第二章~異変のはじまり~
第一節~桜並木通り~
俺の住む雪華海街に、金髪着物の美少年こと槐 菫が帰ってきてからはや一か月が経とうとしている。
本日二月十八日も俺にとっての厳寒のなか一日が始まった。
確かに寒いと言えばその通りで、今朝も布団と別れるのが苦痛だったが、菫に出合った日と比べると心なしか少し寒さが緩んだと思う。
俺はいつも通りしぶしぶ暖かい我が家に別れを告げ、「いつもの場所」へ向かっている。今朝は日光が当たるとすこし暖かい。
「いつもの場所」とは、菫が言いはじめて俺たち四人の中に定着したものだ。
俺たちは高神住宅地を下り、街道へ出るときは歩行者用の遊歩道を使う。いつも使っている急坂だ。
街道へ降りる道はもう一つある。
住宅地の真ん中を貫く主要道路と街道が直結している道で、車が住宅地を降りるときに使うものだ。
こちらは勾配を緩やかにするためかなり大きく迂回していて、人間が降りるとなるとかなり時間がかかってしまうのだ。
というわけで人間は遊歩道を使うのだが、その入り口近くの公園でよく合流するため、自然と俺たちの集合場所になっている。
この場所は高い崖の上にあるため、街を見下ろしたときの景色は最高だ。
俺が公園に着くと、香花がひとり朝日に輝く海を見下ろしていた。
「香花、おはよ」
「あら葵、おはよ~。ふたりめが葵だなんてちょっと意外ね」
「おい、そりゃあどういう意味だ」
「だって、葵が最後に走ってくるのが普通でしょ」
「お前なあ、失礼だぞまったく」
香花は抗議する俺を見てくすくすと笑った。
悔しいが、彼女の言っていることは虚実ではない。なんと言っても、俺の天敵は寒さなのだから。今日余裕を持って家を出られたのは、例年より早く寒さのピークが去ってくれたからだ。
だからと言って、奇跡が起きたみたいな反応はどうかと思う。
香花と合流して二、三分したころ、街を見下ろす俺たちに後ろから声をかける者があった。
「二人ともお待たせ~。今日はみんな早いね」
「まったくだ。香花はともかく、葵まですでにいるとは、雨でも降るのか」
その声に俺と香花が振り返ると、笑顔で手を振る菫、わざとらしく快晴の空を見上げている庵が立っていた。
「おい、庵! なんで俺への対応が香花と一緒なんだ」
「はははっ、お前の言いたいことは分かるぞ。香花にも来るのが早かったことをいじられたんだろ」
「ああそうだよ! まったくおまえらと来たら」
さすが四人のなかでいちばん頭の切れがいい庵だ。彼いわく、後ろから俺を一目見て分かったそうだ。
背中が悔しそうに見えたとか、本当にやめてほしい。
「二人ともおはよ~。だよね~、葵が二番目に来るなんて珍しすぎるよね~」
香花はせっかく過ぎ去りかけた話題を見事に掘り返した。悪気がないというのも分かっているが、こちらもやめてほしいものだ。
俺たちはそれから少しのあいだ公園で春が近づいているのを肌で感じてから、いつもの路を街道へ向かって進み始めた。
道中、香花が頭上に広がる桜の木を見上げて口を開いた。
「この辺りの桜、だいぶつぼみが膨らんできたね」
「おお~っ、言われてみればそうだなあ」
俺たち三人も彼女につられて上を見上げる。
この遊歩道は別名「桜並木通り」と呼ばれ、桜の木が道全体を見下ろすように並んでいる。
春に上の公園からこの道を見下ろせば、街道まで続く桃色のトンネルに見えて美しく、なかを通ると春の訪れを感じられる。
俺が昔から大好きな場所だ。
「早く春にならねえかな~」
俺がつぶやくと、香花が思いついたように手を叩いた。
「そうよ! 菫ちゃんのふるさと帰り記念に、春休み高神公園でお花見しようよ」
「おおっ! そりゃあいいな香花」
俺が思わず声を高めると、庵と菫も笑顔でうなずいて見せた。
「やったあ! 決まりね」
俺も花見は昔から好きで、思わずテンションが上がったが、香花の喜びようは俺以上だ。
俺たちのいう「いつもの場所」の真の名前は、「
俺たち幼馴染三人だけでなく、菫も幼いころよく遊んでいたという言わば俺たちの庭ともいえる場所だ。
この公園も絶景を拝めるうえに桜の木が点在していて、絶好の花見スポットでもある。
「よし、そうと決まったら早速計画しよう」
庵の言葉で俺たちはもりあがった。香花がノートを出し、予定日などを考え、花見のプランを練りながら、俺たちは学校を目指した。
そして今日も、庵の号令で挨拶が飛び交い、俺たちの一日は始まる。
菫ははじめのうちこそ異様な存在感を放つ注目の的で、特別な存在だったが今は違う。
人懐こい性格と誰に対しても敵意かいむなことから、今ではすっかりクラス……いや、学校に馴染んでいる。
彼の呼称も、香花が使い始めた「すみれちゃん」ですっかり定着していた。
それこそ最初は、彼の能力や見た目が跳びぬけていることに不満があるのか、あるいは羨ましいのか、あれやこれやとちょっかいを出したり、いやみとともに絡んでくる連中もいた。
しかし菫は、浮世離れしているのか、絡んでくる奴らをガキとしか見ていないのか、もともと全てを許容してしまう性格なのかは知らないが、それをものともしなかった。
向けられる嫌みを笑顔で綺麗にスルーして、彼らですら自分のペースに巻き込んでしまうので、そういう連中も今ではいない。
俺がやせ我慢していないか聞いても。
「うん? だってあれは彼らなりの歓迎の挨拶でしょ? だったら別に嫌じゃないし、僕の事を気にかけてくれてむしろ嬉しい」
と、晴れ渡った空のような笑顔で答えるのだ。
あの笑顔に嘘はないだろう。絡んできた相手に「これからよろしくね」と偽りのない笑顔で握手を求めるのだから。
あれが本当の菫なのだろう。
その性格といい、容姿といい、頭の良さといい、いったいどんな環境で育ったらこうなるのか。
それが気になって仕方ない今日このごろである。
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