強行軍を遮る者ども

 普段は他の生徒に遠慮して、程々にしていた予約だったけど、今日と明日はそうしている余裕がない。昨日の帰り際、台帳の空いている所全部に僕の……じゃなくて、ステラとフィオナさんの名前を埋めてきた。

 そのお陰で、土曜日である今日も終日使うことができそうだ。どれだけ人気無いの、カルカノ。いい機械なのに。

 

「うわ、もう準備終わったの。やっぱフィオナは早いわねーもぐもぐ」


「……」

 

 ところで、額から汗を一粒流しているフィオナさんは既に編み始めている。やはりカルカノの扱いには慣れたもので、準備を始めるのも早い。僕の方の準備も手伝おうとしてくれたけど、その分の時間で少しでも編んで貰ったほうが良さそうに思えたから断った。

 彼女も必要となる組紐の構成は既に把握している。リストアップしたメモを昨日渡しているからね。

 

 昨日フィオナさんの部屋で話をした後、所要時間を二人で見積もっていた。そのときの算段では予断を許さない状況ではあるが、縫合までも含めてこの土日で間に合うはず。そのような計算となっている。ひとまずは安心できたけど、時間的に余裕があるわけじゃない。できる限り急いで準備を進める。容器に触媒を入れていく。

 

「ここにも触媒入れるんだ。どういう意図なの?」


「こっちの容器には糸には変えない触媒を入れます。今入れたカルダモンには、実際に糸にしようとしている触媒の状態を安定させる効果があります」


「あーそういう。私、元々安定してる触媒しか使おうって思わないから、ちょっと出てこない発想だったわ」


「召喚術をするときもそうなんですか?」


「そうね。面倒な触媒は一切使わないよ。人形を作るときは余計なことを考えたくないもの」


 ただでさえ、人形を作るのには集中力がいるんだ。その上で勝手に劣化していく触媒の状態をチェックし続けないといけないのは、中々に煩わしい。だけど、だからといってここぞという時には、使わざるを得ないときは多々ある。ここまで割り切れるのはすごい。

 

「あっそうだ。今日も欲しい物があったらいつでも言ってね。すぐ買いに行っちゃうわよ。ピューってね。あっでもでも、今日は土曜だから購買もちょっと品揃え少ないかも」


「……ステラさん、申し訳ありません。集中できなければいつでも蹴り出しますのでおっしゃってくださいね」


「あーっ! 私は協力を申し出ているのに! フィオナだっていつでも言ってくれていいのよ? 私は組紐のことはほとんどわからないから!」


「では、昨日のサンドイッチをまたお願いできますか? 昨日からやる気に満ち溢れていて、お腹が空いて仕方ないんです」


「オッケー今すぐ買いに行ってくるぅ!」


 フィオナさんの言葉を受けて一目散に駆け出して行くマーシアさん。エダートン元子爵が爵位を捨てたのは、時系列からみるに彼女が生を受けてからのことだったと思う。だから、マーシアさんだって貴族だった瞬間があるはずなんだけど……進んで雑用している姿を見ると、これじゃ二人のどっちが貴族かよくわからないね。

 

 静かになった間に作業を進める。フィオナさんはマーシアさんがちょくちょく絡んでくることを、悪く思っていたようだ。けれど、僕としては召喚術や触媒に関しての話ができることが嬉しかった。

 しかし、触媒は召喚術をやっていくなら、一生付き合うことになる存在であることは間違いないのだから、今から可能性を狭めるようなことをしているのは気がかりな部分だなぁ。

 あ。ここで彼女の方針を褒めちぎっておけば、イレーナが賞の数で逆転することに繋がるんじゃないだろうか。イレーナは今だってどのような触媒だろうと、手間を惜しまず取り組んでいるのだし、順当にやれば問題なく乗り越えられることになる。自らハンディキャップを課して、それで負けてしまうんだったらマーシアさんだって納得なのでは……いや。


 イレーナには万全の調子のマーシアさんを超えて欲しい。触媒に対して横着をするマーシアさんを超えたぐらいで満足してしまい、成長が鈍化するようなことがあってはいけない。だからこれからも、マーシアさんが触媒に対してより深く興味を持てるように働きかけてみよう。好敵手に塩を送るような真似をしようと考えているなんて、イレーナには絶対に言えないけどね。

 

 そんなことを考えながら進める作業は順調だった。次第にマーシアさんも帰ってきた。


「ただいまぁ! どうフィオナ。順調?」


「あぁマーシア。ありがとうございます。では、私達は一緒にそれを頂きましょうか」


「え? 私も食べるのこれ? ステラさんと私のとしてはマフィンを買ってきたんだけど」


「当然です。いい具合ですし、このぐらいで休憩にしましょう……いかがですか、ステラさん?」


「マフィン、ありがとうございます。そうですね、ここらで休憩にしましょっか」


 マーシアさんが差し出していたサンドイッチは、昨日持ち込んだそれと同じように愉快な分厚さをしているものだった。確かに、あれを一人で食べようと思ったら休憩なんて程度では済まなくて、普通に食事と呼べるものになる。マーシアさんと分け合うのは合理的と言えるけれど。


「ごちそうさまでした」


「んぐ、ふっ……お腹、裂けそう……」


 結局、フィオナさんは三つあるうちの一つしかサンドイッチを口にしなかった。つまり、残りの二つはマーシアさんが食べた……その結果がこれだ。マーシアさんは張ったお腹を苦しそうにさすっている。特大サンドイッチに加えてマフィンも食べてしまっては仕方がない。マフィンは後で食べたらいいのに。

 ちなみに、イレーナならマフィンとあのサンドイッチ三つぐらいなら余裕で平らげてしまえるだろう。そっち方面で勝ったところで仕方ないけどね。


 マフィンは大きさの割にしっかりとカロリーが取れる。こんな作業中の軽食にはうってつけと言える。それだけに、流石にあのサイズのサンドイッチと同時に食べるのは、ちょっとばかり厳しいものがあると思えた。


「苦しいのですか? であれば、部屋で横になっていなさいな」


 それが狙いか! 最初からフィオナさんはマーシアさんを追い払おうとしていたんだ。確かに、準備していた時のあの調子で作業一つ一つに質問されていたら、時間をどれだけ割くことになっていたかわからない。僕がそれに対して、不快さだとかを全く感じていなかっただけに、自分では時間の浪費に気づけなかったかも知れない。

 

 今、僕らに時間的な余裕はないんだ。促されるまま退室していくマーシアさんを引き止めるようなことはできなかった。

 

 その後、フィオナさんと言葉は殆ど交わさなかった。ひと繋がりの長い組紐を編もうとしているならともかく、太さを細かく変えようとしている場合は作業数が膨大に膨れ上がる。互いの役割分担は決まっている。必要があれば相談はするつもりでいたけど、それがなければ当然口を開くことはなかった。

 

「おやおや~? 今日のカルカノは珍しく賑やかだね~!」


「あっ、スペイサイド先生!」


「む……また邪魔が入りましたか」


 静かな空間に嬉しそうな声が響くと、どうしても振り返ってそちらを確認したくなる。一方、横からはかなり苛立ちのこもった声が聞こえた……けれど、すぐに振り返って、作業に戻っていたようだから一旦置いておく。僕は素直にカルカノブースの入り口の方を見ると、スペイサイド先生が立っていた。

 

「土曜日にまで、お勤めお疲れ様です!」


「違うの。私元々、水曜と日曜日が休みだから所定通りだよ」

 

「そうだったんですか。だとしても、休日にも設備を使えるのは先生方が居て下さるお陰です。本当にありがとうございます」


「ぬふっ、もう良い子なんだから。ん~いい子なんだけど、惜しいな~」


 不敵に笑うスペイサイド先生。その表情は余計なことをしようとしているときのヴァイオレットやイレーナを彷彿とさせる。一体何を考えているの。


「ど、どうしたのですか?」


「当日に四時間以上の予約をするときは、別途審査がいるんだよ。ちゃんと受けた?」


「えっ! そ、そうだったのですか。そうとは知らず、通常の方法でしか申請していません」


「だよね。まあ、それ見てきたから来たんだけど。もうちょっと機材の予約制度にも目を通しておいてね~」


「はい……申し訳ありません」


「んんフッ! ……この、真面目な子がやらかしに気付いた時の表情! これが、たまらないのよね……」


 スペイサイド先生は今度こそ、指導らしい行為に及ぶことができた。その喜びからなのか、ふんすと鼻を鳴らしては、身をよじりながら何やらぶつぶつと呟いていた。

 予約に関しての制度は確かめていたつもりだった。でも、ここまで長時間使おうとすることはそうそう無いかと考えていたこともあって、疎かになっていたのかもしれない。今後イレーナや友人たちが長時間予約をしようとしていたら、共有してあげないと。


「えっと、ヴァイオレットさんは居ない……よね?」


 ルディングを選び入学する生徒には、やはり触媒がほぼ使い放題という特色をできるだけ活かそうと、土日も登校してくる者が多い。

 けれど、ヴァイオレットに関してはその特色もそれほど役に立つものじゃない。侯爵家に一人学習するための触媒を揃える程度の財力もなければ、国の沽券にも関わってきそうなものだからね。

 

 故に、いくら最近調子がいいからと、持病があるヴァイオレットがあえて休日にも登校して来ているとは思えなかった。僕がステラとして登校している事が、イレーナから伝わっていれば、冷やかしに来る可能性はあるかも知れないけど。

 

「えぇ、はい。流石に今日は登校なさってはいないんじゃないでしょうか」

 

「よっしゃあ~なら今だ!」


「ふぐっ!?」


「ぬっへッ、ほほほ。ちょっぴり不良な貴女が可愛い、ふふ~ん」


 予想を伝えるや否や、先生は突如軽く飛び跳ねて、僕の頭を両腕で捕まえる。完全に不意打ちを食らった形となり屈んでしまった。先生は僕の頭を己の胸に抱きとめて、優しく撫でたりなんかしている。この感触の心地よさは……男としてちょっと危険! だけど振り解こうにも突き飛ばしたりなんかして、先生を怪我させるわけにもいかない。一体どうすれば!?

 

「いやあの、何をなさっているんですか?」


「生徒と親睦を深めているんですよ〜」


 憮然とした顔のフィオナさんが助け舟を出してくれた。でもスペイサイド先生は止まらない。


「何を仰るかと思えば。彼女の方は、廃止された制度をダシに脅されて、萎縮しているようにしか思えませんが?」


「へ?」


「校則項のうち、廃止制度の一覧の後ろから二ページをご覧ください。あ、教師陣も生徒と同じ手帳をお持ちなのでしょうか?」


「うん、ほぼ同じのを貰ってますよ……うぇえ!? ふ、ふうん、便利になってるじゃん……」


 間の抜けた声を漏らしたかと思えば、おもむろに取り出した手帳を目にして驚いて見せるスペイサイド先生。にっこり目を閉じてほほえみながら、フィオナさんが指摘したページを目にしたんだろう。僕も確かめてみた。そこにはしっかり、予約に関して指摘を受けた制度が三年前には廃止されていたことが記されていた。


「ああ、思い出しました。スペイサイド先生といえば、今年から新任の方ですね。古い制度をご存知ということは、先生はOGに当たる方だったのでしょうか。今回は廃止されていましたが、もしあまり周知されていない制度があればご教示頂ければと思います」


「……はぃ」


 誤りを指摘されてすっかり萎縮した様子のスペイサイド先生。僕の頭を抱える腕が力なく落ちていく。頭が解き放たれた時点で、そっと先生から距離を取る。


「見回りについては本当にお疲れ様です。ただ今、私達は、自習に真剣に取り組んでいる所なのです。見回りはともかく、過剰なスキンシップにまで及ばれては少々困りものです。どうか私達を学業に集中させて下さい。願いを聞き届けては頂けませんでしょうか。スペイサイド先生?」


「あう……わかりまちた……」


 すごすごと肩を下げて、とぼとぼと退室していくスペイサイド先生。たまたま廃止されていたけど、先生はあくまで善意で制度について教えてくれようとしていたのだから、この様な結果になったのはやはり申し訳ない。今後、教えをしっかり吸収することで恩返しをする、というわけにはいかないかな?


「今どきの生徒は強か過ぎる……。どうなってるの、今のルディングは……」


 先生本人としてはつぶやいているつもりだったのだろうか。捨て台詞のような言葉をしっかりと耳にすることが出来た。先生が言う今どきの生徒の中には、多分ヴァイオレットが含まれているんだろうなあ。ちなみに僕ら兄妹が扮するステラ・モーレンジも、相当に強かなことをしているよ。


「……まぁ、目上の人に対して、少しばかり無礼な行為だったでしょうか。今はそれだけ時間が惜しいものですから」


「いえ、それはそのとおりです。それに関してはむしろお礼を、って、えぇ!?」


「うふ。おぉっと」


 おどけてフィオナさんは目を閉じた。その前に、瞳から赤い光が漏れ出していたことを僕は見逃さなかった。


「魔力を使うようなタイミングありましたか!?」


「あぁ。貴女が、あのスキンシップにかなり戸惑っているようでしたから、場合によっては私のルーツ特有の威圧を使おうとも考えていました」


「えっ、それって……」


 彼女がわざわざ取り上げるルーツといえば、吸血鬼だ。その威圧といえば、獲物を逃さないよう恐怖心を強制的に植え付けるためのもの。人間にしてみれば、吸血鬼とは捕食・被捕食の関係だ。その威圧によって向けられる殺意の多寡といえば、こめかみに銃口を突きつけられているのと同じぐらいと言っても過言ではないだろう。

 僕はフィオナさんが牙を出せないでいる人であることは知っている。そうであっても、かなりの効き目があるだろう。それがスペイサイド先生に向けられていたとしたら。すぐには吸血鬼だと気づけなかったとしても、考えるだけでもおっかない。


「まあ、その様な行い、善良な吸血鬼には程遠いのですよね。やらずに済んで助かりました」


 気がつくと、フィオナさんの目からは光は失せて、元の黒曜石の様な輝きが戻っていた。以前の凍結魔法を使った時よりも落ち着くのがかなり早い。威圧にはそれほど魔力を使わないのかもしれない。


「いえそんな。助けようとしてくださっていたなんて、ありがとうございます」


 僕が困っていたのは、大分違う理由になるから。フィオナさんにも申し訳ないばかりだ。

 というか、世の女生徒達は先生からのスキンシップをそれほど嫌うものなんだろうか。女友達同士ではよくくっつきあっているのを見かけるので、ちょっと意外な感じだ。いくら若い人とは言え、やっぱり先生相手では何か調子が違うんだろうか。ヴァイオレットとアイラさんは朝顔を合わせたときには、両手を握り合って挨拶したりしているし。僕は流石に遠慮している。


「あの様な行いを良しとしないなら、貴女の場合、あの先生には十分に注意なさるべきです。あの方なら、付け上がらせたら何でもしてきそうな恐れがあります」


「そんな大げさな」


「そう思いますか? ああいう目をした人物は地下街でいくらでも見てきました。くれぐれもお気をつけください」


「ええ……」


 そこまで言うのか。フィオナさんにとってのスペイサイド先生の第一印象は、最悪なものになってしまったようだ。二年生の製図は扱っていないんだろうか? いやそもそも、二年生といえば専攻の学習により時間を割かれていくと聞いている。フィオナさんはもう、製図には触れていないのかな。先生の授業の質は素晴らしいの一言だからね。授業に出られてさえいれば、印象は百八十度違うものになっただろうに。


「ところで、その……目の状態をごまかすような魔法ではいけないんでしょうか? 魔力を使っても目が光って見えなければ、閉じる必要もなくて周囲に違和感も与えないかと」


「……はっ。その方が余程簡単ですね。もしかして貴女、天才ですか」


 よっぽど感心したのか、フィオナさんはその目からは、収まりかかっていたはずの赤い光がぼわりと淡く漏れていた。いくら今他に生徒がいないからって、油断すると危険ですよ。

 

 体のほんの一部をごまかすぐらいの幻惑魔法なら、ちゃんと準備さえすればそこまでの習熟度は必要ない。イレーナが僕の股間にしてくれているように。イレーナの幻惑魔法の技術は良くて初歩を一通りというところだ。

 

 今作っているスクロールはそれよりレベルが高い、添呪と呼ばれる魔法だ。こちらは見た目をごまかすのではなくて、しっかりと日光の影響を遮る必要があるから。

 

 添呪は対象の物体か生物に何かしらの効果を与える魔法だ。生物に用いる場合は、ちゃんと悪影響を及ぼさないように細心の注意を払う必要がある。

 まだ僕には、添呪魔法に関する知識は少ない。だから普通は製図に用いない組紐も使って、無理やり手間暇を惜しまない形で効果の成立を優先したんだ。

 

 ……いい機会だし、今後の為に今かかっている幻惑魔法も完成度を上げておこうかな。僕の目で見る限り、女性ものの下着を履いているにしてはちょっと存在感が主張し過ぎているから。出来の粗い、既存の魔法を改善するのは簡単なことだ。それほど手間はかからない。

 だからまさか、フィオナさんだってこの幻惑魔法でどうにかする方法を考えもしなかったなんてことはない……よね?

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