おあずけ
「で、これはどういうことなの」
「んん、なになに? あー……」
帰宅するなり、イレーナは手帳を突きつけてきた。紙面には結構長いメッセージが浮かび上がっていた。序文に目を通す。フィオナさんからだ。
『この度は本当にお世話になります。後見人がいない吸血鬼という身分を隠していた上、突き放すような真似をした私にも好意的に接してくださり、本当に感謝しています。つきましては……』
流石はフィオナさん。おそらく本来のものと思われる、マーシアさんへの態度については驚いたけど、やっぱり丁寧な人だなあ。丁寧すぎて、誰が見ようとも貴女の身の上が一発で分かる文章になっていた。説明が省けて助かるね。
「あー、じゃない。否定も取り繕おうともしないんだね。いつ知ったの?」
「今週の月曜日、放課後だよ。僕が組紐で失敗をして、足りなくなった触媒を取りに行った時、フィオナさんが魔法を使ったんだ」
世間に公表する気は勿論ない。けど、同じくステラとして振る舞うこの妹にはこのことを知る権利があるはずだ。遅くなってしまったけど、イレーナにだけは全て明かしてしまおう。
「え、それでどのタイミングで魔法使うの?」
「取りに行ったのが昆虫素材だったからね。逃げ出してた虫を始末するのに、うっかり使ってしまったみたい。よっぽど苦手だったんだろうね。そのうっかりついでに、目を閉じるのも忘れてしまったみたい」
「ええ……」
「その時、魔力に目が反応して、赤くなったのを見た」
「まるで致命的なうっかりだね。じゃあやっぱり、本当に吸血鬼なんだ……嘘みたい」
「嘘でそんな事は言わないよ」
「まさかとは思うけど、秘密をおあいこにしようと女装してることは明かしてないよね?」
「してないしてない」
「そう? ……それならいいけど」
意外そうな顔のイレーナ……これ以上この子の機嫌を損ねないよう、ここは嘘をついておくことにした。あの時、フィオナさんが断ってくれていなければ現実になっていたかもしれない。
「彼女の本名も聞いたよ。フィオナ・フォウンランドさんって言うんだって」
「フォウンランド……フォウンランド!?」
彼女に関しての話なら、イレーナの機嫌を損ねるどころか、むしろ興奮させられるような話題がある。現にイレーナは本棚の方に駆け出して行った。身近に実は吸血鬼が隠れていた……だなんて、嘘みたいな話だ。すぐには信じられなくても仕方がない。だったらいっそのこと、その嘘みたいな話を畳み掛けてしまおう。イレーナにとっても、『フォウンランド紀行』は愛読書の一つだからね。登場が末の方だとは言え、物語の登場人物が身近に居たとなったら、なおのこと嘘のような、いや、夢のような話だ。案の定、イレーナは両手で持ったその本を突き付けてきた。
「本当? 吸血鬼でフォウンランドさんって、まさか」
「今はちょうどフィオナさんのお母様の知人である、エダートン元子爵に匿ってもらってるんだって。本に載ってない部分の認識も彼のものと一致しているそうだよ」
「わぁすごい……ん、エダートン? あの?」
「あー……」
機嫌の事を考えるなら、そっちは言わないほうが良いことだったかも……。いや、だけど、彼女の置かれた状況を説明するなら、エダートン氏の名前は絶対話に上がってくる人物だ。当然、そのお嬢さんであるイレーナのライバルについても同様であって。
「あー、じゃないの。年齢を考えたら、マーシア・プルトニー・エダートンしかいないよね。本人とも会ったの?」
「うん。フィオナさんの部屋で、訳を教えてくれたのもマーシアさんの提案だよ。二人は今じゃあいいお友達みたい」
「そう、入学してたんだ……うっわぁ~、その格好でステラとして会ったってことは、もうフィデックの兄妹としては挨拶できないね……」
「他人の空似ってことで、なんとかならないかな……」
「……無理でしょ。多分」
イレーナの表情が残念そうに歪む。普段は顔も知らないマーシアさんに対して、挑戦的な態度を取るのに対照的な反応だ。僕は今の己の格好を恨んだ。もちろんルディングの制服に罪はない。だけど、同じ学校に通っているのに、やっぱり今後顔を合わせることが絶望的になってしまえば、残念に思っても仕方がないよね。
「いつか最優秀賞の数で逆転できたら挨拶しに行こうと思ってたのに。人生の目標が一つなくなっちゃったな」
「挑発するようなことはやめよう!? 立場が逆なら、あちらはいつだって実行できることなんだよ?」
「ふふふ、そうだね」
この妹にしてはやけにしおらしいと思ったら、そんなことを楽しみにしていたのか。打倒ライバルを目指すのは良いけど、礼儀は大切にしてね。いたずらっぽく笑っているあたり、本心ではなかったんだよね?
さて、僕の隠し事がバレた割にそんな調子で、イレーナの機嫌は悪くなさそうだ。今回のことは完全に僕の不始末だ。だからその点でいくら怒られたとしても受け入れるつもりだった。言ってしまえば、ちょっと拍子抜けしてる。
もちろん、内心ではどの程度の温度感でいるかは伺えない。それでも一旦感情をよそに置いといて、話を優先してくれるようになったイレーナの成長を喜びたい。一方の自分が不甲斐なくなるけど。
「で? ステファ兄はどうしたい? フィオナさん、告発する?」
「しないよ!!」
「だよね。私もフィオナさんが隙あらば吸血を狙ってるようには微塵も感じなかったし。あの人は勉強しに学校に来てるよ」
「イレーナもそう思ったんだね、よかった……気味悪がったらどうしようと思って、中々言い出せなかったんだ」
「そんなまさか。彼女がフォウンランドさんだなんて言われたら、むしろ次からどんな顔して授業に出ればいいかわからないぐらい」
「その顔でいいと思うよ。聞かされた時、何度も読み返した本だってことは伝えてあるから」
「良いのかなあ。どうしよう、テンションが違うって思われたら」
「大丈夫だよ。きっとね」
イレーナの頬が上気している。ちょっと機嫌が良さそうだったのはこのせいかも知れないね。だけど、フィオナさんの現在置かれている立場の、メッセージになかった部分について話していたら、みるみるうちに肩が落ちてしまっていた。
「今ほど戦争が憎いことはないよ。あんなに素晴らしい人達を家ごと奪ってしまったなんて、考えるだけでもおぞましい。どうにかして今後は起こさないようにする方法ってあるのかなぁ」
「魔法も歴史も、その他の事も諸々含めて、多角的に勉強していったら分かるようになるかも知れないね」
「……召喚術だけでどうにかできないかな。例えば誰も戦争しようなんて気にさせないような史上最強の召喚獣を作りだして、四の五の言わせず争わさせないようにするとか」
「それは別の面で問題があるねー」
独裁者の卵のような発言をしだした妹のことはさておき。
解決の為の糸口は掴んでいる。だけどこれはイレーナにも我慢を強いることになるのはわかりきっていることだ。だから早めに伝えておくことにした。手の込んだ食事の用意なんて、出来なくなってしまうと思うし。
「聞いてイレーナ。今そのフィオナさんは、異端審問にかけられようとしているんだ」
「ああ、聞いたよ。マルゲリータさんが言ってた。聖書を音読するんだっけ。それが何?」
マルゲリータさんについてはもうイレーナから共有を受けている。知らない人と話したなら、ちゃんと伝えるように怒られてしまった。ステラに付けていた設定のことは教えてくれなかったのに。それを指摘したらバツが悪そうにしていた。
「フィオナさんは吸血鬼の血を引いているんだよ。耐えられると思う?」
「……あ。えっ、どうするの? 堂々と引き受けてたよあの人」
「ここはスティバレではないし、余程理不尽な内容なら断ることも出来ただろうけど、仕方がないね。だから今、日光をどうにかできるスクロールの準備をしているんだ」
「週明けのお昼にやるって聞いたよ! 流石に間に合わない」
きたる未来を予期してか、イレーナの表情はついに悲痛なものへと変わってしまった。
「これに関しては運がよかった。フィオナさんの課題が終わってからすぐに、何かお礼ができないかと取り組んでいたんだ。もう図式自体は描き上がっていて、後は必要な組紐を織るだけ」
「……大丈夫? 本当に惚れてない?」
「惚れてないって! 純粋に感謝を伝えようと思って作ってたんだよ」
「そんなムキになって否定しないでも。卒業してからならむしろ応援したって……あーいや違う、他に応援すべき人がいるんだ、難しいなぁ……っていうか、スクロールに組紐?」
ごにょごにょと何かしら呟いていたイレーナは突然睨んできた。疑問を持つのは尤もだ。僕は今回、比較的細く編んだ組紐をまた別の糸で紙面に縫い付けることで、組紐でルーン文字を描いて魔法を成立させようとしている。正直、あまりに手間がかかるので、一般的ではない手法であることは間違いない。
「早くお礼がしたくってさ。まだこのレベルの添呪魔法の開発は、僕の実力じゃこんな力技でもしないと厳しい。今の僕にできる方法で作ろうと思ったら、こうなったんだ」
「ふーん。まあ、手間暇惜しまないのはステファ兄らしくて良いんじゃない。そういうことなら協力するよ」
「ありがとうイレーナ!」
「でも、図は出来上がってるんだよね。組紐ではまるで力になれないし……私には何ができそう?」
「だったら、月曜日にはなんとしても間に合わせるつもりだけど、もし日曜日までに出来上がってなかったら、スクロールをフィオナさんに渡して欲しいんだ。どのみち、祈りの後は召喚術の授業があるし、お昼前に合流したらその後、一旦別行動を取るのも難しいかもしれないから」
「それだけでいいならお安い御用だよ。絶対完成させてね、ステファ兄」
「もちろんだとも」
結果的に、後顧の憂いはなくなった。これで全力でスクロールに取り組むことができる。残された時間は二日と数時間。家にカルカノはないけれど、キアロ・ディットがある。規模では敵わなくても、これだって同じくらい素晴らしいブレンダーなんだ。ルーン文字が描けるぐらいの、細い組紐を編むことも問題なくできる。これなら家でだって作業は進められる。
……あ、まだあった。後顧の憂い。この子に強いる我慢について。
「と、いうわけだから、明日明後日は殆どルディングに詰めて作業をすることになっちゃうから、ご飯にはお弁当を用意していくからね」
「え」
イレーナの表情が今日一番の崩れを見せた。普段の気丈さが全く伺えないフニャフニャさだ。情けないから外では控えてね?
「せっかくの、週末、なのに……」
「ごめんね。それが済んだら、月曜の晩ご飯は張り切って用意するよ」
「ああ、ううん、違う。お弁当が嫌なわけじゃないから……せっかくだし、私もルディングで自習してようかな」
「じゃあ、朝出かける前にでも起こすね」
「……勝手に起きるよ」
「そっか。ワッフルを焼くつもりだから、適当に起きておいで」
「起きざるを得ないじゃん!」
妹の元気を食べ物で釣ることもやめないといけないな。と思いつつ、ついうっかり好みのものを用意したくなってしまう。良くない癖だね。だけど、今のようなイレーナの驚き半分の笑顔が見られる限りはやめられそうにないや。
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