっぱりと言い切られた。

「僕は馬車馬じゃないんだから。……まあ、下までは、僕に甘えてても良いんだよ? ほらほら、何か甘いものでもあげようか?」

(甘えても、いいんだよ? 僕になら)

「……やっぱり、あなたとは一回決着をつける必要があるよね」

「受けて立つよ。……いつでも」

「忘れないでよ? 今の言葉を。ぜーったいに後悔させてやるんだから!」

「忘れないよ。絶対に忘れない。忘れてなんかやらないよ」


 そんな小さな影を遠巻きに眺める二人の女。【魔人】が語る。亜麻色の髪の小柄な少女と、栗色の髪と瞳の長身の女性。

「結局、なんとか残ったのはあの二人だけ。これがあんたの望んだ決着だっていうのかい、【名無し】?」

「……こんなはずではなかったなどとは申しません。これは私の罪。私が揺り動かした【運命】の結果なのですから」

「あたし達は悲しいね。見てることしかできやしない。下手に手を出せば、必ず悪い方向に行く。それが、あたし達の瘴気っていうやつなのさ」

「竜の君……」

「あんたはどうするんだい? これから」

「……どうもしません」

「そうかい。まあ、それが良かろう。……あたしにはレーヴも、あの黒男も、多分、アーフのことだって解らない。だけど、あんたのことは解る」

「【翼】は砕けました。私に何ができるというのです? 滅びる以外に」

「なんだってできるさ、生きてさえいれば。いいじゃないか」

「私が為したことは、すべてが空回りしました。……もはや」

「生者にしかできないことはたくさんある。自ら滅びを選ぶなんてのは、死者の冒涜だよ。あんたはそれを知っているはずだ」

「……」

「いいじゃないか。とりあえず、あの二人の行く末を見守るなんてのはどうさ。あの二人、なかなか面白そうだと思うんだけどね? また良いことだってあるかもしれないじゃないか……そのうちね。そんなとき、死んでちゃ何もできないんだよ?

 あたしには、あの娘みたいに未来が全て見えるわけじゃあない。だけどね……まだ、あんたには、やることがある。多分ね。これは【運命】なんだよ、あんたのね。名前を捨てたくらいじゃ振り切れやしないんだよ。だからさ、もう少しだけ待ってみなさいな」

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