輝く瞳が心を澄ます

「私も『フォウンランド紀行』は好きで、幼い頃に何度も読んだことがあります。本当にノンフィクションだっただなんて」


「聞いたフィオナ? 彼女何度も読んだって言ってるよ。素敵ね!」


「ええ……あれを読んだのですか」


 僕も彼女が読むように勧められた本を読んだことがある。それを素直に伝えた所、顔を真っ赤にするフィオナさん。……何度も読んだお陰で、内容は割と明瞭に覚えている。あれが己の両親の話だとするとちょっと恥ずかしい気がしないでもない。あのままでは彼女に悪いので、話題を変えることにする。

 

「ところで、お話にあったワンちゃんはどうしたのですか? アニアンちゃん」


「あの子には悪いことをしました。一時とはいえ、完全に頭から抜け落ちていたのですから……」


「次の朝には迎えに行ったよ。あの子ったらすごいのよ? 律儀にもずっと小屋を守っていたもの。後は私の実家で飼っていたわ。去年まで」


 去年まで。ということは……天寿を全うすることができたのだろうか。あの後一切お話に出てこないから心配だったけど、それならその後は幸せに暮らすことができたのかな。


「そうだったんですね。ご冥福をお祈りします」


「ありがとうございます。あの子も空の上で喜んでいることでしょう」


「大好きだったもんねフィオナ。墓石に組紐でマフラー作って巻きつけてたぐらいだもんね~」


「やかましい。マーシアこそうっかり死霊術に手を出しかけていたじゃないか」


「えうぅ……本当に、止めてくれてありがとうね……」


 にやりといやらしい目つきで、フィオナさんのエピソードを語っていたマーシアさん。だけど、その上を行くエピソードがフィオナさんの口から出たことによって返り討ちにあっていた。色々と台無しにしてしまいかねない行いだから仕方がない。


「その頃からフィオナさんは組紐を?」


「そうですね。人前で魔力を使う必要がありませんし。結局は、消去法で手を出したものに過ぎません。失望しましたか?」


「そんなことはありません!! 初めてカルカノの前でお会いした時に見せてくださった組紐は、嫌々続けて編み出せるような作品ではありませんでした!」


「……!!」


「きゃあ、組紐を指して作品ですって。なんて力強い言葉なのかしら、なおさら素敵。実際、フィオナは組紐のためにルディングに来たようなものだもの」


 彼女の生い立ちを知らされた僕は思わず面食らっていた。僕ら兄妹も浮浪児となって近い生活を送ったことはあるけど、それも何ヶ月かぐらいのものだ。正直、あのような生活はもう一週間だってしたくない。それをフィオナさんは、両親の顔や己の名前すら忘れかかるほどの期間過ごしてきていただなんて……正直な所、想像が追いつかない。

 

 だけど、フィオナさんが組紐について言及してくれたお陰で己を取り戻すことができた。学び始めた動機がなんであれ、今彼女が発揮している才能に対して敬服を隠すつもりはないからね。

 

「何かとお金がかかるのは召喚術も組紐も同じ。だから二人揃ってルデイングまで来たの。三年分の学費を作るのは大変だったけれど、家で自習するよりは安くつくわ」


「え、ご自分で学費を用意なさったんですか!? 二人分!?」


「フィオナの後見人になるのだから当然よ。フィオナが作った組紐で、私が召喚獣を呼び出して売っていたの。まあ、元手のお金はちょっとだけパパに貸してもらったけど」


「すごいですね……」


 最強のコンビじゃないか。

 マーシアさんには悪いけど、僕の妹は今の時点でだって彼女と同等か、それ以上の実力があると見込んでいる。例え現状の、実績の質では多少負けていたとしても。

 だけどそれに対して、僕が組紐担当だとしたらどうだ。フィオナさんに対しては明らかに見劣りしてしまう。同じ方法で僕らが学費を確保するのは難しそうだ……。

 

「ただ、所詮は子供のままごとです。利益を出すだけならまだしも、その準備に手を取られてしまい、それ以上の学習までは手が付けられませんでした」

 

 それだけの額を稼げると言うなら、納税額についての問題は全くもってなさそうだ。例え学業に集中することで減収したからといって、後見人として認められる地位を築いていると呼んで差し支えないはず。

 

「大人顔負けの実力者であるお二人が揃って児戯だなどと。ご冗談はおやめください」


「まあ嬉しい。そんなふうに言ってくれるなんて、本当に良い子」


「ウフッ。フ……、フフッ」

 

 僕の素直な見解を聞いて喜んでくれたマーシアさんにつられてか、少し普段の調子を取り戻しつつあるフィオナさん。口角が上がるのをなんとか抑えようとしているような様子だ。願わくばその調子で、彼女にはこれからも在学して頂けると、僕としても組紐を教えてもらうことができてとても助かる。

 だからこれは同情なんかではなく、僕の意思、希望を彼女達に伝えるんだ。信じてもらえなかったら、その時はその時だ。


 今まで嬉しそうに、目尻を柔らかく下げていたエダートンさんの目に力が戻る。その瞳で見られると、こちらこそ引き締められるようだった。

 

「成人になって堂々と後見人になってから勉強しろと言われれば、本当にその通りで、返す言葉もないわ。それを待たずにここにいるのは、私の懐具合っていう完全なわがままだもの。だけどここまで来たからにはみっともなくしがみついていたい。黙認してくれると言うのなら、それに甘えたい。それでも、真実を知った貴女が、後見人のいない吸血鬼が人間社会に居ることを、やっぱり認められないと言うなら私達は素直に従う」


「まさか。それでは学校をやめろと言うようなものです。これからもどうかこのルディングで勉学に励みましょう。私も共にあれれば幸いです」


「ありがとう。でもお願い、最後まで話を聞いた上で考えて」


「……わかりました、謹んで拝聴します」


「うん、ありがとう」

 

 僕としてはお礼だなんてされる立場ではないと思っている。彼女らとは違う理由で僕ら兄妹もわがままの限りを尽くしているからね。そこにはバレているかどうかの違いしかない。だからって、話したいと言っている人の言葉を遮るのは違う。

 

「貴女はあっさり認めてくれたし、心配いらないと思ったから話すんだけど。もし素振りが疑わしかったら、家の名前をちらつかせてでも口封じするつもりだった」


「ええっと、それは……」


 警戒してこの場に臨んだのはある種、正解だったとも言えるかも知れない。多少調べられたら、僕の正体なんてすぐに掴まれてしまうに違いない。そうなったら最後、妹を道連れにこの通学生活は終わりだ。


「まあそれも、ステラさんには通じなかったでしょう。家に頼って報復を示唆することは、マーシアの後見人としての地位に影響があるでしょうし」

 

「いいえ? こんなことがあってやめることになった。ってパパに話したら、後でパパが何をしでかすかまでは責任とれないな~」


 ……お二人のお話を聞くに、マーシアさんのお父様は感情が豊かな方のようだから。もし僕が否定的なつもりでこの場に臨んでいたら、どの様な未来が待っていたのかと思うと背筋に悪寒が走る。


「でもでも、お礼なら家の名を背負ってできることになるよ。黙認してくれるなら、パパの力を借りてでも何かしらお礼をさせてほしいな」


「そんな、お礼だなんて。それを言うなら、フィオナさんにはこれからも組紐を教えて欲しいです」


「いやぁ、フィオナがするお礼はそれで良いかも知れないけど。それじゃ私はどうしたらいいの。私の気が済まないのよぉ~」


 マーシアさんが僕の両肩を掴んでは、すすり泣くような声で訴えかけてくれていた。このように信用を勝ち取れていることは喜ばしいけど、僕は今も変わらず、この二人を騙している立場だ。

 フィオナさんの正体を知ったときは、うっかり勢いで明かしそうになってしまったけれど。冷静になった今は、隠し事の存在を示唆したことに関して、フィオナさんの頭から抜け落ちていることを祈るしか出来ない。

 

「……ですが、今度ばかりは厳しいようです。王女さまの取り巻きの方から、祈りの式への参加を提案されました」


「あれ、れ……、聖教の祈りの式って言ったら」


「わかっていますが、断れようはずもありません。実施は月曜日の昼休みと伝えられました。土日の間に、荷物をまとめようと思います」


「そうよね、万事休すじゃない……」


 マーシアさんも言葉を失っているようだった。

 僕も、聖教が行う祈りの様式は話に聞いている。太陽の当たるところで教科書程の厚さの聖書を音読することだと。なんでも、教えに背くものは途中で口が止まってしまうから異端審問も兼ねているとか……本当かなぁ。だけどこれも、普通ならしんどいだけで終わる事だけど、吸血鬼の血を引いているフィオナさんの場合は状況が違う。

 ……この状況。僕は実のところ、うってつけのものを用意しようとしていたんじゃないか?

 

「であれば、もしかしたら、これが役に立つかも……」


「ステラさん、これは?」


 僕が鞄から取り出して、机に広げて置いたのはインクで描けるところだけ描いて、あとは組紐でルーン文字を描こうとしていた分だけ欠いているスクロール。それを眺めているマーシアさんは怪訝な顔をしている。


「使用者が受ける、日光の影響をほぼ無くす術式です。フィオナさんの場合、やはり普段の生活でも困ることがあるかと思って描いていました。ただ、まだ組紐が出来ていないので使えはしませんが」


「嘘。どれだけいい子なのこの子?」


「だから言ってたでしょ、本当にいい子なんだって。……まだ組紐の実力を評してくれるだけでなく、ましてやこのようなものを用意して下さっていたなんて……。貴女もノブレス・オブリージュを全うできる、やはり立派に貴族と呼ばれるべき人なのですね。マーシアの振る舞いでも思っていたことですが」


「あれれ、フィオナに急に褒められるとなんだか変な気分」


「今回は他意なく褒めてるよ! 素直に喜んでいてよ」


「はいはい。嬉しいな~ふふ~ん」


 今はむすりとしているけれど、フィオナさんが喜んでくれていることは嬉しい。ただ、過大なお褒めの言葉を頂いてしまった。僕はそもそも貴族ではないし、なにより……名前どころか性別をも偽っているのだから。行いとしては真逆の人だ。後ろめたい気持ちで一杯になってしまう。

 

「大層なものではありません……けれど、やるべきことははっきりしましたね。フィオナさんにこれからも通学して頂く為には、このスクロールに必要な組紐を今週末中に完成させないと」


「確かさっき見た感じ、もう編み始めていたよね。出来上がりは時間の問題と考えてもいいのかしら?」


「ステラさん。今の段階で、どのぐらい編み上がっているのでしょう?」


「……組紐の製作に取り掛かったのは昨日からです。放課後の時間を使って、今では大体三から四時間ぐらいかけていますが、全体の必要量から見ればせいぜい一割か二割ぐらいの進捗です。ここまで火急の用事だとは考えていませんでしたので」


「やばいわね」


「やばいですね」


 またしても、二人してそのような言葉遣いを。フィオナさんとマーシアさんの、果たしてどちらがどちらに与えた影響なのやら。これまでならマーシアさんが及ぼしたと疑わなかっただろうけど、フィオナさんの素を目にした今となっては見当もつかない。

 だけど今はそんなことに突っ込んでいる場合ではない。実現に向けて必要な行動を考えなければ。

 

「土日をフルに使ったとしても、うーん……間に合うかかなり微妙ですね」

 

「であればこうしませんか。ステラさんが編もうとしている形に、私も倣って編み上げます。それを後から繋いで完成させましょう。放課後だけの時間で一割なら、互いが土日の二日間で四割強を編み上げられれば、組紐を繋ぎ合わせると届く計算となります」


「うぇ。それって大丈夫なの?」


「当然、組紐同士の縫合は私が行います。いかがでしょう」


 フィオナさんの提案は大胆極まりないものだ。別人がそれぞれ作った組紐を繋ごうだなんて、よほどの自信がなければできない。少なくともカルカノを扱えない実力であるマーシアさんも、難易度を把握している様子だった。だけど。

 

「ルーン文字を組紐で描く予定です。この場合細く短いのが複数必要になるので、繋ぎ合わせる必要はありません。……ただ、必要量を間に合わせようと思ったら、やはり一人では厳しそうです。今からでもカルカノまでお付き合い頂けますか?」


「それならなおさら手間がかかるでしょう。願ってもないことです、さあ、行きましょう」


「私は……差し入れがんばるね!」


 僕らはこの週末の意向を固めた。ただ、まずは組紐の用意という第一段階は早めに済ませておきたい。その為にも、これから共同研究室に向かうことにした。

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