太陽は時に牙を剥く

「……」


 ステラは己の亜麻色の毛先をつまんでいじっている。三人がけの机にただ一人、その端に座って、なんだか落ち着かない様子でそわそわとしているようだった。

 金曜四限の始まりを告げる鐘が鳴る。時間が来た以上は仕方がないと、すっかり気持ちを切り替えたらしくステラの表情は至って澄ましたものに変わった。

 

 ……と、思いきや開かれた教室の扉にばっと顔を向ける。教室には教卓側、中程、後方に扉が取り付けられている。教卓側の方が校門からたどり着くのには遠いので、あちらから入るのはほぼ教師。

 だからステラも教師がもう来たと思ったのだろうか。しかしその扉から入室したのは教師ではなかった。頭頂を壁に向けて歩く女生徒。頭からだらりとたれている髪は、この地域では珍しい程に黒々としていたので、ステラにはそれがフィオナだとすぐわかった。

 

 それを見て心配そうに表情を曇らせる。当のフィオナはステラが座る教室中程の席を、髪の隙間からちらりと一瞥するだけで、最前席の手近な所に座ってしまった。

 少し遅れて教師が入室してくる。授業が始まってしまえば、駆け寄ることも憚られる。ステラは大人しく、自分の席に留まっていた。

 

 しかし、一年の長があるためだろうか。授業が始まったからといって、躊躇わずにステラが座る長机の、中央の席に移動してくる生徒がいた。

 

「意外だったわ。貴女が忠告を聞くとは思ってなかったんだけど」

 

「……忠告を受けた覚えはありませんが」


「まあよろしい。賢明な判断です」


 ステラの真隣の席に移動してきた、金髪の小柄な少女。彼女の元の席の近くにいた、取り巻きの女生徒二人はきょとんとしていた。その二人は僅差で開始した授業中に移動するような豪胆さは持ち合わせていなかったらしく、そのまま己の席に座していた。

 

 隣に座った少女をステラは一瞬だけ睨みつけるが、すぐに微笑みを顔に貼り付ける。すかさず手帳を取り出し、何やら書き殴ってすぐ閉じた。以降は流石に授業が始まったこともあって、二人は言葉を発さない。

 ただ、召喚術に用いる人形の製作時間になると、少女がステラを見る目が一変した。

 

「え……! どうやってそんなに綺麗にしたの!?」


「テキストに書いてある手順通りに従うだけですよ」


 少女が作った犬型の人形も、別に見れない見た目ではなかった。

 しかし、実際にその人形を用いて召喚を行うと……呼び出された犬は右の前足がうまく動かず、歩くのにも苦労しているような様子だった。


「おほん、もったいぶって言うことでもないのですけど。私は外国人ですが、ルイステンの文字が問題なく読めます。にもかかわらず、私の人形はこのような出来。書いてあることを実行する他にも、何か秘訣があると考えたの。何かアドバイスをしてもらえないかしら?」


 堂々と彼女より下級生であるはずのステラに助言を乞う少女。それだけ、ステラが手放して机に置いたばかりの犬型の人形は、凛々しく象られていた。跳ねるように駆け出す犬。ステラが小さく二回手を鳴らすと、犬はその手のひらを追いかける。

 追いついた犬は頭を撫でられ……覆い隠すように頭を掴まれた。ステラがぐっと手に力を込めると、粘土で出来た頭はあっけなく潰れた。動かなくなったそれをステラは袋に放り込む。


「本当にこの段階では記述通りに従う他にないんですが……ん~、あえて言うとすれば、記述の量に対して図説が足りてませんよね。それでイメージが掴めていないのかも知れません。私、もう一体人形を作りますから、眺めていて下さい」


「わかったわ!」


 少女はペンを手に取り見学態勢に入る。ステラの手元にはまだ何体か分の触媒が残っているので、再度製作に取り掛かった。

 

 その光景と、メモを取る己の手元とで視線を往復させる少女。ステラの丁寧かつ迅速な作業を見て、参考にできそうな部分を多く見出していたのだろう。

 しかし、時間を追うごとに己の手元を見る頻度が減っていき……メモへの記入も、早々に文章から端的な単語へと変わっていく。メモに書かれるものは、なんとかルイステンの字形を保っていたが……どこの国の文字でもない謎の記号と化したところで製作終了。少女は机に突っ伏した。

 

「待って。早い、早過ぎるわ……」


「ああ、すみません。もう一体、最初からもっとゆっくりやりますね」


「助かるわ。後半のメモが全然取れなくって」


「なら前半は良いのでしょうか。じゃあ必要そうなところまでさっさと仕上げてしまいましょう……ん、確かに途中からまるで読めませんね。母国語の文字ですか?」

 

「あっちょ、見ないでよぉ」


 ステラはさっきまで少女が取っていたメモをひったくる。文字がフニャフニャながらも、かろうじて文章の体裁は保っている部分まで目を通した。

 汚い字を見られて、もじもじとうろたえている少女をよそに、ステラはなるほどと一言漏らす。メモを持ち主に返すや否や、文字が乱れ始めた部分までの人形製作をサクッと済ませた。

 

「……本当に手が早いのね」


「真面目に召喚術を始めたら、嫌でもこれぐらいはできるようになりますよ。必然的に回数を重ねることになりますから」


「肝に銘じておくわ……」


 後半の作業はゆっくりと行ったため、少女も余裕を持ってメモを取ることが出来た。それを参考に、授業で製作を課せられていた犬型の人形を作り直したところ……それを用いての召喚はうまくいった。

 十分な成果を得て授業を終えられた二人は微笑み合っていた。

 

「流石です。飲み込みが早いですね」


「貴女が丁寧に教えてくれたからよ。本当にありがとう」


「私は兄と一緒にやっていたので、楽しみながらだったからいいんですけど。そうじゃない人は大変かも知れませんね」


「あら、お兄さんがいるのね。私にもいるわよ。一緒に召喚術をやってくれるような人ではないけど」


「あっ、あー……」


「え、どうしたの?」


 ステラは失態を犯したとばかりに額を抑えた。


「いえ、なんでもありません。えっと……何さんでしたっけ?」


「そうね。先に名乗ってくれただけでなく、魔法のお手本までも見せてくれた人に名乗りもしないのは、流石にスティバレ王族の名が廃るわ。私はマルゲリータ・プーニ・エーベンスヴォイア。現スティバレ王の妹にあたります」


「ええ……王族、ですか……これまでの言動に無礼があれば、お許し下さい」


 血の気の引いた表情で、殆ど反射的にマルゲリータに頭を下げるステラ。それを目にしたマルゲリータは思わず吹き出していた。


「ふっ、あはは! 貴女のような人であっても皆と同じ顔をするのね。ちょっと面白い。だけど、実家の威光を笠に着るつもりはないから安心して。今貴女を脅かしてしまった以外にはね! これからも私は教えて欲しいのに、貴女が恐る恐るだとやりにくいでしょう?」


「はぁ、そう言っていただけるなら助かります……」


「ねえねえ。私のことは皆と同じで『グリッタ』と呼んでもいいからさ。私も貴女をステラさんって呼んでもいいかな?」


「……わかりました、グリッタさん。私についてはどうぞ、お気遣いなく」


「うふふ、ありがとうステラさん!」


 屈託のない笑顔を浮かべるマルゲリータ。ステラは彼女から背けた目を、前の方の席、フィオナの背中に向ける。

 フィオナは目を閉じたまま、荷物を片付けていた。そんな彼女に近づく女生徒が二人。授業が始まる直前までマルゲリータを囲んでいた者たちだ。

 

「ミラーズさん、いいかしら?」


「はいどうも。ではごきげんよう」


「はいごきげんよう……ではなくって!」


 即座に立ち去ろうとしたフィオナを二人は再度呼び止める。


「いい加減にエダートンさんとの交友を断ちなさい。私達も別に貴女を理解力のない人とは思っていませんので、そろそろご理解頂けるかと思っての再度の忠告です」


 カチューシャを頭につけた女生徒が、声を張り上げてフィオナを引き止める。そして、眼鏡をかけた女生徒が本題をフィオナに告げた。


「お断りです。なぜ人に言われて友人をなくすような真似をしなくてはならないのですか」


「何度も言っているでしょう。あの者は死霊術に手を染めた家の出身です。私達も別に貴女に後ろめたいことがあるとは思っていませんので」


「……」


「……今のタイミングで黙り込まないで頂きたい。私達も別に貴女を疑いたいわけではないので」


 穏やかに微笑みつつ、大粒の冷や汗を一つ流すフィオナ。眼鏡をかけた女生徒はそんなフィオナを冷ややかに見つめる。

 

「この際だから、『祈り』をこなして頂いて、そろそろはっきりとさせておきませんか。異端者でなければ問題はないでしょう。いいかしら? ミラーズさん」


「……祈り」


 カチューシャの女生徒が発した言葉を聞き届け、フィオナは息を呑む。


「今日は行うにはちょっと遅い時間ですし、週明けの昼休みのご都合はいいかしら?」


「その後はちょうど召喚術の授業もありますが、私達も別に貴女に無理を言いたいわけではありません。難しければ、その次の日にでも」


「いいえ、問題ありません。どちらに向かえばいいでしょうか」


「では中庭へ集合しましょう。聖霊王によく見えるよう、その日はちゃんと晴れればいいんですが……いいかしら?」


「……わかりました。謹んでお受けしましょう」


 重々しく頷くフィオナを見て不安に駆られてか、ステラはマルゲリータの方を見る。

 

「あの子達ったら、余計なことばかりして……。信仰が深いのは結構だけれど、得たばっかりの異端審問権を乱用するようなら考えておかないと。実施するかは多数決で決めてるから、発議されてからじゃ一人で対抗できないしなぁ……」


「どういうことでしょう。私の耳には『祈り』と聞こえましたが、異端審問とは……何をなさるおつもりなのですか? 私、聖教に関しては疎いものでして」


「太陽のもとで、聖書の音読。そうして聖霊王に祈りを捧げるの」


「は?」


「ふふ。でも長いよ? 全部やるなら三、四十分はかかってしまうかも。喉が痛くなるかもね。でも異端審問を行う権利を持つ私達三人の前で祈りをこなせば、つまりは異端審問を通過したというお墨付きが得られる。彼女にとっては願ったり叶ったりじゃないかしら」


「はぁ……」


 それだけか? と言いたげな声色のステラ。これも予期した通りの反応だったらしく、マルゲリータの表情が緩む。


「まあ、いい機会かな。ルイステンにまで、うちの教義を持ち込むのも違和感があった所だし。仲良くしてるだけの人まで排斥しようとするのは変かな、とも思わなくもなかったの」


「グリッタさんの前で言うのも気が引けますが、私はそれほど信心深い訳ではないので、感覚についてはわかりかねます」


「うふふ、良いのよ。ここはスティバレではないのだから」


 ルイステン共和国。この学院があるルディングは、王を持たず貴族たちが治めるこの国の中にあった。この国にもこの宗教、聖教への信仰は貴族層を中心に存在する。その界隈で『祈りを拒否した』と広まれば、信仰を表明している貴族層が揃って白眼視を始めてもおかしくない。

 

 しかし祈りの内容の無害そうな様子を聞いて、ステラも心配することはない……と思えればよかったのかもしれない。今なお汗を流し続けるフィオナ。それを目にしたステラは不安を拭いきれないのか、表情を曇らせていた。



――――――



 共同研究室はいくつかの区画に分かれている。そのうち、いつも動作音以外静かなカルカノブースだけど、本日金曜日は一際人気がなかった。普段の半分の人数、僕一人しかいないのだから当然だ。

 

 もう必要なだけの糸は作り終えてある。一度失敗したこともあって、必要量は予測することができるようになっていた。あとはカルカノに指示を与えて、状態を確認しながら編み上がりを待つのみ。

 

 微調整のための助言をくれるフィオナさんはいないけれど、暗視の組紐を作る作業で、勝手をある程度掴むことができていた。順調に編み始められさえすれば後は、あとはそれを保ち続けるだけ。カルカノにしても組紐の基本は同じだった。

 

 僕の制服には、既に編み上がっている暗視の組紐をいつでも入れてある。彼女が吸血鬼だと知ったあの日から、彼女は放課後のこの時間、共同研究室に現れなくなった。

 イレーナに聞いても、水曜の召喚術の授業は休んでいるようだった……。彼方に二度と顔を合わせる気がないとしても、それでもまた話をする機会を得たいなら、この組紐はきっとそのきっかけになると思えたからだ。

 

 そもそも、僕が眠気に負けて失敗なんかするからいけないんだ。それさえなければ彼女のルーツを知ることもなかったはずだ。

 徹底して遮光処理されていた彼女の研究室。いくら光に弱い触媒があるからって、今思えば過度だったのではと思えなくもない。授業中に目を閉じていたのも、真意は集中のためなどではなく、こちらを隠すためだったんだろう。……工夫の方向が間違っているような気がするけれど。

 

 そりゃ確かに吸血鬼といえば、人間からしてみれば恐ろしい存在だ。

 僕だって察してすぐ、咄嗟に妹にだけは伝えられる姿勢を築こうとした。僕は『他の生徒や教師に話したりはしません』と彼女に伝えた。イレーナもステラなのだから、他の生徒や教師ではないからね。

 

 だけど結局、イレーナにはこのことを伝えられないままでいた。フィオナさんが信用ならずそうなってるわけじゃない。むしろ、逆だ。彼女は当初、体のことがあっていつまで学校にいられるかわからないと言っていた。病気などではなくて、後見人もいないまま、自身のルーツが知れ渡ることを恐れていたんだろう。それはつまり、目的は隙あらば吸血を狙っているわけではなくて。学校にいたいと、本心から考えているのだろうと。僕はそう信じていた。

 

 そこで問題があるとしたらイレーナの方だ。身近に吸血鬼がいたと知ることで、あの子がどんなふうに思うかはわからない。僕は危害を加えられることはないと確信していても、イレーナまでが同じように信じられるとは限らないからね。

 

 そんなこんなで伝えられないまま、金曜日を迎えてしまっていた。結局出席の様子を聞いて、今の所はイレーナがフィオナさんと顔を合わせてギクシャクすることもなさそうだけど……。

 他の授業にはでているのだろうか。このままずっと出てこない、なんてことはないと思いたい。

 

 僕は今後とも、彼女の正体を公に明かすつもりはないんだ。それでもやはり妹には早急に伝えなければならないけれど、それとなく探りを入れて様子を確かめつつ、慎重にやろうと思う。せめて彼女に信用されなくとも、安心してもらうために何かできることはないだろうか。

 

 今製作に取り組んでいるのは、そういった考えで始めたスクロール……これに組み込もうとしている組紐だ。

 何を狙っているかと言うと、使用者への日光の影響を減らす効果。勝手に切れては困るので、オンオフ自在にしようとも考えた。そうすると結構ややこしい図式を用いる必要も出てきた。

 この効果の再現には、僕の実力では少々足りなかったみたい。発動のためにはインクの他に、組紐まで必要になってしまったのはこのせいだ。

 

 その製作のために、本来個別の研究室で大人しくしていなければならないはずの、召喚術の授業中にもカルカノブースまで来てしまった。今の所、ここでフィオナさん以外の人を見たことはないから多分大丈夫だろう。

 

「おっ空いてる。よかったわあー」


 とか考えていたら誰か来てしまった……懐中時計をチラリ。時間的にはもう四限は終わっているし大丈夫そうか。うかつな行動は今後、流石に控えよう。

 

 演技がかった声、というのも演技に失礼なぐらい、全く感情が込められていない声が背後からした。振り向いて声の主を確認するけど、僕の知らない女生徒だった。刺繍を見ると青色。一年生でさえあんまり把握していない今、二年生なら知らなくても当然だよね。


 ほどほどに長い小豆色の髪は、さらりと細かい。量はあるのに頭にぺったりと張り付いているような感じだ。彼女の頭の丸い輪郭がはっきりとわかる。彼女は僕と同じか、もしかしたらちょっと背が高いかも。学生なのでヒールの高い靴を履いているわけでもないのに、スレンダーな印象を受ける人だった。その割に幼さが多分に残る、屈託のない微笑みを浮かべていた。

 だのに、さっきの大根演技のお陰で素直に可愛らしいと思えない。振る舞いってイメージを保つのに大事なんだね。この生活を続ける上では参考にすべき発見かも知れない。主に反面教師として。

 

「お隣借りるわね。よいしょっと」

 

「あ……待って下さい。そこは先約が入っていたはずです」


「利用時間からすれば大分遅れてるでしょ、ほら台帳にもこの通り。今日はもう来ないんじゃない? よし準備しよっと!」


「ですがっ……ああああ、もう」


 制止しようとするも虚しく、彼女は自分で作業をするためにシリンダーを取りに走っていってしまった。

 彼女は、自分が確認する前の台帳を根拠に指摘してきた。先客の予約が入っている事がわかりきっての行動にしか思えない。どういう意図があるか知らないけど、やはり演技というにはおざなりだ。

 

 ……いけない。彼女に罪はないのに、あってもほんのちょっとなのに、なんだかイライラしてきだした。フィオナさんのことがあるのに、余計なことに頭を使いたくないんだ。彼女への態度に出なければいいけど。

 

 キッチンタイマーが鳴った。よそ行き用に控えめな音量のやつを選んできているけど、即座に止めて、そろそろカルカノへの指示を切り替える必要があることを確認する。こんな精神状態のときに作業しないといけないのは億劫だ。だからこそ慎重に、丁寧に心がけなければ。

 

「……へえー、上手に触るのね」


「お褒め頂き、光栄で……え、何してるんですか?」


 感心した様子の彼女の触るカルカノでは、容器から光が溢れ出していた。

 ミラーモルフォの翅が放つ光は強く美しい。だけど持ち主が命を落とした途端、簡単に崩壊してしまうというあまりに不安定な物質になる。糸に変えるのでも、状態を保とうととするだけでも付け焼き刃の技術では難しい。

 ……かといって、必要とするのは、ある程度真面目に組紐に取り組んでいる人なら、造作もない程度の技術だ。カルカノには、糸に変えない触媒を放り込む容器も備えられている。それは別に、この後使う予定の触媒を入れておく所じゃない。編み上げている間に、糸に変える予定の触媒が変質してしまうのを避けるため、カルダモンを入れておくところだ。カルダモンには、触媒の状態を安定させる効果があるからね。

 彼女が使うカルカノの、その容器は空っぽだった。この時点で、カルカノの説明書すらもまともに読んでいないことがはっきりとわかる。

 

「よく使えるわねこんなの。私には無理ぃ……」


「ほんと何しに来たんですか!?」


「えうぅ、ごめんなさい……」


 ちょっと声が大きくなってしまった。反省。下級生が生意気な態度を見せたというのに、彼女は素直にも眉を下げていた。

 言動はどうあれ、器の大きい人なのかなあ……来年も在籍できていたなら、僕も見習わなければならない。まず見直すべきは、上級生への態度だけど。

 そんな恥ずかしさもあって、いい具合に頭が冷えてきたのかもしれない。彼女の使っているシリンダーの中身が見覚えのあるものだと気づくことができた。

 

「わ、大声を出してしまい申し訳ありません」


「いいのよ。割り込んでまで使える実力が私にないのはわかっていたし」


「その編みかけの組紐は、ちょうどカルカノを使い出すのに最適な難度だと聞いています、そのシリンダーの持ち主から。望まれるなら、貴女も話を聞いてみてはいかがですか?」


「あっ。フィオナのやつ使ってたのバレてた。うふふ、ホントに難しいのねこれ」


 親しげにフィオナさんの名を呼ぶこの人は、もしかして?

 

「フィオナさんのお友達なのですか?」


「あー、うん、まあ、そう」


 なんでそこで目をそらすんだ。確信が持てなくなってしまう。むしろ、悪い想像をしてしまう。

 

「じゃあ、スティバレのお嬢さんのお友達?」


「うーん……あの子らにはむしろ避けられてるかなー」


 しまった。また不機嫌が漏れ出ていたかも。申し訳無さそうに肩を落とす彼女の姿を見てまた冷静さを取り戻すことができた。

 

「では、貴女が……エダートンさん、マーシア・プルトニー・エダートンさん?」


「あれれ。私の名前を知っているの? そんな有名人だったのかしら? いや~たはは」


「同世代で召喚術に取り組んでいる層なら、きっと誰しもが気にかけていると思います。先月の学術機関誌は拝読しました。競技用召喚獣での受賞、おめでとうございます!」


「あーーーー! 見てくれたんだアレ。えへっ、んふふ。こんなこと初めて。ありがとう、嬉しい」


 それは、家柄の影響だろうか。僕ら一家は騎士の出でしかも、長くは東方で暮らしていたからか、感覚がわからないけど、スティバレ王国の人に限らずとも、ルイステンでは聖教に信心深い人が中々にいるようだ。

 それは貴族層であっても例外ではない。ただでさえ触媒の用意にお金がかかる召喚術。手を出せるのは、貴族を始めとするいいとこの子女に限られてくる。そういった層は果たして本心からか、世間に対するポーズかはわからないけれど、聖霊王への信仰を口にしてやまない人々が多い。そういった層がかつて、死霊術を本格利用していたエダートン家に向ける目は厳しいだろう。

 

 例えそちらのお嬢さん、マーシア・プルトニー・エダートンさんが大きな賞を獲ろうとも、祝おうと考える人々は少ないのかも知れない。当の本人は今、明らかに褒められ慣れていない様子で照れくさそうに笑っていた。

 

 だけど、それだけに彼女の実力は素晴らしいんだ。

 そういった外圧をものともせず、審査をする側にもそのような層が多いだろうに賞を勝ち取っているのだから。そのおかげで、同じく応募していた妹が賞を取れないことは悔しいという他にないけれどね。

 

「そんな方にお会いできて光栄です。ルディングに入学できてよかった、本当に」


「そこまで喜んでくれたら私まで嬉しくなってきちゃうなあ~えへ。だけど、今の言葉からすると、貴女も召喚をガチってる感じよね」


「はい? ええまあ、私の専攻は召喚術ですが」


 ガチってる? 聞き慣れない言葉を口にする人だ。文脈からして真剣にやっている……とか、そういった意味なのだろうか。

 

 専攻に関してだけど、僕個人としては製図を真剣に始めるのもいいかなと思い始めていた。貸してもらっていた本から着想を得て、昨日の製図の時間中には描きかけの分を完成させられたしね。

 でも僕はあくまでステラの裏の顔。表はイレーナなのだから、答えるべきは彼女の専攻だ。性別から考えたら当然だよね。

 

 製図と召喚術なら、ルディングの特色を活かせるのは間違いなく召喚術だ。製図の学習のためには、学費の余りでも正直事足りる……。いや、それだとスペイサイド先生から教えを受けられない。そもそも、僕がこんな非常識なことをしてまで学校に通っているのは妹の単位のためだ。卒業したって学歴としては使えないけど、三年間通い続けるためにも単位をしっかり取ることは必要だからね。

 

「その傍ら、カルカノもやろうとしていると。むむむ、これは将来恐ろしいライバルになりそうね」


「ありがとうございます。ただ、私にはこれといった受賞歴がないので……」


「あれれ。さては肝心の召喚術の方はあんまり自信がないのかな?」


「いえそんなことはありません!!」


「だだ、だよね、えうぅ、ごめんなさい……」


 ここで謙遜するのはイレーナの実力を低く見ているようなものだから、引き下がるわけにはいかなかった。ステラに実績はなくとも、イレーナには多数の受賞歴があるのだから。だけど、やっぱりうっかり声が大きくなってしまった。謙遜しないやり方に僕も慣れていかないとなあ。

 

「ところで、どうしてフィオナさんのシリンダーを使っているんですか?」


 エダートンさんが無理に触ったお陰で、編みかけた組紐の先はぐちゃぐちゃにほつれたようになっていた。ああなると直すのが大変なんだよなぁ。


「ん~、えっと、貴女たしか、ステラ・モーレンジさんよね。フィオナったら何かと貴女を話題に出していたから結構聞いてるわよ」


「えっ、そうだったんですか」


「よく出来た妹が出来た気分だって嬉しそうだったわね」


「妹、ですか……」


 質問をはぐらかされてしまったけど、そんなことがあったんだ。妹扱いはともかく、ちょっと嬉しいかも。あんなお姉さんがいたとしたらこちらとしても大歓迎だ。組紐についても遠慮なく教えてくれるかも知れない。

 そういえば、アイラさんのときにも似たようなことを考えたけれど。僕は実のところ、姉が欲しかったりするんだろうか。明確にそう思ったことはなかったから、なんだか自分でも意外に思えてくる。


「あれれ、もしかして貴女、私達より年上だった? 私もフィオナも今年十六になる歳よ」


「いえ。一般的な一年生と同じく、今年十五歳になります」


「あ、そっか、よかったー。イチイチ振る舞いを比べては指摘されるものだから、もう大変だったのよ?」


「振る舞いといいますと?」


「『お腹を出して寝』……これはやめとこうかしら。『食べたものは片付けなさい』だとか、うーん。人にやってもらうことに慣れてしまうといけないわね」


「それはぜひ、早めに直して下さい……」


 そこまで言いかけたら言ったも同然だよ。それにしたって、その点で比べられるのはなんだかおかしい。僕はフィオナさんの前で眠ったことはないし。

 そしてフィオナさん、結構身内には厳しいタイプの人なのかな。友人に対してその態度だとすると、弟相手であれば組紐を教えてくれたとしても大分厳しそうだなあ。妙な妄想はせずに、現状に甘んじようと思います。


「んでもー、学校に通うのも後二年もないしー。あのガミガミにもそれだけ耐えたら、人がやってくれる環境に帰れるからなぁ」


「それだと、フィオナさんが浮かばれません……」


「そうね。彼女には後二年弱、こっちで私を注意し続けて貰わなきゃ」


「えっ?」


「私がわざわざ隣でフィオナのシリンダーを使ってたのはね。貴女なら気づいてくれると思ったからなの」


「それは……」


「使用時間の途中かもだけど、ちょっと付き合って欲しい場所があるんだ」


「どちらへ、でしょうか?」


「フィオナの研究室。私とだったら貴女も入れるはず、っていうか入れるわ」


「……わかりました。着いていきます」


 学院にフィオナさんの事情を知る生徒は僕と、おそらくは彼女だけという可能性は極めて高い。彼女らを信用しないわけではない。むしろしたいと考えている。それでも、僕本人と妹のために最低限の警戒を欠かさない訳にはいかない。

 

 行き先と、帰宅が遅れる可能性を記したメッセージを自分宛てに送っておく。何かあっても手がかりとしてはそれで十分だ。それだけ済ませて、僕はエダートンさんの後に続いた。

 ……あれ、イレーナからのメッセージがあったみたいだ。タイムスタンプを見るに、授業中のはずだけど……後で確認しよう。

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