第五節~なんじゃそりゃあ! そしてなんでだよ!~

 次の日も俺は、庵、香花、菫とともに四人で学校へ向かっている。


 

 それにしても、やはり菫は綺麗すぎると思う。たまたま菫の横を歩いてるのだが、どうしても目がついつい彼に行ってしまうのだ。


 ……秀麗な横顔に、流れる絹のごときうす黄金色の長髪。花鳥風月、四季折々の美しい着物。そして「菫」という名前。男だと分かっているのだが、まったくその言葉で呼ぶにふさわしくない。


 まさか実は女の子なのでは、といううわさは、クラスはおろか学校中を騒がせている。


 冬の澄みきった空気と美しい朝日は、そんな彼をますます彩った。


 街道に出てしばらく歩くと、香花が思い出したかのように口を開いた。


「あっ、そうだ菫ちゃん。サッカー部本当に入るの?」


「うん、もちろん。昨日ルール覚えて試合の映像見たけど、なかなか面白いね」


「そうか。まあ俺が部長でキャプテンは葵だから問題ないが……」


 庵はそういって菫の着物を見た。さすがに今の恰好では無理はある。サッカーの何たるかを知った菫にも、それは分かるはずだ。


 菫は俺たちの懸念に笑顔で答えた。


「あっ、うん。ユニフォームっていうんだよね。訳があってあれは着れないけど、代わるものなら持ってるから後で見せてあげる」



「そうなんだ。それは楽しみだわ」


 香花がそう言ったとき、校門は俺たち目の前にその姿を見せていた。




 いつも通り八谷先生の登場で一日がはじまり、ついにこの時が訪れた。

 

 時計は十一時前を指している。


 四限目……体育の時間だ。女子が更衣室へ移動し、男子だけの空間になると、俺たちも着替えを始めるのだが、今日はかなり雰囲気が違う。


 全員が着替えながらちらちらとこちらを、正確には菫を見ている。


「お前ら、いいからさっさと着替えろよ!」


 庵がそういうがあまり説得力がない。何しろ庵も目が釘付けだからだ。


 当の菫は、特にそれを気にすることはなく、そんなことより体育が楽しみだという顔で着替えようとしている。


菫はまず、着物の上に羽織っている綺麗な羽織りをぬいだ。なるほど、羽織の中の着物本体の柄は「菫」だったのか。帯は菫の髪のような色だった。


 神はときに、突然の悪戯いたずらを思いつくらしい。

 

 帯を外そうとして菫がそれを緩めたとき、彼の机に置かれていた羽織が持ち主の足元に落ちたのだ。


 菫は着物に合わせてなのか、あるいは別の理由があるのか下駄げたをはいている。羽織をそれで踏んでしまった菫は見事にひっくり返った。


「いたたた……」


「おい、菫! 大丈夫か!」

 

「う、うん。ありがとう大丈夫――」


 菫がそういいながら立ち上がると、菫の足は解きかけた帯の先を踏んでいた。

 

 それによりしゅるしゅると帯が勝手に解け、ついでに着物本体まで一気に脱げてしまったのだ。


「あっ……」


 クラス内の時が完全に止まった。


 なんと菫は着物以外なにも、身に着けていなかったのだ。


 俺たちは、何ともいえない形で、菫の性別を確信することになってしまった。




「んっ? みんなどうしたの? ちょっと転んじゃった」


 菫はきょとんとして落ちた着物と羽織を拾い上げた。俺たちクラスの男子は動けない。色んな意味で。

 


 俺たちは着替えの手も止め、思わず彼に目を奪われた。


 いや、「女の子説」は消えたわけだが、彼の身体は胸がないことを除けば女子が羨むそのものなのだ。


 綺麗な腰のくびれに、細すぎず太すぎない長い脚、そして綺麗な身体。たくましい男の肉体美ではなく、もはやそれは美しい女性の体だった。

 

 そんなだから男と分かってもつい見てしまう。教室中から驚きを隠せない小声が湧き出ているじゃないか。


 当の本人は、何もなかったかのように鞄から別の着物を取り出した。


 それを慣れた手つきでさっさと着ると、俺と庵に見せながら説明する。


「二人とも見て。これが僕の運動用の着物だよ」


 なるほど。美しい装飾はそのままに近いが、動きやすさは普段の着物の比ではない程良さそうだ。


 着物というよりは、どちらかと言えば浴衣を動きやすいように改良したという感じだ。まあ、帯一本で着ているのに変わりはないが……。



 その時、授業開始のチャイムが教室に鳴り響き、俺たちを一気に現実へ引き戻した。


 着替え終わっているのは菫だけだ。



「うわっ! お、お前ら早く着替えろー!」


「庵もだよ? じゃあ僕、先に体育館に行ってるねー」


 菫はそう言って教室を出ていき、俺たちは庵の叫び声で騒然としながら大慌てで着替えて、菫の後を追った。

 


 さて、俺たちの学校では、人数の関係で体育が男女合同でクラスごとに行われる。

 

 いや、今はそれどころではない。


 体育館にはいま、二種類のまったく異なる空気が流れている。


 一方は女子とおまけの菫がいる場所のとても明るく楽しい空気。


 そしてもう一つ。残りの俺たち男子と、体育科の獅子王先生が生み出すなんとも暗く、かつピリピリした近寄りづらい空気だ。



「……お前ら、なあ、ふざけてるのかって言ってんのや! ああ、こら!」


「いえ。そんなことはないです、先生」


「槐以外のお前らが全員で授業に遅刻して? ふざけてないと? どの口が言うか!」


「ごめんさいっ!」


「ああ!? すいませんやろが! 槐と女子全員を待たせとるんや!」


「すいませんでした!!」


 俺を筆頭に、男子がいっせいに頭を下げる。まったく、ただでさえ寒いのに余計に身が縮こまるじゃないか。

 

 庵が委員長なら、この俺は体育委員なのである。


 さすがは学内でも上位をあらそう怖い先生だ。割と肝が据わっていると自負している俺でも、耐え難い迫力だった。


 さらに獅子王先生の有名な特徴が「長い説教」だ。すでに十分は先生の前に座らせられている。


 先生の目を盗んでちらっと女子の方に目をやると、楽しそうにバドミントンの練習をしているのだ。

 

 前回の授業で地獄の持久走が終わり、今日からバドミントンが始まる。


 寒がりの俺は、持久走の終わりとともに体育の場所が室内に変わるということで、今日を楽しみにしていたのだ。


 それなのに、最悪の始まり方である。


 

 そこからさらに五分の時が説教に費やされると、ようやく、恐ろしくてかつ面倒な「獅子」から解放された。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る