七重探偵事務所の事件簿

おしく

FILE1「七重探偵事務所」

 けたたましく、アラームは鳴り響いていた。


 部屋の中央に設置されていたカプセルは破壊されており、その前には一人の男が一糸まとわぬ姿で立っている。


 濡れた髪から水滴を垂らしつつ、男はやや困惑した表情で周囲を見回した。


 男の周囲にいるのは白衣を身に纏った研究員達だ。呆然と佇む男を取り囲み、研究員達は固唾を呑んで見守っている。


 陰気な部屋だ、と男は思った。電球はどこか薄暗く、湿気が酷い。向こうにあるデスクには、書類の他にも瓶や缶が転がっている。こちらを見ている研究員達は誰もが目を見張っていたが、その目元には隈がある。


 今目覚めたばかりのこの男だったが、瓶や缶、書類、電球等と言ったものが知識として理解出来る。見たこともないのに知っているというのは奇妙な感覚だった。


 男は沈黙したまま、その場から動こうとしない。


 聞こえるのは、アラームと、男の髪から滴り落ちる滴の音だけだった。


 しかし次の瞬間、勢いよく部屋のドアが開かれる。中に入ってきたのは、武装した屈強な警備員だ。手には麻酔銃が握られている。


「――――ッ!?」


 研究員達を押しのけ、警備員達は男へ銃口を向ける。その様子を、研究員達は固唾を飲んで見守っていた。


「成功……したのか……? 我々がわかるか……?」


 恐る恐る研究員の一人が男へ問うと、男はチラリと視線だけを向ける。しかしすぐに、男はうめき声を上げ始める。


「く……ッ……あッ……ああ……ッ」


 そしてそれから数秒と経たない内に、男の身体がドロリと溶け出す。しかし溶けたように見えたのは束の間で、男の身体はそのまま流動的に変化していく。


「……まずい! 撃てェ!」


 男が身体を変化させた。それは彼を“創り出した”研究員達にとって実験の成功を意味している。しかしこの変化は見るからに男のコントロールによって起きた変化ではない。言うなれば異変だ。


 すぐに指示を受けた警備員が発砲するが、しかしその針は刺さらない。


 いや、刺すことが出来なかった。


「な……!?」


 針ダートは男に間違いなく命中していたが、乾いた音を立てて弾かれているのだ。


 その上男の姿は、先程までとはまるで別人だった。真っ赤な髪が逆立ち、西欧風の顔立ちが凶暴な双眸を讃えて警備員達を睨みつけている。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!」


 それはまるで、獣の咆哮だった。その咆哮と共に暴れ始めた男を、誰も止めることが出来ない。立ち向かった者は殴り飛ばされ、逃げ惑う者は執拗に狩られた。


 鋼の身体は弾丸を弾き、驚異的な身体能力が鍛え上げられた警備員達を軽々と蹴散らしていく。


 弾き飛ばされた警備員の身体が電球を叩き割り、男の拳がコンピューターを破壊する。漏れ出た電流はやがて火種となり、天井のスプリンクラーが警報と共に泣き叫ぶ。


 激情と力だけが暴れ狂い、部屋の中の全てを壊し尽くす。この男を止める術など、もう誰も持っていなかった。










 パチパチと。音を立てて炎が燃え盛る。炎と倒れた負傷者、壊れたパソコンに囲まれた部屋の中で、男は一人佇む。しかしその男は先程までの赤髪の男ではなく、変化する前の黒髪の男だった。


 事態を飲み込めないのか、男はキョロキョロと辺りを見回したが、何も理解出来ない。うっすらと拳に痛みと鉄臭い臭みだけが残り、意識は未だ朦朧としていた。


「俺……は……何……?」


 その問いには、自分でさえ答えることが出来なかった。


















 七重ななえ探偵事務所。そう書かれた看板のある小さな建物が、この罷波市ひなみしの隅っこに存在する。見るからに古く、いささか粗末ではあるけど、一応ちゃんとした探偵事務所だ。そしてボク――和登由乃わとゆのが住み込みで働く職場だ。


「……よし、と」


 午前九時ちょっと前。事務所の営業を開始する前に、ボクは姿見の前で一応身なりを確認する。


 短く切った髪、低い身長、華奢な体躯。まだ十六歳とは言え、身長はもう少し伸びておいて欲しかったというのが本音だけど、もうこの先の伸びしろに期待するしかない。


 事情があって実家を飛び出して高校にも行かず、探偵事務所の助手なんてやってて大丈夫だろうか、と我ながら心配にはなるんだけど、今はなるようになれ、くらいに思っている。


 今朝掃除したとは言え、お客さんに失礼がないよう、掃除の行き届いていない場所がないか事務所を確認する。来客用のソファと机、奥にデスクが一台と壁際にもう一台(ボク用)、後はコーヒーカップ等が収められている棚と、ちょっとしたキッチン。奥のデスクはあまり片付いておらず、書類やら仕事と関係ない雑誌やらが散乱しており、小さな帽子掛けにはくたびれたソフト帽がかけられている。“あの机の主”には片付けるよう昨日も言ったんだけどなぁ。


「……もう、片付けちゃおうかな」


 呆れ気味にため息を吐きつつそんなことを呟いていると、入り口の向こうから階段を降りる音が聞こえてくる。入り口へ目をやると、ドアがガチャリと開かれた。


「うぃーっす」


「……やっと起きたの?」


 覇気のない声と共にこの部屋に入って来たのがこの事務所の主であり探偵の――七重家綱ななえいえつな。平均的な身長の男性で、年齢は見た感じだと二十代前半くらい。一応スーツを着てはいるものの、アイロンがかかってないし寝起きで顔が気だるそうなせいでどうにも締まらない。髪はいつも適当にはねており、それを隠すかのようにソフト帽を愛用している。ソフト帽はお気に入りらしいけど、かなりくたびれているのでそろそろ新しいのを買っても良いんじゃないかという頃合いだ。


 ちなみに、この建物は二階建てで、一階が今ボクと家綱のいる事務所。二階はボクと家綱の生活スペースになっている。


「ふわぁ」


 だるそうに欠伸をし、家綱は緩慢な動作で奥のデスクへ向かうと、どっかりと椅子へ座り込む。背もたれに思いっきりもたれかかり、このままもう一眠りしかねない。


「だらしないなぁ。今何時だと思ってんの?」


「……こんだけ眠てえんだ、きっと早起きしたに違いねぇ。今は七時だ。俺の推理は当たる」


 探偵、朝から推理を外す。


「九時だよ」


「おう、惜しかったな」


「惜しくない、全然惜しくない!」


 この探偵、七時に起きてきたことなんて一度もない。大抵ボクはそのくらいに起きて準備し始めるし、事務所に行く前に声をかけるんだけど全く起きてくれない。結局いつもギリギリには起きてくるんだけど、数分遅刻することも珍しくはない。


 家綱はしばらく眠たそうな顔のまま頭をポリポリとかいた後、ふと壁にかけてある日めくりカレンダーに目を向ける。しばらくそれをジッと見つめた後、家綱はハッとなってデスクの上の書類を漁り始めた。


「え、え? 何? どうしたの?」


「うわーーーーやべえ!」


 しばらくデスクの上を漁った後、やっと家綱は一枚の紙切れを見つけ出し、それをまじまじと見つめてから悔しそうに握り込んだ。


「な、何か未払いだった? ボクこないだ今月の分はまとめて払ったハズなんだけど……!」


「だーーーーー! チクショウ! やっぱり期限が切れてやがる!」


「……期限?」


「宝くじだよ! 去年買って当たったのをほったらかしちまってたんだよ! 三日前に見つけてそろそろ行こうかと思ってたのによォ!」


「……なんっだそれ。ちなみにいくら当たってたのさ?」


「あぁ、五百円くれえだな」


「いいよもうそんなもの! 大体、うちはほとんど赤字だってのに何で宝くじとかそういうのに金使うんだよ!」


 そう、赤字なのだ。


 この事務所への依頼は、正直なところあまり多くない。うちに来る依頼は基本的に警察に頼むのも馬鹿馬鹿しい程ショボい依頼か、警察には頼めないちょっと危ない依頼かのどちらかだ。ショボい依頼はわりとよく来るけど、ショボい分収入もショボい。危ない依頼だと収入は良いんだけど、そんな依頼はあんまりない。


 おまけにこの馬鹿探偵がちょくちょく宝くじや競馬、パチンコで金を浪費するので結構生活費もギリギリだったりする。


「いいか由乃、五百円あったら俺はお前にうまいコンビニ弁当の一つくらいは食わせてやれたんだ」


「いや五百円の価値の話じゃないし、コンビニ弁当別にいらないし」


 どちらかというとカロリーメイトでも買ってくれた方が嬉しいかな。添い遂げたいくらい好きだし。


「あークソ、金降ってこねぇかなぁ」


 もっと宣伝なり何なりすれば良いんだけど、当の探偵はこの様子だ。期限の切れた当たりくじをくしゃくしゃにして放り投げ、家綱はだるそうにデスクへ突っ伏した。


「はいはい投げない。ちゃんとゴミ箱入れてよもう」


 言いつつ拾い上げ、ボクは当たり券を広げてみる。当たっている番号の列にかすれた赤線が引いてある。確認すると期限は丁度昨日で切れているようだった。


「大体、お金が降ってくるなら誰も苦労しないよ」


「降らせる奴が苦労するだろ」


「揚げ足を取るな揚げ足を!」


 とりあえず今苦労してるのはボクだった。


「ていうか、家綱がもうちょっとちゃんとすれば依頼も――」


 と、ボクが言葉を言い切らない内に、事務所のドアが叩かれる。家綱とアホなやり取りをしているせいで足音に気づけなかった。


「……っと、家賃か?」


「今月のはこないだ払ったじゃん。依頼かも」


 ボクがそう答えると、すぐに家綱はドアに向かって返事をする。するけど動こうとしていない。


 ……まあ、依頼人の出迎えは助手の仕事だけどさ……。動く素振りも見せなかったな……。


「どうぞ」


 ドアを開けると、そこに立っていたのは妙齢の女性だった。目立たない格好をした眼鏡の女性で、どこか妖艶な雰囲気を放っている。長いウェーブのかかった茶髪を、首の後ろで一つに縛り、右肩から垂らしている。


 綺麗だな、と素直に感じた。


「あの、七重探偵事務所……ですよね?」


「はい、七重探偵事務所です。ボクは助手の和登由乃です」


「かわいい助手さんね」


 ボクの言葉に、女性はそう言って微笑んだ。


「やべっ!」


 それを見るやいなや、家綱はすぐさまデスクの下に隠れてしまう。


「あ、あの……探偵さん!?」


「あーーー! あの、ちょっと待ってもらっていいですか!? あ、ほらどうぞおかけになってください! 今紅茶を!」


 困惑する依頼人をなんとかソファに座らせ、すぐに紅茶を出して意識を家綱からそらさせている。そうしていると、思ったよりはやく家綱は復帰してくれた。


「……あれ、晴義は?」


「落ち着かせた。正直もう駄目かと思ったぜ……」


「別に良かったんじゃない?」


「うるせえ、そろそろ俺にも仕事させろっての」


 ボクらの会話を聞いて首を傾げる依頼人の女性に、家綱は慌てて一礼する。


「申し遅れました。俺がこの町の頼れる探偵、七重家綱です。どうぞ……よろしく」


 軽くドヤ顔でそう言いつつ、家綱は依頼人の正面に座る。その横にボクも座ると、依頼人の困惑した顔が正面から見えた。ドヤ顔では誤魔化せなかった……。


「あの、どこか具合が悪いのでしょうか?」


「えーっと……まあ、その、腹痛、が? 痛かったというか?」


「はぁ……」


「それで、今回はどのようなご依頼で?」


 依頼人はしばらく戸惑っていたが、家綱は強引に話を戻す。そこから数秒だけ間を置いて、依頼人は一度深呼吸をしてから意を決したかのような表情を見せた。


「あの、急にこんなことを頼むと驚かれるかもしれませんが……」


「いえいえ、何でも相談してください。犬猫猿雉ハムスター、じいさんばあさんパパママお子さんおばあちゃん、誰でも探しますよ」


 おばあちゃんに力を入れる探偵、七重家綱。


 ていうか犬猫猿雉ハムスターってなんだよ語感だけで言いやがったな。


「麻薬密売組織のアジトを、見つけてほしいんです」


 依頼人がそう言った瞬間、ボクも家綱も目を丸くする。


「麻薬……」


「密売組織……?」


「……はい」


 ボクと家綱が何故か分担して言葉を繰り返すと、依頼人は神妙な面持ちで頷く。


 どうやら……久しぶりの危ない依頼らしかった。






 依頼人の名前は薬野光子くすりのみつこ。七重探偵事務所を家綱が受け継ぐ前は、それなりに有名な探偵事務所だったらしく、今でも時々当時の噂をきいてこの事務所へやってくる人物が多い。薬野さんもその一人だったようで、家綱を見て若い探偵さんなのね、と驚いていた。


 彼女の依頼は、罷波市ひなみしの繁華街で麻薬を密売している小さな麻薬密売組織を見つけ出して欲しいというものだ。彼女の夫は数年前に失業した時、その組織の構成員だった知り合いに誘われて麻薬に手をだし、中毒になって亡くなったとのことだった。


「なるほど……大体わかりました」


 犯罪の横行する昨今。警察だけでは手が回らなくなっているせいで探偵にもこういう依頼は回ってくる。とは言え、これは比較的危ない部類の依頼だ。


「……あれ?」


 ふと、ボクは薬野さんの右耳の違和感に気がつく。


 薬野さんはノンホールピアスをつけているんだけど、何故か左耳にしかついていない。デザイン的には対になるもう片方がありそうだけど、個人的な好みなのかも知れない。チェーン状になっていて、何かに引っかかれば取れてしまいそうだ。


 つい気になって見つめていると、視線に気づいた薬野さんがボクの方を見て、右耳を指差した。


「もしかして、ピアスのことですか?」


「ああいえ、そういうわけじゃ……」


「やっぱり変ですよねこれ、片耳だけだと」


 そう言って微笑んでから、薬野さんは語を継ぐ。


「夫にもらったものですが、どこかで失くしてしまって……。でも、外す気にもなれなくて……。これ、いつかの誕生日に、私のために夫がオーダーメイドで用意してくれたデザインのピアスなんです……」


「あの、ごめんなさい……」


「良いのよ、気にしないで」


 謝るボクにそう答えてから、薬野さんは真剣な表情で家綱に向き直る。


「お願いです。夫に麻薬を売りつけたあの組織の罪を暴き、組織を潰して下さい!」


「……受けましょう」


 少し考えるかと思ったけど、家綱は即答した。


「……簡単に引き受けちゃって大丈夫? 麻薬密売組織ってボクらの手に負えるかな……」


「さあな。だがまるで出来ねえとも思わねえよ」


 言いつつ、家綱は不敵に笑みを作る。だらしなかった起き抜けの姿がなんだか嘘みたいだ。家綱なりに真剣になっている証拠だ。


「はい。もう既に警察も捜査を始めていますので」


 薬野さんがそう言った瞬間、家綱の表情がピクリと動いたような気がした。


「それなら、そのまま警察に任せておいた方が確実では?」


「……居ても立ってもいられないんです。私も何かわかり次第連絡します、とにかく早く夫の無念を晴らしたいんです」


 薬野さんの表情は真剣だった。手は小刻みに震えていたし、本当に許せないんだと思う。先に警察が解決しちゃいそうではあるけど、ボクらと警察の二手で捜査した方が早いかも知れないし、何より薬野さんが安心出来るならそれが一番だ。


「どの程度お力になれるかはわかりませんが……やりましょう。それで、あなたが安心して眠れるなら」


「探偵さん……!」


 ボクが油断している隙に臭いことを抜かして、家綱はわざとらしくキリッとした表情を見せる。やっぱりだらしなかった起き抜けの姿が本来の姿みたいだ。家綱なりに無駄にかっこつけている証拠だ。


「それで、例の組織は繁華街を中心に活動しているということでしたね?」


「ええ。きっとどこかのバーにでもいると思いますよ」


 そう言って薬野さんは家綱の手を放しつつ冗談っぽく笑う。それに釣られてボクも笑ったけど、何故か家綱は表情を変えずに黙り込んでいた。










 場所は変わって、近所のファミレス。ボクは一人の女性とここに来ていた。


「それで、その組織の人間をおびき出すための囮になれば良いのね?」


 おいしそうにオムライスを咀嚼しつつ、ボクの目の前で女性が微笑む。


「うん……お願い、出来る?」


 ボクの目の前にいる女性――葛葉くずはさんは、正に大人の女性といった雰囲気の人だった。茶髪のストレートロングで、前髪は左半分だけ邪魔にならないようわけてある。それがどこかミステリアスな雰囲気を醸し出しており、彼女の魅力を引き立てている。ロングスカートの似合う女性で、今日もロングスカートをはいていた。


「……わかったわ由乃ちゃん。私に任せて」


 そう言って微笑むと、葛葉さんは傍を通った店員を呼びとめて微笑みながら皿を差し出し――――


「おかわりお願いします」


「かしこまりました」


「あ、それと……牛丼チャーハンスパゲティ、ステーキリゾットビビンバクッパにハンバーグ、餃子に麻婆もんじゃ焼き、チョコパフェモナカにソフトクリーム、それから……」


 口をあんぐりと開ける店員とボク。シンクロニシティ。


「待って! 適当に言ってるけど結構メニューにないやつ言ってない!?」


「あらぁ……ビビンバクッパ辺りがないかなぁ?」


 後はもんじゃ焼きとかもなかった気がするな。


「ていうかボクの財布のことも考えてよ!」


「あ、ごめんなさい。でもちょっとくらい良いじゃない……ね?」


 全然ちょっとじゃないんだけど、どうもこの人に頼まれると首を横に触れない。


 勿論言ったメニュー全部は頼めないけど、とりあえず五品くらいは追加で注文することになった。


 よし、家綱の小遣いから引こう。






 夜の繁華街は、昼間以上に人で賑わっているように見える。様々な人々が道を行き交っており、中には制服を着たままの高校生らしき少年や少女もいる。こんな時間に大丈夫かなとは思うけど、これが彼らにとっての日常なのだろう。


 今ボクは、店の陰から葛葉さんを見ている。薬野さんの話によると、例の麻薬密売組織はこの辺りで麻薬を売りさばいているらしく、この辺りで立ち止まり、待っていると声をかけられると言う。そこで「星を見ています」と合言葉を言うと、取り引きが始まるとのことだった。そこを捕まえてアジトを吐かせてしまおうっていう寸法だ。家綱でも出来るんだけど、相手の油断した隙をつくなら葛葉さんの方が適任だ。


 ていうかわりとやりたがってたせいで断りきれなかった。


 しかしそれにしても、調べたにしたって薬野さんは知り過ぎている気がする。警察にはもうこのことは話したとは言ってたけど、それならもう私服警官がアジトを突き止めていそうなものだけど……。


 そんなことを考えている内に、葛葉さんの近くに数人の男達が歩み寄って来る。一、二、三……三人か。どの男も軽薄そうな格好で、繁華街を歩いている他の男とあまり変わりがない。


「どうしたの? 待ち合わせ? 何してんの?」


 男達の内一人が、ニヤッとした笑顔で葛葉さんへ声をかける。ただのナンパかも知れないけど、もし本物なら合言葉で反応するハズだ。


 葛葉さんは男達の方へ視線を向けると穏やかな笑みを浮かべる。よし、葛葉さん合言葉だ! ちゃんとレストランで教えたから大丈夫なハズ。


「お腹が、空いています」


 違う、そうじゃない。


「あー、うん、そうなの?」


 ほら困ってるじゃん。


「あ、じゃなくて……星……」


 そう、星! 星を見てるんだよ!


「星が、きれいですね」


 惜しい。


「あー……そうだねー。ごめんね、ちょっと俺ら用事思い出しちゃったから」


 まあ流石にただのナンパでもこんな受け答えの人は一端遠慮する気持ち、わかるよ。


「あ! 思い出した! 私、星を見ています!」


 何とか思い出したらしく、立ち去ろうとする男達を後ろからそう呼び止める。これでただのナンパならこのまま引き気味に立ち去るか、チョロいと思って絡んで来るだろう。その時はボクが助けに入るつもりだし、そもそも葛葉さんはナンパ男くらいなら問題なく突っぱねられるくらい強い。未だにちょっと信じられないけど。


「へぇ、星ねぇ」


 男達はピクリと反応を示すと、すぐに葛葉さんの元へ引き返す。


 そしてすぐに、葛葉さんへと手を差し出した。


「はい、星です」


 葛葉さんはそう答えると、差し出してきた男の手を取り、そっとバッグから取り出した封筒を握らせる。


「ここはよく見えるだろ?」


「はい、お腹が空いちゃうくらいに」


 そして次の瞬間、男の袖に火がついた。


「……え?」


「えい!」


 男が困惑している隙に、葛葉さんはバッグで思い切り男を殴りつける。実はあのバッグ、中に重りが入っていてそこそこ重い。ちなみに封筒の中身は期限切れの宝くじだ。


 一人が倒れてのたうち回り、残りの二人は慌て始める。そのせいで、いつの間にか近寄ってきていたボクに気づけない。


「何ッ――――!?」


「えっと、ごめんなさい!」


 形だけの謝罪と共にボクが突き出したのはスタンガンだ。ボクは素早く二人をスタンガンで行動不能にしてから、念の為葛葉さんが倒した男にも電流を浴びせる。


「……よし、と」


 バッグからペットボトルを取り出して水をかけて火を消して、のたうつ男の前でかがみ込む。


「すいません、アジトとか吐いてもらって良いですか?」


 ……これ、ボクちょっとヤバい人感ない?




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