第七節~必殺の舞~

 ほめられた菫は嬉しそうに笑っている。


「………」


 なんて幸せそうな顔だ。俺は思わずその笑顔に見とれた。


 その笑顔は、今まで見たことがないものだった。


 俺の知る人がまったく笑わないというわけではもちろんない。


 言葉で表すには難しいものだ。言うなれば、「自分を偽ることのない心の底から出る真の笑顔」といったところだろうか。


 俺はこれまでたくさんの笑顔を見てきた。


 喜びの笑顔。怒りや恨み、悲しみを隠す偽りの笑顔。感動であふれる笑顔。悪意に満ちた笑顔。過ちを隠す笑顔。他人をあざける笑顔。希望に満ちた眩しい笑顔など、あげればその数は数えきれない。


 しかし、菫が見せる笑顔は俺が見てきたどれにも当てはまらなかった。


 いま生きていることに、極端にいえば息をしていることにすら感謝し、自分を取り巻くすべてに満足しているような顔だ。


 だが己を磨いていこうというような、強くまえむきな意思も感じられる。


 

 俺がしばらく自分の考えに浸っていると、いきなり香花に背中を押された。


「うわっ! 香花、おまえいきなり何するんだ」


 俺が思わず抗議すると、香花はため息をついて言った。


「まったく、なにがいきなりよ。さっきから試合するって呼んでるのに、葵ってば全然聞いてなかったじゃない」


「えっ!?」

 

 俺が慌てて辺りを見回すと、いつの間にかコートが準備されていて、先生がぎろっとこっちを睨んでいる。


 体育委員として率先して準備をしなければならないというのになんということだ。クラス連中の目線が痛い。


「うわあ~先生すいません! ぼーっとしてました」


 俺はわれに返ると、先生とみんなに何度も頭を下げながら自分が振り分けられたチームに入った。


 チームには香花と菫がいた。相手チームには庵がいて、俺を見て笑っている。悔しいが今回は庵になにも言えない。チームの連中が俺に心配そうに声をかけた。


「葵、おまえ大丈夫か」


「あ、ああ、ちょっとぼーっとしちまっただけだ」


「おい、葵い~。次はないからなあ~。気い引き締めろ!!」


「は、はいいっ! 気を付けます!」


 まったく、先生の一撃はよく効くものだ。


 

 菫の笑顔はさておき、彼の進化は恐るべきものだった。


 つい数十分前までまったくの初心者だったというのに、試合が始まった今では俺以上に動いている。誰かが打ちそこねたシャトルをみごとに拾い、いかにも打ち返しづらいであろう場所に打ち返すのだ。


 これには先生も目を丸くした。相手チームの庵も、あちこち振り回されて珍しく少し息が上がっている。


 これだけでも目立つのに、菫の服は袖がなびく美しい柄のついた着物。それで激しく動くのだからまるで舞を舞っているかのようだ。そ

 

 のうえ綺麗な顔立ち、流れる金髪ときた。敵味方かかわらず、周囲が集中できるはずがない。


 相手チームは男女問わず、美しい菫の姿に気を引かれて凡ミスばかりだ。中でも、みごとな跳躍から繰り出される強烈な一撃。そのとき宙を華麗に舞うすがた。そしてすばらしい着地。


 相手チームは、もはや繰り出される強烈な一撃を止めようとせず、その一連の動作に見入っている。


 いつの間にか、菫が跳び、全員がそれを見上げ、得点が入ってホイッスルが鳴るという流れができあがっている。


そのまま俺たちのチームは勝ち続け、全てのチームに圧勝した。



 やがて授業は終わり、まだ落ち着かないなか女子は更衣室、俺たち男子は教室へ向かった。


 俺の横を歩くのは庵と菫だが、二人の様子は見事なほどに違う。庵は菫に振り回され、死にそうなほどに息が上がっている。一方の菫はすっきりとした顔だ。俺の左右に分かれた二人の顔の違いがなかなか面白い。



  

 昼休み。俺と香花と庵は菫に注目していた。体育での疲れが出たのか、昼飯が済むとそのまま眠りについているのだ。


 窓から差し込む白昼の太陽が菫を照らし、その神秘性をより際立たせている。その様子を見ていた香花が呟いた。


「菫ちゃん、ほんとに不思議だよね。もうなにもかもが」


「まったくだ。……言うなれば、『槐の血を受け継ぎし金色こんじきの皇子』と言ったところだな」


 香花の呟きにそう答えたのは庵だ。彼は、たまにおかしな言葉を並べる。


 しかし俺は、庵の発言が過言だとは思わない。頭の切れ、覚えの速さ、そしてその神々しいともいえる姿。


 これだけ見れば目の前にいる着物の美少年は、太古のむかし、若くして国を治めた皇子のようだ。


 そして、彼が見せる笑顔は無垢なる天使のごとく美しいものだった。


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