吐き捨てた情熱の結晶
「むーーー…………」
「ど、どうしたのでしょう、ステラさん……」
「めっちゃ唸ってる。珍しく、行き詰まってることでもあるのかもねぇ」
「何か、私達が力になれそうなことはないでしょうか」
「ないよ。私達、ステラに製図を教わる立場」
「そうでした。ステラさん、頑張って下さい……!」
右側からする励ましの声が耳に痛い。僕が使う資料と、二人が使うものは違う。今日の僕はアイラさんと入れ替わりに、左端の席に座っていた。いくらルディングといえど、生徒全員に同じ図録が行き渡るほど数があるわけじゃない。共有するには僕が真ん中にいたままじゃ効率が悪い。
励ましてくれているのに、無視をしたいわけじゃない。けれど、反応する気力があるなら少しでもアイデアを練るのに使いたかった。前の製図の授業からはもう丸二日経過している。でも僕は、まだ先生が用意してくれた、コアとなる図式を描く以外に手を付けられていなかった。
その時間を使って、重量挙げに使えそうな中級図式のリストアップだけはしてきた。リフトアップだけに……ってダメダメ。余計なことばっかり考える。こんな集中出来ていないのは、自分でも珍しく感じるなあ。
中級図式だけをしっかりと効果を発揮するように、組み合わせるとなると途端に難易度が跳ね上がる。やっとのことで相性が悪くない図式同士を見つけられたと思ったら、使いたいインクのほうが合わないなんてことはザラだった。
インクを妥協するとたちまち微妙な効果になってしまう。無理に採用して、結局初級図式を使うのと効果量は変わらない……なんて事態は、絶対に避けなければいけないことだった。
難しい問題に突き当たると、現実逃避したくなることはありがちだと思うんだ。だけどありがちだからって逃げてばかりいたら、時間がいくらあっても足りないとも考えている。
うん、頭を抱えるくらいなら、相性表を見よう。初級図式を多用していたつい最近まで、特に用事がなかった図式同士の相性表。読み方はわかっても、慣れていないものだから時間がかかる。
「うーーーー、くぅ……」
「あぁ……また丸まったノートが増えました」
「ちり紙みたいな気軽さで捨てるねぇ。だけどそれも、ステラがひたすら励みに励んだ結晶なんだよね、ステラにもそういう瞬間が……いやん」
「……」
なんで今、妙に色っぽい声を出したのかな。普段の僕ならドキッとしたかもしれないけど、今は睨むしかできなかった。
「あはん。馬鹿なことを考えた私をそんな目で見ないでぇ」
彼女の変なテンションは持続していて、顔を両手で覆いながらクネクネしている。一体なんだって言うんだ。調子が狂うなぁ。……もちろん、今の今まで出来てないことをヴァイオレットのせいにするつもりは全くない。
「ステラはその時、何を考えてるんだろう。うーん、私のことかなぁ。きゃっ」
「ラガヴーリンさん。私語が若干きついですよ……」
「うーわ。聞こえてました? ごめんなさい」
スペイサイド先生が言葉を選ぶのに心底苦心したような顔で、先生としてヴァイオレットを注意した。慌ててたときは皆のように、彼女をミドルネームで呼んでたもんね。先生はファーストネームもちゃんと把握してるんだろうか。ジャネットって言うんだよ。僕もこちらで呼ぶことは殆どないけど。
だけど、ボツにしたノートを捨てる時までは流石に、ヴァイオレットのことは頭にないかも。っていうか、関係性がなくない? アイラさんもぽかんとしている。
それ以降はヴァイオレットも集中していたので、困惑は長続きしなかった。結局、いまいち採用する図式を絞りきれないまま、授業の終わりを告げる鐘が鳴る。このままじゃいけないんだけどなぁ。
「ステラさん。難航してるみたいだね、ムッフ~」
「あ……スペイサイド先生」
僕の悩む姿を見て楽しんでいるのか、やたら笑顔で先生が寄ってきた。この人もこうなのか。皆揃って趣味が悪いんだから。
「慣れないことをやるのは大変だよね。まあ、これでも読んでみて気晴らしするといいよ~」
先生は机の左端に本を二冊積み上げた……わあ!
「わあ! 先生っ、これって……!」
「私のバイブルだよ~。でっでもあげる訳じゃないョ? あんまり長期間手元を離れたら心許ないから、適当に返してね? 学校のじゃなくて、私のだからね?」
「もちろんです、ありがとうございます! わあ!」
まさか、実物を目にすることができるなんて思いもしなかった!
親しみを込めて『オーヘン父さん』と呼ばれてる製図の第一人者アウグステン……ええっと、中略。オーヘン氏。
オーヘン父さんの書物といえばやっぱり図式録が有名だ。だけど、彼がスクロールを一から開発する時の、一連の流れをまとめた書物もごく少量だけ出版されていたことを聞いたことがある。
それが、この机の端っこにある。嘘みたいだ。それも、二冊も!
「わぁ、うわああぁ……! すごい、えへへ……」
「わあわあばっかり言ってる。ステラの顔、びっくりするほど明るくなったねぇ」
「そんなにすごい本なんですか?」
「多分この学校にだって置いてない本です! 実際なかったはずです! ぼっ、私が確認した限りでは!」
だから危ないって! 興奮したらすぐこれだ。目を丸くしたヴァイオレットがすっぱそうな口をしてる。今ちょっと冷静になれたから安心して欲しいけど……今の姿を見られては、すぐには無理そうかなあ。
「えっ、本当ですか! いつか理解できるようになったら、先生に貸与を申し込みたいですね」
「別に革命が起きるようなことは書いてないよ~。あくまで気晴らしにしてねってだけだからね」
授業の後の楽しみが、また一つ増えた。
「あと、ヴァイオレットさん?」
「ん、何先生」
「私……授業中に公然とセクハラ発言する子に監視されるのは、ちょっと鼻持ちならないですよ~」
「ぐげっ……反省しています」
ヴァイオレットの顔から水気が消えていく。注意の内容はともかく、彼女がなぜ、何を反省しているのかは僕にはわからなかった。当然ながら僕にセクハラ発言が向けられたわけはないし、アイラさんにも同様だ。万が一、仮にもアイラさんの体をヴァイオレットがつっついていたりとかしていても、それは発言ではなく行動を諌められるべきだ。
……まあ、注意されたのは僕ではないのだから、深くは考えないようにしておこう。本人には心当たりがあるようだし。そっち方面でもお姉さんなのはいいけれど、公共の場では控えるようにしてね。
「ふふふ、ふふふふふ」
「結局ステラちゃんは終始笑顔だったねえ。朝はあんな唸ってたのに!」
「すっかり正反対なぐらいに、にこにこでしたね!」
製図のすぐ後の授業は添呪魔法。そしてお昼を挟んで回復、召喚と続く。入学して二週目に入って、ちらほらと余談程度には、先生らが僕の知らない段階の話をしてくれるようになった。
それについて教科書の先読みなんかをして調べようと試みていたら、あっという間に時間が経ってしまっていた。結局、今使っている教科書ではそれらしきものは見つけられなかったけれど。
それも楽しかったけど、今日はお楽しみの本命が控えている。
「ステラはこの後召喚術があったよね。じゃあ、また明日だね」
「はい。準備があるので、一回研究室に戻ろうと思います」
「今日もお疲れさまでした。それでは!」
彼女らは一年生。召喚術の授業にはステラ以外の一年生は出席していないようなので、彼女らも同様だ。この後の時間を使って研究を進めるんだろう。各々、専攻分野がはっきりしているからね。羨ましい限りだ。
ステラとしてはこの後も授業があるけれど、僕も彼女らと同じくフリーだ。製図が今後の専攻になるかはわからないけど、いい機会を得られたのだから、学ぶ以外に選択肢はないよね。
――――――
「イレーナ! ただいま~~~~!」
「うっわ。なんでそんなテンション高いの」
「ふふふ~ん、見てこれ! オーヘン父さんの図式録、ならぬ……製図術だよ」
「えっ嘘!? それ、学校にあったの? いいなぁ」
変わらず研究室で人形作りを進めていたイレーナ。この子もかつては召喚術に励む傍ら、製図を頑張っていた頃があった。本人の魔力量があまり関わらない分野でもあるからね。今となっては召喚術に全力投球だから、イレーナが図を描いたのは随分前のことだ。それでも、蓄えていた知識は結構なものだ。それだけに、この本の貴重さがよくわかるんだ。
「スペイサイド先生個人の所有物なんだって。課題でつまづいてたら、貸してくれたんだ」
「え、もうつまづいてるの……?」
「イレーナには申し訳ないけど、実力に合った課題を出してくれてたんだ。絶妙にできそうなようで、できてなくって」
「……そう」
イレーナはいじけた顔をしていた。この調子じゃ、まだこの妹の実力では肩慣らしにもならない授業が続いているんだろうなぁ。誰しも、どうせなら適切な課題に挑んでいたいものだからね。
「そういえば、金曜の召喚術は先生が違うって言ってたけど」
「自習ができるだけましかなぁ……」
それは許してくれる先生だったんだ。正直、二年の授業でもイレーナのレベルに達するかは怪しいところだからね。授業がそこに至るまでは、自習が許されるだけでもありがたいと言えるだろう。
「まぁ、私もそろそろ行ってくるね」
「うん、行ってらっしゃい」
「……」
あれ、どうしたのだろう。珍しく、イレーナがなんだかそわそわしているような?
「どうせそれ、土日の間借りるんだよね? 帰ったら私も読んでみていい?」
「……あはは! もちろんだよ。スペイサイド先生が貸してくれたのはステラにだからね。僕ら二人が読む分には問題はないと思おうよ」
「あ、それもそっか……うん、ありがと。じゃあ楽しみにしてるね。行ってらっしゃい!」
イレーナより一足先に、僕はお楽しみとさせてもらおう。そりゃ、いつかは探し出して読もうと考えていた本だけど、まさか未成年のうちに叶うなんて思いもしなかった。
いざ開かれたその、スペイサイド先生の言うバイブルはというと。
めくるページ一つ一つが新鮮な体験そのものだった。先生は控えめなことを言っていたけど、毎秒革命が起きているよ。これは……すごい!
だけど、二冊を読み込むのに、次の製図の授業……火曜四限までの時間では到底足りそうにない。先生やオーヘン父さんには悪いけど、これは……複写させてもらおう! 家に帰ったら印刷のスクロールを書かなきゃ。
このような学習のために手段を選ばないような真似、エスカレートすればマッドサイエンティスト呼ばわり待ったなしだ。できる限りは避けなければならない。だけど……今回だけ! 今回だけはお許しください! 神様、それと、聖霊王様!
明日明後日は休日だけど、字面の如く休んではいられない。予定を脳内でかっつり詰めていたら、持ち込んでいたキッチンタイマーが鳴る。今日はフィオナさんとカルカノも触る予定があるんだ。名残惜しいけど、読書ばかりしている訳にはいかないからね。本をかばんに入れる前に、もう一層革袋に包んで。大切に収納した後、懐中時計をチラリ。
うわ。予定の時間から十分ずれてる……。気持ちが逸って、キッチンタイマーの操作すらおぼつかなかったらしい。
まとめた荷物を抱えて、急いで共同研究室に向かう。
「むぅーーーー……、あなだなら、来てくださると信じていまじた……」
真っ赤な顔のフィオナさんの目尻には、今回ばかりはちゃんと涙が浮かんでいた。組紐を軽んじるような態度を取ると、子供のように感情をさらけ出すことがあるとイレーナからは聞いていた。
それだというのに、今回遅刻をしてしまったことは悔やまれる。
「遅れました、本当に申し訳ございません……」
「んふぅ……ざ業をする時間もないほどでなければぁ、別にがまわないのです。さあ、始めましょう。ずず」
次の機会にはお詫びに、売店のドリンクでも買っていこうかな。赤い鼻を鳴らすフィオナさんを見てそう思いながら、僕は既に立ち上げの準備がすんでいたカルカノの前に立った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます