見上げればあなた

「ハムと卵、どっちがいいかしら」


「そういえばフィオナさんの食事の好みは聞いたことがありませんね」


「そっか。じゃあどっちも入ってるやつにしましょう」


「えっ?」


 そう言ってサンドイッチを注文するエダートンさん。ちょっと待ってから出てきたそれは結構ボリューミーだった。元々入ってるきゅうりはともかく、そこそこ厚いハムと元々分厚くなりがちな厚焼き卵を無理やり一緒くたに挟んだ姿はなかなかごつい。一つで指三、四本分ぐらいあるかな?

 

 エダートンさんが言うには、フィオナさんはかなり落ち込んでいるようだ。食事もろくに摂っていないのではないかと、フィオナさんへの差し入れを選んでいるうちに、彼女に対する心配は殆ど吹き飛んでいた。これもポーズだと言うのなら、カルカノ前でのわざとらしい態度を大根演技だと評したのは間違いになる。

 

「ちょっと話し込むかも知れないし、私達の飲み物も買っていこうか。付き合わせているし、飲み物ぐらい奢らせて。何がいいかな?」


 僕もちょっと良い紅茶を買ってもらっていた。普通の紅茶なら、食堂でタダで飲めるんだけどね。別に、お茶に警戒心を絆された訳じゃないよ? 流石に。


「あれ、お水ですか」


「あの子は水しか飲もうとしないのよ。安くついていいけど、その分食事はちょっといい感じにしないとね」


「ほんといい厚さになりましたよね……」


 飲み物が三つと、愉快な厚さのサンドイッチを載せたトレイを僕が運ぶ。おごって貰っておいて、運びすらしないのはいけないからね。ちなみにエダートンさん本人はカフェオレを買っていた。

 

 受付での研究室番号の記入は、手が空いているエダートンさんがやった。今まで何度寄ったのかわからないけれど、かなり手慣れた様子だった。二年にもなればそうなるのかな。

 開いたゲートを二人でくぐって、閉じたのを確認してから彼女が口を開く。

 

「さて、ここらで打ち合わせをしておきましょう。ステラさんは私がいいと言うまで私の後ろにいて、声も出さないで」


「……わかりました」


「あ。それと、結構びっくりするかも知れないから、トレイ持つわ。ここまで運んでくれてありがとう」


「いえ、とんでもありません。こちらこそありがとうございます」


 そんなにやつれているのだろうか。だけど、後見人のいない吸血鬼と言う存在はそれだけ警戒されておかしくない存在だ。一般的な感覚で言うなら、告発すべきなんだろうとは思う。他人の行動一つが人生を大きく左右してしまう恐れがある状況は、やはり気が気じゃないだろう。

 もちろん僕には告発する気なんてさらさらない。けど、フィオナさんの人となりを知る前に吸血鬼だと聞いていれば、そもそも近寄ろうと考えていたかどうかが怪しい。


「じゃあ、行きましょう。これからはシー、ね。フィオナ? 私よ私~」


『鍵なら空いてますから、勝手にお入り下さいな』


「あれれ。私まだ名乗ってないわよ。いいのかしら?」


『呼び鈴を連打するような行儀の悪い人は、この学院には貴女ぐらいしかいません。マーシア』


「えうぅ、ごもっともね……入るね」


 確かに行儀が悪い。呼び鈴はスペイサイド先生の手帳が如く、吠え上げていたからね。

 エダートンさんの手は塞がっている。研究室のドアは僕が開いた。僕はできるだけ死角を意識して立つ。エダートンさんが先行してから視線で入室を促してもらったところ……立ち位置に気をつけた意味はあまりなさそうだとわかった。

 フィオナさんは、部屋の隅の方で三角に立てた膝を抱え、そこに顔を伏せ込んでいた。友人であるエダートンさんが来てもそのままだった。

 

「元気だしてよ。ほら、ご飯持ってきたわ」


「……そこに置いといて」


 フィオナさんの言う『そこ』を、指し示されずともエダートンさんはわかっているようだった。手頃な高さの本棚の上にお盆を置く。そして自分のカフェオレを掴んで一口つけた。一緒に僕にもお茶を渡してくれたけど、音を立てずに飲む自信はあまりない。

 いつだって丁寧な言葉遣いをするフィオナさんと言えども、そんな仲の友達に対しては砕けた調子で接するようだ。仲の良さが伺えるね。

 

「その様子なら今日も授業に出てないんでしょうね。どうしたいの? 学校やめるの?」


「やめたくないよ。だから今日、四限にだけは出た。だけど、だめなんだ……誰から見られても、あいつ吸血鬼のくせにって思われてるように感じてしまう」


 ん? あれ?

 別に砕けすぎているとは思わないけれど、まるでいじけた男の子のような声色で……まさかね?

 

 なんて考えたけど、彼女が身につけているのは部屋着。それも殆ど下着同然のようなもの。あのような格好では胸も詰めようがない。男が装うだけでは絶対に作れない膨らみが、脇腹から少しのぞいている。それが明確に彼女の性別を保障していた。そうそうこのような行いをするお仲間なんていないよね。

 そんな確認をしておいてなんだけど、目のやり場に困るので、できるだけエダートンさんの背中を見つめる。

 

 すると、振り向いたエダートンさんが今かとばかりにこちらを見ては、にやりと口角を上げた。結構驚くことがある、というのはこの言葉遣いだったんだね。

 

「じゃあ、今度こそ私が後見人だって名乗り出るね」


「……それはだめ」


「もう。だからどうしたいの」


 元子爵のお嬢さんであるマーシア・プルトニー・エダートンさん。そんな彼女が後見人となってくれるなら、これといった問題はないと思う。

 ただし、未成年である為に、その立場が認められるかは少し怪しいところを除けばだ。

 

 後見人になる権利を認められるのは、ある程度の額を定期的に納税できているかなど、社会的な地位も条件に含められる。家の扶養を受けている未成年では分が悪い。

 エダートンさんのお父さん、つまり彼は家の当主に当たる方となるはずなのに、彼女らの頭ではその候補にもなさそうなのは、その辺りが原因なんだろう。爵位を返納するというのは、聖教への信心的にはともかく、社会的な立場を問題に見られても仕方がない。

 

 だけど、どうやらフィオナさんにはそれ以外にも、エダートンさんに後見人になって欲しくはない理由があるようだ。


「背教者と呼ばれた家の正当化に向かって、爵位を捨ててまで励んでいるお父さんの努力は知ってる。娘の君が吸血鬼の後見人に名乗り出るだなんてのは、それを台無しにすることだ。連中が君の実家を中傷する、格好の材料になるに違いないよ」


「別に今以上なに言われようが平気だって私も何度も言ってるでしょ? それに、善良な吸血鬼の後見人になることのどこに問題があるのよ。今のところは貴女の意向を汲ませて貰ってるけど、公になるときが来たら遠慮なく名乗り出させて貰うからね」


「まだ未成年でしょうが」


「……後見人筆頭候補としてね」


 空気が険悪になってきた。僕には喧嘩するような友達はいないから、なんだか羨ましい。

 ……って、そんなことを考えている場合じゃないんだけど、発言を禁じられているから仕方がない。

 

「やっぱり、だめだよ。もうやめよう。私は吸血鬼の血を引いているくせに、急いで多くを求めすぎたんだ。それで罰が下ったんだよ」


「まだ別に公になった訳じゃないでしょ。バレたのはステラさんだっけ。さっきもカルカノを触っていたよ。貴女に出されたっていう課題をしてたのかな?」


「……」


 黙り込んでしまったフィオナさんをよそに、エダートンさんが言葉を続ける。

 

「ちょっとお話してきたけど、あの子なら血だとかそんなことは抜きにして、貴女から組紐のこと教えて欲しそうだったよ?」


「……知らないね、そんな子。どちら様?」


 あ、え……。

 思わず口を手で覆ってしまう。教えたがりのフィオナさんのことだから、強がりを言っているに決まっているのに。すかさずバッとこちらを振り返ったエダートンさんが、すごいバツの悪そうな、申し訳無さそうな顔をしていた。

 気にしていないことをアピールするために顔を横に振った。それを見て安心してもらえたのか、またエダートンさんは微妙な微笑みを浮かべて、またフィオナさんに向き合う。その裏で、僕は目頭に浮かびかかっていた涙未満の汁をハンカチで拭き取る。忘れた振りされたからって別に泣いてなんかない。

 

「うわ、ひっどいなぁ。私がちょっと対応間違えて、王女さまのお友達と疑われたときはすんごい怪訝な顔してたよ」


「……」


 また黙り込んでしまった。彼女を立ち直らせるには、骨が折れそうだ。

 

「んー、じゃああの子は私が貰うわね!」


 え?

 

「……何を言ってるんだい?」


 僕の気持ちを代弁してくれたようだった。そのためには開いてくれるんですね、口。


「あの子の専攻は召喚術だって聞いたわ。そっちの実力はまだ聞いてないけど、召喚術をやる人って、つい一辺倒にのめり込みがちなのよね。その上でましてや、カルカノを触ろうってぐらい触媒にも関心持ってる人なんて中々いないわ」


「……」


「あの子は、私がちょっと助言なんかしたら絶対伸びるわね。その時にも組紐の熱意が残ってればいいなぁ。欠片すら残らないぐらい振り切れちゃったら、晴れてステラさんは私の教え子かな!」


「それは絶対ダメ! ……えっ。ええぇぇぇぇ……」


 それを受けて、今までのふさぎ込みようは何だったのか。というぐらいの勢いで顔を上げて抗議するフィオナさん。せっかく上げてもらった顔は、すぐに情けなく変わっていった。最初視線はエダートンさんに向かっていたけれど、すぐに僕と目が合った。黙っていてごめんなさい。


 エダートンさんの畳み掛けるような教え子簒奪宣言。別に彼女の本心ではないだろうことはわかる。フィオナさんのことをよく知っていて、そのような言葉を選んだんだ。効き目はまさにてきめんだった。

 

「……ステラ、さん? ……いつから、そこに、そちらに?」


「あれれ。もしかして気づいてなかったの? うふふ」


 エダートンさんの顔を見る。悪い笑みを浮かべていた。それだけでイレーナやヴァイオレットと仲良くできる人だと確信が持てる。召喚術で競合しているから、イレーナの側は素直になれないかも知れないけど。

 

「……すみません。エダートンさんと一緒に入室しました」


「あああああぁ、ではもう最初から……っああぁあ~~~~……」


「おっと。私のことはマーシアでもいいよ?」


「ええ……わ、わかりました、マーシアさん」


 うわ、空気の読めないことを口にする人だ!

 でもせっかく許可を出された以上はそれに従うことにする。


「最悪だ……出自のことだけじゃなくてこっちまで……さっき程の態度につきましても、すまんなと思うばかりです」


「言葉がバグっているわ。落ち着いて話してあげて?」


「……ウッウン。先程は、申し訳ございませんでした」


 フィオナさんは咳払いを挟み、少しは落ち着きを取り戻せた様子だ。僕が普段知る、フィオナさんの振る舞いに近くなった気がする。


「ああいえ。フィオナさんの境遇を思えば仕方のないことです」


「ありがとうございます……。今まではすっかり貴族の仲間入り出来た気持ちでいましたが、結局、所詮は付け焼き刃。本物には敵いませんね。ステラさんを見ていてそう思いました」


「まさか。私はえっと……隠し子ですし。大層な者ではありません。本当にお気遣いなく」


「えへ、涙が滲んではいたけどね~」


「あっなんで言うんですか!」


「本当に、申し訳、ありませんでした……」


 どうしてわざわざそんなことを伝えてしまうんだ。またしてもフィオナさんが萎縮してしまったじゃないか。それに別に、涙を浮かべた記憶はないよ! 出ていたとしても、それは涙以外の何らかの汁だよ。

 

「ええ~。貴女に忘れられたフリされて、とってもいじらしい顔をしていたものだから、貴女にも見せてあげたかったのに。いつまでも顔を上げないものだから仕方ないよね」

 

「居るのがわかってたら顔をあげてたっつうの! 本当に底意地の悪いやつだね君は!」


 先程までのフィオナさんに戻ってしまった。言葉を荒げてしまう程には怒りが込み上げているようだ。マーシアさんに素直に従ったのは失敗だったかもしれない……。

 

「この際だから、貴女のことをこの子に全部、知ってもらおうと思ったの。この先のことはステラさん次第でいくらでも変わってしまうのだし、いいよね?」


「もう、本当に勝手なことばかりする奴なんだから……。ステラさん」


「はっ、はい!」


 途端に声色がよく知るフィオナさんのものに戻る。不意打ち気味だったもので思わず声が大きくなってしまった。そんな急に戻されるとついていけないよ。


「先程は、悪態をついてしまい本当に申し訳ありませんでした。ただ、あれは本心からのものではありません。忘れようと割り切るために、つい口にしたことです。でも、私が無理に教えていた組紐に、あれほどひたむきに取り組んでくれた貴女のことを、忘れられようはずがないのです。貴女がいないと思って放った失礼極まりない発言を、どうか許しては頂けないでしょうか?」


 両手を合わせて拝むように嘆願するフィオナさん。答えは決まっている。

 

「とんでもないです。どころか、私が許すや許さないというような問題ではありませんから、どうかお気になさらないでください」


「……ありがとうございます。この期に及んで、これ以上隠し事をしようだなんてつもりはありません。つまらない話にはなりますが、マーシアの勧めもありますので、私の身の上話を聞いて頂けますか?」


「ぜひとも。お願いいたします」

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