第一章~金髪着物の美少年~

第一節~思わぬ再会~

 翌朝、みごとな冬の朝日が街を照らすころ、俺は珍しく既に食卓に着いていた。


 これには驚きを隠せない様子の父と母。それはそれで失礼な気もするが……。


 だが、そんなことはどうでも良い。俺が真冬なのに朝日より早く起きたのも、食卓で考え込んでいるのも、すべて昨夜出会った謎の着物美人のせいだ。


「ありゃあいったいナニモンなんだよ」


 朝食中もずっと考え込んでいると、兄貴が不思議そうに俺をのぞきこむ。


「おい、葵? なに物思いにふけってんだよ」


「あ、兄貴! い、いや別に、大したことじゃねえよ」


「そうか、変な奴……」


 と、兄貴は再び朝飯を食べ始めた。


 俺もそれに倣い、最後に残ったみそ汁を一気に平らげる。家族の不思議そうな視線を感じながら……。


「じゃあ俺もう行くわ。今日日直だから」


「いってらっしゃい」


 七時半を過ぎたころ家を出たが、その瞬間。


 白銀の街を吹き抜ける、凍てつくような冷風が寒がりの俺に突き刺さり、思わず身が引き締まる。


「も~っ、何なんだよこの風は!」


 ブレザーのポケットにしっかり手を突っ込み直しながら、風に文句を付けた。


 俺の家は、街の高台の住宅街にある。


 そして通っている高校は、長い坂を下って街道を進んだその先にあった。


 行きは下るだけだが、帰り道の登り坂はまさに地獄なのだ。


 さすがに、一年近く通えば慣れるものではあるが……。


「はあ、街は銀世界だなあ……」


 なんてぼやきつつ、例の着物美人のことを考え、高台から街を見下ろしていると……。

 

 いきなり背中に衝撃が走り、俺は思わずよろけた。


「おはよっ、葵!」


「うわっ! 何すんだよ」


 衝撃の正体は分かりきっているさ、軽い日課なので。


 ため息交じりに振り向くと、予想した通りの人物がふたり、笑顔で立っていた。


 俺の背中を思いきり押したのは柴丁しちょう 香花きょうか。物心付いた頃からの幼なじみというやつだ。


 彼女はいつも元気で人懐っこく、少しドジなところもあり、クラスでも割と人気者だと思う。


 腰辺りまで髪を伸ばしていて普段はおろしているのだが、時々ツインテールで俺を叩いてくる。


 これも小学時代から続いていることで、今も健在。家も斜め向かいで昔からよく遊ぶ仲だ。


 そしてもうひとり、香花の横で、よろけた俺を笑っているのが神沢かみさわ いおり


 彼も香花同様……いや、というより俺と香花と庵の三人は、典型的な幼馴染三人組と言える。


 庵は、真面目なのかそうでないのか分からない時があるが、割とリーダーシップがあったり、細かいことに気付く。


 そのため、クラスの委員長を務めるなどしてなかなかの人気者だ。


「ったく香花、毎日毎日あぶねえだろ」


 俺は苦笑して彼女の肩を軽く叩く。


 三人のあいさつは昔からずっとこれだ。俺と香花のやり取りを見ていた庵が笑っている。


「そんなこと言いながら葵、昔から嬉しそうだけどな」


「なっ!? おまえ、変なこと言うなよな」


「なあに、私に興味あるの?」


「ち、ちがわい!」 


 俺が慌てて庵に反論すると、二人はまた笑った。俺もそれにつられるように微笑する。


「それじゃあ、行こうか」


「うむ」「ええ、そうね」


 こうして、三人そろって輝く海を見ながら、いつも通り街道に繋がる坂を下っていった。



「……おいおい葵。夢なら寝てから見ろよ」


「ついに頭おかしくなっちゃったの?」


「いやいや、ほんとにいたんだって! 金髪着物の美人がよ」


 俺は街道に出たころ、昨日の着物美人について香花と庵に話してみたのだがまるで信じようとしない。


 確かに俺だって、あの場でなんど目をこすり、頬をつねって飛び上がったか分からないが、俺がおかしくなったというのは酷くないだろうか。


 謎の着物美人は確かにいたのだから。


「かわいそうに、葵ってば寒さで脳みそが凍ってるのね」


「うむ、ここはそっとしておいてやろう」


「なっ⁉ お、おいおまえらなあ」


 ふたりは、どれだけ詳しく説明しても信じようとしない。


 香花に至っては憐みの目で俺を見て、「葵なら大丈夫だよ!」と言いながら頭をなでてくる始末だ。


「まあなんだ。その美人ってのが目の前に現れたら信じてやるよ」


「そうね、いたらねえ」


 学校に着くと、ふたりは完全に馬鹿にしたように教室へ入っていく。


 俺はため息をつきながら、日直の日誌を取りに行くため職員室へ向かって歩いた。


 日誌を棚から取り、「失礼しました」と頭を下げて職員室を出ると、俺はまた身震いをした。


 冬の廊下の寒さは、俺にとって軽い拷問でしかない。


「うっわ、マジでさみい!」


 廊下の寒さに急かされ、暖房のきいた教室へ走っていると、曲がり角で偶然、担任の八谷はちや先生とぶつかりそうになった。


「おっと! 先生、すんません」


「あ、ああ、気をつけろよ葵」


「ん? 先生?」


 俺は慌てて頭を下げたが、先生は俺が走ってぶつかりそうになったことにはあまり反応を示さない。


 ああ、気を付けろよ程度で、なにか他のことに全神経が向いているようだった。


「じゃ、じゃあ失礼しま~す」


 不思議そうにその場を去ろうとすると、先生が慌てて俺を止める。


「あっ、ちょっと待て葵!」


「は、はいいっ!」


 やはり説教を食らうのかと身構える俺だったが、その予想は大はずれだった。

 

 八谷先生は声を潜めると、決心したかのように俺に耳打ちし、それを聞いた俺は驚いて声を上げた。


 なんと、俺たち一年三組に、新しい転校生が来るという。


 だが普通それだけではたいして驚かないだろう。


 何やらその転校生というのが、昔この雪華海街を支配していた一族の末裔だという。


「せ、先生それまじですか!?」


 俺が思わず身を乗り出すと、先生は「どうしよう」という顔でぶんぶんと首を上下させた。


 八谷先生は三十代の男の先生だが、少しあわてんぼうな所があり、混乱しているらしい。


 だが、俺が冷静になってよく考えてみれば、「昔」この街を治めていた一族の末裔ということは、今は別に普通の一族なのではと推測できる。


 その考えを伝えるが、先生は「そうかなあ」とまだ不安をぬぐい切れていないようだ。


 さらに話を聞いていると、その転校してくる人はある秘密を抱えているらしい。


 そのうえまだ本人と直接会っておらず、先生の不安を高めていると見える。


「ま、まあ、頑張りましょう! それじゃ」


「あっ、ちょっとあおい~」


 俺はきりがないと悟り、適当に話を終わらせて教室に向かった。


 教室の扉を開けると、まだ香花と庵の二人しかいない。


 時間はまだ八時になったばかり、授業は九時からなので、登校時間はまだまだ。

 

 ただ日直になると、八時までに登校して、校門前の掃除と門に立っての挨拶活動がある。


 そのため俺たち三人は、誰かが日直の日は学校へ早く行き、教室で話し合うのが常のこと。


 二人に転校生の話をすると、さすがにこれには食らいついてきた。


 二人がもともと持っている興味を、「末裔」や「とある秘密」という言葉がより掻き立てている。


「新しい転校生、しかも一族の末裔で秘密を抱えている! これは楽しみだわねえ!」


 香花のテンションは、すでに上がりっぱなしだが、いっぽうの庵は興味を持ちつつ、香花と違って冷静。


「でも、もしそいつが支配者の血を継いでいて、暴君だったらちょっとなあ」


「そんなことないって! きっとイケメンで優しいに決まってるわ!」


 香花は庵に反論し、勝手に性別まで決めてしまっている。


 誰もまだ転校生が「男」だとは言っていない。二人の勝手な討論は、ますます盛り上がる一方だ。


「ま、まあそういうことだ。行ってくるぜ」


「ああ」「気をつけてね!」


 俺は時計の針が八時十五分を指していることを確認すると、討論している二人に声をかけて校門へ向かった。



「おはようございま~す!」


 八時二十分になると、白い雪道に無数の足跡を付けながら、生徒たちが一斉に雪華海街西高校ゆきかみまちにしこうこうの正門に殺到する。


 同時に、挨拶の声が飛び交うので、俺も寒さをぐっとこらえて門に立ち、出来る限りの声を張り上げた。


 俺の本音としては正直、朝の校門に立って元気に挨拶なんて性に合わないのだが、さぼって日直を連続でやるよりは、はるかにましである。


 だが頭の中は、昨夜の「着物美人」と、今朝の「秘密を抱えた末裔転校生」のことでいっぱいだった。


 ぞろぞろと校舎に入っていく人の波に目をやり、それらしい雰囲気の生徒を探したが残念ながら見当たらない。


 やがて、寝坊して最後になっただろう生徒が、先生たちのにらむような目線におどおどしながら門を通過すると、日直たちと先生はそれぞれ校舎に入っていった。


「ああ~、マジで寒かった」


 俺は両手を摩り合わせて温めながら教室に戻る。


 これだけでも俺は生き返った心地だ。


「おかえり、葵」


「おお、寒かったぜまったく」


 香花と庵は偶然席が近く、俺の後ろにいる香花に声をかけられる。


 俺の右隣にいる庵は昼寝……いや朝寝してるなあ。


 久々に早く登校したので、睡魔に勝てなかったようだ。


 やがて時計が八時四十五分を指すと、定刻通りにチャイムが鳴り響いた。


 そして今日も、朝のホームルームが始まる。


 いつも通り教室前方の引き戸を開け、八谷先生が入ってきた。


 慌てて起きた委員長の庵が、半ば飛び上がるように立ち上がって挨拶の号令をかける。


 教室に元気な挨拶が響き、俺たちの一日が始まった。


「……先生? 何かあったの?」


 全員が着席して落ち着いたころ、香花が先生の異変に気づく。


 俺も彼女が声を上げるまでは気にしなかったが、いつまでたってもホームルームが始まらない。


 そして、次第にざわめき始める教室。


「みんな、取りあえず落ち着いて聞いてくれ」


「先生こそ落ち着けよ」


 先生が咳払いをして落ち着くように促すと、クラス内から声が上がり、みんなはまたどっと笑った。


 なにせ先生が一番落ち着きを失っているのだから、全く説得力がない。


 先生もそれを分かっているのか、思わず頭をかいている。


「みんな、いいから一回静かにしろよ」


 庵が俺の横の席から注意した。さすがは委員長というべきで、教室が一瞬で静まる。


「先生、いまのうちに喋れよ」


 庵が促すと、先生はまだ落ち着かない様子で少し目をきょろきょろさせて、口を開いた。


 俺の見立てでは、何かとんでもないものを見たような感じ。


「え~っと、じ、実は今日、このクラスに新しい転校生が来ます」


「え~~っ!」


「ほんとに、どんなひと?」


 俺たち三人を除く、ほか全てのクラス連中の口から驚きの声が上がり、エアコンに温められた教室の空気を激しく揺さぶった。


「ほんとに支配者一族の末裔なのかなあ、う~っ、早く見た~い」


 香花は興奮のあまり、俺の両肩を掴んでそのまま前後に揺すってくる。


 突然のことで脳みそが揺れまくりなんだが。


「だああ~っ、香花やめろ」


「あっ……ごめん」


 彼女は、叫びに気付いて俺を離した。まったく、興奮すると暴走するのも彼女の困った癖だ。


 果たして香花は落ち着いたが、教室のざわめきはとんでもないことになっている。


 庵が制止を試みたが、まったく収束しない。


「はあ……」


 先生は、仕方ないという顔で騒がしい教室に廊下で待機していた転校生を招き入れた。


「あっ……」


 まるで時が止まり、神が降臨したかのようだった。


 転校生が姿を現すと、少しだけとはいえ先に知っていた俺、香花、庵も含め、一斉に黙り込んで注目し、すべてを奪われたかのように見入っている。


「みんな……彼が新しい転校生、えんじゅ すみれ君だ」


「皆さん、槐 菫です。これからよろしくですっ」


 先生の紹介に続き、そう名乗ったその人は、誰もが目を奪われる美しい着物姿。


 さらに薄黄金いろの絹のような髪を美しく伸ばしていて、何よりその容姿は秀麗そのもの。


が、その美しさもさることながら、俺はあることに気づいた。


「って、まじかよ!」


 そう、目の前に現れた転校生は、俺が昨夜、偶然すれ違った着物美人だったのだ。

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