第四節~垂れ込める暗雲~

「行くよ!」

 菫によってボールが蹴りだされた。異常な速さで。


 俺と庵は、反射で左右に分かれてそれを交わし、そのボールはゴール前の正二に向かって突き進む。


 正二はこれくらいなら止められると思ったのだろう。両手を前に構えなおした。

 だがあのボールを寸前で交わした俺と庵には分かる。あれは人間に止められるものではない。庵が精いっぱいの声で叫んだ。


 「正二!! なに考えてる!? 交わせ!」

 しかし正二はニヤッと軽く笑うと、ボールに意識を向けた。彼は行けると確信したのだろう。

 直後、ボールと正二の両手がぶつかり合った。その間から激しく煙が出ている。しかし正二は、なんとか踏ん張ってその場にとどまったのだ。

 全員が思わず感嘆の声を漏らす。


 だがそれも一時的なことだった。その後は俺と庵が予想した展開になる。

「ぬ……ぬうううおおおおおお~っ!」

 正二の両足は少しずつゴールに向かって後退し、やがて正二はボールと一緒にオウンゴールとなった。

 だがボールの勢いは衰えず、正二の体はゴールを突きやぶり、問題児二人が飛び込んだマットに滑り込んだ。


 試合はこうしてまさかの逆転という形で幕を閉じた。

「正二!」

「大丈夫か!」

 俺たちは部員全員で正二のもとに駆けよった。普段の雰囲気に戻った菫がペコペコと正二に謝っている。

「ほんとにごめんね、正二」

「すみれ、そんなに気にするな。俺はなんともない」

 正二は、激しく吹き飛ばされたというのにまったくの無傷だ。彼いわく、ボールの勢いもゴールを飛び出したあたりで急速に失速したらしい。


 俺たちは正二の無傷を確認すると、今度は菫に向き直った。

「なあ、菫。さっきのシュートは何だったんだ?」

「ほんと! どうやったらあんなすごいシュート打てるの?」

 庵と香花が、驚きと興味と恐怖を隠しきれないようすで聞くと、菫はいつもの笑顔で答えた。

「うん、ごめんね。つい体に力が入っちゃって。詳しくは言えないけど大丈夫。もうあんなことはしないから」

 そう言うと菫は、疲れが出たようでふらふらと身を反転させ、一足先に更衣室に向かった。

 俺たちは不思議でたまらなかったが、つっ立っていても仕方ないのでゴールを片付けて菫の後を追った。


 部員たちは、まだ高ぶる心を抑えられぬまま更衣室で着替えている。菫は「先生に呼ばれてるから校門で待ってて」と言い残して今さっき更衣室を後にした。


 今日の更衣室はいつも以上ににぎやかだ。その原因はもちろん、菫と正二。

「なあ正二。よくあれを止めようと思ったなあ。お前すごいよ」

「い、いや、そんなに褒め上げられることじゃないだろ」

 正二はそういって謙遜した。これが彼の性格だ。

「でも、菫ちゃんも凄かったよなあ」

「ああ、何やらせてもすごいもんなあ。やっぱり支配者の血、ってやつじゃないの」


 皆のトークは止まりそうもないので、庵がしびれを切らして彼らを更衣室から追い出した。

「おまえら、話すなとは言わねえから更衣室出てからやってくれ」

「はいはい、じゃあな庵、葵」

「「おうっ」」


 俺たちは、ちょうど女子更衣室から出てきた香花と合流して部室の鍵を閉め、職員室へ向かった。

 鍵は職員室にいた教頭に香花が渡す。どうやら職員室には先生と菫はいないようだ。

「ねえ、菫ちゃんは校門で待っててって言ったの?」

 突然そんなことを聞いてきたのは香花だ。

「ああ、そうだ」

 と言って俺がうなずいてみせると、彼女はしばらく何か考え込んで口を開いた。

「ねえ、ちょっと菫ちゃんと先生探さない? 見つからないように」

「なんでだよ、俺疲れたんだが」

 俺が面倒くさそうに言うと、めずらしく庵が香花の意見を押した。

「いや、少し探してみよう」

「なんでだよ」

「菫があえて俺たちに校門前で待つように言ったのは、何か聞かれてはまずいことがあるからかもしれない。もしかしたら、『槐の呪い』について何かわかるかもしれん」

 俺たちはしばらく考えた結果、三分だけ探してみようということにして、校内を探索し始めた。


 時計の針はすでに5時半を指している。完全下校時間だ。先生に見つかるとまずいので、俺たちは互いに背中をあずけ、細心の注意を払って歩いた。


 廊下は静まり返り、先生の気配はまったくない。薄暗くなりかけた校舎は、先生に見つかるリスクがないぶん不気味だ。

 香花はそれが怖くて仕方ないようだった。だからと言って俺と庵の腕にしっかりとくっつくのは止めてほしい。

「な、なあ香花。俺たちの腕にその胸を押し付けるのやめてくれねえか」

 俺の言葉を聞いて、香花の顔がみるみるうちに赤くなる。

「な!? なな、何よ! べ、別にやりたくてやってるんじゃないわよ! だ、だって……。っ、うるさいわねえ、離れればいいんでしょ」

 香花は俺たちをさっと放し、顔を赤らめながら必死に抗議した。素直に怖いからだ、とは言えないようだ。

「そんなに怒ることないだろ」

「なによ、葵のいじわる!」

「……お前らしょうもないことで大声出すな、黙れ」

 先頭を歩く庵が俺たちの口にふたをした。彼の視線の先には応接室があり、明かりがついている。聞こえてくる声からしてどうやら先生と菫で間違いない。

「こんなところにいたのか」

「ねえ、行ってみましょ」

「うむ」

 俺たちは手と小声で合図を出しあい、応接室の横の壁に張り付いた。そこで耳をそばだてて中の会話を盗聴する。


「先生、もう反省したんだから良いでしょ。葵たちが待ってるんだから」

「菫、真面目に聞きなさい! ”あの力” はお前にとって、何千年と付きまとって来た忌まわしき力だろ!」

 はあ? いったい何の話をしているんだ。しかし先生の口調はやけに真剣だった。


 そして、うそでも聞きたくないような言葉が飛びだす。


「でもね先生。たとえその ”呪い” が、それから目を背けるわけにはいかない。向き合って受け止めてその謎を解くことが、で僕がするべき使命なの」


 ……は? 俺は体が硬直していくのを感じた。


「そう言うなら、もう二度と ”槐の煌力えんじゅのこうりょく” を使わないと約束してくれ。これらの力は諸刃の剣なんて優しいものじゃないことくらい、お前自身が一番分かっているだろう」

「先生、声が大きいよ。この力は槐一族にとって秘中の秘なんだよ? 知らない先生もいるんだから」

 少し怒ったような菫と、声のトーンをあからさまに落とす先生。


「あっ、すまない。でも俺は……先生は、たとえひと時の間だとしても、担任として関わった生徒を幸せにしたいんだ!」


「うん、それは分かるよ。でも最近呪いの進行がどんどん速まってる。実は部活中のあれも、僕が完全に自分の意志で使ったわけじゃないんだ」


「そうだったのか……。でもそれじゃあ、最初と話が違ってこないか? なあ菫。お前、あと何か月……」


 そこでとつぜん先生が黙り込んだ。しかし二人はいったい何の話をしていたのだ。


 衝撃的な言葉の連続で俺の頭はパニック状態になった。


 俺たちは話についていけないまま硬直していたが、庵がはっとして壁から離れるように合図を出した。


「ど、どうしたんだよ、庵」


「詳しくはあとだ、いくぞ!」


 俺と香花は、庵に押し出されて校舎を後にした。




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