二度目の月曜日
昨日は本当に有意義な休日を送れた。一日女装することもなく、解呪のスクロールも完成した。鍋に卵を落とし込みながら、早くも懐かしんでいた。木曜と同じく、一限と四限がない楽な一日が月曜だ。だから今日の朝も遅め。
朝はまたワッフルでも良かったけど、ただでさえ家にいるだけのイレーナは腹持ちがいい。いくら好物でも、あんまり続くとイレーナの飛び起き具合が鈍くなってしまい、あまり面白くないからね。我ながらひどい兄だ。という訳で、生ハムもまだまだあるし、今日もエッグベネディクトを用意している。朝にやるものとしてはやっぱりおいしいし、面倒が少ないからね。
とりあえず先に、僕の分を皿に盛る段階になっても、イレーナは起きてこない。このタイミングで起きてこないとなると、起こそうとしても無駄だ。昨夜は一日女装しないで済む喜びのあまり、毎週日曜日にやってるロースト料理に気合が入りまくってしまった。お肉もラムとビーフを用意したし、デザートはなんと三種類だ。
お腹いっぱいにして眠ったイレーナは、ちょっとやそっとのことではベッドから出てこない。完全に僕の責任だね。朝ごはんを食べないと平日の朝は始まらない、とあの子は言っていたけど、一日の朝を始める気がなければ食べる必要もない、という認識なんだろうか?
エッグベネディクトは一度冷めたら、温め直したからって元通りに美味しくなるようなものじゃない。イレーナの分は盛り付けを残す段階で中断しておいてよかった。取っておいた食材はサンドイッチに切り替えて、作り置きを冷蔵庫に入れておく。
僕はそろそろ家を出ようかな、ってうわ。イレーナが起きてくれないとしたら、今日は自分で化粧しないといけないの?
月曜三限は召喚術だし、その授業にはフィオナさんが出席している……ダメだ。イレーナがこの後、化粧して出ていくとしたら、僕も同じようにしていかざるを得ない。
……僕が自分でやるには、まだ技術が稚拙だ! だから、しないで出かけたと書き残して出ることにしよう。言い訳としては無理はないよね!? あとはイレーナに理解があれば、すっぴんで登校してくれるはず。別に化粧しなくても美人な妹だからね。おまけに面倒臭がりだ。十分期待できるはず。
――――――
「お疲れ、ステファ兄」
「……おはよう、イレーナぁ、あぁぁぁ……」
「人の顔見てしょぼくれるのは失礼じゃない?」
そのまま二限の日用魔法の授業を終えて、研究室に入った僕を待ち受けていたのは、昨日の僕の写真を再現したような顔でニヤリと微笑むイレーナだった。
結局、ご丁寧にも化粧品を研究室に持ち込んでいたイレーナ。僕にもこの四限の時間をふんだんに使って、昨日ぐらいのクオリティを目指して化粧を施してくれた。これでこの後会う予定のフィオナさんにも違和感を持たれないで済むね。最初から化粧してこなければ、この手間も必要なかったんじゃないかと思うけれど。
「んっ、くくっ、ふぅっ」
「やりにくいから動かないで。変な声まで出して、女装身につけただけだと思ったら色気まで身につけて帰ってこないでよ」
「そんな覚えは一切ないよ! ふぅんっ、くぅぅぅ」
顔にブラシをあてる習慣なんてなかったものだから、その感触がどうしてもくすぐったい。結局必要には違いないから耐えようとしてはいるのだけれど、まだまだ時間がかかりそうだった。
実際、僕の化粧にはイレーナ自身がするそれよりも、更に半分近くは時間がかかってしまっていた。だと言うのにイレーナは嫌な顔ひとつしやしない。自分が撒いた種だからだろうか?
「ふう、これでよし。フィオナさんからも、化粧やり直して気合入ってるなって思われるよ」
「やる気の現れにでもなってくれるなら、まだ救われるってものだね。ほんと、男として誇りを捨てた甲斐があるってものだよ!」
「……やめて。なんか申し訳なくなる」
そう思う心がまだあるのなら、これからは化粧せずに登校してくれたらありがたいのになぁ。もちろん、妹がおめかしすること自体に否定的になりたくはないので、心の中だけに留めておくことにした。
――――――
「はぁ……授業では時間がなかったので、控えていましたけど。更に綺麗になりましたね」
放課後になる時間を見計らって、まっすぐフィオナさんの研究室へ向かった。呼び鈴を鳴らすと同時に扉を開けて、招き入れてくれた。
顔を合わせたフィオナさんは、やけにうっとりとため息を吐きながら、化粧について褒めてくれた。妹は人に化粧をさせても上手だからね。その出来はモデルの質にそれほど左右されないはずだ。
「どなたかに化粧を教えて貰ったのでしょうか?」
「……親戚に、いいとこのお嬢さんがいますので。その方から教わりました」
「そうでしたか。そんな人がご親戚ということは、貴女も貴い身分の出身なのでしょうね。振る舞いからみて、そうなのだろうと思ってはいましたが」
……なんだか、フィオナさんの顔は笑顔だけど、僕を見る目が硬くなったような気がした。これはアイラさんが恐縮していた時のものに近い。フィオナさんがそのような態度を取るのには違和感がある。
けれどそれはさておいて、僕は決してそのような身分ではないことはしっかり伝えておく必要がある。もちろん、ステラの設定に基づいて。振る舞いを加味した上でそんな評価を受けたままでは、なんだか複雑だからね。
「ああ、いえ。私はその方の遠戚にしか過ぎず、それも庶子にあたる身分ですから。貴いだなんてそんなことは……」
「それでも、実際に貴族家の血を引いているのでしょう? その事実こそあれば、十分に尊い血筋の持ち主と言えますよ」
「……うーん、そうでしょうか」
フィオナさんの態度は軟化したけれど、それでも元には戻っていない。彼女もどの程度のものかは知らないけれど、そういった地位の人だろうに。
「ああ、いけません。今日もお越し頂いた本題は、そんな話をするためではありませんね。この間カルカノで自習をなさっていた姿を見たときは、もう感動してしまって、涙を堪えるのに必死でした」
「あはは、はははは……評価を賜われるのなら光栄です」
そうだったんだ。この間教わっていたときには、目に涙が浮かんでいるような様子は一切窺えなかったので、こちらが驚かされているよ。
カルカノについてはあれから調べた。共同研究室にある、大型ブレンダーの商品名だった。案の定スティバレ王国製の工芸品であり、そちらの王族が胸を張って誇れるほどの出来栄え。あんなブレンダーを作れるのは、あの王国の職人さん以外にありえないからね。
ちなみに、僕の鞄にあるブレンダー、シアロ・フィンガーもスティバレ王国の職人さんの作品だ。ほんと、僕らの手元にあることがありがたくって仕方がない。思い出したら、またお母さんに抱きつきたくなってきてしまった……いやダメ。もういい年した息子なのだから、そろそろ控えないといけない。身長を越したのも結構前のことになるし。そもそも僕ぐらいの年齢なら、反抗期に入っていてもおかしくないぐらいなのだから。
「よし。ではそろそろ始めましょう。今回の課題をこなすためにも、当面カルカノの予約を済ませてあるんです。それも二台分!」
「ということはカルカノを使う課題なのですね。こなせるか今から心配です」
「貴女なら大丈夫ですよ。流石に触った経験が殆どないという部分は考慮して、レベルを選んでいますから」
「そこまで考えていて下さったなんて、ありがとうございます。ぜひ、全力で励んでみます」
「その意気です! では、移動しましょうか」
共同研究室のカルカノの前まで移動した。すかさず台帳を確認する。確かに、週三で放課後に使えるよう予約されていた。
予約制度に関しては確認していた。だから、普通はこのような形で予約はできないはずとは知っているつもりだった。
けれど……カルカノに関しては許されているのかな。よっぽど使用頻度が少ないのだろうか。かなりいいものなのに、ちょっぴり寂しい。
「今回の課題となる組紐は、ちゃんと魔法に使うものにしようと思います。目を閉じていても物を視る為に使っていた魔法は、本来は目に暗視作用を与えるものです。目を閉じての使用はともかく、オリジナルの効果は有用ですから、使えて損はないはずですよね。つまり、課題はそれ用の組紐ですね!」
ああ。イレーナが言っていたから聞いている。フィオナさんは授業の途中からなんか目を閉じていたらしい。それも組紐で実行していた魔法だったんだ。魔力を集中しやすから、と言っていたようだけど……。そのせいで他の魔法を発動させる必要があるなら、集中を促す効果は果たして如何ほどのものなのだろう。
まあ、それも試してみないと評価はできないよね。課題を達成すればちょうど用意できる組紐で唱えられるようだし、一度トライしてみようかな?
それはともかく、課題としては順当なものだとも思えた。生体に添呪する魔法は、自力で唱えようと思ったらそれなりの努力が必要だ。この暗視に関しては、中級魔法ぐらいだろうか。まだ両目のみという、限られた範囲に絞られているから難度もそこそこで落ち着いている。
それが単体で使える組紐となれば、普通のブレンダーで編み上げるのはやや骨が折れるだろう。普通のでもできないことはないけれど、カルカノで作るほうがずっといい組紐。それが今回の課題として選ばれたんだ。
「楽しみです。早速、触媒を選びに行きましょう」
「ああ、それはもう用意してあります。こればかりは、流石に実物を見せただけで再現しろというのは酷ですからね」
「はい。ありがとうございます」
これは甘口を希望した甲斐があったのだろうか。それとも、前回で見せた実力を反映した結果なのだろうか。後者だとするとやっぱり悔しい。今度こそはフィオナさんが納得できる物を作りたいな。
「うん、やる気は十分ですね。レシピは用意してありますので、まずは自分で初めて見て下さい。行き詰まったらいつでも質問下さいな」
ああああ!! またしても両拳を胸の前で構えてしまった。恥ずかしいからやめようと思っていたのに。こんな事イレーナはやらないんだから、いずれさらなる違和感を与えても仕方がないんだ。今度こそはやらないようにするぞ!
恥ずかしい気持ちをごまかしながら、カルカノに空のシリンダーを取り付ける。
ブレンダーはこの筒、シリンダーがないと使えない。カバーは透明なガラス製で、中身が確認しやすくなっている。触媒から変えた糸を巻き付けて、ストックしておける棒が数本と、中央にそれらの糸を使って編み上げた組紐を巻きつける棒が突き立っている。要するに、シリンダーは作った糸と組紐を保管する為の容器だ。
カルカノのような大型のブレンダーは、シリンダーが自由に着脱できるようになっている。一日の作業を終えたあとは、抜き出したシリンダーを保管しておけば別日に作業を持ち越せるというわけだ。それこそ学校のように、ブレンダーを不特定多数が共有する環境には必要不可欠な機能だね。
カルカノに触媒もセットして、編み上げ開始だ。
といっても、このような大型ブレンダーを使いたいような組紐を作るには、数日単位での長丁場になりがちだ。だから本格的な作業に入る前に、手順が正しいかのテストをしておく必要がある。召喚術の人形のようなものだね。だからこれからは試作品の編み上げに取り掛かるつもりだ。
いちいち仕様書を確認しながらの作業となるので、どうしてもたどたどしくなってしまう。けれど、できる限り自分の力で作業を行いたい。
フィオナさんも同じようにカルカノを使う準備を済ませていた。セットしている触媒も同じ。僕の作業をそっくりそのまま辿って、組紐の状態を再現しているようだった。できる限り自力でと考えはしても、至らない部分はたくさんある。質問をすればその都度、的確に向上に繋がるアドバイスをくれた。
いくら彼女には彼女で目的があるとはいえ、僕は素晴らしい技術を教えてもらっている身だ。このまま教えられるだけでは申し訳が立たない。技術を受け継ぐ他にもなにか、恩返しができそうな事を考えておかないと。
「そろそろ出来た頃合いでしょうか。点検してもいいですか?」
「え、はい、確認をお願いします」
「うん! 大丈夫でぇす! この出来なら実物に取り掛かって問題ないでしょう。この分なら、実物も一週間ほどで完成するんじゃないでしょうか。これからが楽しみですね」
「これからもよろしくお願いします」
フィオナさんは自分から点検を提案しては、シリンダーをちらっと見たかと思うやいなや即座に合格を告げた。逐一僕の真似をしていたのだから、出来栄えはおおよそわかっていただろうに。けれど彼女の顔は満面の笑みを浮かべ過ぎたのか、鼻の周りが赤くなっている。それほど喜んだ様子を見せられては、野暮につっこみを入れようだなんて気にはなれなかった。
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