FILE2「探偵はBARで出る」

「なあ、頼むよ勘弁してくれ……。いくらだ? いくらで許してくれる?」


「そうねぇ。いくらは沢山食べたいわねぇ」


「クソ! 駄目だ会話にならねえ!」


 三人の内二人はあのまま放置し、一人だけをとらえてボクらはアジトを吐かせて案内させることにした。一応スタンガンを後ろから突きつけた状態で、ボクらは男を先頭に歩いていく。


 そのまま歩くこと十数分、男は「小波さざなみ」と書かれたバーの前で立ち止まった。どうやらここがアジトらしい。すごく小さな店で、開店してるのか閉店中なのかも一目ではわからないような状態で、本当に人が出入りしているのかも怪しい。


「なあ、もうこれで良いだろ?」


「どうする?」


「お腹空いたねぇ」


 葛葉さんボクとは会話してよ……。


「一応証拠も持ってきてくれると警察に届ける時早いんだけど」


「冗談じゃねえよ! このサイコスタンガン!」


「さ、サイコスタンガン……!?」


 じ、地味にショックなあだ名をつけられてしまった……。


 ボクがそうしてショックを受けていると、不意にドアが開く。


 中から出て来たのは、細身の男だった。髪は長く、肩にかかる程で、前髪は真ん中で分けられている。


苅谷かりやさん!」


 苅谷、と呼ばれた男は小さく頷いた後、とてつもなく不快感を顕にした。


「そうはなんねェだろ。クソか?」


「こ、こいつら頭がおかしいんスよ! 殺される!」


「殺さないよ! アジトの場所が知りたかっただけだよ!」


 苅谷は深くため息をつくと、めんどくさそうに舌打ちして見せる。


「ガキと女にとっ捕まるようなカスは勝手に殺されとけよめんどくせえな」


 そうこうしている内に、小波の中から二人の男が出てくる。


「どうしたんスか!」


 まずい、増援だ。苅谷という男が出てきただけでもまずかったのに、この状態だと逃げる難易度が跳ね上がってしまう。


「……はぁ。ったくメディスンもいねえ時に何やらかしてくれてんだ。オラ捕まえろ」


 苅谷が顎で指示を出した瞬間、二人の男がボクへ襲いかかる。それを見て事態を察した葛葉さんがすぐに動こうとしたけど、ボクのスタンガンが離れて動けるようになった男が葛葉さんを遮った。


 ボクには一応武道の心得とスタンガンがある。素人相手なら簡単にはやられない。二人を相手取って何とか応戦するボクだったけど、その背後にいつの間にか迫っていた苅谷にまでは対応出来なかった。


「めんどくせえなぁ、何でガキの相手してんだ、俺ら」


 後ろから羽交い締めにされてしまい、もがいても腕力の差で押さえつけられてしまう。


「くっ……!」


「あー動くな動くなめんどくせえ。乳臭えな」


「ハァ!? 何だよそれ! ほんとにしたのか!? お乳の臭いしたのかよ!」


「めんどくせえな何でそこにキレんだよ!」


「しないよ絶対しない! ボク牛乳飲んでないもん今日!」


「あーーーー悪かった悪かった! 乳臭くねえそれで――」


 よし、時間稼ぎはもう十分だ。苅谷も気づいたのか、ボクの前方を見て驚いている。


「葛葉さんっ!」


 葛葉さんを遮っていた男は、葛葉さんの足元に倒れ伏している。そして葛葉さんは苅谷を真っ直ぐに見据えて右腕を伸ばしていた。親指には十円玉、弾丸はもうセットされている。


 葛葉さんの十八番――――投げ銭だ。


「ばんっ」


 葛葉さんのちょっとおどけた一言とは裏腹に、親指の力で射出された十円玉の威力は決して低くない。見事に苅谷の眉間を打ち抜き、ボクを捕らえていた腕を緩ませた。


 すぐに振りほどいてボクは葛葉さんの元へと駆け寄る。やっぱりこの人はなんだかんだで頼りになる。


「ありがとう葛葉さん!」


「見た? 見た? 後でご飯くれる?」


 とりあえずポケットのカロリーメイトで手打ちにして欲しい。


 しかし、そんな悠長なことを考えていられるのは今の内だけだった。次の瞬間、ボクの身体が葛葉さんと密着し、何か見えない力に締め付けられて動けなくなる。まるで見えない何かに二人まとめて握りしめられているみたいだった。


「――――っ!」


「あーーーーめんどくせえ! クソかよ!」


 苅谷は、左手で眉間を抑えながらボクらの方へ右手を突き出している。苅谷が右手に力を込めると、ボク達を締め付ける力は強くなる。


「お前……超能力者かっ!」


「めんどくせえな、だから何だよ」


 この世には、超能力が存在する。ごく稀に、先天的に特異な能力を持って生れてくる人間がいる――それが超能力者。数年前まではトリックだのインチキだのと蔑まれてきた彼らだけど、ついにそれは科学的に存在が証明された。世間は手の平を返すように超能力の研究を始め、自身の能力を隠していた人達も続々と名乗りを上げた。今となっては、学校の一クラスに数人は能力者がいる程度にはありふれている。


 どうやらその一人が、この苅谷だったらしい。


「さて……クソみてえにめんどくせえが、大人しくしててもらうぞ」


 ボク達二人は、一人の能力者の力に完敗した。






 あの後、苅谷達の手によって、ボクと葛葉さんはロープで縛られてバーの中へ連れ込まれた。手も足もキツく縛られているため、もぞもぞと芋虫のように這って動くのが限界だろう。這って逃げようにも、苅谷達に監視されていて逃げ出すことなんて出来ない。


 見回した感じ、店内は普通のバー……といった様子だった。カウンターがあり、その周りに椅子が並べられている。カウンター席以外にも席はあったが、机の数は三つ程で、あまり数は多くない。机には一台ごとに、透き通ったガラス製の灰皿が置かれている。店としてはすごく小規模で、思ったよりも狭く見えた。


「さて、コイツらどうします?」


 部下の一人が苅谷へ問うと、苅谷は小さく溜息を吐いた。


るのもまずいし、めんどくせえ。このまま監禁して捜索願を出されるのは更にめんどくせえな。俺らの足がついちまう……。ただでさえ、最近サツが嗅ぎまわってるってのによ」


 テメエらのせいだぞ、と苅谷が睨むと、二人の男はすいません、と蚊の鳴くような声で謝る。


「でも殺るか監禁かなら、殺るッスよね?」


 部下が静かにそう言うと、苅谷はコクリと頷いた。


「……まあ良い。めんどくせえがメディスンに判断してもらおう」


「……メディスン?」


 メディスン……薬?


 ボクが怪訝そうに表情を歪めたのを見、苅谷は静かに嘆息する。


「余計な口を聞くな、殺すぞ」


「……黙っててもどうせ殺すんだろ!」


「……まあ、そうだな。だが」


 次の瞬間、ボクの口が見えない力で封じられる。


「静かにしとけ。その綺麗な口を怪我したくなかったらな」


「由乃ちゃんっ!」


 この苅谷という男、能力は念動力か何かだろう。さっきみたいな力技よりも、こういう細かいコントロールの方が恐ろしい。こいつ、能力をかなり使い慣れている。


「でも苅谷さん、メディスンはもう一週間近く顔も出してませんぜ? 待ってる暇ないんじゃねえッスか?」


「確かにな……ったくあの女、俺のことを全く信用しちゃいねえ」


 そう言った後、苅谷は縛られたまま床に横たわっているボク達の傍へ歩み寄り、身を屈めた。


「めんどくせえがまあ希望くらいは聞いてやる。死に方はどうする?」


 そう言って、苅谷はナイフを取り出して葛葉さんへ向けた。


「……おいしい物をひたすら食べ続けて胃を破裂させて死にたいわ」


 ビックリする程真剣な表情だった。


「……カロリーメイトで良いか?」


「うん。良い」


 良いのかよ。


 カロリーメイト好きに悪い人はいないっていうのは嘘だったのか……。苅谷とは、違う会い方をしていれば友達になれたかも知れない。カロリーメイトに関しては。


 それはさておき、この状況は非常にまずい。縛られたままのボクと葛葉さんじゃ、苅谷達に対抗出来ない。


「さて、カロリーメイトか。ちょっと待ってろ。カロリーメイトは良い、俺は特にメープルが好きだ」


「私チーズ!」


 ボクはプレーンかなぁ。


「悪いな、メープルかチョコだ」


「じゃあ両方」


 何でちょっと和気藹々としてるんだよ。部下の二人困ってるじゃん。アイツら日に二回も葛葉さんに困らされてるよ……。


 これ意外とこのままこのノリで解放してくれたりしないかな、とは思ったけど、それは期待するにはちょっと不確定過ぎる。何か方法はないかと考え込んでいると、後ろの方でチリチリと何かが焦げているような音がする。それを聞いた瞬間、ボクはハッとなった。


 そうだ、パイロキネシス! 葛葉さんも能力者で、少しだけ炎を操ることが出来る。さっき男の袖に火がついたのもこの能力のおかげだ。


 ボクは焦って気づきもしなかったけど、葛葉さんは多分、ずっと小さな火でロープを焼き切ろうとしてたんだ。それに葛葉さんの火は手だけから出るわけじゃない。一緒にストッキングが焼けて足も少し火傷しているみたいだけど、足のロープももう切れる寸前だ。


「よし、二箱全部食って良い。食ってから死ね」


 苅谷がそう言ったのとほぼ同時に、葛葉さんの手足を縛っていたロープが焼き切れる。そして葛葉さんはすぐさま立ち上がってニコリと笑って見せた。


「あ、そろそろいけるみたい!」


「テメエ……!」


 気づいた苅谷と部下達が襲いかかろうとした瞬間、葛葉さんの身体がどろりと溶けるようにして変化する。その場にいたボク以外の全員が驚愕の眼差しで葛葉さん――否、葛葉さんだったものを見つめる。細かった手足は太く逞しくなり、身体全体が一回り膨れ上がる。長かった髪がその場で抜けるように千切れ、なめらかだった髪質が固くごわごわした、黒く短い癖っ毛に変わる。


「何だ……?」


 訝しげに呟いた苅谷の目の前にいたのは、もう葛葉さんどころか女性ですらなかった。


「よぅ由乃。大丈夫か?」




 そこにいたのは、七重家綱だった。




「遅過ぎるよアホ! もっと早く出てきてよ」


「あァ!? 仕方ねえだろ! 一回代わったら時間かかんだよ!」


 ピチピチでキツそうな葛葉さんの服のまま、家綱は悪態を吐いてから苅谷に目を向ける。


「お前……何だ? さっきの女はどうした?」


「一つずつ答えてやる。まずは――」


「テメエエエ!」


 状況に理解が追いつかないのか、半狂乱気味になった部下が家綱に殴り掛かる。家綱はそれを素早くかわして、カウンター気味に裏拳を顔面に叩き込む。


「俺の名は七重家綱……この町の、頼れる名探偵だ」


 かっこつけて名乗りを上げる家綱に、今度はもう一人が襲いかかったけど、錯乱したテレフォンパンチでは家綱を捕らえられない。同じようにカウンターを喰らって打ちのめされた。


 かわす度にスカートが揺れて足元だけちょっとセクシーなのが癇に障るなぁ。ストッキングが焼けてる部分はごついけど。


「そしてもう一つ! さっきの女、葛葉はなぁ……」


 続けざまに襲い掛かってきた部下の腹部に鉄拳を叩き込み、瞬く間に家綱は喋りながら三人の部下を撃破して見せた。


「あいつは、えっと……あー……帰った!」


 しまらなかった。


「おいそれより由乃! 助けてやるからすぐにアレ出せ」


 家綱はそう言ってボクへ駆け寄ると、すぐにボクを縛っているロープを解く。


「ほらほらさっさと出せコラ。いつまで俺に女装させとく気だ」


「おい……めんどくせえな、ふざけてんじゃねえぞ!」


 ギロリと家綱を睨みつけ、苅谷は右手をかざす。アイツが念動力を使う時の動作だ。


 苅谷は家綱に向けて念動力を飛ばしているんだろうけど、どういうわけか家綱は全く意に介さないままボクを急かした。


「はーやーく! はーやーく!」


「わかったわかった! これでしょ?」


 そう言ってボクがポケットから取り出したのは、携帯型の端末だった。家綱はそれを素早く受け取ると、すぐに画面をタッチして操作し始めた。


「よし、これでオッケー」


 カチッとボタンを押すと同時に、家綱の服がパリッとした黒いスーツとソフト帽に切り替わる。もうこれでスカートが揺れてセクシーになる心配もない。


「待て! どういうことだ!」


「ああ、お前クロスチェンジャー知らねえのか。まあ、まだ一般流通もしてねえから無理もねえか」


 そう。家綱が今使った機械は「クロスチェンジャー」どういう仕組みかは忘れたけど、機械に登録した服装へ、ボタン一つで瞬時に着替えられる便利アイテムだ。家綱の言う通り、まだ一般流通してない試作品で、そもそも赤字探偵の家綱が持っていること事態おかしな話なのだ。とは言え、苅谷が聞きたいのはそんなことじゃない。


「何で能力が効かねえ……!?」


「そっちか。そっちは俺も知らねえが……ま、そういう体質なんだろ」


 どういうわけか、家綱には一切の超能力が通用しない。決して相手の能力を無力化したり出来るわけじゃないけど、とにかく家綱自身には全く影響を及ぼさない。“能力が効かない”のが“彼の能力”だ。


 そして家綱は多重人格者だ。それも、人格と一緒に身体まで変わってしまうという超特殊体質。葛葉さんはその人格の内の一人だ。身体は変わっても服まで変わるわけじゃないから、こういう時にクロスチェンジャーが重要になるわけだけど。


 超能力の効かない超能力者(他の人格の時は効くけど)。普段はだらしないアホ探偵の家綱だけど、能力者のスペックとしては多分、ボクが知る限りでは最高クラスな上に最も特殊だ。


「さて……好き放題してくれたみてえだな。苅谷さんよォ」


「めんどくせえ……めんどくせえなクソが!」


 激昂すると同時に、苅谷は店内にある灰皿を二つ程浮かせる。家綱自身には効果がなくても、物をぶつけるなら話は別だ。


「由乃、ちょっとどいてろ。っつか机の下に隠れてろ」


「……りょーかい」


 家綱の言葉に従い、ボクは戦闘に巻き込まれないように机の下へ避難した。これで苅谷の能力で飛んできた物を防げるだろう。


「さあ、行くぜ」


 苅谷の飛ばしてくる灰皿を回避して、家綱は素早く苅谷へと接近する。店内全ての灰皿や椅子等を飛ばさなかったのは、恐らく苅谷の能力の限界だろう。一度に動かせるのは最大二つまでのようだ。


 苅谷は焦った様子で、今度はカウンターの後ろにあるワインの瓶を飛ばした。しかしたった二つくらいなら、家綱は全て回避出来る。苅谷は特殊な軌道で動かすことまでは出来ないのか、どれも直線的だった。


「危ねえな、おい! ワイン勿体ねえじゃねえかコラ!」


 そう怒鳴りつけつつ、家綱は素早く苅谷へと駆ける。


 諦めて苅谷は肉弾戦をするつもりになったのか、家綱を迎え撃たんとして身構える。しかし格闘戦では家綱の方が上手だったようで、苅谷の繰り出す拳と蹴りは家綱にはかすりもしない。


「どうしたどうした!? 全然当たらねえな!」


「煽ってんじゃねーよ!」


 家綱はしばらく弄ぶようにして苅谷の攻撃を避けた後、すぐに苅谷との距離を詰める。しかしその瞬間、背後から灰皿が家綱に襲いかかる。


「家綱! 後ろだ!」


 ボクの声にハッとなり、家綱は背後から飛んでくる灰皿を蹴り飛ばす。しかしその灰皿に気を取られている間に、苅谷は一気に駆け出してバーの入り口へと逃げていく。


「――っておい待てコラ!」


「うるせえクソかよ! チート野郎の相手は俺の仕事じゃねえんだよ! 割に合わねえっつの、あばよ!」


 それだけ言い残してバーを出て行った苅谷を慌てて追いかける家綱とボクだったけど、バーを出た頃にはもう苅谷の姿は見えなくなっていた。


「……クソ、逃げやがったか」


「仕事って言ってたけど、お金で雇われてただけなのかな」


「……多分な。まあ、俺らの仕事も用心棒の能力者の相手じゃねえ、か……」


 悔しそうではあったけど、自分に言い聞かせるようにそう呟いて、家綱はバーの入り口へ目を向ける。中ではあんな戦闘があったというのに、外の喧騒は何も変わりがない。あんに人が多くてチカチカする場所に逃げ込まれたら、見つけ出すのは至難の業だ。


「しょうがねえ、ひとまず通報だ。アジト自体は見つけたわけだしな」


「……うん」


 苅谷を逃してしまったことは少し悔しいけど、家綱の言う通りまずは薬野さんの


依頼を完遂することの方が先だ。


 ボクと家綱は苅谷の部下達を縛ってから店内の電話機で警察に通報した。警察がバーの中を調べた所、ドンドン決定的な証拠が発見され、すぐに部下や関係者達は逮捕され、リーダーであるメディスンと逃げた苅谷の捜索が始まった。


 リーダーまで見つけることは出来なかったけど、組織自体は壊滅状態だろう。依頼自体は成功……とボクは思ってたけど……


「まだ終わってねえ」


 事務所への帰り道、家綱は店内で拾った小さなピアスをボクに見せながらそう言った。










「……報酬の入金は済ませたハズですが?」


 家綱は報酬の入金とお礼の手紙が来た翌日、薬野さんを事務所へ呼んだ。彼女はかなり困惑した様子ではあったものの、事務所まで来てくれた。


「薬野さん、左耳……見せてもらえます?」


 家綱に言われるがままに、薬野さんは顔を傾けて左耳を見せる。前と同じように、こちら側にだけピアスが付いている。


「そのピアス……ほら」


 家綱がポケットから取り出したのは、薬野さんが左耳に付けているピアスと同じものだ。薬野さんはそれを見て息を呑む。


「それ……私のピアス……」


「やっぱり、薬野さんのピアスでしたか……どこにあったかわかります?」


 家綱の問いには答えず、薬野さんは真顔のまま家綱の持っているピアスを見つめる。


「これ、組織のアジトで見つけたんですよ」


「――っ!?」


 薬野さんの表情が崩れる。その瞬間を見、家綱は不敵に笑みをこぼした。


「失せ物が見つかって良かったな、薬野さん……いや、メディスンさんよォ」


「メディスン……? 何を言っているのかわかりませんが……」


「そうかい」


 クスクスと家綱は笑うと、そのまま言葉を続ける。


「アンタ依頼する時言ったよな? 『きっとどこかのバーにでもいると思いますよ』って。アンタ、何で組織のアジトがバーだって知ってたんだ?」


 家綱の問いにしばらく口ごもったが、やがて薬野さんは勘よ、と答えてから顔をしかめて見せた。


「あんなの、軽い冗談に決まってるじゃないですか。一体何が言いたいんです?」


「じゃあもう一つ聞かせてもらうぜ? アンタは依頼の時、『警察は既に捜査を始めている』って言ったな。だが――組織の連中を突き出す時に聞いてみたら、組織の捜査についてはまだ公表していないって話だったぜ? っつーことは捜査について知ってるのは、警察か警察に知り合いがいる奴か――」


 一息吐いて、家綱は真っ直ぐに薬野さんを見据えた。


「捜査されている側である組織の奴らだ」


「それが何だって言うの……!? 私が、組織の人間だとでも言いたいの!?」


「ああ、その通りだ」


 ゆっくりと。家綱は薬野さんを右の人差し指で指差す。




「麻薬密売組織のリーダー、メディスンは……アンタだ」




 家綱の射抜くような視線が、薬野メディスンを貫いた。


「アンタのやったことについては部下が全部ゲロってくれたぜ……? 独自のルートで海外から麻薬を取り寄せ、それを部下に高額で売りさばかせる。それで得た収入でアンタと部下はがっぽり稼いでたってわけだな……しかし、だ」


 一度言葉を区切ってから、家綱は語を継ぐ。薬野さんは黙ったまま、ただ家綱の話を聞いていた。


「どっかで足がついたんだろーな。アンタの組織について警察は捜査を始めた……。こっからは俺の推測なんだが、ヤバいと思ったアンタはある名案を思い付いたんだ。組織の被害者のフリをして俺に依頼をし、自分のスケープゴートとして組織を警察に突き出すって作戦だ。なるほど理にかなってるなぁ……、アンタが直接通報するより、俺に依頼して片付けさせた方がアンタは安全だもんなぁ?」


「……変だな、とは思ったんです。だって薬野さん、場所や合言葉まで、詳しく知り過ぎてる気がして……。あそこまでわかってて、本当に警察に話してたなら、ボク達に依頼しなくても警察だけで捕まえられると思いませんか?」


 いくら調べたにしたって、あそこまでわかるのは麻薬を買っている人間や組織の内部の人間くらいだと思う。もしそうじゃなかったとしても、あそこまでわかってたら警察だけで十分だ。


 ボクと家綱の話を聞いて、薬野さんはしばらく黙り込んでいた。だけど諦めたのか、自嘲気味に笑みをこぼす。


「……ただのアホとガキだと思ってたけど、そうじゃなかったみたいね。詰めが甘かったわ」


「ま、これでも一応探偵だからな」


「推理は全部正解。大したものだわ」


 ゆっくりと薬野さんは立ち上がると、突如として高笑いを始めた。甲高い彼女の笑い声が、事務所中に響き渡る。そんな薬野さんの様子を、家綱は黙って見つめていた。


「そうよ! 私がメディスンよ! 麻薬密売組織のリーダー、メディスン! 麻薬を取り寄せたのも、部下に売らせたのも、能力者である苅谷を雇ったのも私よ!」


「既に通報は済ませてある……。事務所の前でパトカーがお待ちかねだ」


 家綱の言葉に、薬野は嘆息する。


「でも貴方に話したこと、別に全部嘘ってわけじゃないわ……。麻薬中毒になって死んだ夫がいたのは本当」


「え……じゃあ、何で……?」


 ついつい口を挟んで問いかけてしまったボクへ視線を向けると、薬野さんは自嘲するような笑みを浮かべた。


「不公平じゃないっ! 私だけが、私の夫だけがこんな目に遭うなんて不公平じゃないの! この悲しみが! この憎しみが! 貴方達にわかる!? わからないでしょう……!? だからバラまいてやったのよ……同じ目に遭わせるためにねぇ! そう、これは言わば復讐! 復讐なのよ……っ!」


「それじゃ――」


 ボクが言うより先に、家綱が勢いよく机を右手で叩いた。その音と、普段の姿からは想像も出来ないような家綱の剣幕に、ボクも薬野さんも一時的に動きを止める。


「アンタがやったことは……復讐でも何でもねえ……。アンタと同じ悲しみを味わう被害者を、意味もなく増やしただけだ……! 正当化すんじゃねえよ」


 怒気の込められた家綱の言葉に、薬野さんは何も言い返そうとしなかった。










 結局、今回の事件は組織のリーダーであり、依頼者でもある薬野光子の逮捕……という形で幕を降ろした。連行される際の薬野は、家綱の言葉が効いているのか放心状態で、一切の抵抗をせずに連行されていった。後でわかったことだけど、薬野は組織の元のリーダーを見つけ出し、肉体関係を持って接近してから殺害していたらしい。彼女が背負った罪は麻薬の密売と殺人……重い罰を受けることになるだろう。




「これでしばらくはお金の心配いらないね、家綱」


 数日後、ボクは自分で書いた事件の記録を読み返しながらそう家綱に声をかけた。


 元々薬野から受け取った報酬金はかなりの額だったし、今回の件で知名度も上がるだろう。これで家綱さえしっかりしてくれれば、もしかするとテレビくらいは買えるかも知れない。


 だけどちょっとご機嫌なボクと違って、家綱は少し気まずそうな顔で目をそらす。


「何? どうかしたの?」


「いや、どうもしねえ。ちょっと風に当たってくるわ」


 ボクの目を見ようとせずにそう答え、家綱は立ち上がるとドアへ歩み寄り、事務所を出ようとドアノブに手をかける。ガチャリと音がして、ドアが開こうとした――その時だった。


 ハラリと。家綱のポケットから数枚の紙切れが落ちる。


「…………」


「…………」


 何も言わずに硬直する家綱の傍へ早歩きで近寄り、足元に落ちた紙切れの内一枚を拾い上げ、そこに書かれた変なカタカナの羅列に目を向ける。ナマクビマクレガー……たまに家綱が新聞を読みながら叫んでいる――


 馬の名前だ。


「……よし、風に当たってくる……」


 静かに事務所を出ようとした家綱の肩を、ボクは後ろからガッシリと掴んだ。


「これ、何?」


「………………夢のチケット」


「馬券だろ」


「夢のチケット」


「馬券か」


「ドリームチケット」


「馬券だな。それも当たらなかった」


「てへ☆」


「……てへ☆じゃなぁぁぁぁぁい!」


 この男、呆れたことにこの間入金された報酬金をあろうことか競馬に使っていたのだ。慌てて通帳を見れば(いつもボクが管理しているのにいつの間にか家綱のデスクにおいてあった)、報酬金は半分にまで減っている。グッと拳を握りしめ、ボクは内からこみ上げてくる怒りでわなわなと震えた。


「いや、何かいけそうな気がしてさぁ……はは。そんじゃ」


 家綱はしばらくボクの様子を見つめた後、そんなことを言い残してから猛スピードで事務所を飛び出した。


「あ、こら待て! アホー!」


 そんな家綱の後を、急いでボクは追いかけるのだった。


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