第六節~少年はやはり凄かった~

 説教が終わると、獅子王先生は俺たちをぎろりとにらんだ。


「……おまえら、槐はギリギリとはいえ間にあった。ほかの男子が全員で遅刻するとは何があったんだ」


 獅子王先生は、「とりあえず言い訳は聞いてやる」との前置きのうえで俺たちに遅刻した理由を聞いた。


「えっと……ですねえ、先生。それは……」


 俺たちは、やばいという顔を見合わせた。


「菫の着替えと、彼の体に見とれて遅れました」


 なんて言える訳がない。


 そして俺たちは今、菫のはったりのおかげで混乱し、てごろな言い訳すら思い浮かばない。


 絶体絶命だ。先生は質問に対して黙り込んだりふざけた言い訳をしたりすれば、また「鬼獅子」に戻ってしまう。


「なんだ! 早く言え!」


 非常にまずい。ようやく引っ込みかけた「たてがみと角」が、先生の頭からはみ出ているのが俺にははっきりと見える。


 完全に出るまえに何とかしなければ!


 再び空気が怪しくなったとき、庵がとっさの判断で苦しまぎれの言い訳を放った。


「せ、先生! じ、実はいくつか原因がありまして」


「ほう、神沢。なんだ言ってみろ。さぞや大変な訳があるんだろうな」


 先生の片方の目玉が、獅子のような眼光をはなつ。


「は、はい、実はですね、す、菫の着替えを手伝って、いろいろ説明していたら時間がなくなってですね」


「はあ?」


「ま、待ってください。そ、そのあと……そう、教室の鍵がなくて全員で探してたんです! なっ、おまえたち」


「あ、ああ! そうそう、そうなんです先生!」


「本当だろうな」


 庵もよほど慌てていたのだろう。何度も舌を噛みそうになりながら出した言い訳がこれだ。


 先生が菫に確認を取ろうとするので、俺たちは菫に必死の視線を送った。「たのむ、わかってくれ!」と。


 菫はそれをなんとか理解してくれたので「獅子」が爆発することはなかった。


 庵はさらなる追及を逃れるため、先生に迫った。


「先生! 俺たちすご~く反省しているので、早く授業しましょう! ほら、女子も待ってるし、菫もこのまま体育の初授業が終わったらかわいそうでしょ」


「……はあ、もういい。次はないからな」


「「はい、気をつけます!」」

 

 先生は怖い面もあるが、変なところが抜けている。


 普通この場で追及してくる先生の方が多いと思うのだが、獅子王先生はそれ以上追求しようとしなかった。


 俺は心の中でふーっと息を吐きだし、胸をなでおろした。真の脅威は今ようやく去ったのだ。


 俺たちは先生に急かされて速やかにランニングと準備体操を済ませ、ようやく女子勢と菫に合流できた。


 「やかましい獅子」と言われる獅子王先生も、別に生徒からの評判はそんなに悪いわけではない。

 

 授業では生徒が楽しめるように様々な工夫を凝らし、生徒の悩みも親身になって聞いてくれるのだ。


 今日は肝が冷えたが、俺も個人的に獅子王先生は嫌いじゃない。


 そんな感じの先生は、菫がバドミントンを知らないということもあり、基礎から説明した。


 そして説明が終わると、俺たちは二人組に分かれてラリーを始める。


 ここで俺は、菫の恐るべき才能を知ることになった。


 俺は体育委員だったので、完全初心者の菫と組んで色々と教えてやっている。


 まあ、サッカー部の俺が偉そうに教えられることはほとんどないが……。


「菫、そんなに力まなくていいぞ。初めてなんだから一個一個、ゆっくり覚えていけばいいんだよ」

 

「う、うん! ありがとう」


 確かに菫は初心者だ。ラケットにシャトルを当てることに苦労している。


 打つときのフォームも何だか独特でおもしろい。


 しかしながら、確実にコツはつかみ始めている。まったくの初心者だったのは二、三分だけだ。


 俺は菫の上達の速さに驚きを隠せない。


「おまえ凄いな! この短時間でここまで上手くなるのかよ」


「えへへ、ありがとう。だいぶ分かってきたよ。葵の教え方が上手いんだね」


「おいおい止めてくれよ。恥ずかしいだろ」

 

 菫はその容姿も相まってだが、とつぜん人をドキッとさせる一言をはなつ。


 それにしても、上達の速さは異常としかいえない。


 ラリーの回数を重ねるごとにシャトルを落とす数は激減し、むしろ俺が気を張らなければ落としかねない状況だ。


 確かに俺もバドミントンは専門ではないが、スポーツのほぼ全般は、人並かその少し上を行くくらいの実力はあると思っていたのだ。


 菫は正確に打ち返すだけでなく、速さも格段に上がっている。俺は不思議で仕方なく、改めて聞いてみた。


「な、なあ菫。実は初心者じゃないとか?」


「うん? そんなことないよ。今日初めて知ったもん」


「まじか……」

 

 しれっと俺の質問に答えた菫は、今も上達を続けている。


 彼と知り合ったのは最近だが俺は分かる。

 

 菫はうそをつくような人間ではない。「バドミントン」という言葉を先生が発したときも、きょとんと首をかしげて俺に「バドミントンってなに?」と聞いてきたのだ。


 菫は本当に今日バドミントンを知ったのだろう。


 そんなことを考えていると、一瞬の油断が仇となり、ついに俺がラリーを止めてしまったのだ。

 

 俺が呆然とするなか、先生とクラスの連中が菫に拍手を送った。


「菫ちゃんすご~い! 初めてでラリーを制するなんて!」


「まったくだ。おまえ凄いな」


 香花と庵が菫に駆けよってほめたたえ、先生たちもあとからよってきて同じく菫を称賛した。

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