FILE10「道化師は歌う」

 仮面をつけたままだから 息苦しいのは当然でしょう?




 張り付いた笑顔は誰の笑顔?




 仮面を被った道化師は 今日もララルラ歌って踊る




 望まぬ歌で 望まぬ踊りを 望まぬ役でラララルラ




 私も彼女もどこにもいない 仮面の顔も所詮は仮初




 彼女の仮面を被っても 彼女になれるハズもなく




 ここにいるのは一体誰?




 星川美々、「道化師は歌う」より抜粋










 くしゃりと、釈然としない顔で家綱が自分の頭を乱暴にかく。リハーサルが中止された後、ボクと纏さんは現場から追い出され、事務所に戻ってきていた。


 纏さんと交代している間のことをある程度覚えている家綱は、現場にいながら何も出来なかったのが少し悔しかったのか、交代してからはずっと顔をしかめている。


「……ねえ家綱……アイドルだって、普通の人なんだよね」


「……ああ」


 友人の遺体を見て、その場で泣き崩れていた星川さんの姿が目に焼き付いて離れない。テレビの中でどれだけキラキラしていたって、アイドルも普通の人間だ。普通に悲しんで、普通に泣く。それくらいわかっているつもりだったけど、ボクは星川さんを特別視し過ぎていたのかも知れない。


 家綱も同じことを思い出したのか、悲しそうに目を細めていた。


「由乃、写真は撮れたか?」


「写真? うん、一応追い出される前に撮ってみたけど、うまく撮れてるかわかんないな……」


 言いつつ、ボクはポケットから小型のデジタルカメラを取り出す。


「……うわ、ちょっとブレてる」


 慌てていたせいもあり、写真は若干ブレてしまっている。一応見えるには見えるんだけど、きちんど現場のことを検証するための資料としてはあまりにもお粗末だ。


「あー……ってもまあ、見えなくはねえか」


 ボクからカメラを受け取り、家綱は頭をぽりぽりとかきながら小さく息を吐く。


「ご、ごめん……」


「まあ状況が状況だったしな。俺の方こそ現場にいれなくて悪かった」


「それこそ状況が状況だったじゃない。家綱が謝ることないよ」


 それに、あの場に纏さんがいなければこの事件が”ただの殺人事件”だということはわからなかった。


 纏さんは確かにあの時、この事件に霊は関係ないと言った。幽霊なんて見えないボクにはわからないけど、纏さんの能力は多分本物だ。家綱の他の人格にそれぞれ能力があるように、纏さんには霊能力があるんだと思う。


「……何か引っかかるんだよな……」


「引っかかるって?」


 ボクがそう問うと、家綱はカメラに映った血文字のサインを指さしてボクへ見せる。


「これって、星川真美のサインだよね」


「ああ、そのハズなんだが……なんか違う気がすんだよな」


 とは言いながらも、具体的に何が違うのかはよくわからないのか、家綱はジッと写真を見つめながら小さく唸り声を上げていた。


「引っかるって言えば、星川さんの発言もなんか変じゃなかった?」


「……そこまでは”俺は”覚えてねえな……」


「あ、そっか……。星川さん、事件が起こった時にこう言ったんだよ。何でリハーサルの前にって」


 今までの事件は確かにリハーサルの前じゃなかったのかも知れないけど、でも決して全てがリハーサルの後だったわけでもない。事件によってタイミングはまちまちだったハズだ。これだとまるで、星川さんは事件の起こるタイミングを、予めある程度知っていたかのようだ。


「……そんなこと言ってたのか」


「うん……。纏さんもそれは気になってたみたい」


 でもだからと言って、星川さんが犯人だとも思えない。アリバイはあるし、流川さんについて語る星川さんや、あの時悲しんでいた姿が偽りだったとは思えない。だけど星川さんは多分、この事件の真相に繋がる何かを知っている。あえてボク達に話さなかったのは何故なのかわからないけど。


「なあ由乃、そういや纏は確かに『霊じゃない』っつったンだよな?」


「うん。纏さんは、霊的なものは何も感じなかったって……」


「だとすれば犯人は現場付近にいた、或いは――」


「超能力者、だね」


 ボクが家綱の語を継ぐと、家綱は小さく頷いて見せる。


「どうやらもう少し、星川真美について調べる必要があるらしいな」


 間違いなく、この事件は星川真美が自殺した事件と深い関わりがある。今日はひとまずもう休むことにして、ボクと家綱は明日から本格的に調査を開始することにした。










 翌日、ボク達はまず今回の一連の事件について洗い直した。普段午前中は寝てるかだらだらしている家綱も、今日は早めに起きてきて調査を開始していた。


「……全員死因が一致してやがるな」


 資料をデスクの上に広げ、家綱そう呟く。


「そうだね……。流川さんもだけど、全員首をしめられてる」


 今回の事件、星川真美の亡霊によるとされている一連の殺人事件は、家綱の言う通り全て死因が一致している。流川さん同様、全員がロープか何かで首を絞められて窒息死しているのだ。


「で、星川真美が首吊り自殺、ねぇ……」


 犯人が同一人物であると仮定するなら、明らかに犯人はロープによる絞首へこだわっている。


「やっぱり、関係あるのかな……」


「どうだろうな。そもそも星川真美の自殺は何が原因だったんだ? プレッシャーか? それとも――」


 星川真美、心労により自殺。


 当時様々な憶測が飛び交った彼女の心労の理由。家綱の言うようなプレッシャーだという話もあったし、家庭事情がどうこうみたいな話もある。だけど、調べてみた感じ当時一番噂されていたのはグループ内でのいじめ問題だった。


 あまり考えたくはないけど、今回の事件もいじめの報復だと考えれば動機にも説明がつく。でなければかつての仲間とも言えるスターズのメンバーを殺したりする理由がボクにはわからない。


「……よし」


 ふと立ち上がり、家綱は外したままデスクに放置していたソフト帽をかぶると、ドアの方へと歩いて行く。


「どこかに行くの?」


「ああ、星川さんの実家にな」










 星川美々……本名、星川美香ほしかわみか。その実家を見つけ出すのは案外簡単だった。元々星川さんも星川真美のこの町の出身だ。近所に住んでいる人間なら、星川美々=星川美香という事実を知っていてもおかしくはない。町で少し聞き込みをするだけで、簡単に星川美々の本名を知ることが出来た。本名がわかってしまえば、実家へ辿り着くのは簡単。簡単だったんだけど……。


「駄目だ……誰も出て来ない」


 何度もインターフォンを鳴らしても、家の中から誰かが出て来る気配はなかった。それどころか、家の中に誰かがいるのかどうかすら怪しいくらいで、これではまるで廃墟だ。よく見れば庭の中も荒れ果てている。


「誰も住んでない……のかな?」


 表札は確かに星川だし、家を間違えている可能性は低い。もしかするともうほとんど誰もこの家に帰っていないのかも知れない。


「かもな。親父さん辺りから話が聞けるんじゃねえかと思ったが……」


 父親についてはわからないけど、姉が他界し、妹が現役アイドルでそのマネージャーが母。となると、土日に家に残っている可能性があるのは父くらいだ。もう一人兄弟や姉妹がいる可能性もなくはないけど、もしそうなら家がこんな状態になっている、というのはあり得ない。


「……そういえば家綱、昨日の血文字のサイン見てなんか違うって言ってたよね。何か思い出せた?」


「いや、それが全然でな……。星川真美のサインは持ってたから何度も見たことあるんだが……」


「え、じゃあ今は事務所にないの?」


 ボクの問いに、家綱は一瞬目をそらした後バツが悪そうに後頭部をポリポリとかく。


「…………お前が来る前にな……。金に困って……売った……」


「はーーーーなにそれ! なんだそれ! ダメダメだな! 家綱ほんとだめ! マジでダメ人間! ダメの化身!」


「うーーーーっせえええええ! そうでもしねえと飯すら食えなかったンだよ! 当時の新台で何十万も負けてな!?」


「バーカ! 家綱バーカ! カス! パチンカス!」


「クソ……最後のパチンカスだけは否定出来ねェ……」


 とは言え過ぎたことを責めても仕方がない。家綱がどうしようもないダメなパチンカスなことはともかくとして、サインについては別の方法を考えるしかない。


「あ、あの……」


 不意に、星川家の隣の庭から、女性の声が聞こえてくる。ボクと家綱が視線を向けると、そこには茶髪の女性が立っていた。


 それを見た瞬間、家綱があ、やべ、と顔をそむける。人ン家の前でギャーギャー騒ぐ成人男性なんて不審者以外の何者でもない。女性はボク達のことを不審そうに見ていた。


「いや、あの、ボク達怪しいものじゃないんですよ! ね、家綱! 家綱!? 逃げようとしてないで名刺とか出して!?」


「お、そうだ! そうだな! 俺の名前は七重家綱、この町の頼れる探偵だ」


 慌ててポケットから名刺入れを取り出し、女性の方へ名刺を差し出す。彼女は庭の反対側から少し困ったような表情で名刺を受け取ると、しばらくボクと家綱の方をジッと見つめていた。


「美香ちゃんに……何かあったんですか?」


「……美香ちゃんって、星川美々さんのことですよね?」


 女性は静かに頷くと、そのまま口を開く。


「私は、小笠原さやかです。美香ちゃんの……星川美々の、幼馴染です」


「星川さんの?」


 家綱の問いに、小笠原さんは静かに頷いた。


「私で良ければ、調査に協力しますけど……」


 小笠原さんの言葉に、ボクと家綱は顔を見合わせて驚いた。






 ボク達は、小笠原家の客間に通された。和室の客間で、ボクと家綱は小笠原さんと向かい合うようにして机を挟んで座布団に座った。広さは六畳くらいで、掛け軸の傍にはサインの描かれた色紙が置かれている。


 小笠原さんの母親が用意してくれた緑茶を飲みつつ、ボクと家綱は今回の事件の詳細を語った。


「美沙は……幽霊になったって、そんなことしません」


 キッパリと言い切り、小笠原さんは不愉快そうに表情を歪める。


「ああ、俺もそういう印象は全くねえ。星川さん……あー、美々さんの方もそう言い切ってたしな」


 家に入る時に帽子を外したため、剥き出しになっている頭をポリポリとかきつつ、家綱はそう言った。


「幽霊かどうかはひとまず置いとくとしても、動機が判然としねえんだよな……」


 小さく嘆息してから、家綱は少し申し訳無さそうな表情で語を継ぐ。


「あんまり話したくないかも知れねえが、知ってるなら教えてくれねえか? 二年前の……星川真美の自殺、その心労の理由を」


 小笠原さんはしばらく気まずそうに家綱から目をそらしていたけど、やがて諦めたようにわかりました、と呟く。


「星川真美には……美沙には、スターズのメンバーを殺す動機が、ないわけじゃないんです。彼女は……美沙は、スターズのメンバーから嫌がらせを受けていましたから」


 やっぱり、と言いかけた口を、ボクは慌てて閉じる。


「美沙は……星川真美は天才と呼んで差し支えない程に、歌が上手かったんです。それは勿論、99%の努力と1%の才能だとは思いますけど、星川真美に才能があったのは確かなんです」


「ああ。デビュー当時は天才天才って騒がれてたな」


 懐かしげな表情を浮かべ、家綱はうんうんと頷いた。


「才能を見抜いた美沙のお母さんは、幼い時から美沙をレッスンに通わせたりして、徹底的に歌手として教育し始めたんです。妹の美香ちゃんのことはほとんど放置とも言える状態で、美沙だけを溺愛しているように私には見えましたし、美香ちゃんもたまに私のところに来ては、そのことについて愚痴ってましたし……」


 当時の美香ちゃんのことを思い出したのか、小笠原さんは少し悲しそうな表情を浮かべた。


 自分を差し置いて溺愛され続ける姉。放置されていた妹、星川さんがどんな心境だったのかは、ボクには想像しにくかった。しかしそれでも、星川さんの心はきっと荒んでいたように思う。ボクにもそんな妹がいたから。


 今は、関係のない話なのだけれど。


「由乃……?」


 ボクが思わず昔のことを思い出しそうになっていると、少し心配そうに家綱が顔を覗き込んでくる。


「あ、いや何でもない……。すいません小笠原さん、続き、話してください」


 小笠原さんはすぐに頷くと、話の続きを始めた。


「歌手として、アイドルとしてデビューした星川真美は一躍有名になって、スターズのリーダーにまでなりました。当時の星川真美の人気はもう凄まじい勢いで、スターズの他のメンバーがないがしろにされているとも言える勢いでした……」


「……スターズで集まってンのに取り上げられるのはいつも星川真美だったな」


「そのせいで、星川真美はスターズのメンバーから煙たがられるようになり、嫌がらせを受けるようになったんです」


 人間である以上、ステージの裏でまでキラキラ出来るわけじゃない。自分達がないがしろにされたまま一人だけが持て囃されれば当然腹も立つし嫉妬もする。嫌がらせを選んだことは間違っているとは思うけど、人間が持ってしまう感情としては当たり前なのかも知れない。


「嫌がらせと言っても、聞こえるように陰口を叩く程度で、表沙汰にならなようにいじめていたみたいです。それに美沙は、誰にも心配させまいと、懸命に隠してましたから……。だけど、美沙が弱音を吐かないからってどんどんエスカレートしてたみたいで……」


 そこまで言って、小笠原さんはうつむいてしまった。


「それで、真美さんは幼馴染のあなたにだけ、話したんですね?」


 ボクが確認するようにそう問うと、小笠原さんはコクリと頷く。


「心労により自殺って……やっぱ嫌がらせによるストレスだったか……」


「それも大きいですけど、周囲からの期待もプレッシャーになってたみたいで……」


 それで星川真美トップアイドルは自殺。スターズのメンバーは、まんまと計画通りに星川真美をスターズから追い出すことに成功した……。彼女達が自殺まで望んでいたとは、思いたくないけれど。


「なるほどな……。『星川真美』がスターズのメンバーを殺す動機は十分にある……」


 呟く家綱をよそに、ボクは掛け軸の傍に置かれているサイン色紙に視線を向けた。


「あの……アレって星川真美のサインですよね。見せてもらっても良いですか?」


 ボクの言葉に、小笠原さんは静かに頷くと、立ち上がってサイン色紙を取ってくると、机の上へ丁寧に置いた。


「おお、そうだそうだサインだ」


 思い出したようにそう言って、家綱はポケットからデジカメを取り出し、血文字のサインを表示する。


「……どう?」


 目を凝らして写真とサインを見比べる家綱に聞いてみると、小さな唸り声が返ってくる。


「なんだろうな……微妙に違うとは思うんだが……」


「美沙の字って癖があって……ローマ字の『i』が他の字より下に突き出るんです。後、気付きにくいですけど……」


 そう言いつつ、小笠原さんはサインの「M」の部分を指差した。


「『M』だけ少し角が丸まってるんです」


 言われてみると、確かにサインの方は「M」の文字だけ角が少し丸まっている。


「……なるほど、違和感があったのはそこか。血文字の方はほら、丸まってねえんだよな。些細な違いだとは思うが」


 そう言いながら家綱がデジカメを小笠原さんに見せると、小笠原さんはあ、と小さく声を上げる。


「本当ですね……。でも、よくこんなのわかりましたね……」


「……ま、一応探偵なんでな」


 得意げなのがムカつくけど、一応つっこまないでおいてやるか……。


「いやあしかし助かったぜ。サインの現物がなくて困ってたンだよ」


 そう言って家綱がニカッと笑うと、小笠原さんはキョトンと首をかしげて見せる。


「……あの、言いにくいんですけど、そういうのってネットの画像検索で見れます……よね?」


「…………まあ、うん……そうだな」


 一応探偵七重家綱、同じく気づかなかったボクと一緒に閉口する。






 その日の夜、事務所に戻ってから家綱はデスクでずっと考え込んでいた。話しかけても生返事で、家綱にしては珍しく真剣な表情のままずっと考え込んでいる。


 小笠原さんの話を聞いて、わかったことは多い。でもそれらは、サインの癖字の違いを除けば、犯人が星川真美であることを裏付ける証拠ばかりだったように思えた。


 でもあのサインの癖字の違いが気になるし、何より纏さんは霊の仕業じゃないと断言していた。それに……


 ――――美沙は……幽霊になったって、そんなことしません。


 小笠原さんの話を聞いた限りだと、ボクも星川真美が復讐でかつてのチームメイトを殺すような人物には思えなかった。


 となると、スターズのメンバーに恨みのある誰かが巧妙に犯人を星川真美に仕立て上げようとしているんじゃないかと思えてくる。


「でも、どうやって……」


 思わずボクがそう呟くと、それと同時に家綱がテレビをつける。今まで静寂に包まれていた事務所の中が、一気にテレビの音で賑やかになった。


「家綱?」


 さっきまで考え事をしていたのにどうしたんだろう。そう思って問いかけると、家綱は少し疲れたような表情でボクの方を向く。


「いや、ちっと考えるのに疲れてな。気晴らしだ、うるさかったら消すぜ」


「あ、ううん気にしないで。ちょっと静か過ぎて落ち着かないくらいだったし」


 もう時刻は午後八時過ぎ。やっているのは歌番組で、今週のオリコンチャートが発表されている。


「今回の件、やっぱり幽霊ってことはないと思うんだけど……」


「ああ、それは俺も同意見だ。纏の奴はムカつくが本物だしな。アイツが霊じゃねーっつーんならそうなんだろうよ」


 となるとやっぱり、家綱も犯人はスターズに恨みを持つ誰かだと考えているのだろう。


「でも星川真美の指紋が残ってたんだよね。それって変装とかでどうにかなるものなのかな」


「……幽霊に指紋ってのもおかしな話だな。超能力かなんかで変身でも――」


 言いかけたところで、突然家綱がテレビ画面を見つめて硬直する。テレビの中では、オリコン一位の星川真美が最新のシングルを歌っている所だ。


「……どうしたの?」


 家綱は返事もしないまま立ち上がると、すぐに脱いでいた上着を着込み始める。


「え、ちょっとどっか行くの!? こんな時間に!?」


「ああ、ちょっとな」


 そう答えて、家綱はデスクの引き出しからカロリーメイトを取り出すと、ボクに放って寄越す。よくわからないままそれを受け取って、ボクは怪訝そうに家綱を見つめる。


「それ食って待ってろ、すぐ戻る」


「だからどこに行くんだよ!」


「――――星川美々のシングル。『八つ裂き鴉と狂い鳥』……そいつを買ってくる」


 ……え、そんな気に入ったの?


 ポカンとしたまま、事務所を出る家綱の背中を見つめた後、ボクはとりあえずもらったカロリーメイトを食べた。


 良いよね、チーズ味。










 家綱が突然星川さんのCDを買いに行った翌日、家綱は星川さんと春香さんを突然事務所に呼びつけた。


 当然無理を言って来てもらう形になったので、春香さんは相当不機嫌そうな様子でしきりに腕時計を確認しながら家綱を睨んでいる。


「悪いけど、あなた達のように暇な探偵さんと違って私達はスケジュールが詰まってるのよ。さっさとすませてもらえないかしらね」


 そんな春香さんの隣では、星川さんが申し訳なさそうな表情で縮こまってしまっている。


「まあ落ち着いてくれ。そう時間は取らせねえよ」


 軽い調子でなだめようとしたのが余計気に障ったのか、春香さんは一層眉間にシワを寄せている。


 机を挟んで、二人と向かい合うようにしてボクと家綱はソファに座る。そして家綱は机の上で両手を組みつつ、落ち着いた調子で口を開いた。


「今回の……いや、星川真美の亡霊によってスターズのメンバーが殺される事件。その犯人は、星川真美の亡霊なんかじゃねえ」


「当然よ。誰かが真美のフリをしているんだわ……気に入らない」


「そうかい。まあ、そうだろうな」


 そう答えて微笑した後、家綱は星川さんへ目を向ける。


「アンタの最新曲、流してもらえねえか? うちのCDプレイヤーでも良いんだが調子が悪くてな」


「はぁ? 何を言ってるのよ! そんなことに何の意味があるのよ!」


 とうとう激昂し始めた春香さんだったけど、それとは裏腹に星川さんは目を丸くしていた。


「お願い出来るか?」


 家綱のその言葉に、星川さんは一瞬考え込むような表情を見せたけど、やがて何かに気づいたかのように瞼をピクリと動かしてから、静かにうなずいた。


 星川さんが携帯を操作すると、携帯のスピーカーから「八つ裂き鴉と狂い鳥」が流れ始める。


 どこか暗い調子の、静かなイントロダクション。前奏だけでどこか物悲しい雰囲気が事務所の中に漂い始めた。


「それで? この曲が何だって言うのよ、勿体ぶってないで教えなさいよ!」


「事件の真相は、全てこの曲の中に込められている」


 そう言って家綱は、昨日買ったCDから歌詞カードを取り出し、机の上に広げる。


 細く儚い、すがるような歌声で、星川美々が詩を紡ぎ始めた。






 巣から小鳥が落っこちた




 落ちた小鳥はついばまれ 哀れからすの腹の中




 狂った親鳥それを見て 鴉の胃袋引き裂いた




 無残に鴉は引き裂かれ 狂った親鳥それ見て鳴いた




 裂いて裂いて引き裂いて 狂った親鳥それ見て鳴いた




 裂かれた鴉の残骸に 残った小鳥はそれ見て泣いた




 狂った親鳥鳴き叫ぶ 次に裂くのはどの鴉?






「巣から落ちた小鳥は星川真美。それをついばんだ鴉は――」


「スターズ……」


 思わずそう呟いてしまったボクに、家綱はああ、と短く答える。


「小鳥を殺された親鳥……狂い鳥は、スターズを八つ裂きにする。それを見ている残った小鳥……星川美々は泣いている……そうだな?」


 家綱の問いに、星川さんはどこか躊躇いがちに小さく頷いた。


「…………」


 春香さんは、何も言わない。今まで家綱に一々噛み付いていた口は、すっかり閉じられたままになっている。平静を装おうとしているのがボクにもわかるくらい、動揺している。


 それを見抜いた家綱が、鋭い視線を春香さんへ向けた。


「聡明なアンタならもうわかってんじゃないのか?」


 まるで挑発するかのような家綱の口調に、春香さんは憎々しそうに家綱を睨みつける。




「狂った親鳥……星川春香、アンタが犯人だ」




 狂い鳥――星川春香を指差して、家綱はそう言い放った。


「こ、こじつけよ! そんな無茶苦茶な解釈で、犯人扱いだなんてたまったものじゃないわ!」


「そうかい? じゃあ作詞者に……自分の娘さんに聞いてみるんだな」


 春香さんが星川さんに視線を向けると、星川さんはジッと春香さんを見つめている。そう家綱の言う通り、この曲の作詞者は星川美々本人だ。ある時期を境に、彼女は自分の楽曲の作詞をほぼ全て自分で行っている。


「星川さん。アンタは最初っから母親が犯人だって知っていた……。だから歌詞に書いたんだろ? 自分じゃ止められなくて、誰かに母親を止めてほしかった……そうだろ? 見ているだけしか出来ない小鳥の、精一杯のSOSだ」


 家綱の言葉に、星川さんは静かに頷いた。


「こんなこじつけで犯人扱いなんて! もっとちゃんとした証拠を――」


 春香さんが言い終わるより先に、ボクは自分のデスクから、小笠原さんに借りたサイン色紙とデジカメを取り出してソファへ戻り、机の上に静かに置いた。


「このサインは星川真美さんのサインなんですけど、このサインとこの写真の血文字のサイン、微妙に違うところがあるんです」


 そう言ってボクは、色紙の「M」の部分を指差す。


「ここ、丸まってますよね? 血文字のサインだと、確かここは丸まっていなかったんですよ。『i』の部分が他の文字より下に突き出ているのは同じだったんですけどね」


「元のサインを真似ようとしてボロが出た……そうだろ? 亡霊・・さん」


 亡霊の部分を強調し、家綱はニヤリと笑みを浮かべた。その挑発的な態度に、春香さんは図星とつかれたとも取れる程の怒りを顕にする。


「だったら……だったら筆跡鑑定でもしなさいよ! それに、現場では美沙の姿が目撃されて――」


「お母さん、もうやめよう。こんなこと」


 怒鳴る春香さんを制止するように、星川さんはそう言う。


「……探偵さん、母を……母を止めてください」


「美香……っ! やっぱりアンタは出来損ないね……! 秘密一つ守れないなんて……」


 春香さんが失言に気付いて表情を変えるのと、家綱が勝ち誇った笑みを浮かべるのはほぼ同時だった。


「しっかり聞かせてもらったぜ……。やっぱアンタが犯人だな」


「……っ!」


 しまった、といった様子で春香さんが表情を歪めても、時既に遅し。ボクも家綱も、決定的な言葉を聞いてしまっていた。


「溺愛していた娘が殺され、アンタは復讐を企てた……星川さんをデビューさせて、スターズに入れ、アンタは復讐のチャンスを掴んだんだ」


 動機は十分だな、と家綱は付け足すと、腕を組んで春香さんを見つめた。


「さて、図星をつかれたアンタが自供に近い発言をしちゃくれねえかとカマかけてたわけだが……ここまでの話は推測の域を出ない。亡霊のトリックは残念ながら何一つ解明しちゃいねえんだからな」


 家綱はまるで全てを看破したかのように語っては見せたが、どれもあくまで推測の域を出ていない。春香さんの言う通り、まだ“こじつけ”なのだ。


 歌詞の中にメッセージが込められていると推理した家綱は、自分の推測を語ることで春香さんが取り乱すことと、恐らく最初から全てを知っていたであろう星川さんの反応に全てを賭けていた。


「ふざけないで……! そんな賭けに私はハメられたっていうの!?」


「ま、そういうこった。悪いな、胸張って言えることじゃねえがギャンブラーなもんでな」


 まったく本当に、とんでもない博打だ。春香さんも星川さんも、家綱が期待した通りのリアクションをしたからこそ良かったものの、もし春香さんにポーカーフェイスを貫かれ、星川さんが頑なに秘密を守り続けていれば大恥をかいた挙げ句起訴されることだってアリ得た。


 正直かなりひやひやさせられたけど、それ程分の悪い賭けだったとは思えない。


「星川さん、事件が起こった時に言ってたんです。『何でリハーサルの前に』って。星川さんは知らされていたんだと思うんです、流川さんが殺されるタイミングを」


「アンタに付け込むような真似してしまなかった……。だがアンタが歌詞に込めたメッセージは、すがるような願いは……きちっと俺達に届いたぜ」


 星川さんがボク達に依頼したのは、母を――春香さんを止めてもらうためだ。家綱は歌詞の意味に気づいた時点でそれがわかったから、何よりも星川さんの反応に賭けたんだ。


「……亡霊のトリックは……私の超能力よ」


「……そうかい。超能力だろうなとは思ったが、まさかアンタ自身とはな」


「美沙の仇は私が、私自身の手で打ちたかった……。ただそれだけの話よ」


 進退窮まってついに腹をくくったのか、春香さんは先程までとは打って変わって落ち着き払った様子で言葉を続ける。


「美香をアイドルにしたのは当然そのため。美沙と違って才能のない美香を育てるのは大変だったわ」


 その瞬間、ボクの頭に一気に血が上る。隣で愕然とする星川さんを見ていられず、気がつけばボクは机を勢いよく叩いてしまっていた。


「何だよそれ……! 星川さんがどんな気持ちだったかなんて考えてないのかよ! いつもお姉さんと比べられて、殺人の片棒なんか担がされて、星川さんは――――っ!」


「由乃、やめろ」


 だけどそんなボクを、家綱は落ち着いた様子で制止する。


「何でだよ! 家綱はムカつかないの!? あんな言い方って……!」


 家綱は言葉では何も答えない。だけど、家綱の視線の先には肩を震わせてうつむく春香さんの姿があった。


「本当に……大変、だったのよ……」


 その言葉の中に、どれだけの感情が込められているのか、ボクにはほんの少ししかわからない。けれども、そのかすれた嗚咽混じりの声は、ボクの直情的な感情を抑えるには十分な力を持っていた。


 小さなすすり泣きだけが、事務所の中を満たしていく。


 事件はこれで終わりだ。そう思ってボクが小さく息を吐くと、家綱は不意に立ち上がってポケットからクロスチェンジャーを取り出して操作し始めた。


「さて、仕上げだな」


「えっ……」


 ボクが戸惑いの声を上げたのと同時に、家綱の身体がドロリと変化する。そのまま数秒と経たない内に、家綱は巫女装束姿の纏さんへと姿を変えていた。


「……纏さん?」


「……まあ、仕方ないわね」


 突然現れてそんな風に呟く纏さんを見つめ、星川親子は唖然としている。だけど、そんな彼女らを意に介さぬ様子で、纏さんは星川真美のサイン色紙を手に取ると、静かに目を閉じた。


「降ろすわよ」


「降ろすって……まさか――」


 降霊術。纏さんが霊能者たる所以は、その降霊術にある。死者の魂を呼び戻し、その身に降ろすことでコンタクトを取る纏さんの能力だ。サイン色紙を手に取ったのは、星川真美を降ろすための触媒として利用するためだろう。


「由乃ちゃん、少し静かにしていてね」


 纏さんがそう告げてから数秒後、彼女からほのかな光が溢れ始める。幻想的なその姿に、ボクも星川親子も目を離せない。


 それからどのくらい時間が経ったのだろうか。まるで時間が止まったんじゃないかと勘違いする静寂がしばらく続いた後――静かに、星川美沙は目を開けた。


「お母さん……」


 纏さんの雰囲気が変わっているのが、なんとなくわかる。見た目はどう見ても纏さんだったけど、普段の纏さんの持つ鋭い感じはもう一切感じられない。


「お母さんって……私は、貴女なんて……」


 纏さん――もとい真美さんはその言葉には答えず、春香さんの胸ポケットへ手を伸ばし、ボールペンと手帳を取り出して手帳の空きページを開くと、ボールペンでさらさらと何かを書き始めた。


「お姉ちゃんの字……」


 手帳を見つめ、驚いた様子で星川さんはそう呟く。


 手帳に書かれたサイン。それは紛れもなく星川真美の文字だった。サイン色紙に描かれているサインと、全く同じ筆跡の。


「美沙……? 本当にあなたなの……?」


 春香さんの問いに、真美さんは静かに頷く。


「五歳の時、お母さんの婚約指輪をなくしちゃって、ごめんなさい」


「――――っ!」


 きっとそれは、春香さんと真美さんしか知らなかったことなのだろう。今の一言で、半信半疑だった春香さんも信じたのか、次第にその双眸を潤ませ始める。


「お母さんも美香も、置いて行っちゃってごめんね」


「そんなっ……そんなこと……私こそ、お姉ちゃんに何も……してあげられなくて……っ」


 目にいっぱいの涙を溜め込んだ星川さんへ歩み寄り、真美さんはそっと抱きしめる。そのまま何度もごめんね、と繰り返す真美さんを見つめている内に、気がつけば春香さんもその目から大粒の涙を流し始めていた。


「それと、お母さん……ありがとう。もう、良いよ。お母さんはもう、私のためにいっぱい辛い思いしたから、もういいんだよ」


 苦しまなくて。


 もう、この家族にこれ以上の言葉は必要なかった。三人は互いに寄り添い合い、この一瞬、この時だけ感じられる互いの温もりにだけ浸り続ける。


 本来、もう二度と交わることのない母と娘、姉と妹の、最後の抱擁だった。


「美香、お母さんをよろしくね」


「うんっ……任せて……お姉ちゃんっ……」


 星川さんがそう言ったのを確認すると、真美さんは少しだけ寂しそうに微笑んで――意識を失う。


 そしてその場には、意識を失った纏さんと、何も言えずに黙り込んでいるボク、そして――まるで子供のように泣き続ける、親子の姿があった。










 あの後、星川春香は自首。共犯者として星川さんも逮捕されるかと思ったけど――なんと、春香さんは逮捕される際、星川さんは関係ないと言い張ったらしいのだ。事件は全て、復讐に狂った親鳥の犯行とされ、それを見ていた小鳥はというと――――




「あぁ……やっぱかわいいなおい……」


「そうだねぇ……。ちょっと前に生で会ってたなんて信じられないよ」


 テレビを見ながらどこかうっとりと呟く家綱に、ボクもそう言って同意する。画面の中では、一人の華やかなアイドルが、力強く溌剌としたダンスと歌声を披露していた。


 星川美々。ソロ活動も絶好調。


「雰囲気変わったなぁ……」


「ああ、前のも悪くねえがこういう元気な方が性に合ってンだろうな、ほんとは」


 今の星川美々は、もう星川真美の模造品じゃない。前に、改めて星川さんがお礼に来た時に言っていた言葉だ。


 星川真美のような静かな曲よりも、家綱の言っていた通り元気で明るい曲の方が星川さんには向いていたらしく、新曲を歌う彼女の姿は前よりも活き活きして見えた。


 ――――お母さんに、これが私なんだって、見せ付けてやるんです!


 そんな言葉を思い出しつつ、テレビの傍に飾られた――星川美々直筆サイン入りのCDを眺めて、ボク達は微笑んだ。


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