金曜日・休日も大変そうです

「ふぁ……なんで私の授業が一限にあるんですかねぇ……皆さん、おはようございまぁす、ふわぁ」


 今週二回目の製図の授業。今日は製図室の教壇に立ったスペイサイド先生は、目尻を拭いながら欠伸を連発している。大丈夫かな?

 けれど、授業を始めた途端、さっきまでの眠そうな様子はどこへやら、ハキハキとした物言いに早変わり。どうやら余計な心配だったらしい。しかしどれだけ講義の様子が素晴らしくとも、内容はまだまだ基礎的な部分を逸脱しない……入学一週目じゃあ仕方ないよね。


 基礎を抑えている自負がある生徒は、描き上がった際の提出を前提に、各自でスクロールを描いていい事になっている。これはスペイサイド先生の方針だ。結局、課題に出されるスクロールが描ければ問題はないからね。この時間は遠慮なく自学自習に充てさせてもらうことにした。このスタンスでいて、いざという時に落第したら非常に恥ずかしい。だから学習にはなおさら手を抜けない。

 さすがは製図室、基本的なインクはたくさんあった。いくつか選んで席に戻り、三割ぐらい描けたかなあというぐらいで鐘が鳴った。

 

「はい、今日はここまで。聞いていた皆さんお疲れさまでした……そうじゃない皆さんはどこまで進んだのかな? 近いうちに自習の時間を設けますので、その時にでも見せて下さいね~」


 スペイサイド先生は何人かの生徒にいちいち目配せしては退室していった。肘でヴァイオレットに右腕を小突かれる。気付いてるよ。

 

「これは……ちゃんと復習しなきゃ。いつか置いていかれてしまいそう」

 

 左側には自信のなさそうなアイラさんが座っている。もうすっかり固定座席が決まっていた。


「製図は成果が出るまでに時間がかかる分野ですからね。一度描けるようになれば、きっと楽しくなってきますよ」


「……これはあれだね、面白くなるまでが遠いやつだ。明日、三人でうちに集まってお勉強会しようよ。このままじゃちょっと悔しいし」


「わぁ! 素敵ですね!」


 ペンを握り込んで、柄の部分を親指でせわしなく撫でるヴァイオレット。授業だけでは理解が追いつかなかったのかな。だけど、必死でノートを取っていた横顔を隣から見ていた限り、復習をきっちりすれば心配はなさそうだとも思っている。でも、集合場所が学校じゃないのはちょっと怪しい。


「勉強が名目でも、学校以外で集まったら絶対勉強しませんよね?」


「んもう。一人だったらそもそも手を付けないかも知れないでしょ。真面目なステラなら、集まるのが学校以外だろうとちゃんと勉強するだろうし、それを傍から見てたら遊ぼうなんて気持ちは沸かないと思ってさ。だからお願い」


「ステラさんが居てくれたら頼もしいです!」


 アイラさんも乗り気だ。そりゃ、お休みの日に集まって勉強会なんて楽しそうだなあとも思うけど、学校から離れても女装からは離れられないのか……。まあどうせ今の時点でも、家を出るときは女装を強いられていることには変わりないからなぁ。

 学院へは歩いて通学できる距離なのが裏目に出た。もし同級生に女生徒と殆どそのまんまの顔した男が、地域に居ることを気取られては都合が悪い。だから、食材の買い物にも、結局制服を着て市場に向かっている。僕が普段どおりの格好で外を出歩けるのは、卒業までお預けになるのだろう。

 

 それでも、この提案にはかなり問題があった。仮に僕が女装して、ラガヴーリン家のお屋敷に立ち入っても受け入れられると思う。下手さえ打たなければ、事情を知らないお屋敷の人にもイレーナとして認識されるだろうから……。ここ一週間、結局誰にも気取られることのなかった女装生活によって、妙な自信が身についてしまったような気がする。

 でも、イレーナのことをアイラさんは知らない。一緒にいるとき、お屋敷の人にイレーナ呼ばわりされるのはまずい。

 

「ですがその……私がヴァイオレットさんの家に行くのは」


「?」


「ああうん。何も実家の方じゃないよ。今は近くの別荘に住んでるから、そっちでね」


「存じています。それでも、別荘にも使用人の皆さんがいらっしゃるのでは?」


「大丈夫。『ステラが来る』って伝えるから」


「えぇ……」


 イレーナじゃなくて、ステラが、か……。ラガヴーリン家にはこのことを知っている人がどれだけいるんだろうか。


「……お二人はご親戚と聞いていましたけれど……ご家族で何かあったのですか?」


「んー、ステラはさ、隠し子だったからね。モーレンジ男爵の」


「あ、あぁ……そうだったのですか……ごめんなさい、聞くべきではありませんでした……え、え!? 男爵って、貴族の出身だったのですか!?」


「いっいえ、それほどの者ではないです……なんせー、隠し子ですのでー……」


 そうだったんだ。僕もできれば聞きたくなかったな。アイラさんが申し訳無さそうにしつつうろたえているが、こちらも同じような気分だよ。没後、勝手に不貞を働いたことになっている、モーレンジ男爵には申し訳ないばかりだ……名前を借りている時点で無礼極まりないんだけれど。

 それにしても、ステラには思っていたより設定が盛り込まれていっている。……これもイレーナとは共有済みのことだったのかなあ? 後で確認してみよう。

 

 というか、ステラの件をそのように示していいのかい? この様子だと今の今まで、アイラさんはヴァイオレットの立場を知らなかったのは明白だよ。そういった立場の違う友達が欲しかったんだと思って協力していたんだけど……。

 

「ということは……、ヴァイオレットさんも、貴族?」


「あ。ばれちった」


「アイラさん、ここまで黙っていてごめんなさい。ヴァイオレットさんは正真正銘、この一帯の領主ラガヴーリン侯爵家の息女です。私のような庶子などでは全くもってありません」


「えぇっ!? ええぇ~~……ずずず、頭が高いですよね、ハハァ~ッ」


 アイラさんはかなりの戸惑いを見せながらも、深く深く頭を下げていた。上半身が床と並行している。東の方では、貴族が平民に地面を見ることを強要する習慣でもあるんだろうか。


「わぁ~もう、なんでこうなるかなぁ、頭を上げて。家には爵位があっても、私はその家に生まれただけでなんの功績も持っていないよ。今まで通りに接してくれたら嬉しいな」


「……はい、心がけますぅ……」


 勘付かれることさえなければ、こちらから言い出すつもりもなかった。けれど、明日別荘に招くというのならどうあがいても下手な嘘は付けない。ここでは素直にヴァイオレットの身分を明かすことにした。 

 衝撃の事実を知ったとばかりにアイラさんはへなへなになってしまっている。そりゃあ、侯爵と言えば貴族の中でも上から二番目の地位となるからね。恐縮してしまうのも無理はない。でも、ヴァイオレットは本当に気兼ねなく接せられるお友達を欲しがっているから、これまで通りに仲良くしていてくれたらなぁ。


 後に控えるは属性、お昼を挟んで回復の授業。

 どれももう今週二回目を迎える授業だけど、やっぱりまだちょっぴり退屈。授業中に呼び当てられても対応できるよう、進度を確認しつつその分野の自習を進める、ということに終始した。


 そして、週を締めくくる金曜最後の授業は召喚術だ。交代がてら、自分の研究室に向かうとまだイレーナが居た。僕もイレーナも制服を着ている。ようやく念願の二着目が届いたんだ。

 ちなみに、僕が着てる方が新しいやつ。イレーナが譲ってくれた。前のも、僕のほうが着てる時間は長いんだけどなぁ。これからもそうなるだろうから、ちょっとでも新しいやつをと思って譲ってくれたのだろう。学校の制服は三年着ることを前提に作られているからね。そんなやわな質じゃない。

 

「今日もお疲れさま、ステファ兄」


 授業を終えて、戻ってきた僕が個人の研究室のドアを閉め切ったのを確認してからイレーナは口を開いた。


「ありがとう。だけど、まだ時間つぶしをどうしようかなって段階だからなぁ。あんまり疲れたって感じじゃないね」


「あぁ……できるんだ、内職。なんで召喚術だけ出来ないのかなぁ」


「出てるの二年生ばっかりなんでしょ? 二年にもなって必修を落としたら大変だからね。学費のこともあるし」


「そうだけど……はあ。次の授業が頼みの綱だね。次のは違う先生の授業だし。そろそろ行ってくるよ」


「うん、いってらっしゃい」


 ため息を吐きながら研究室を後にするイレーナ。上手い方法が見つかればいいけれど、それまでは頑張って耐えてほしいところだ。それ以外の時間は研究に使えるのだから。


 さて、妹の心配もいいけれど。自分の課題も済ませてしまわなければ。心配してられる立場を維持するのも大変だね。

 机は開いていた。整頓を覚えてくれたのかなと思ったら、よく見たら足元のケースに使いかけの触媒がごっちゃに詰め込まれていた。……まあ、整頓への第一歩を踏み出したのだとして、大目に見ることにしよう。

 

 書きかけのスクロールを広げる。明日、製図の勉強会をするというのならイレーナと成り代わるのはまず無理だ。イレーナにも製図の知識はあるけど、今更興味が持てなくなっている分野の一つだからね。

 二人の質問量次第では、自分の製図を進める時間は少なくなるかも知れない。今ちゃんと進めておかなければ。

 

 今回の製図の課題として選んだのは、解呪のスクロールだ。どの程度までの呪いが解けるかは、図の完成度次第となる。要するに、製図者の実力がもろに反映されるという代物だ。先生に実力を知ってもらうために提出するものとして、これ以上のものはないと思って描き始めた。 

 でも、これまで乳母さん以外にはイレーナにしか見せたことがなかったからなぁ。そこそこ描けるつもりでいるけれど、なんだか気恥ずかしい。けれど、ここで全力を尽くせば今後、スペイサイド先生は進捗に合わせた助言をくれるかも知れない。よーし、しっかり頑張ろう。


 六割程まで描き進めた辺りで、手帳がメッセージの受信を通知した。送り主はステラ・モーレンジ。イレーナからのメッセージだ。メッセージを確認する前に、僕は懐中時計を取り出した。十七時十分……要件はすぐに把握できた。危ない。またお腹を空かせたまま待たせる所だった。

 荷物をまとめて、使ったインク瓶はちゃんと片付けて。僕は研究室を後にした。

 

 

――――――

 

 

「おかえり。今日はまだ早めだね、よかった……」


「ただいま。メッセージくれなかったら危ない所だったよ」


 今日のイレーナは余裕そうだ。この分ならちょっと手の込んだ物を用意しても耐えてくれそうかな?

 

「……はあ、顔見たら余計お腹空いてきた。早く何か食べたい、お願ぁい」


 合わせた両手の指を組んで、上目がちにねだってくるイレーナの姿を見るのはかなり久しぶりだ。空腹過ぎて幼児退行しかかっているのかも。限界はだいぶ近かったようだ。

 そうだなぁ……オムレツでも作ろうかな。チーズと芋を綴じ込めば腹持ちもいい。イレーナの起床時間は腹具合に比例するから、程々にしないといけないけれどね。

 具材の下ごしらえをしてからでも、というかそちらがむしろメインと言える程には、オムレツは焼き上がりまでそれほど時間がかからない。椅子にへたり込んでいるイレーナの目の前にさっと用意する。

 

 意外にもがっつくことなく僕の着席を待ってから、ナイフとフォークをゆっくりと掴む。随分と大人しくしているなと思いきや、飢えた肉食獣が如く俊敏にオムレツを切り開き、切れ端を口にぱくぱくと運んでいった。

 

「あーおいしい。生き返る。ステファ兄のご飯は命の源だよ」


「大げさだなぁ」


 乳製品の有無には目ざといイレーナだけど、味に関してはどちらかといえば薄味が好みだ。チーズが入っているものは大体そのまま食べている。僕はケチャップをちょっとかけた方がおいしいと思うけどね。

 

「ごちそうさま。ヴァイオレットさんから聞いたよ。明日、別荘に行くんだってね」


「うん。ご飯の時にでも話そうと思ってたんだけど、食べ終わるの早すぎだよ」


「おいしいからだよ。誇りに思ってね? ……で、服はどうするの?」


「制服着ていくつもりだけど」


「休みの日なのに? 学校にも行かないのに?」


「だって……アイラさんも来るから、女装せざるを得ないし……」


「それも聞いてるよ。だから、私の服を貸してあげる。制服もかわいいデザインだとは思うけど、主旨的には流石に華が足りなくてヴァイオレットさんもがっかりするだろうし」


「えぇ嫌だよ! 主旨というなら勉強会するんだから、制服以上にふさわしい服装もないと思うけど!?」


「どうせ女装するんだから大差ないでしょ。それにヴァイオレットさん、『化粧教えるのが楽しみで仕方ない』って言ってたし」


 ああああああああ! 軽はずみにもアイラさんに化粧の習得を薦めたことを完全に忘れていた。どうしようもなく裏目に出てしまっている……本当に、発言には気をつけなければ……。

 わざわざ女装に磨きをかけるような真似を、どうしてヴァイオレットはさせようとしてくるんだろう……。そりゃあ三年間は女装し続ける生活を目指している以上、少しでもバレずにいられる力を得られるのは望ましいことだけど、感情の部分がまだ受け入れてはくれなかった……。

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