蛇睨み

「どうも~ステラさん。前に描きかけてたのは完成した?」


「はい先生。もう完成していますので、金曜の時間にでもお見せしま」


「なんで~。今見せてよ~持ってないの?」


「ええっ、確かに持ってきてはいますけれど。今日は知識を付ける方の時間だと思っていたんですが……問題はないのですか?」


 製図室横の教室から、資料を求める生徒らが立ち去ったあと、スペイサイド先生は僕の机の近くまでちょこちょこと駆け寄ってきた。

 のんびり進捗を確認したと思いきや、のんびりと食い入ってきて思わず面食らう。そして今は僕の鞄を物欲しそうに眺めている。どちらも同じ製図の授業とはいえ、火曜の四限は知識を、金曜一限は方法をという風に、切り分けて学ぶものと考えていたのでちょっと意外だった。

 

 といっても、今回描いてきた解呪のスクロールは、なかなか良い出来に仕上がっている。なもので、完成したその時から成果を見せられる金曜の朝が待ち遠しかった。今見てくれると言うのなら僕としても願ったり叶ったりだ。


「ん~。問題がないかは見てみないとわかんないよ。ほらほら、早く見せてごらんなさ~い」


「それもそうですよね、ちょっと待って下さい……はい、こちらです」


「今週もやっと先生らしいことができるね。……むっ。これは解呪の図式だね」


 スペイサイド先生は僕からスクロールを受け取って広げた。程なくして、僕が描いてきた効果について言及する。


「御名答です」


「それもめちゃくちゃ基本に忠実。参考文献が目に浮かんでくるようだね。これはグラント式製図の手引でしょ、こっちの図式はオーヘン父さんの図式録で見たことあるなぁ。七巻だっけ?」


「何から何までそのとおりです。さすがは先生ですね……!」


「フフ~、褒めても何も出ないよ。七巻の中でも確か……あれれ、何ページだったっけ……えっと、かかし計取ってこなきゃ」


 先生はスクロールを丸めて机に置いたと思ったら。そのまま資料探しに行った生徒よりも速く、教室の外へ逃げるように駆け出して行った。

 参考資料を普段からページ数なんかで把握したりはしない。浮かばないからって恥ずかしがったりするなんて、愛嬌のある人だね。

 

 今回描いたスクロールは、お手本となる原型に、これまたお手本となる手法で改良した形になる。だからわかりやすいところもあっただろうけど、やっぱり一目見て判断できるのはすごいことだ。

 

 なんて考えながらちょっとの間待っていたら、藁人形が入った容器を合計三つ載せたワゴンを押して戻ってきた。

 

「よいしょ、おまたせ。さ、どれからやろっかな」


「順番にやりましょうよ」


 先生が持ってきた『かかし計』。打ち込んだ対象を呪う釘の質次第で、呪いの強度は自在に変えられる。そうして予め呪っておいた藁人形を用いることで、解呪効果の程が測れるという代物だ。

 計測に使うときは釘を引っこ抜いて、釘の方まで解呪してしまうことを避ける。使い終わったら藁人形にまた刺しておけば、そのうちにまた使える状態に戻っていく。

 

 ちなみにかけられている呪いは、徐々に黒ずんでいく。というだけの効果。やはり一般的なものでは危ないからね。それでも扱いは要注意だ。素手で触れると、解呪しない限り手先が真っ黒になってしまう。

 

 先生が持ってきた藁人形はそれぞれ、ちょっと煤がついたっぽいぐらいのもの。直接炙って焦がせばそうなりそうなもの。黒すぎてもはや藁っぽく見えなくなっているものの三種類だった。

 それぞれの呪いの強度を表す数字もちゃんと決まっている。一番弱いのが十。その後に四十、七十と続く。今回の出来としては、五十に達するぐらいまで解呪できると嬉しいかな。


「それもそうだね。じゃあ早速使ってみていい?」


「どうぞ、お願いします」


 スペイサイド先生はスクロールを丸めて軽く握る。片方の手で一番呪いが弱い、煤けた藁人形を入れた容器を開封した。

 握った手からスクロールに魔力を注ぎ、効果を発揮させながら藁人形に近づけた。

 

「……これはまあ余裕だよねぇ。次のからにしよっと」


 藁人形の煤が勢いよく半分ぐらい引いたところで、スペイサイド先生はスクロールを引き下げる。そして次に呪いが強い、炙った感じの藁人形の容器を開封した。

 同じようにスクロールを突きつけられた焦げ藁人形は、先程と同じ勢いでみるみるうちに黒さが消えていく。今度は最後まで、スペイサイド先生は引っ込めることはなかった。

 

「強度四十も余裕だね~。ここまで出来てたら、今の課程で教えられることは本当にないかも」


「今のできる限りを詰め込んできたつもりなんです!」


「うん、ほんとよく出来てる。今の時点でも結構想定外。ただ、ここまで基本に忠実だと、七十はさすがにしんどそうだね?」


「そうですね……自分の中でも、半分ぐらいまで行けたら御の字でしょうか」


「確認してみましょ!」


 呪術強度七十ともなれば、中級魔法でかけるものと分類はされるけれど、上級魔法に限りなく近いといえるクラスの強さだ。ここまで呪いが強くなってくると、呪いの性質に合わせて解呪の作用も特化させたほうが効果的になりがちだ。その解呪の為には、逐一調整しながら効果を合わせる必要がある。

 そうなってくると、スクロールは途端に不利になる。魔法を使えるまでに一枚描き上げる必要がある以上、自力で唱えられる方が試行錯誤もやりやすいからね。

 

 今回僕が描いてきたのはやはり、あくまで汎用的な解呪効果の図式だった。かといって、強度七十はなんだかんだと言っても中級魔法で実現できるに留まる呪いだ。

 例え専用に用意したスクロールでなくても、まだ解呪は見込めるレベルには違いない。計測に使うものとしては絶妙だよね。あとは僕の製図がどこまで通用するのかだ。


 最後の藁人形……真っ黒過ぎて本当に藁なのかの判別が難しい。閉じた容器を開封して、今まで通りにスペイサイド先生がスクロールを近寄せる。

 黒ずみが解けていく勢いは明らかに落ちている。半分ぐらいだろうか。呪いの解呪に至らない場合、及ぼされる効果は通常より半減して現れる。この現象が確認できた以上、今回七十の解呪には失敗することが確定した。


「うぅ~頑張れ~、いいぞ、あと少し、もうちょっとだけ……止まった」


「消せた割合を見るに、三十ぐらいかな? これは応援の甲斐もあったね」


「わぁ……よかったぁ。へへへ」


 両拳を胸の前で小さく上下させて、必死に応援していたことに気づいた。でも、なんら恥ずかしさなんて浮かばなかった。完遂できない解呪の結果は半減して現れる。つまり失敗した今回三十まで解呪できたということは……その倍、六十まで解呪できるということになる。これは予想していたより、一段回上の成果だ。


「ほっぺた真っ赤にしててかわいい」


 なのに今、喜びに水を差すような事を言わないでいてくれてもいいのに。スペイサイド先生はちょっとだけ意地悪だ。


「多分、この授業で身につけて欲しいぐらいの知識は完璧かな。ここの学校でも、大抵の二年生よりは描けるんじゃない? これでよくも描けはするぐらい、だなんて言ったねぇ~?」


「そうなんでしょうか。人と比べる機会はあまりなかったもので……でも、今回の成果で少しは自信が持てそうな気がします!」


「謙遜が過ぎると、かえって失礼になるときがあることは覚えておくといいよ~。ただ、貴女のは性格からくるやつだろうし……これは貴女でも遠慮なんてできないぐらいに、実力を引き上げてあげないといけないね。とっておきの課題が浮かんだけど、頑張れる覚悟はある?」


「……はい! ぜひともお願いします」


「よし。じゃあ先に今回の総評をしちゃうね。基本がしっかり抑えられていて、とても良いスクロールでした。ですので次回は、その貴女の武器を没収しようと思います。つまり~、デデン! 初級図式の使用を禁じます!」


「えー……、それはかなり、難しそうですね」


「大丈夫だよ。核になる図式はちゃんと教えるから。それで効果を測りやすいものに絞るとすると、う~ん、重量挙げかな」


 またしても実力が反映されやすく、効き目が確認しやすい効果の魔法が課題になった。もちろんそんなつもりはないけど、これは手を抜けないぞ。

 中級以上の図式は確かに強力だ。だけど、そもそも描く難度自体が高いうえに、図式同士の相性も限られてくる。相性は大切。同じスクロール上に相性の悪い図式がいくつもならんでいると、図式自体が持つ効果をまともに発揮しない。

 それどころか、想定しない効果が発動してしまうようなトラブルが起きることもある。その効果が有用なら、新しい図式相関として発表すればいいけど、そんな都合が良い例は稀だからね。

 

 初級の図式には、そんなしがらみはあまりない。自由に思いつく限りを組み合わせて、いっぱしのスクロールに仕立て上げるのが僕のやり方だった。

 中級とされる図式を学んだことがないわけじゃない。だけど僕に作れる範囲で普段遣いするようなスクロールなら、初級で事足りる場合が殆どだった。そんなわけで、触れる機会がどうしても少なくなっていた。

 

 けれど、このままじゃ今以上に強力なスクロールは作れないとは薄々気づいていた。今回の成果で、今のやり方としては完成を迎えたんじゃないかと考えてしまうぐらいだった。

 今回は一旦扱い慣れた初級図式を頭から切り離して。やり方を変えて躍進に繋がるまたとない転機だ。しっかり取り組んでみよう。


「ほっぺたまだ真っ赤なまんまだね。突っついていい? とう」


「ぬっ。許可出してないんですが……」


 また両拳を構えてガッツポーズしていた。今度はやっぱり恥ずかしかった。


「口答えしないの。おりゃ」


「むぐ」


 頬を突く力は弱かったので、突かれた方の頬を膨らませて対抗した。確かに先生に口答えするのは良くないかもしれない。けれど今はそんな職権乱用なんかに負けないぞ。


「うぇひ。か~んわい~、ぬふふ」


 妙に情けない声が聞こえたような気がしたけど聞こえない聞こえない。今の僕は耳が少し悪いんだ。


「え、何してんの?」


「ふっ!?」


 頬を押し込む指が急に硬くなった。込もる力が不意に強くなったせいだ。口からぷぅと空気が漏れた。

 最初に製図室へ戻ってきたのはヴァイオレット。彼女の菫の髪の間からのぞく目は、肉食性の爬虫類のようにじっとりと、かつ、鋭かった。今にもベッ! っと舌を伸ばしてきそうな、そんな殺気さえ感じられた。

 

「貴女達何やってんの?」

 

「あ、あう……」

 

 返事がないことにしびれを切らしたのか、ヴァイオレットはゆっくりと教室の扉を閉めつつもう一度問いかける。スペイサイド先生は指を固く僕の頬に押し付けながら、口をパクパクさせて言葉にならないうめきを漏らしている。最早蛇に睨まれた蛙の様相だった。

 

 こうなった時のヴァイオレットの気迫は、カーマインおじさんですらタジタジにさせるぐらいだ。っていうか、実際に彼女の特異な魔力が漏れ出ている。背中に寒気を走らせているのはこのせいだ。

 彼女の魔力は体温を下げやすいだけでなく、本人が抱いた負の感情までをも含んでしまいがちだった。ふとした時に魔力が漏れると、それが周囲の人にも伝播してしまう。要するに、何か気に食わない事があれば周りに人にもはっきりとよく分かってしまう体質だった。

 

 そんなふうに、勝手がわかっているはずの僕でさえ悪寒がするんだ。だから、気圧されているスペイサイド先生のことは、妙なところで頼りにならない先生だなあ~だなんて思ってない。決して。

 

「えっと……指導を受けていました」


「頬突かれるのが指導なんだ。ふ~ん。何? いちゃつき方の指導?」

 

「製図です……解呪のスクロールを点検してもらってたんです」


「あっ。あの時描いてたやつだね。もう完成してたんだ」


 机に置かれたスクロールの存在に気付き、少しは機嫌が落ち着いたようだ。でもその前に僕の肩を引いて、頬を今の今まで突き刺さっていた先生の指から解放する。

 

「いい、ステラちゃん? もっと自分を大事にしないとダメだよ。ステラちゃんみたいな可愛い子を触りたがる変態教師は今後もいっぱい現れかねないんだから」


「ええっ、そんなまさか」


「まさかなもんか。私、扉の窓から先生の顔見てた。もういつか絶対やらかす人の顔してたよ。だらしなさすぎてびっくりした。女の先生でさえこれなんだよ? それが男性から向けられたと思ったら、どう思う?」


「うわ……む、無理です」


 背筋がゾクリとした。確かに、女性がためらわずスキンシップをしてくる程には女性として溶け込めていると、先程の体験を以って自覚できた。それはつまり……最早、男性からも女性として見られてもおかしくないということ。

 いくら魔力が漏れやすいと言っても、普段は漏らさないよう努めている彼女のことだ。警告のためにあえて今回は利用してくれたんだね。

 

 幸いなのは、ルディングの教師陣の男女比は、生徒のものと同様ぐらいだということ。一瞬の本能的な恐怖感を覚えた今でさえ、男性が僕に色目を使う場面があり得るとはちょっと受け入れたくない。それゆえに少なくともルディング内では、そんな機会はほぼなさそうだと思うとありがたくって仕方なかった。

 しかし、女性の先生だからセーフ! というのはあまりにも自分に正直過ぎるのでは。頬を突っつかれても嫌悪感どころか、むしろじゃれ合うような行動を自然に取ってしまった。こんな一面が自分にもあったんだとこんな形で自覚させられるとは思いもしなかったけれど、気付いた以上、今後は自重して行動しなければ。


「そんな。私、変態じゃないですョ……」


 ようやく硬直が解けた先生が、かろうじてという体で異議を表した。


「あの顔を見せられた後では説得力が感じられません。今後、授業での接触があったら、わ・た・し・が監視します。ちゃんと改めて下さいね?」


「は、はあい。お手柔らかに……うぅ」


 それもぴしゃりと跳ね除けられたスペイサイド先生は、僕の前の席に腰掛けては伏せ込んでしまった。そこ、別の生徒が座ってたとこだけど……その子が戻ってくるまでに立ち直るといいなあ。

 

「ヴァイオレットさん! ありましたよ! 図式集! もう一度戻って、返却棚を確認したら置いてありました!」


「おお、よかった。こっちものっぴきならない用事も済んだし、私達はちゃんと課題に励もうね。いちゃつき方じゃなくて」


「はい?」


 まったくもって蚊帳の外に置かれたアイラさんはぽかんとしつつも、僕らが最初腰掛けていた、長机の後ろの席に移動した。

 ヴァイオレットもその隣に座って、図式集を共有して勉強を始めた。ちなみに、その移動した真後ろの席は元々空席。僕が真ん中にいるままじゃ一緒に使えないからね。

 

「うぅ……あの子、こわい」

 

 そうだ。これこそが学生である僕らのあるべき姿だ。僕も未だに前の机で突っ伏している先生を尻目に、後ろの机の空いている席へ合流して、課題を始めた。中級以上のみの使用を義務付けられているから、時間は無駄に出来ない。先生を立ち直らせるのは、元々座っていた生徒が戻ってからにした。

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