第五節~不安と心配~

 校門まで行くと、香花が庵に向き直った。

「ねえいおり、なんであの場から逃げろなんて……」

「お前ら気付かなかったのか。先生が急に黙ったのは、菫が人の気配に気づいてそれを先生に伝えたからだ」

「うそ、全然気づかなかった」

 俺と香花は驚きを隠せない顔で呆然としている。さすがは庵だ。俺たちの中で一番頭が切れるだけのことはある。


 しかしどういうことだ。まさか菫自身に槐の呪いがかかっているということか。


「どうやら大体はそういうことらしいな。そしてその呪いに付随している力の一端が、さっきの強力なシュートを可能にしているのだろう」

 自分の推測を語る庵の声は少し震えている。


 だが俺たちの頭を無限に駆け巡るのはそんなことではない。それをはっきりと口に出したのは香花だ。その声は庵以上に震えてかすれかけている。


「ねえ……どういうこと。? ? 菫ちゃん死んじゃったりしないよね!?」 

「「………」」

 俺も庵もすぐに発するべき言葉が見つからない。明らかに死に直結するような二つの不吉な言葉は、俺たちを見えない鎖で締めあげていた。


 やがて、それを強引に引きちぎるかのように庵が叫んだ。


「ええい! 俺たちが勝手に沈み込んでもなにも好転はしない! だいたい、まだあの話がどういったことを示しているのかも、本当のことなのかも分かってない」


 庵の言い方は、自分自身に言い聞かせているようにも、俺と香花に不吉なことを言うな、と言っているようにも聞こえる。

「そうだな! 菫もいつも元気だし、大丈夫だよな」

「そ、そうよね! 考えすぎだよね」


 俺たちは自分の中の不安を笑顔で押し殺し、誤魔化すしかなかった。



 それから五分後、夕闇に溶け込む校舎から菫が小走りに出てきた。俺たちは急いで話を聞いたことを悟られないよう、普段の自分を装った。

 一か月以上になる付き合いで俺たちは知っている。菫は庵以上に人の変化や隠し事を見破るのがうまい。


「ごめんね、みんな。だいぶ待たせちゃって」

 菫はいつもの元気な笑顔で俺たちの元へ駆け寄ってきた。その姿を見ると、少し気が楽になる。

「おう菫、気にすんな。じゃあ帰るか」

 俺がそう言うと、菫は「うん、ありがとう」と言って歩き出した。

「「「………」」」

俺たちも彼の後に続いて校門を出ると、四人揃って街灯がつき始めた街道を歩きはじめる。


 なんとか俺たちが盗み聞きしていたことは悟られなかったが、俺たちはこういった場面ではよくある「遅かったな、先生になに言われてたんだ?」という質問をすることができなかった。

 もし盗み聞きしていなかったら俺か香花がしていただろう。俺たちがその質問をしていたら、菫はなんと答えたのだろうか……。


「それじゃあみんな、また明日ね!」

「ああ、菫も気をつけて帰れよ」

「うむ」「バイバイ、菫ちゃん」

 高神公園で、俺たちは菫が見えなくなるまで見送った。


 街は宵の闇に溶け込みつつある。

「……そ、それじゃあふたりとも、また明日ね」

 香花が不安まる出しの様子で別れを告げた。

「香花、心配なのはもっともだが、あまり思いつめないほうがいい」

 庵がしずかにそう言うと、香花はすこしうつむいてそれから俺と庵のもとへかけもどる。

 彼女の身体は少し震えていた。

「おい香花、大丈夫か」

「……ねえ庵、葵。菫ちゃんホントに大丈夫なのよね! し……死んじゃったりしないよね⁉」

「……香花」

 俺はすぐに言葉を返せなかった。俺もいま、不安で仕方ないからだ。


「このバカども!」

「痛ってえ⁉」「きゃあ!」

 なんなんだ? とつぜん俺と香花の頭に庵のげんこつが炸裂したんだが……。

「庵、なにすんだよ!」「痛いじゃない!」

「はあ、まったく。あのな、おまえらそんな心配を集めたような顔していたら菫が感づくし、そのまま帰ったら親がおどろくぞ。心配なのはもちろんだ。だがいったん落ち着け!」

 彼のことばで、俺と香花は顔をみあわせて深呼吸した。

「……たしかにそうだな」

「うん、そうよね。ありがとう庵」

「い。いや、いいんだ。ほら、すっかり日も落ちたし帰るぞ」

 俺たちは改めて別れを告げ、それぞれの家へ帰った。

 

 時計が夜六時を告げるころ、俺は自宅の風呂場にいた。さすがにこの季節の夕方に校門の前でじっとしていると、寒がりの俺にはこたえる。

 

 湯舟につかると冷え切った体がいっきに熱を取り戻し、生き返った心地だ。だが心は、不安が生み出す冷風で冷えたままだ。

 今も先生と菫の会話が、真実を求めるように頭を彷徨い続けている。


 風呂を出ると、リビングで家族がはしゃぎまくっている。天竺家ではごく普通の光景だが、俺は今日、その輪に入れる精神状態ではなかった。


「ごちそうさま」

「あら葵、もういいの? おかわりは?」

 いつも俺が白飯を一杯はおかわりするので、母は心配になったのだろう。まったく庵の言うとおりじゃないか。

「あ、ああ、今日はなんか食欲なくてな。でも別に何ともねえから心配すんな」

「そ、そう? ならいいんだけど」

 夕飯が終わると、俺は早々に自分の部屋へ上がった。家族の心配そうな目線を感じながら。


 俺はやりきれない気持ちを抑えられず、部屋をうろうろと徘徊していたがやがてベッドに倒れ込んだ。

「あ~っ! どうすればいいんだよ!」

 誰もいない部屋でひときわ大きな声を張り上げ、それから電気を消してごろっと横になった。


 俺がひとりで悩んだところで、答えはなにもでない。


 窓から差し込む月光は蒼く、この街の神秘性を象徴しているようだった。

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