回想・すねの傷は土の下

「……」


 片目を開いたまま、ぐったりと横たわる子供。その淀んだ瞳がどこを見ているのかは伺い知れない。

 その傍らに寄って、すかさず子供のポケットに手を突っ込む少女。子供の手足は、その少女が親指と中指で作る小さな輪に収めても隙間が空いてしまう程に細い。

 

 その代わりとばかりに、お腹だけは張り出していた。人間は飢餓が極まるとこのような体型になってしまう。幼い子どもは、週に一度の炊き出しだけでは体力を維持できない。ポケットを弄られている間も、横たわった子供はぴくりとも反応を見せなかった。

 

 彼女の服装は、子供に負けず劣らずあまりにもみすぼらしい。雑巾のようなシャツ。土汚れで元の色がわからなくなっているズボン。裾は乱雑に千切れ、糸がほつれ放題になっていた。裸足で地下街の石畳を歩いてきた足裏と同じ色をしている。

 その割に、髪だけは美しく……黒曜石のような、全てを吸い込むような輝きを放っていた。

 

 それでも、彼女は笑顔を浮かべている。ポケットから取り出した手の中には、幾ばくかの硬貨が握られていた。それを己のポケットにしまい込んだ少女は、子供を担いで近くを流れる用水路に浮かべた。せめてもの弔いとでも言うのだろうか。

 使えるものは頂いて行くが、少女自身も明日は知れぬ身。子供をぞんざいに扱う気にはなれなかったのだろう。

 

 小銭を得て彼女が向かった先は闇市。地下街には闇市以外の市場はない。どこへ向かっても同じだ。

 

「おっさん。このチキン今いくら?」


 手に入れた小銭を屋台の主人に見せびらかす少女。


「来たなナマイキ。んだお前、生意気にも金持ってんのか」


「ウフフフフフフフフフフフフ」


 ナマイキ。それが彼女の地下街での名前だった。態度からなる、少女の自業自得によるものだった。


「お前みたいなのから金取ろうってほどこっちは生活困ってねえんだよ。持っていけ」


「っと、わ、あちち……ありがと太っ腹! ちょっとは痩せろよ!」


「うっせえな。さっさとどっかいきな」


 新聞紙に包んだ揚げ鶏を投げて寄越す主人。ナマイキは受け取りは出来たが、ガッツリ熱された本体を掴んでしまい思わず両手を使って鶏でお手玉を披露する。

 戦火も落ち着いた今、地下街にも平穏が訪れていた……しかし、ナマイキのような浮浪児にとっては、これからが本当の戦いだった。

 

 盗みに手を染める子供もいた。その対策の煽りを受けて、無実の浮浪児も処分されることもしばしば。大人たちが彼らに情けをかけられるほど、平穏を取り戻した頃には浮浪児はかなり数を減らしていた。

 

「おばさん、働きにきたよ」


「その前に口を拭きなさい。そのなりじゃお客さんの前に出せないよ」


「んぐぐ」


 鶏を齧りながら職場へ向かったナマイキの口周りは油でべたべた。これから彼女には接客業が控えているというのに、ただでさえみすぼらしい格好をしているのに。そのままではあまりに忍びない姿だった。

 

 酒場を切り盛りする妙齢の女性は布切れを手にして、ナマイキの口を拭ってやる。地下街に存在するものとしては、かなり清潔に保たれているもののようだった。

 

「らっしゃい」


「お、ナマイキじゃん。今日も頑張ってるな」


「今日はソーセージがおすすめだよ。だからつまみはソーセージでいい?」


「いや注文決めつけるなよ。まあそれでいいけどな」


「おばさん、ソーセージ一丁~」


「はーい」


「あんな美人捕まえておばさん呼ばわりとか、俺の口からは絶対言えねえ……その生意気根性見込んでなんか奢ってやるよ。何がいい?」


「じゃあ、それ」


 ナマイキは先程自分が客の男に提供した、麦酒を指差した。酒場の主人が自ら醸した密造酒。味付けには自信があるようで、ここいらの闇市では強気の価格設定だった。しかし、この酒場はいつも客足が絶えなかった。


「酒はお前には早いっつうの。これでも食っとけ」


「むぐぐ……うま」


 ナマイキの希望は叶わない。が、代わりにこちらも自分が提供したばかりのソーセージが一つ、彼女の口に突っ込まれた。


「あーもうやめてよ。また口元汚しちゃう」


 主人がカウンターから出てきては、ナマイキの口元をまた拭う。


「疲れた」


「あーうん、今日もお疲れ様。はいこれ、今日のお給料。貴女が居るとお客さんも嬉しいみたいだから、色つけておいたよ」


「ありがと。じゃあな」


「また明日もよろしくね~!」


 給料を受け取ったら用済みとばかりに駆け出すナマイキ。そのような不遜な態度を取られようとも、酒場の主人は穏やかながら駆け出すナマイキに届くよう、大きな声で彼女を見送った。

 

「ひい、ふう、みい……本当に色づいてるじゃん。おばさんのくせに」


 できるだけ人気のないところで硬貨の数を数えるナマイキ。

 総額は五百レジンだった。先程食べていた揚げ鶏が二百レジンで買えるものなので、これで彼女は二日は食いつなげる計算となる。一日一食に抑えるならの話だが。

 

 しかし、小銭を手にしたナマイキが向かったのは、主に食品を扱う屋台ではなく。

 

「おっさん。廃材ある?」


「どれも全部一個三十レジンだよ。じっくり見ていきな」


 ぎこぎこと椅子を揺らす中年男性。その近くに敷かれたシートには、木材の端材が山のように積まれていた。

 切れ端は無理やり叩き折られたようなものが殆ど。ささくれが目立ち、素手で触ればたちまちに刺さってしまいそうな状態だった。

 しかし、ナマイキは慣れた手付きで廃材を選別しては、足元に選り分けていく。

 

「んー、この辺ちょうだい。二百四十レジンでいい?」


「十個あるじゃねーか。しれっと値切んな。まぁその値段でいいから、今度俺にも椅子作ってくれよ」

 

「六十レジンで椅子作れとか、さすがにおっさんでも言わないよね?」


「そん時にもちゃんと払うって。まあ心付けとでも思ってくれや」


「ありがと。腰いわすなよ」


「いわさねえような椅子作って寄越してから心配しろ」


「わかってるよ。じゃあな」


 器用にささくれを避けて、十個の廃材を抱えて立ち去るナマイキ。そのまま彼女は、根城とする小屋の方へと向かった。

 

「……ワン」


「元気してた? アニアン。んしょっと……よしよし」


 主にナマイキが起床したときと、帰宅したときだけ、声を発する同居人。ナマイキよりも大柄の、骨ばった体の犬が小屋の中で伏せていた。犬種は牧羊犬として有名なグレート・ルトアニアン……に、よく似た雑種の犬だった。名前の由来は言わずもがな。彼はできる限りちぢこめて、ナマイキが入れる隙間を少しでも作ろうとする。

 彼の周りには骨が散らかっている。サイズから見るに、兎のものだろう。

 

「あー! 君だけで兎を食べてたね! 分けてくれてもいいのに」


「グウゥウゥゥゥ」


 アニアンと呼ばれた犬は、鼻をくんくんとひくつかせた。お前も揚げ鶏を食っただろうと言いたげに小さく唸った。

 

「……今度、お土産を持ってくるね」


 そそくさと小屋から退散するナマイキ。いくつかの廃材と持ち合わせの釘、その他工具を持ち出していた。

 

「……ワン」

 

「今日はよく鳴くね。お前のベッドは作ってやっただろ?」


 廃材のささくれを落とす作業を始めたナマイキにすり寄るアニアン。仕方がないので、ナマイキは彼を撫でてやる。

 

「そろそろ組み立てるから、あっちいって」


 アニアンは唸ることもなく従い、小屋へ戻る。ナマイキが廃材を使える状態へと整えたためだ。その邪魔をするような犬ではない。

 

 ナマイキは目を閉じる。一度深呼吸をした後開かれた瞳は赤く輝く。彼女は気合を入れると、目が輝く体質を有効活用していた。薄暗い地下街でも、己の瞳から発する光のお陰で手元がよく見える。

 

 今は亡き彼女の両親。二人は、決してこの輝きを人には見せぬよう厳しくナマイキに言い聞かせていた。今の所彼女はこの教えを守っている。アニアンにまで見せない徹底ぶりだった。

 

 両親の教えには読み書き計算も含まれる。お陰で、彼女はメジャーを読めるし、工具を扱える。家具を組み立てることができた。

 ナマイキはのこぎりを引き、金槌を打ち付けて作業を進める。地上では朝日が登る頃。それを伺えようもない地下街では毎日、それを知らせる鐘が鳴る。

 

「うん、できた。売りに行くのは……ちょっと、寝てからにしようかな」


 出来上がった椅子の座り心地を確かめるナマイキ。彼女の身にはちょっと大きい。ある程度納得したのか、それを小屋の方に押し込んで仕舞う。


「ベッド借りるね、おやすみ……」


 本人はアニアンのために作ったと言ったベッドだが、一人と一匹が使うのに最低限のスペースがあった。それが小屋の面積の殆どを占めていた。今は最新作の椅子が収められているので、余計に狭くなってしまっている。

 

「ぐが、ふんが。ふごご……」


「……」


 ナマイキのいびきが小屋に響く。アニアンは迷惑そうに顔をしかめるが、睡眠を妨げるような真似をしない。本人も眠ってしまえば問題ないのだから。

 

「先生の新作があるぞ。しっかり寝てるな。今のうちにひっぱり出すぞ」


「よしきた。こいつの家具、それなりの値段で売れるからな」


「……」


 小屋に顔を出したごろつき。地下街の情勢は多少落ち着いたと言っても、余裕のない層は大人にも多数存在していた。

 

「げ、こいつ番犬飼ってやがる! ……でけぇ……けど、夢の中だな」


 アニアンはこういった時の為に飼われている存在でもあった。雑種といえど、その体格から察するに、狼ですら尻込みする猛犬とも称されるグレート・ルトアニアンの血を一部引いていることには変わらない。

 が、当のアニアンはナマイキと同じく、ぐっすりと眠りについていた。


「さっさと運び出すぞ。うら!」


 ごろつき二人組は椅子を担いで足早に小屋から立ち去っていく。

 

「ワン」


「おはよ……やられた。番犬失敗だねお前は」


「クウゥン……」


 ぺちと軽く尻を叩かれたアニアンは、申し訳無さそうに大きな体を縮こまらせていた。


「今度こそは留守番頼むね。工具まで取られたら商売あがったりだ」


「ワン」


 小屋を去るナマイキを、珍しく背筋を伸ばして見送るアニアン。彼なりに、思うところがあったようだ。

 

 

――――――

 

 

「ようじじい。椅子いるか?」


「ほお? どれ、見せてみろ」


 元々座っていた椅子の手すりに手をついて、よろよろと立ち上がる中年男性。彼は体がこのような状態になっている経緯をナマイキには明かしている。彼はかつて兵士だったが、彼が潜んでいた塹壕の近くに魔法弾が炸裂したらしい。

 しかし、その椅子を持ち込んだのは製作者ではない。二人のごろつきだった。


「これ、どこで手に入れた?」


「腕のいい先生がいんだよ。今度紹介してやろうか?」


「……いるかよ」


「あ?」


 中年男性は顔を伏せる。商品の鉄屑に指を向けた。指示を受けた鉄屑は軽快に宙へ浮かび上がる。彼は鉄屑への指示出しを続ける。瞬く間に、ごろつき二人の周囲を囲った。そのうちの一つ、鉄棒を勢いよく地面に叩きつけた。石畳を割って突き刺さっている。


「じ、じじい? これは一体なんの真似だ?」


「子供から盗みを働くのはいけすかねえなあ。この鉄屑はサービスだ。持ってっていいからさっさと帰れ」


「……っ! くっ」


 鉄屑には鉄棒以上に先端が尖ったものもある。これが先ほどの勢いで放たれてはひとたまりもない。命の危険を感じとる嗅覚が鋭いごろつきたちは、一目散に駆け出して行った。


「おっさん、ってうわ、おっかないな。なんで鉄浮かべてんだよ」


「大掃除さ。たまには埃落としとかないとな」


「そう……じゃあ今日も廃材をおくれよ。ってあれ? それ……」


 ナマイキは男性の近くに、見覚えのある椅子が転がっているのが見えた。思わず指を差している。


「ったく、自分の作品は大切にしろよな。落とし物だって届けに来た親切な奴がきたぜ」


「そんなまさか。だいたいなんでおっさんの所に届けに来るのさ」


「そのまさかだよ。まあ元はお前のだし、代金はちゃんと支払わないとな。ほら、売りたきゃ座るの手伝え」


「うん」


 ナマイキは男性に肩を貸して、自作の椅子に座らせる。


「ふーん、まあまあだな」


「五百レジンのつもりだったけど……」


「お前が値段付けようなんて生意気なんだよ。ほら手出せ」


「え、マジ?」


 ナマイキは握らされた硬貨を見て目を見開いていた。銀貨だった。金額で言えば五千レジン相当だ。地下街では相当な大金といえる。


「たまたま拾ったんだよ。こんな釣り銭にも困るもん、今使わんでいつ使うんだ、持ってけ。これじゃ足りんぐらいかもしれんな」


「ウフフ……ありがと」


「多分お前の家具は、地上でならもっと高く売れる。さっさとこんな臭いとこ出て行って、がっぽり稼いだら酒の一杯でも奢ってくれや」


「フフフフ、フッ……地上かぁ」


「お前には前科もないだろ。お日様の下でも堂々としてりゃあいいんだよ。誰も地下街にいたなんて思いやしねえさ……それでもっとまともな服でも買えればだが」


「こちとらそのお日様が怖いから地下に来たんだけどなあ」


「なんだ、盗みでもやってたのか?」


 男性は意外そうに声をあげた。並べている廃材を盗まれるのは日常茶飯事だったが、ナマイキがそのような行いをした所は目にしたことがなかったからだ。


「悪事は一切してない。誓っていいよ」


 死体の懐漁りはナマイキの考える範囲では悪事に入らないようだった。


「一体何に誓うんだよ、生意気だなお前は」


 椅子に座る男性の手がナマイキの頭に伸びる。がしがしと乱雑な手つきだが、ナマイキからは嫌そうなそぶりは伺えない。


「えへへ……また釣り銭に困らないぐらいに儲けたらくるね」


「だから地上に出ろってんだよ」


 駆け出す男性はナマイキの背中を見送る傍ら、以前まで自分が座っていた椅子に指を向けて、宙に浮かべる。それを勢いよく地面に叩きつけ、新たな商材を用意していた。

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