FILE9「八つ裂き鴉と狂い鳥」

 巣から小鳥が落っこちた




 落ちた小鳥はついばまれ 哀れからすの腹の中




 狂った親鳥それを見て 鴉の胃袋引き裂いた




 無残に鴉は引き裂かれ 狂った親鳥それ見て鳴いた




 裂いて裂いて引き裂いて 狂った親鳥それ見て鳴いた




 裂かれた鴉の残骸に 残った小鳥はそれ見て泣いた




 狂った親鳥鳴き叫ぶ 次に裂くのはどの鴉?






 星川美々、「八つ裂き鴉と狂い鳥」より抜粋










「いやあそれにしても……やっぱかわいいな、星川美々ほしかわみみ


 今テレビに映っているのは、最近人気の出ている歌手、星川美々だ。背が高くすらっとしていて、色白で金髪の似合う日本人離れした女性である。


 ……そう、テレビ。テレビである。なんと、ボクらの事務所についにテレビが来た。


 貧乏探偵七重家綱の事務所には、テレビもなければパソコンもない。あるのは精々固定電話と動かしすぎるとガコガコ音が鳴るそろそろヤバいエアコンくらいなもので、おまけに本人も助手も携帯を持っていないという酷い貧困ぶりだった。しかし前回の依頼でいつもと比べるとかなり高い依頼料が支払われたおかげで、ついにテレビを買う余裕が生まれたのである。正直パソコンと迷ったんだけど、生活費にもあてないといけないし、ネットに繋げるなら回線の工事や月々の料金のこともあるので結局テレビに落ち着いた。安くて小さい中古のテレビだけど、今までこの建物のどこにもなかった代物だ。


 まあはしゃいだよ、ボクも家綱も。


 家綱なんかギリギリまで競馬やパチンコに行きたがっていた癖に、いざテレビが来たとなると大はしゃぎで設置し始めたから思わず笑ってしまった。


 こうして、依頼人の来ない時間は家綱と一緒に事務所でのんびりテレビが見られるようになった。


「でも星川美々って、ソロじゃなかったよね?」


 ボクの問いに、家綱はコクリと頷く。


 星川美々は今でこそソロで歌っているけど、前はとあるアイドルユニット(名前忘れた)の一人だった。当時はもっと元気な感じの曲を歌っていたけど、ソロ活動をして最初に歌った曲、「八つ裂き鴉と狂い鳥」を始めとして、しんみりとした曲というか……暗いというか、とにかくアイドルユニット時代とは全く違う雰囲気の曲を歌うようになっている。当初はそのギャップに随分と驚かれていたけど、こうして改めて彼女個人の姿を見ているとこっちの方が似合う気もしてくる。


「俺は前の元気な感じも結構好きだったけどなぁ」


「あれ、そうなんだ? ボクはてっきり最近の美々ちゃんが好きなんだと思ってたよ」


「いや、こっちはこっちで良いとは思うけどな。ただなんか……最近の歌は”素”じゃねえ気がしてな」


「うーん、そうかなぁ……」


 正直に言うと、ボクは今までの星川さんを知識でしか知らないから何とも言えない。そういえば見せてもらったことはないけど、昔も知ってるってことは家綱って結構CDとか買ってたのかも知れない。


「あ、もしかして昔のCDとか持ってるの? 良かったら聞かせてよ」


「ん? ああ、そりゃ良いが俺のじゃねえんだよな……」


「借り物?」


 ボクの問いに家綱が答えにくそうにしていると、不意に事務所のドアがノックされる。


「わり、その話は後でな」


 そう答えてから、家綱はドアに向かってどうぞーと声をかける。すると、ガチャリとドアが開いて、サングラスと帽子を被った女性が事務所へ入ってきた。


「ようこそ、七重探偵事務所へ。俺はここの探偵の――」


 家綱が言葉を言い切るよりも、彼女が帽子とサングラスを外す動作の方が早かった。露わになった彼女の顔に、家綱はポカンと口を開けたまま彼女の顔を凝視する。かくいうボクも、さらさらと流れる彼女の美しい金髪に目を奪われていた。


「え、嘘……あ、あなたは……」


 唖然とするボクと家綱に、彼女は交互に笑みを向けた。


「星川美々です」


 人気アイドル星川美々が、七重探偵事務所を訪れた。












 人気アイドル、星川美々。彼女がこの七重探偵事務所を訪れた理由はこうだった。


「私のお姉ちゃんが、他のアイドルを殺す事件を解決してほしいんです」


 勿論ボクも家綱も聞いた瞬間目を丸くした。テレビの中で優雅に歌っていた歌姫の口から身内の起こした殺人事件を解決してくれ、だなんて飛び出すとは思ってもいなかったし、何より彼女の姉、星川真美は――――


北斗七美ほくとななみ、何者かに殺害される……またしても星川真美ほしかわまみの亡霊か……?」


 星川さんがバッグから取り出したゴシップ記事の見出しを音読し、家綱は怪訝そうな表情を見せた。


 そう、星川真美は既に亡くなっている。それは大体二年くらい前のことだっただろうか、詳しいことはボクも知らないけど、確か心労を理由に自殺しているハズだ。


「星川真美ってあの……『甘いワナ』の星川真美……だよな。姉妹だつーのはまあ聞いてたが」


 家綱の言葉に、星川さんははい、と短く答える。


「……家綱がアイドルのこと知ってるってちょっと意外だな……」


 てっきり頭の中はギャンブルのことばかりで、人の名前よりも馬の名前に詳しいんだと思ってたけど、案外他の娯楽にも興味があるのかも知れない。昔はギャンブルにお金突っ込まないでCDとか買ってたのかな……。


「ああ、それはアニキがな……。いや、今は良い。それより詳しく聞かせてくれ」


 アニキ? そう問おうとしたけど、家綱はそれを遮るように星川さんに話を続けるように促した。


 星川さんの話によると、これまでに殺害されたのは北斗七美も含めて三人。聞くところによると、全員星川さんが前に属していたアイドルユニット「スターズ」のメンバーだった。殺害された彼女達の遺体の傍には、必ず血文字で星川真美のサインが残されている上に、彼女達が殺害される前、必ず星川真美の目撃証言があるらしい。


「亡霊、ねぇ……。愉快犯の類か、亡霊になすりつけようとしているスターズに恨みのある誰かってとこだろうな」


「ええ、私もそうじゃないかと思うんです。だって、姉はこんなことをする人間じゃないんです。例え恨みがあったとしても、誰かを……ましてやかつての仲間を殺すなんてこと、あるハズがないんです」


 キッパリと言い切って、星川さんは言葉を続けた。


「なのに、警察がどれだけ調べても、出てくるのは犯人がお姉ちゃんだってことを裏付ける証拠ばかりで……。それで、貴方達に頼もうと思ったんです」


 聞けば、付着している指紋や現場に残されていた毛髪等も星川真美のものと一致するようなのだ。


「……あの、素朴な疑問なんですけど、何でボク達に?」


「罷波町にきてから、あなた達の噂を聞いたんです。何でも、超能力関係の事件を最近立て続けに解決してるって……。だから、今回のことももしかしたらって」


 全部最近の活躍だそれ……。


「もしかして気づいていないんですか? 最近、七重探偵事務所はこの町では少し有名みたいですよ。久々に会った友人から聞いたんです」


「……そいつぁ光栄だが……」


「ま、全く気づかなかったよね……」


 これまで如何にショボい依頼ばかり受けていたのかを思い知らされた。多分薬野さんの件で軽く知名度が上がって、それから続けて大きめの依頼が来るようになったんだろうけど……。


「あの、それで……受けていただけますか?」


 星川さんの言葉に、家綱は少しだけ考え込むような表情を見せたけど、やがてコクリと頷いて見せた。


「ありがとうございます!」


 不意にパッと表情を明るくした星川さんに、ボクも家綱も思わず目を奪われてしまう。テレビでも、さっきまでのやり取りでも落ち着いた感じの星川さんがこういう表情を見せるのは少し珍しい。こんなかわいらしい顔もするのかと思うとこのまま本当にファンになってしまいそうだ。


「……っと、そういや、何でこの町に?」


「私も、元々罷波町出身なんです。それで、企画で地元の罷波町で元スターズのメンバーの天子ちゃん……流川天子ながれかわあまこさんと合同ライブをすることになったんです」


 そんな企画が進んでいる中、元スターズのメンバーが殺され続けているのはさぞ不安だっただろう。こんな事件が続いているならいっそのこと中止にしてしまった方が良いんじゃないかとも思ったけど、多分そうもいかないのが芸能界の事情なんだろうけど。


「星川さん、一応聞いておくんだが犯人に心当たりは?」


「それは……」


 家綱が真剣な表情でそう問うと、星川さんは何か言いたそうな表情を見せたけど、すぐにキュッと唇を結ぶ。


「いえ……ないです」


「……なら、ひとまず一から調べねえとな」


 そう答えつつ、家綱が星川さんを意味深に見つめていると、不意に星川さんのバッグから着信音が鳴り響く。


「あ、ごめんなさい。電話です」


 星川さんは慌ててバッグから携帯を取り出すとすぐに事務所の外へ出て行った。そしてドアの前でしばらく話した後、すぐに事務所の中へと戻ってくる。


「すいません。お母……じゃない、マネージャーからです。スケジュールが迫ってるから、早く帰って来いって……。あの、明日はライブのリハーサルなんで、来てもらえますか?」


「わかった。詳しい時間を教えといてくれ」


 家綱がそう答えると、星川さんはありがとうございます、と礼を言い、明日の午前九時くらいに迎えに来ると伝えてから、やや慌ただしい様子で事務所を去っていった。


「「……ふぅ」」


 星川さんが出て行った後、奇しくもボクらは同時に息を吐く。そのまま何とも言えない沈黙が部屋全体に広がっていき、やがて部屋いっぱいになったかな、と言ったところで家綱が大きく口を開いた。


「メチャクチャ緊張したあああ! 普通来るかよおい! うちの事務所にアイドルがよお!」


「だよねええええ! ボクもメッチャ緊張した! 何あれ綺麗過ぎるでしょ! っていうか家綱何でタメ口!? 敬語! 敬語は!?」


「いや俺も思ったけどさあああ!? 普段そんな使わねえのにここで急に年下相手に敬語になんのも変だろうがよおおおおお!?」


 二人共ハイだった。










 星川さんの依頼を受けた翌日、ボクはリハーサルが見れることにちょっと舞い上がってしまい、早起きして事務所で待っていた。それが大体午前七時くらいのことだったんだけど、ソファでのんびりしてると何だか眠くなってきてついつい横になってしまい、そのまま眠ること一時間とちょっとくらい。


「……はい?」


 目を開けると、上から美女がボクに覆いかぶさっていた。


 きっちりと切り揃えられた長い黒髪が、ボクの頬をくすぐる。釣り気味の瞳はどこかとろんとしていて、赤いアイラインもあいまってどこか艶めかしい。彼女はゆっくりとボクへ顔を近づけながら、そっと両手でボクの頬に触れる。


「……おはよう」


「お、お、おはよう……ござい、ます……?」


 挨拶している場合じゃないんだけどおはようにはおはようと返さざるを得ない。


「こんなに赤くなっちゃって……かわいい……」


「ちょっ……ちょっと……! 顔が……近いんです、けど」


「近づけてるのよ」


 鼻と鼻が触れ合う寸前まで顔を近づけ、彼女は妖艶に微笑む。彼女はボクの右手を左手で掴むと、そっと自分の胸元へ押し当てた。柔らかな感触と共に伝わるのは、とくんと蠢く彼女の鼓動だ。


「私も貴女と同じ。こんなにドキドキしてるの」


 薄らと頬を赤く染め、彼女は優しく微笑む。そう言えば似たようなことを前に晴義が言っていた気がして急にアイツの顔がちらつき始める。


 腹立つなアイツ。


「いや、あの、ほら……ボクはその……そういう趣味はないというか……?」


「それじゃあ、こんなにドキドキしている私の気持ち、責任を取ってくれないの……?」


「そ、それは……」


「勝手な女でごめんなさいね。あなたの寝顔に、寝息に、その華奢な体躯に、あどけない顔立ちに、細い手足に将来性のある胸」


 将来性のある胸。


「小顔でいてそれでいて柔らかみのあるその頬に、その誘蛾灯のように私を引き込む唇に、私は勝手にドキドキしている……それで責任を取って頂戴だなんて、迷惑な話ね……」


「……仰る通りで……」


「けれど、だったら私はどうすれば良い? このまま視線を、胸を、手を、唇を、時を、重ねてしまいたい衝動はどこへ向ければ良いと思う?」


「えーっと……どうしましょうかね? ボクとしては……あ、これ返答聞いてないやつだ! 待って! 待ってまといさん!」


 彼女はもう最初からボクの返答なんか待ってない。このままどさくさに紛れてあれやこれやとするつもりだったのだ。なんとか引き離したいけど突き飛ばすのもどうかと困り果てたまま迫り来る薄紅色のルージュを回避しようとしていると、突如ドアがノックされる。


「――――誰!?」


 ドアを開いた状態のまま星川さんが呆然としていた。


「あ、ごめんなさい。お邪魔しましたー!」


 ドアを開き、ソファの上で巫女装束の女性に押し倒されているボクを見、律儀にも昨日の約束通り来てくれた星川さんは、凄まじいスピードでドアを閉じた。


「ちょ、ちょっと待って下さい! これには訳がー!」


 どうしてこんなことになっているのか、星川さんに説明しないといけないボクも知りたかった。






 家綱の人格の内の一人である彼女――まといさんはレズビアンである。如何にも大和撫子、と言った印象を受ける艶やかな黒いロングヘアが特徴で毛先は全てきっちりと切りそろえられている。彼女は常に和服を身に着けており、大抵の場合が白衣びゃくえに緋袴の巫女装束スタイルだ。大和撫子然とした彼女には和装がピッタリで、凛とした佇まい(さっきのことはひとまず忘れる)にはつい見惚れてしまいそうになる時もある。


 何故彼女が今日姿を現したのか。それは、彼女には霊能力があるからだ。


「霊能力者さん……ですか」


 少し戸惑い気味にそう言いつつ、星川さんは纏さんを見つめる。霊能力者、という点で戸惑っているのか、それとも先程見た光景に戸惑っているのか、或いはその両方か。


 ちなみに纏さんは何故か隣で満足げに微笑んでいた。


「はい。恐らく霊の仕業ではないだろう、という話でしたけど、一応確認しておいた方が良いかと思いまして……」


「……なるほど。それはわかりましたが、七重さんはどちらに?」


「……あの男の話はしないで頂戴」


 今まで静かに微笑んでいた纏さんが急にピシャリとそう言い放ち、驚いた星川さんが目を丸くする。


「あ、いや、あのですね! 家綱と纏さんは犬猿の仲でして……。きょ、今日はボクが纏さんに頼み込んで来てもらったんですが、家綱には会いたくないと言い始めまして……!」


 中々苦しい言い訳だった。


 出来れば友枝さんの時のように説明出来れば良いんだけど、纏さんは自分と家綱が同一人物であることをとにかく認めたがらない。


「あんなだらしなくておちゃらけた頭の悪そうなお馬鹿、いるだけ無駄よ。この事務所は由乃ちゃんだけで十分だわ」


 それはそれで非常に困るというか結構難しいんだけど。


「えぇ……。そんな風には見えませんでしたが……。困りましたね、当の探偵本人が不在というのは……」


 不在どころか超目の前にいるんだけどな……。纏さんに後で何されるかわからないけど、ここは諦めて家綱と纏さんについて説明してしまった方が良いかも知れない。


「とにかく、あの愚図は必要ないわ。どうせ競馬とパチンコだけが生きがいのくだらない――」


 と、言いかけた瞬間、突如纏さんの身体がずるりと崩れる。すぐに星川さんから隠そうとしたものの、もう既に星川さんはぐにゃぐにゃと変化する纏さんの姿をその両目にとらえてしまっている。


 程なくして変化が終わり、巫女装束を窮屈そうに着込んだパッと見変態探偵、七重家綱が姿を現した。


「だァれがだらしなくておちゃらけた頭の悪そうな競馬とパチンコだけが生きがいの愚図だコラァ!」


「あの、家綱……?」


「ンだよ!?」


「とりあえず着替えてもらって良いかな……」


 一瞬家綱ははぁ? とでも言いそうな顔を見せたが、ウエストやら何やらかなり窮屈なことに気がついたらしく、自分の身体を見下ろして情けない声を上げた。


「あ……」


 ……さて、一から説明するか。






 家綱の能力のこと、そして纏さんのことを何とか星川さんに説明し、納得してもらうことに成功した。毎回毎回、家綱の能力は説明するのが億劫で仕方がない。


 星川さんの手配した車に乗せられ、ボクと纏さんが連れてこられたのは、星川さんと流川さんが合同ライブをやるライブ会場だった。


 そしてボク達は、星川さんの楽屋にいる。


「美々……。昨日どこに行っていたかと思えば、こんな怪しい連中を連れ込んで……! 芸能人としての自覚はあるの!?」


「でも、この人達は探偵で……」


 楽屋のテーブルで、星川さんの正面で怒鳴っているのはマネージャーであり星川さんの母、春香さんだ。


 ライブ会場へ向かう前、結局家綱は纏さんと交代させられてしまっており、ボクの隣では纏さんがボクの方をジッと見ている。もっと別のことに集中して欲しい。


「……あなたねぇ……こんなコスプレ紛いの格好した女と子供を探偵だなんてどうかしてるんじゃないの!?」


 悔しいけど何も反論出来ない。こういう時外面だけはまともに取り繕える家綱だとなんとかなるから出来れば再交代して欲しくなかったというのが本音だ。


 コスプレ紛いと言われたのが気に障ったのか、ボクしか見てなかった纏さんがムッとした表情を春香さんに向ける。


「何? その態度は」


 纏さんの視線に気づいたらしく、春香さんは表情をしかめた。


「別に、何でもないわ。ただ、私達はそちらの星川さんから正式に依頼されているのだから、“部外者”のあなたが何を言おうと関係ないわね」


 あえて部外者、という言葉を強調する纏さんを、春香さんはギロリと睨む。あまりにも剣呑な雰囲気に、ボクは慌てて仲裁に入ろうとしたけど、先に口を開いたのは星川さんだった。


「ご、ごめんなさいお母さん! 私、事件のことがどうしても気になって……」


 星川さんがそう言うと、春香さんはわざとらしく深い溜息吐いてみせる。


「あなた、まだ事件のことを気にしているの? アレは警察に任せておけば良いのよ。余計なことに首を突っ込まないで、あなたは仕事に集中なさい」


「……ごめんなさい」


「まったく……真美ならこんな苦労はしなくてすんだのに」


 ボソリと、呟くように春香さんが言葉を付け足す。それを聞いた途端、星川さんが一瞬だけ泣き出しそうな表情を見せる。星川さんはそれを堪えるようにして視線を一度下にそらしてから、もう一度ごめんなさい、と呟いた。


「……そんな言い方って……!」


 思わずボクはそんなことを口にしていたけど、春香さんの表情を見てすぐに口をつぐむ。眼鏡の向こうで、彼女の瞳が悲しげに揺れているのがわかったからだ。


 それから数秒、居心地の悪い沈黙が訪れたけど、やがて春香さんは眼鏡の位置を右指で直しながら沈黙を破る。


「リハーサル開始まで後十五分だから、しっかりと用意しておきなさい。いつものように、本番と同じ気持ちでやるのよ」


 星川さんがはい、と短く答えたのを確認すると、春香さんは楽屋を出て行った。


「ごめんなさい、母が……」


「ああいえ、気にしないで下さい! 普通に考えたら、ボク達って怪しいですし……」


 高校生くらいの助手と、巫女装束の探偵。まあそりゃ怪しまれるよね、という感じだしボクが春香さんでも怪しいと感じたと思う。


「……真美、というのはあなたのお姉さんのことよね?」


 不意に、黙っていた纏さんが口を開いた。


「はい、星川真美は私の姉のことです」


「どういう関係だったの?」


「どうって……仲は、良かったと思います。私、お姉ちゃんに憧れて、アイドルになろうって思ったから」


 星川さんがそう答えた途端、纏さんは薄っすらと笑みを浮かべる。


「良い姉妹関係だったのね」


「はい……ありがとう、ございます……?」


「けれど、母親との仲はあまり良いようには見えなかったわね」


 纏さんのかなり突っ込んだ言葉に、星川さんは少しだけ言い淀む。さっきのやり取りのことを考えると、出来れば避けておきたい話題だとは思うんだけど、事件と何か関わりがあるかも知れない。こんな風にハッキリとストレートに聞くところが何とも纏さんらしいと感じた。


「……母にとって、私はお姉ちゃんの代用品だから……」


 悲しそうに目を伏せて、星川さんは細い声でそう言う。


 なんて声をかければ良いのか、ボクにはわからない。一緒に悲しむことも、春香さんについて怒ることも、そんなことないだなんて口走るのも、全部上っ面な気がしてしまう。纏さんもバツが悪そうな表情で黙ったまま、星川さんを見つめていた。


「……でも、天子あまこが支えてくれたんです」


「天子さんって……流川さんのことですか?」


 ボクがそう問うと、星川さんは小さく頷いて見せる。


「お姉ちゃんが亡くなってからデビューして、スターズに入って……最初はうまくやっていけないと思ってたんだけど、天子ちゃんが仲良くしてくれたから、私はここまでこれたんだと思うんです」


 そんな風に、星川さんは流川さんのことを語り始めた。心細かった星川さんをどれだけ流川さんがサポートしてくれたか、馴染めなかった星川さんを流川さんが一生懸命馴染ませようと手伝ってくれたこととか、そして星川さんが流川さんにどれだけ感謝しているのか。天子さんのことを話している内に星川さんも表情が明るくなり、重かった雰囲気もかなりマシになった。


「あれ、もうこんな時間ですね……」


 しばらく流川さんについて語った後、腕時計を確認し、星川さんはそんなことを呟く。


「リハーサルまで後五分くらいですよね? そろそろ行きます?」


「そうですね」


 と、星川さんが頷いた――瞬間だった。


「星川さん! 大変です! 流川さんが……ッ!」


 勢いよく楽屋のドアが開き、スタッフの一人と思しき男性が声を張り上げる。


「嘘! 何でリハーサルの前に……っ!」


 その違和感のある星川さんの一言を、ボクも纏さんも聞き逃さない。思わず互いに顔を見合わせたけど、それについて言及する間もなく、星川さんは楽屋を飛び出して行った。


「行くわよ」


 纏さんの言葉に小さく頷き、先に走りだした纏さんの後ろをついていく。流川さんの楽屋はすぐ近くにあったため、すぐに現場に辿り着いた。


「――――っ!」


 流川さんの楽屋のドアを開いて、最初に目に入ったのは横たわる流川さんの姿だった。苦悶の表情を浮かべたまま、流川さんはピクリとも動かずに倒れている。彼女の首にはロープが巻きつけられており、死因が窒息死であることは火を見るよりも明らかだった。刃物で切り裂かれたのか、右手首からは止めどなく血が流れ続けている。


 そして真っ白な壁に血で描かれる、星川真美のサイン。その血が流川さんの血であることは、容易に想像出来た。殺すだけなら首を絞めるだけで十分なハズなのに、あえて手首を切ったのはこのためなのだろうか。


「……そんな……」


 そう呟き、星川さんはその場に泣き崩れる。ついさっきまで天子さんについて誇らしそうに語っていたばかりだったのに、この仕打ちはあんまりだ。


「――――そうだ! 纏さん、霊は……?」


 ハッと思い出してそう問うと、纏さんは静かにかぶりを振る。


「霊の気配なんて微塵も感じない。これは……」


 遺体へ視線を向け、次にサインへ視線を向け、最後に星川さんを見――――


「亡霊なんて関係ない、生身の人間が起こした殺人事件よ」


 纏さんは静かに、そう言った。


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