FILE11「ボクは君を知らない」
今にも降り出しそうなどんよりとした雲の下を、ボクは家綱と歩いていた。時刻は大体昼過ぎくらいで、天気予報によれば夕方くらいには雨が降り出すだろうとのことだったけど、この様子だと予報より早く降り出してしまいそうに思えた。
若干不貞腐れた家綱は、つまらなさそうな顔で空を見上げている。
「何でそんな不貞腐れてるわけ? 家綱は買い出しに行きたかったんでしょ?」
「……まあな。だが俺にも一人で買い出しに行きてえ気分ってのがあるンだよ」
嘘である。
この男、買い出しを口実にパチンコを打ちに行こうと考えている。ボクにはよくわかる。ボクは詳しいんだ。
「って言っても、財布管理してるのボクだし、家綱に勝手に買い物させると何買うかわからないしなぁ……」
「あのな、言っとくが七重探偵事務所の所長は俺だぞ? その俺が生活や仕事に関係のないものを買って来ると思うか?」
「買ってはこないだろうね」
「だろ?」
「千円札を入れると?」
「上からどんどん玉が出てくる」
この男、千円札を玉が出てくる機械に入れたいのである。
「とまあそういう使い方をするだろうと思われるので、買い出しはボクが行くかボク同伴でないと……って話は何回目だっけ」
「し過ぎて覚えてねぇなぁ……」
「素直でよろしい……って、ボクも覚えてないけど」
そう言って思わずボクが笑みをこぼすと、つられて家綱もクスリと笑う。そんなやり取りをしている内に、いつの間にか事務所のすぐ傍まで辿り着いた。
「……あれ、事務所の前に誰かいない?」
見れば、事務所の前に黒いスーツの男が立っている。かなり体格の良い男で、少し猫背だ。
「お、依頼人じゃねえか? 用があるなら中で待っててくれて良かったのによォ」
「そうだね……今来た所なのかな? あんまり待たせても悪いし、急いで戻ろっか」
星川さんの言う通り、少し知名度が上がっていて依頼が増えたとは言え、それでも前より少しだけ忙しくなった程度で、普段は相変わらず何事もない。少しくらいなら大丈夫だろうと判断して家綱と出かけたのはまずかったらしい。
ていうか、所長はきちんと事務所で待機して依頼人に対応して欲しいんだけど。
「いや待てよ、こないだみたいに“地を這うざる蕎麦教団”の勧誘かも知れねえ」
「え、待ってボクそれ知らないんだけどいつの話!?」
そんなやりとりをしていると、不意にこちらに気づいたスーツの男がボクらの方を向く。刈り上げ頭で五十代くらいに見える強面の男で、サングラスをかけており、どこか荒々しい風貌だ。
でもそれよりも地を這うざる蕎麦教団が頭から離れない。何なのそれ。
「……アンタは」
男の顔を見た途端、家綱はその場で硬直する。どうやら知り合いなのか、男の方も家綱に気がつくと足早に近づいてきた。
「おう、坊主か。元気か?」
「……ええ、まあ」
「……家光はいるか?」
男の問いに、家綱は口ごもる。予報よりも随分早い雨が一滴、ボクらを濡らす。
「アニキは……」
家綱の言葉を急かすように、雨は降り始める。男は黙ったまま、家綱の言葉を待っていた。
そんな二人を数歩離れて見つめながら、ボクは思う――――
地を這うざる蕎麦教団って何だ。
場所は変わって事務所の中、ボクと家綱はいつものように依頼人(多分)と向かい合って座っている。
家綱の知り合いと思しきその男性の名は、
「……その様子じゃ家光は……」
「…………はい。今は俺が、ここの所長です」
いつもの家綱からは想像もつかない、どこか自信のなさそうなその言葉に、隣でボクは少し驚く。それに、二人共曖昧な言い方をするせいで、その家光さんが結局だれなのか、どうなっているのかボクには想像することしか出来なくてもやもやする。
「そうか……」
陸奥峠さんはしばらく、悲しんでいるとも怒っているとも取れる表情で家綱を見つめた後、やがて呆れたように溜息をついて立ち上がる。
「邪魔したな」
「ま、待ってください! まだ何も……!」
「ツナ坊に頼める仕事じゃねえんだわ」
ツナ坊、というのはもしかして家綱のことだろうか。ちょっとかわいいな、なんて思ってしまうけど、雰囲気的にそんなことを言える状況でもない。家綱と陸奥峠さんだけで話が進んでしまうせいで、さっき淹れたコーヒーを飲みながらなんだか蚊帳の外な感じがしてどうでも良いことを考えてしまう。
ああ、何だったんだろう……地を這うざる蕎麦教団……。
「それじゃあ何か? 家光に頼むハズだった仕事をツナ坊がやってくれるってのかい」
「……はい」
一瞬間はあったものの、限りなく即答に近い速度で家綱はそう答える。まだ依頼内容も聞いていないのに、ボクからすれば少し不思議なくらい家綱は必死に見えた。
「ここ最近のこの事務所の話は聞いている。俺ァてっきり家光がやってるモンだと思ったんだがな……。よく考えりゃそれはねえか。俺としたことが、夢みてえな妄想をしたモンだ」
陸奥峠さんは遠くを見るような表情でそう言った後、やがてどっしりと来客用ソファに座り直す。
「ま、話くらいはしてやるか。ツナ坊がどれだけやれるか、試してみるのも悪くねえ」
「……ありがとうございます。それと、ツナ坊はやめてください……俺はもう、この事務所の所長で、探偵だ」
陸奥峠さんを真っ直ぐに見据え、家綱はそう言い放つ。陸奥峠さんは怒り出すんじゃないかと思ったけど、以外にも落ち着いた様子で、薄っすらと笑みさえ浮かべて見せていた。
「言うじゃねえか……
どこか嬉しそうにそう告げた後、陸奥峠さんは依頼内容を話し始めた。
「俺が
「ぶっ!?」
突然とんでもない名前が飛び出したせいでコーヒーを吹き出しかけたけど、何とか持ちこたえるボクだった。
「え、ちょ、嬉々開会ってあの嬉々開会!?」
「ん、ああ……多分それで合ってるぜ」
「そ、そんな知り合いいたの家綱……」
「まあ、アニキの知り合いだけどな」
嬉々開会……罷波町に昔からいる指定暴力団で、言ってしまえば“ヤクザ”だ。確かに言われてみればヤクザっぽい風貌にも見えるけど、まさか家綱の知り合いにこんな人までいるとは思わなかった。
家綱の言うアニキ――家光さんって、どんな人だったんだろう。
「依頼内容自体は簡単なモンだ。うちの下っ端の一人がカタギに手を出し始めた」
「カタギって言うと……?」
「嬢ちゃん達みてェな一般市民のことだ」
陸奥峠さんはそう言いつつ、携帯を取り出し、ニュース記事の表示された画面を机の上に置いてみせる。
「連続辻斬り魔……?」
「ああ、ここ数日世間を騒がせているそいつが元うちの下っ端だ」
陸奥峠さんはそう言いながらポケットからタバコを取り出して火をつける。タバコの煙はあまり好きじゃなかったけど、別にうちの事務所は禁煙というわけじゃない。なるべく顔に不快感を出さないようにしつつ、陸奥峠さんの話に耳を傾けた。
「超能力ってのは大抵先天的なモンだが……稀に後天的に目覚めることがある」
気を使ってくれているのか、なるべくボクらの方へかからないように煙を吐きつつ、陸奥峠さんは語を継ぐ。
「で、まあこいつがその一例でな。
携帯の画面を今度は写真に切り替え、陸奥峠さんは一人の男の顔写真をボクらへ見せた、
「こいつですか?」
「ああ、町内で毎日手当たり次第に切りまくってやがる。目覚めたばかりの超能力でな」
携帯灰皿で吸い終えたタバコの火をもみ消しながらそう言って、陸奥峠さんはすぐに新しいタバコをもう一本取り出した。
……結構吸うなぁ。後で消臭したい……。
「うちはカタギのモンには手を出さねえ決まりだ。それを破った以上はケジメをつけなきゃならん」
ケジメ、っていうと指を切ったりとかするのだろうか。ちょっと想像しようにも、遠い世界の話過ぎて逆にピンと来ない。
「だが超能力を持ったアイツは手をつけられん。射殺は出来ても生け捕りは難しい。奴は生け捕りにしてけじめをつけさせる、というのが会長の意思だ。だがもう既にうちのモンも何人か重傷を負っている。総力をあげれば捕まえることも出来るだろうが、会長は事を荒立てたくないようでな、渋っている」
「そこで、アニキに……この事務所に白羽の矢が立ったというわけですか」
「そうだ。このことは会長には話していない。お前が捕まえて、俺が連れて帰る。言ってしまえば俺は手柄を依頼料で買うってわけだ」
冗談めかして言ってはいるけど、目は真剣だ。人柄はよく知らないけど、ここまでの話を聞いた感じ、手柄のためだけに頼みに来たという印象はあまりない。多分本当に、その猿無をどうにかするために家光さんを頼ろうとしてたんじゃないかとボクは思う。
「出来るかい?」
試すような陸奥峠さんの言葉に、家綱は一瞬黙り込む。だけど、すぐに強く頷いて見せた。
「はい、受けさせてください」
今までも何度か危ない依頼もあったけど、なんだか今日は言いようのない不安感がある。今回は恐らく、猿無と戦うことになるのだろう。家綱は強いってボクは知ってるけど、何だか今日は不安に思える。
雨はやまない。よりいっそう強く、屋根と窓を叩き続けるだけだった。
陸奥峠さんが帰る頃には午後三時過ぎ。事務所に残ったボクと家綱は、何とも言えない雰囲気の中で、タバコの臭いの残った空気を吸っていた。
「……あのさ、家綱。ざ――」
「アニキのことか? そうだな……悪い、お前にはほとんど話してなかったな」
「あ、いや……うん、そうだね。気になってた」
違う、ボクはひとまず地を這うざるそば教団のことを聞きたかった。とは言えずに、そのまま家光さんの話を聞くことにする。実際家光さんのことはずっと気になっていたけど、あまり家綱が話したがらないので聞けずじまいだった話だ。
「アニキの名前は七重家光。この探偵事務所は元々アニキのやってた事務所だ」
「……家光さんって、家綱のお兄さんなの?」
「いや、血の繋がりはねえよ。七重って名前も、家綱も、アニキにもらったモンだけどな」
家綱は、何気なく窓の外を見ていた。延々と振り続ける雨を見つめて、家綱が何を思っているのかボクにはうかがい知ることが出来ない。
血は繋がっていない、名前はもらった。だったら家綱は、何者なんだろう。どこか遠くを見ているような家綱に、それを深く追求するのをボクは躊躇った。家綱のことを知りたい、もう一緒にいて長いんだから、もっと教えて欲しい。
だけど、土足で踏み込む気にはなれなかった。
「……ま、この話はもう少し時間のある時にすっか。今は先にやることがある、終わってからでも良いか?」
「それは、構わないけど……やることって? まさかもう猿無を捕まえに行くつもりなの?」
「ああ、その通りだ。幸い出現範囲は既に陸奥峠のおっさんが絞ってくれてるからな」
「おっさんって……良いの? そんな言い方」
「良いんだよ、本人に言わねえ限りはな」
そう言って悪戯っぽく笑って、家綱は今回の作戦を簡単に話し始めた。
家綱の作戦は作戦と呼ぶにはいささかお粗末なものだったけど、恐らく家綱に出来る一番早い解決手段だった。
陸奥峠さんが調べておいてくれた猿無の出現ポイントを元に、ロザリーの勘で今日の出現場所を特定。後はボクと葛葉さんが囮になって猿無を誘き寄せる……というものだ。
時刻は午後六時過ぎ、雨は全くやまず、雨雲のせいで辺りは暗い。場所は繁華街……ロザリーの勘によれば、恐らく今日の犯行はこの場所で行われる。
葛葉さんと二人、傘をさして繁華街を歩く。
「どうしたの由乃ちゃん、暗い顔して」
「いや明るく囮なんてやるわけないでしょ……って言いたいとこだけど、ちょっとまあ、色々思うところがあってさ……」
家綱が依頼を受けた今日、もう猿無を捕まえに行く、と言い出した時から何となく違和感が消えない。家綱は元々計画性のある奴じゃないし、大抵の場合行き当たりばったりだ。だから下調べや下準備をしっかりする方ではないとは思うんだけど、それにしたって今回は急過ぎる。
猿無が毎日犯行を続けている以上、一日でも早く止めたいのはわかる。ボクだってそうしたいし、陸奥峠さんだってそう思ってるハズだ。だけど、だからってこんな、ロザリーの勘に頼るようなやり方って……。
「どうしたの? お姉さんが聞いてあげようか?」
「……聞いてくれるのは嬉しいんだけど、差し出してるその手は何かな……」
「カロリーメイト」
「あ、はい」
別に渡さなくても聞いてくれるんだろうけど、とりあえずポケットに忍ばせていたカロリーメイトを箱ごと手渡す。すると葛葉さんはすぐに開封して一本目を食べ始めた。
「なんか家綱、すごく焦ってる気がしない?」
「うーん、そうかなぁ……そうかも」
曖昧にそう言いつつ、葛葉さんはカロリーメイトを咀嚼する。
「男の子って、子供扱いは嫌がるもんねぇ。久しぶりに陸奥峠さんに会って、ツナ坊って言われたのが悔しかったんじゃないかしら」
葛葉さんのその言葉に、ボクは思わずギョッとする。そういえば、家綱以外で他の人格の話をすることってあんまりない。精々纏さんが家綱に皮肉を言う時くらいで、アントンなんかは気にも留めていないようにも感じるくらいだ。だけど、家綱に他の人格でいる時の記憶がある程度あるのと同じで、葛葉さん達にも家綱が表に出ている間の記憶があってもなんら不自然ではない。
「葛葉さんは陸奥峠さんのこと知ってるの?」
「ええ、知ってるわ。よくお菓子をくれたわねぇ」
ボクが思ってるよりも良いおっちゃんなのかも知れない。
「じゃあ、家綱以外の人格のことも知ってるんだ……」
「一応、ね。全員とはあったことがないハズよ。会ったのは私と、アントン君と、晴義君と……纏ちゃんは会いたがらなかった気がするわねぇ……。後は、彼も……」
「……彼って?」
家綱の人格は家綱を含めて、ボクが知っているのは六人だけだ。だけど今の葛葉さんの口ぶりだと、まるで七人目がいるかのようだった。
ボクは葛葉さんの答えを待っていたけど、葛葉さんは何も答えない。不思議に思ってその顔を見上げると、いつになく真剣な表情で一方向を見つめていた。
「葛葉さん……?」
見れば、葛葉さんの視線の先には一人の男がいた。黒いスーツを着た中肉中背の男で、ポケットに手を突っ込んだまま若い女性の後ろにピッタリとくっついている。
「しっ……由乃ちゃん静かに」
葛葉さんは口元に人差し指を当てながら小声でそう言い、ゆっくりと男の方へ近づきつつポケットに手を入れた。
そしてそれと入れ替わりに、男がポケットから手を出す。
「――――っ!?」
その手を見て、ボクは絶句した。その指全てが、まるでメスのような刃物になっているのだ。アレではまるでティム・バートンの人造人間だ。もしあの男が猿無なら、今までの被害者はあのメスのような手で切り裂かれたのだろうか。
男がその手で女性に触れようとする……その瞬間、ボクの隣で銅色の閃光が男目掛けて走った。
「ばんっ!」
葛葉さんの投げ銭だ。あの細い指からは考えられないようなパワーで射出された十円玉が、鋭く男の手を射抜く。
「ぐッ……!?」
男は呻き声を上げると同時に、こちらへ視線を向ける。そしてボクらを視認すると、一目散にその場から逃げ出した。
「――待ちなさい!」
すぐさま男を追いかけ始めた葛葉さんの後を追い、ボクも全速力で駆けた。
男はうまく撒いたつもりで路地裏に逃げ込んだようだったけど、葛葉さんは見逃さない。路地裏の行き止まりにどうにか追い詰めて、ボクと葛葉さんは男を睨みつけた。
「あなたが猿無さんね……! 駄目じゃない、女の子にそんな鋭い手を上げちゃ!」
「……ヒヒッ、じゃあ鋭くなけりゃあ良いのかよ!」
「……両者合意の元なら……」
うん、まあ……両者合意なら……まあ……。
「って何言ってんだよ! そんな話してる場合じゃないでしょ!」
気の抜けたことを言う葛葉さんだったけど、状況くらいは把握出来ているようで、すぐにクロスチェンジャーを取り出してスーツへ着替えると、即座に家綱へと交代する。
男――猿無はそれを見て驚愕に顔を歪めたけど、すぐにその場で身構えた。
「野郎相手なら手も足もあげて良い、悪いが俺は容赦しねェぜ? 猿無!」
「悪いがお前は手も足も出ない。逆説的に俺は女の子かな?」
「言ってろクソが!」
挑発に挑発で返されたのが気に障ったのか、家綱は傘を投げ捨ててすぐに猿無の元へ駆け出す。そんな家綱の後ろ姿を、ボクは不安な気持ちのまま見つめることしか出来ない。
家綱は、強い。ボクはそう信じているけど、今日はどうしようもなく不安だ。急いては事を仕損じる……そんなことわざが、どうか今は当てはまりませんように。
しかしそんなボクの願いを嘲笑うかのように、焦る家綱の拳は、足は、猿無には当たらない。猿無は余裕たっぷりに家綱の繰り出す攻撃を全て回避していた。
「あ~~~手も足もあげてもらえない、あたし女の子になっちゃうよ~~~ん」
「ッざけやがってッ!」
力任せに突き出した右拳が、猿無にかわされる。そしてカウンター気味に、鋭い四本の指……文字通りの手刀が家綱の腹部目掛けて突き出された。
「――――家綱っ!」
「……かッ……!」
突き刺さった。
猿無の右手が、家綱の腹部に突き刺さっている。家綱が咄嗟に身をかわそうとしたおかげか刺さり方は浅く、家綱はすぐに猿無から距離を置く。
「次は金玉切り裂いて女の子にしてやろうか?」
赤い血が、濡れたアスファルトに滴り落ちる。家綱は左手で傷口を抑えながら、無理矢理不敵に笑って見せた。
「人格は代わるが生憎女の子にはいつでもなれるんでな。余計なお世話だ」
笑ってはいるけど、とてもそのまま戦えるような傷じゃない。すぐに止めに入ろうと思ったけど、家綱はすぐに猿無へ向かって行く。
「家綱! 無茶だ!」
ボクの言葉には答えないまま、家綱は再び猿無へ襲いかかる。だけど、傷のせいで動きの鈍った家綱の攻撃は、まるで猿無には通用しない。
叩きつけるような雨が、ボクの不安を煽り続ける。どれだけ雨が洗い流しても、家綱の血は止め処なく滴り続けていた。
「アニキの仕事はッ……俺が……俺がァッ!」
何度もかすっているせいか、腕や足ももう傷だらけだ。雨と血を多量に吸ったスーツが、重そうに見える。
そして再び、鮮血が舞った。
「あ、あぁ……っ!」
家綱の身体が、袈裟懸けに切り裂かれている。家綱が膝から崩れ落ちていくにつれて、ボクの視界に猿無の凶悪な笑みが飛び込んできた。
「そ、んな……!」
傘を取り落とし、思わずその場で泣き崩れそうになるボクの目の前で、倒れた家綱の頭が踏みつけられる。
「邪魔された時はどうしたもんかと思ったが……アンタのおかげで今日はいつもより楽しかったよ、満足したぜ」
「お、れが……俺が、やらねェと……」
「会話しろよッ!」
突如激昂した猿無が、家綱の頭を強く踏みつけた。
「どいつもこいつも俺のこと適当に扱いやがって! オラこっち見ろ! 俺だ、俺と話せ! 俺が声かけてんだから俺と話せよ! オラ! ぶっ殺してやろうかァ!?」
猿無が家綱を蹴り飛ばすと、家綱は無抵抗なまま転がり、壁へ勢い良くぶつかる。呻き声を上げる家綱だったけど、それでももがいて猿無の右足を強く握りしめた。
「アニキの分までッ……俺がッ……!」
そう、家綱が叫んだ瞬間、家綱の右腕がどろりと変化した。太く、力強い右腕だったけど、アントンの右腕程太くはない。
「え……?」
続いて、今度は顔が半分だけぐにゃりと変化する。ややいかつい顔立ちで、髪も半分だけ真っ赤に染まっている。
今までボクは、あんな髪色の人格は見たことがない。
――――後は、彼も……。
「オ、オオオオオオォォォッ!」
ボクの知らない、人格だ。
「……ッ!?」
家綱の突然の変化に、猿無も同様を隠せない。家綱はそのまま強引に猿無を転ばせると、その場にゆらりと立ち上がる。
「家……綱……?」
そこにいたのは、最早七重家綱ではなかった。
真っ赤な髪をオールバックに固めた、赤く鋭い目をした西欧風の顔立ちの青年。
獣のような荒々しい眼光が、起き上がろうとする猿無を捕らえて離さない。
雨が、よりいっそう強くボクの身体を打ち付けた。
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