回想・冷たい夜風の歓迎

「一杯おくれよ」


「はいはい。でもでも、列には並んでね?」


 地下街では定期的に、地上の富裕層が来ては炊出しを行っていた。ナマイキと同世代の、地下街では見かけない小豆色の髪の少女が盛り付けを担当している。

 

 地上では弱者に施しを与えることが、すねの傷を少しでも塞ごうとするのに役に立つらしい。ナマイキは酒場でそのように聞いていた。そこで笑顔で盛り付けを進めて行く少女の顔を見て、彼女のすねにもそのような傷があるのだろうか。などと考えるくらいには、列に並ぶという行動はナマイキにとって暇だった。


 自分の番が回ってきて、ナマイキはシチューの入ったパンを受け取る。硬く焼かれたパンは器にちょうどいい。

 

 炊出しで盛り付けを担当しているナマイキと同世代の少女。服装は多少シチューが跳ねていようと、地下街基準では相当に清潔なエプロン。身に付けたブラウスも汚れてもいいようにか、若干よれた古着だった。それでもナマイキのものとは天と地ほどの差がある。この品質に相当する衣服を身に付けた者は、炊き出しの一団の他に存在しなかった。


「んーうまい。毎日食べたいなあこれ」


 パンを齧りながらシチューの味を楽しんだナマイキ。このシチューは、地下街で口にできるものとしては最高峰の品質となる。それを彼女らが食べられるのは週に一度だけだ。朝方見かけた子供のように、この施し以外に当てにできるものがない者からすれば、あまりにも足りない。


 本心から施しを与えようと考えるなら、自立できるよう手に職をつける助力の方が適している。魔法でも教えてくれれば万々歳。ただそれもすねに傷があるものからすれば、都合が悪いのかもしれない。弱者が減っては、弱者へ施しを与える姿勢を保ち続けることができないから。


 そんなふうに考えていたナマイキは、炊出しの一団のことを冷ややかに見ていた。が、貰える物は遠慮なく貰う。盗みや悪事にはならないから。それが彼女の流儀だった。


「地上でなら毎日食べられるのかなあ。でもなあ……よし!」


 シチューの入った鍋は、大人一人ならなんとか入れそうなサイズだ。それを遠巻きに眺めながら、何か思いついた様子のナマイキ。炊出しの撤収までには時間がある。小屋へ戻って、シチューの染み込んだパンの底をアニアンに差し入れてから、炊出しの現場に戻った。


「今日の分は終わりだよ。次はまた来週なの、ごめんね」


「目当てはシチューじゃない。こっちが欲しいんだ。これで足りる?」


 本日得た所の銀貨を盛り付け係に突き出す。


「あれれ、コンロと鍋が欲しいの? なんで?」


「地下街の連中が臭いのは知ってるだろ。だから風呂屋をやるんだ。小銭貰いつつ、ちょっとでも衛生を良くしようってわけ。もちろん一番風呂は私が頂くけどね。客連中は私の垢が浮かんだ湯をありがたがってればいいんだ」


「あはは! 貴女変なことを思いつくのね! 悪くないけど、それじゃ足りないね」


「マジ? ぼったくりじゃん」


「マジマジ。安くてもあと十枚はいるね。それに、これ取られちゃったら私たち炊出しできなくなるよ」


「貴族だろあんたら。ここは私に売って、新しいの買ってこいよ」


「いやー、うちも貴族をやめた身だから、中々厳しいんだよね。持ってきた食材だって、市場に出せそうにないのを安く譲ってもらってるものだし」


「あれうまいのに安いんだ。いくら?」

 

「芋なら一キロ八百レジンなり」


「ん~……微妙に高い?」


「見た目が悪いだけで、味なんかの品質は良いものだからね」


 食べるものの品質といえば、普段なら腐っていないかとか、口に入れても問題ないかぐらいしか気にしていないナマイキは納得できなさそうな様子だった。その様子を見た少女は苦笑いを浮かべていた。


「それに、このコンロを使うなら燃料にガスがいるよ。薪じゃダメ。これも安くはないものだし、こっちじゃそもそも流通してないでしょ?」


「それなら、屁を集める!」


「……わはっ! あははははははは! おならが可燃性だなんて知らなかったわ! 来週の炊出しからは、おなら禁止令を出さないといけないわね!」


「笑ってるけど、ちゃんと集めれば火は点くよ。マジで」


「うっそ。マジで? っていうか、貴女面白いわね。あっちの方でちょっと遊ぼうよ」


「邪魔してる私が言うのもあれだけど、片付けはちゃんとやれよ」


「大丈夫。撤収は力仕事だから。私は数に入ってないし」


 少女が指差した先に向かう。そこそこうまくやっていけているナマイキと違って、同年代の子供といえば生きる糧を得るのに必死だ。遊べる機会などそうはない。久しぶりにナマイキは笑顔を浮かべて、少女の後について行った。


「缶カンもおもちゃになるのね、うふふ! えい!」


 ナマイキが蹴った空き缶が少女の足元に転がっていく。新しい遊びに興奮した様子で、パスを受けた彼女は思いっきり蹴り込んだ。

 飛距離はそこそこ。路地に座っていた中年男性の後頭部に当たった。


「っ。なんだ」


「えうぅ、ごめんなさい……」


「誰かと思ったら嘘だろ。……俺にもつきが回ってきたな」


「あっ! 離して」


「缶ぶつけてきたのはお前だろ。飯代ぐらいにはなってくれや。それが貴族なりのオムレツ・フロマージュってやつだろ?」


「わたし……貴族じゃ……ない……」


 地下街ではあまりに浮いた身なりの少女。男は即座に彼女の地位を理解したようだった。少女の周囲にナマイキしかいないことを確認すると、男はすぐ近くまで駆け寄っては謝った彼女の手首を掴んでしまう。


「お前! 離せ!」


 ナマイキは懐にしまっていたナイフを取り出す。右手でそれを握り、男へ切っ先を突きつける。人質を取った相手に向けるには、余りにも距離があった。


「生意気にもいいもんもってんな。どういう縁か知らんが、持ってると友達がこうなるぞ」


「う、ぶっ……!」


「ああ!! このうんこ野郎!」


 腹に拳を叩き込まれる少女。初めての体験だったのか、足の力が抜けてへたり込みかかっている。男に首根っこを掴まれているので、膝が地面につくことはなかった。


「勘違いすんなよおっさん。これで別にあんたを刺したいわけじゃない」


 それだけ言って、もうナマイキは口をつぐんだ。本人もこのような窮地に立たされたことは何度かあった。だから、自衛の手段は欠かさないようにしていた。それはこのナイフを外敵に突き刺すという方法ではなく、先程まで背中の側に隠していた己の左手の甲を切り開いた。


「気でも触れたか?」


「まさか。……こうするんだ!」


 ナマイキはナイフを懐に納めて、手の甲から溢れる血を扇ぎつけるように右手で払って飛ばす。血液は一定の距離を飛んだ後、眩い光を放った。左手を体で隠していたうちに宙にルーンを刻んでいたのだ。


「うおっ、まぶしっ……」


「うっ……これは、魔法!? アチョッ!」


「ってぇ!」


 自身も突然の光に目を眩ませられながらも、少女は強かに男の足を踏みつけて、手首を掴む力が弱まった隙を見逃さず駆け出した。


 少女は目を眩ませたまま、一目散に駆ける。記憶を頼りにナマイキがいる方向へ。ナマイキは少女の手を掴んで誘導する。

 路地裏へ駆け込み、ゴミ箱と呼ばれている大きな箱に飛び込む。中は空だった。物をごみ呼ばわりして中に入れる不届き者がいたら、即座に回収されて有効活用されるのが地下街だった。


「……」


「ふう、怖かった……でも貴女が掴んでくれたら急に安心できたわ。掴まれる人次第でこんなに違うのね……え?」


「お腹は大丈夫? あっ……」


 目が慣れてきた少女は、箱の中が赤く明るいことに気づく。手遅れと気づくナマイキ。少女の手首を掴んだままの手に力が入る。


「だから貴女、地下にいたのね」


「あっ、うわ、ああああああああああああああああああ!」


「しっ。さっきの男が来ちゃうかも知れない」


 両親の教えを唐突に破ることになり、取り乱すナマイキの口を塞ぐ少女。


「よし。大丈夫そうね」


「よしじゃないよ。危ないよ! 君、私が何かわかってるんだろ? 口なんかに触れるなよ!」


「私を救うために血を流してくれた人が、私の血を吸おうなんて考えないかなって思って。正解?」


「不正解だよ。がおー」


「あれれ怖い怖い。で、牙が出てないよ?」


 熊が威嚇をするように、頭上まで両手を上げたナマイキが開けた大口を見せても、少女はおどけて見せた。ナマイキの歯の中で最も尖っているのは犬歯だが、全くもって普通の人間と変わりない程度だった。


「……出し方は教わってない」


「あ、教えられないと出せない仕組みなんだ。面白い」


「人の体質を面白がらないで」


 もうナマイキは瞳の光を隠そうともせず、笑っている少女を睨みつけた。


「面白いんだから仕方ないでしょ。貴女、お名前は? 私はマーシア。マーシア・プルトニー……間をちょっと略して、姓はエダートン」


「ナマイキ」


「それが名前なの? 嘘でしょ」


「ここだとそれ以外で呼ばれたことはないよ」


「そう。なら、地上での名前を教えてくれる?」


「……フィオナ」


「苗字は?」


「えっと、フォ、フォ? 忘れた」


「え嘘! もしかして、フォウンランドさん!?」


 マーシアは口を両手で覆って大げさに驚いている。この頃には、フィオナの目の光も落ち着いていた。


「ああそれだ。え、なんでお前がわかるの」


「地上では有名な吸血鬼の一家だったからね、もしかしたらって思って。素敵な名前じゃない。これからはそっちの名前をちゃんと名乗るのよ?」


「だから言ってるだろあほ貴族。ここではナマイキで通ってるんだって」


「誰があほ貴族ですか! フィオナ、私は貴女のことを名前で呼ぶよ。だから貴女も私を名前で呼ぶのよ?」


「ふーんだ。好きにすればぁ? マーなんだっけ。マーさん?」


「マーシアよ! こんな文字通りに名前が体を表してる人、初めて見たわ! だけど、これからは貴女も地上に来るんだから、慣れてもらわないとなのよ」


「は? 誰が地上に出るって?」


「だから、貴女。フィオナ・フォウンランド!」


「お前さあ。私が吸血鬼だってわかってて何言い出してるわけ? やっぱあほ貴族じゃん」


「もぉだから、やめなさいってそれ! そもそもパパは爵位を返上してるから、今はもう貴族じゃないの」


「じゃあただのあほだね」


「もう、ああ言えばこう言う……あと思い出したけど、うんこって言うもやめなさい! せめてうんちにしなさい!」


「一緒じゃん。それどういうこだわり?」


「私をあほ呼ばわりするけど、私も別に考えなしに物を言っている訳じゃないのよ? フォウンランドのお嬢さんなら、貴女はハーフってことよね。ならまだ普通の吸血鬼よりは日光の影響も少ないはず。地下街まで辿り着けているのもそのおかげでみたいなものでしょ?」


「……まあ、それは確かだね。日光を浴びるのが十なん分とかなら立ちくらみしてくるぐらい。一度だけ何十分も浴びてしまって気絶したことはあったけど、屋内に放り込まれたら夜には目が覚めたし」


「命には関わらないわけね。じゃあ問題はもうないわね」


「何がだよ。地上では後見人が要るって聞いてる。今日でさえこんなザマなんだ、見つけられるまで隠し通せやしない」


「私が後見人になる。はい解決」


「そんな、簡単に……」


「ただ、私も未成年だからね。ちゃんと名乗り出られるようになるまでは、ちょっと待ってほしいけど」


「あっ、ふーん。そう」


「信用してないわね。私はお話に聞く、貴女のお父様と、人間であるお母様との出会いの素晴らしさに感動していたところなのよ? 今にも見てなさい」


「見つけた」


 がこんと音を立ててゴミ箱のフタが開かれる。

 先ほどの男がついに探り当てたのかと、二人は顔を青ざめていたが、声色は随分と高い。ゴミ箱を覗きこでいるのは、彼女らより三つか四つ上の女性だった。その顔を見たマーシアが安心した表情をしていたので、フィオナも警戒を解いた。


「ここにいたのですかマーシアお嬢様。そろそろ帰りますよ。もう、現地の子とは遊ばないようにと申しておりますのに」


「はあ~? 彼女とは遊んでたわけじゃないわよ。むしろ、誘拐されそうになったところを助けてもらったのよ!! 貴女が目を離した隙にね! 見て、こんな風に血を流して。これ、貴女の職務怠慢の結果じゃない!?」


「ええ~……そこまで言う?」


「はっ、はあ、申し訳ございません……せめて、手当てを致しましょう」


 マーシアの物言いに呆れていたフィオナの左手を掴んで、迎えに来た世話係に見せつける。縫い上げる必要があるほどではないが、赤く染まった切創は目にしていて痛々しい。世話係は背嚢から消毒液と絆創膏を取り出して手当てを施した。


「……ありがと」


 照れくさそうに礼を言うフィオナを見て、世話係ははっとした様子だった。地下街の浮浪児に、礼を言われるとは考えていなかったらしい。彼らに対する、地上での一般的な評価に違わない反応だった。


「この子はフィオナ。フィオナ・フォウンランド。何が言いたいかわかる?」


「フォ……えっ? まさか。奥様のご友人の?」


 名前を告げられて、世話係の少女は心なしかそわそわとし始めた。


「そう。あの家の忘形見。この子は地上に連れて行くわよ」


「えでも……旦那様に許可を取らないと」


「じゃあ今日襲われたことパパに言っちゃう」


「はぁ~~、もう、わかりました、行きましょう」


 事実を盾に押し切られた世話係はついに折れて、フィオナを連れて行くことに同意した。



「わぁ……わあああぁ~~~~……ぶるる」


 マンホールを開いて、久方ぶりに地上に出てきたフィオナを迎えた夜空。頬を撫でる風は、薄着の彼女にはやや堪える温度だった。


「マントを羽織りましょう。暖かいわよ、貸してあげる」


 マーシアは己にかけられた大きめのマントの中へとフィオナを招く。フィオナが着ている衣服の汚れが移るのも気にせずに。


 馬車に揺られ、たどり着いた先はエダートンの屋敷。生まれてこの方、目にしたことない程の豪邸の前に立ち尽くして、呆然としていたフィオナ。到着するや否や、世話係に連れられ入浴を済ませる。清潔なブラウス、ここ数年履くことのなかったスカートを身につけて。

 いざ屋敷の主人、エダートン元子爵と対面。


「っおおぉおぉお~~、おぉおぉおぉおおっお~~~ん、よく来てくれたおおぉ~~ん……」


「ちょっパパ、いきなり大泣きかまさないでよ」


 主人が流す大粒の涙は、彼が蓄えている小豆色の口髭の端を濡らしている。


「これが感動せずにいられるものか! おおぉおぉおおおおん」


「えっと……はじめま、初めまして」


 ナマイキと呼ばれていたはずの少女はどこへやら。今やフィオナは人が引いてくれた椅子に恐る恐るちょこんと座り、フリルやレースの着いた両袖を膝の上に揃えて縮こまっている。彼女が地下街で得た銀貨が十何枚とかでは、全く足りない品質の衣服だった。

 

「おぉん、ずずっ。そんな畏まらなくていい。肩の力を抜いてくれ。。まさかフォウンランドのお嬢さんが生きていたなんて、思いもしなかったんだ」


「……両親の知人ですか?」


 フィオナは元子爵であるエダートン氏の目をしっかり見つめている。ちょっとは落ち着きを取り戻したらしい。


「君のお母様の方とはね。亡くした妻の友人だった。君はお母様に本当にそっくりだ。ただ、残念ながら肝心のお父様とは、顔も合わせたこともないがね……戦災で二人の住まう地域が吹き飛ぶ前に、できれば一度お会いしたかった」


「その様に思って頂けて、嬉しいです」


 顔を伏せるフィオナ。彼女の手元には両親の写真などもなく、二人の顔を思い出そうともはっきりとしないぐらいになっていた。


「だが、君の両親の話は有名なんだ。本にもなっているからね。読んだことがなかったら、試しに読んでご覧よ」


「え、なにそれ」


 ナマイキという言葉が名前になるような振る舞いをしていたフィオナだが、両親の教育と、地下街での経験とが相まって、権力者との口の聞き方は身につけていた。

 今のエダートン氏の言葉は、フィオナにとってはそれすらも揺らぐようなものだったらしい。彼女の傍らに寄ったマーシアが一冊の本を差し出した。

 

「はいこれ。パパはこの本が本当に大好きなのよ。大分引くぐらい!」


「マーシア。君も読んだら涙を浮かべていたじゃないか……いかん、ハンカチを! 内容を思い出したら泣けてきた」

 

 マーシアの世話係である少女がそそくさとハンカチをエダートン氏の鼻に当てる。彼はそれを奪い取るようにして両手で鼻を覆い、爆音を轟かせる。

 用を終えたハンカチを返却された世話係は、ハンカチのできるだけ無事な部分をつまんで持つ。洗い場へ持ち込むため背中を向けてから、両方の口端をいーっと伸ばしていた。

 

「貸していただいて、ありがとうございます。後で読んでみます」


「今読んで! 今!」


「パパがっつきすぎ!」


 エダートン氏は座った身を乗り出して、肘は体の外側に向け、胸の高さで作った両の拳をうずうずと上下させていた。このように期待してくる大人を見るのも久しぶりのこともあって、邪険にするのも気が引けたらしいフィオナは貸し与えられた本を開く。

 

 内容は情勢に左右される男女が引っ付いては離れて、離れたと思ったらまた引っ付いたり。ありがちなラブストーリーと言える代物だったが、フィオナにとっては唯一無二の物語だった。目にするいくつかの固有名詞に見覚えがある。

 

「……私は何を見せられているんですか? 両親が痴話喧嘩しては仲直りして、また喧嘩して……なんだこれ。なんでこんなのが本になってるの」


「貴女にはちょっとつらいかもだけど、もうちょっとがんばって!」


「良いことをいうなマーシア! さあさ、次のページを読んでみよう~」


 フィオナが読書を進める途中から、親子は彼女の背後に移動しては揃って両拳を上下させていた。二人は読書進度を逐一覗き込んで確かめては、「あぁっそこかぁ~~~くぅ~いいよねそこ~~~」などと漏らす。これもフィオナにとっては読みにくさを助長していた。外野の煩わしさに耐えつつフィオナは手と目を動かす。

 

「あ。あぁ……」


 彼女の父親(暫定)が同じく暫定の母親である女性に正体を打ち明けるシーンで手が止まる。彼もまた今のフィオナと同じく、後見人がいないまま世間に潜り込んでいたのだった。

 声を漏らすフィオナは思わず目を覆った。しかしいつまでも読まずにいては話が進まない。それはフィオナにもわかっていることだった。意を決して手をどけて、続きに目を通していく。

 

「えっ!」

 

 またしてもフィオナの口から溢れた声を聞き届け、親子の拳の昇降速度が上がる。吸血鬼と聞かされて受け入れる人間が居るはずがない。そのように考えていたフィオナの思惑は裏切られた。

 跪く男性の頭を抱えて、彼を受け入れる意思を示す女性。思わずフィオナの目頭が熱くなって……涙が溢れる前にこすり取られた。よく考えたら、二人の名前からして彼女の両親であることは違いないのだし、その結果がここに座っているのだ。わかりきっていることで感動するのがなんだか恥ずかしくなったらしい。

 

 その後二人はどのような境遇に陥ろうとも、分かたれることは決してなく……少なくとも作中で語られる間は。本は二人が女児を儲けたところで終わっていた。

 

「……」


「お疲れさま。どうだった?」

 

「誰が書いたのこれぇ!」


「君のお母様に仕えていた女性がいただろう。その方だよ」


 本を閉じて一息ついていたフィオナに問いかけるマーシア。真っ赤な顔で目頭をこすっているフィオナは質問に質問で返すが、エダートン氏がそれに答える。はっとした彼女は背表紙を確認した。


「……セロインだ。彼女のことは私の面倒も見てくれたから覚えてるけど……なんで本人は話に一切出てこないの!」


「あれれ。自分は固有名詞で登場するほどの存在感はなかったから。って後書きに書いてたじゃない」


「普通後書きの内容も覚えるまで読み込む?」


 フィオナは人前ということもあってそこまで目は運んでいなかった。一度は閉じた本の巻末あたりを開く。件の記述はすぐに見つけることが出来た。その後に続く執筆に当たった経緯についても目を通す。二人の話を元に本を記して、世間に公表する。

 そうすれば少しは、吸血鬼も血が通った存在であることが、世間に知らしめられるのではないか。その様に提案された二人は、恥ずかしそうながらも同意したようだった。

 

「いやぁ~、これで実のところはフィクションなのでは? だなどと言い放つ者たちの鼻を明かすことができる。私はお母様の方とは面識があるというのに、本当に無礼な者たちだったからなぁ!」


「パーパ。後見人の問題があるからダメだよ。私が成人するの待って。パパじゃ無理なんだから」


「むむ、それもそうだな。さて、フィオナさん」


「……なんでしょうか」


「勝手に地上へと引っ張り上げておいて申し訳ないのだが、まだ君の身分を保障することのできる人間がこの屋敷にはいない」


「ああー……そうですね。ええ、彼女から聞いています」


「私が継いだこのエダートンという家は、すねの傷がかなり深くてね。私自身も死霊術でアンデッドを呼び出していた過去があり、金輪際使わないと宣言している。その覚悟の表明のため、一緒に爵位も捨ててしまった身である以上、私は後見できるような立場にないんだ」


「だけど、そうじゃない私なら話は別。年齢さえ伴えば、貴女の後見人だって胸を張って言えるわ」


「世間はそんなに甘いものでしょうか?」


「賢い子だね。だけど他に手もなければ、マーシア自身もそれを望んでいる。まあ、他に後見人に選べそうな者がいればそれでもいいが。君のお父様の様に、伴侶になる人であれば一石二鳥だな!」


「もーっ。私がなるって言ってるのに!」


「ははは、すまんすまん。あくまで一つの選択肢だよ。選択肢は多いほうがいい」


「……私も」


 歓談を繰り広げていても、親子はフィオナのぼそりとした呟きを聞き逃さなかった。二人揃って、言わんとしていることに耳を傾ける。

 

「私も、母のように異なる存在を受け入れ、父のように自身が異なる存在であっても受け入れられるような人物になれるの……でしょうか」


「……ああ! 勿論なれるとも! その為にもまず、年齢相応の教養を身に着けなくてはな。時間はある。マーシアが成人するのを待つ間、この屋敷で教育を受けていくと良い。いつかやりたいことも見つかるだろう」

 

「何から何まで、ありがとうございます。これからお世話になります」


「わぁやった。ずっとむすっとしてたけど、ようやく受け入れてくれたね?」


「君との接し方も改めないと……。母上なら、お友達とも今までのような態度は取らないでしょうから」


「え何いきなり。怖いよ。私に対しては今までのままでいいじゃない。っていうか、魔法の勉強部屋に案内してあげるわね。貴女もこれから使うことになるだろうし! 着いてきて!」


「わ、ちょっ! 私が魔法覚えても人前じゃ使えないのに!」


「自分が使わないまでも、仕組みを覚えていたらいいことあるわよきっと。ほらおいで!」


「いきなり一人、娘が増えた気分だ。ははは」


 フィオナの手を掴んで立ち上がらせて、屋敷内を駆け出すマーシア。小さい二つの背中を、エダートン元子爵は穏やかに見守っていた。

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