宗教的注意
「どうしようかなあ」
本日、木曜の一限は攻撃魔法。四限も魔法史なので、出席しない授業が多く、かなり余裕のある時間割だ。二人揃って普段より遅く起きてもいいし、普段より長く自習もできる。今ももう少し寝ていてもよかったけれど、僕の体内時計はこの時間に目が覚めるようにセッティングされているんだ。
今何を迷っているかというと、学院に早めに行くかどうかだ。家なら女装しなくても勉強できるけど、設備や触媒には限界があるからね。
生の触媒には毒物になり得る物が多いので、持ち歩きには専用の容器が必要だ。容器やそれを運ぶワゴンを外へ持ち出すのは禁止されているので、触媒を家まで持ち帰るのは現実的ではない。香辛料になるぐらいのやつならそうでもないけど。
一限のない日の朝はゆっくり登校になる。時間があるので、朝ごはんにはワッフルを焼いた。
「んぐんぐ」
香ばしい臭いが立ち込めてくる段階になると、イレーナが一目散に階段を駆け下りてくる。その飛び起き加減が面白くって、つい休日の朝にはワッフルを選びがちだ。
「ステファ兄、おかわり……できる?」
自分の分をかっ込み終わった後、上目がちに照れくさそうに、要望を伝えてくるイレーナ。
「昨日の晩、棚閉める前に駆け込みでクッキー取ってたよね」
「なああぁんでええぇ。朝ワッフル焼くんなら、教えてくれてたら我慢したのに!」
イレーナは望みが絶たれたとばかりに顔をしょぼくれさせた。
「まだダメだって言ってないよ。今日は僕も思いつきだったし、予想もつかなかったよね……じゃあもう一枚だけ焼くから半分こにしよう」
「それなら、まぁ……また土曜日も焼いてね。今度はハチミツかけよっと」
「わかってるって。……よし、やっぱり行こう。ちょっと早いけど、食べたら出るね」
「あ、化粧忘れちゃだめだよ。お昼前には研究室行くから。家に居たらお菓子食べちゃいそうだし」
「……うん」
ワッフルを食べ終わった後、イレーナに化粧を手伝って貰う。思った以上に時間がかかってしまい、結局研究室に着いたのは一限が終わる三十分くらい前だった。もう本読むぐらいしかできないかな。読書にのめり込んで授業をすっぽかさないよう、持ち出しておいたキッチンタイマーが早速役に立ちそうだ。
――――――
木曜の二限、三限はそれぞれ幻惑魔法と触媒の授業。入学してから二度目の授業となるけど、僕が前もって学んでいた部分まではまだ差し掛からない。追いつくのも時間の問題だとは思うけど、それまでは少し退屈だ。
四限もないし、今日はかなり余力がある。けれど個人研究室はイレーナが来ているので、僕は使えない。だったら共同研究室に行って、使えそうなら大型ブレンダー、カルカノを借りてみよう。
そう思って共同研究室まで足を運ぶ。よかった。今の時間……というか、今日は空いているようだ。では早速作業を……としたい所だったけれど、正直な所、カルカノの操作方法は殆どわからないところが多い。説明書もあるけど結構分厚いようで、図書館に置かれているらしい。糸を作るための触媒も持ってきていないし、今は後で使えるよう予約だけ済ませておこう。
予約台帳に名前と部屋番号を記入する。十数秒程で承認の印が浮かび上がってきた。これも職員室とかの同じような台帳と同期させて管理しているのかな。
必要になりそうな触媒を揃えて、ワゴンを押して共同研究室に戻る。触媒の保管容器は、必要量の割に若干大きい。数種類集めようと思うと、こうしてワゴンを借りて運ばないと煩わしい。
大抵の魔法学院の構造はワゴンを走らせるのに都合が良いよう、できる限り段差がないようにできている。……といっても、かつて修道院だったというルディングでは、後からスロープを増設したといった趣きであり、坂が若干急でしんどい所もあるけれど。
「どうも。ご機嫌よう」
「あっ、フィオナさん。こんにちは……あ、もしかして使用予定でしたか?」
ワゴンをカルカノの横につけると、先に近くの席に座っていたフィオナさんが声をかけてきた。
「いえいえ。カルカノが待機状態になっていたので、もし誰かが放置しているのであれば停止させなければと思いまして。台帳を見て、取り越し苦労だったと気づきました」
「そんな、大事なことですよ。ありがとうございます」
「当然のことをしたまでです。しかし、はぁ……」
「え?」
「……あぁいえ、昨日の朝の貴女ったら、なんだか人が変わったようでして……。組紐にもあまり興味がなさそうで、不安になっていました。けれど、今の姿を見るに無用な心配でしたね」
不安が晴れたと伝えたいのか、胸をしっかりとなで下ろすフィオナさん。あぁ~……イレーナは興味あるふりをするような演技は苦手だろうからなあ。人が変わったように、という評価はあまりにも的確だね。なんせ、別人だからね。
「ごめんなさい。専攻が召喚術なもので、やりだすとそれ以外のことに気が行かなくなってしまう質なんです」
「そういうことだったのですね。ええ、課題の人形を作り上げる手際の良さには驚かされましたもの。それも、とても一心不乱に何体も、淀みなく作り上げるのですから」
今の進度で作る程度の人形なら、イレーナなら寝起きでも造作もなく作れるだろう。そして、自習を禁じられ、暇を持て余したイレーナが出した答えを垣間見た。課題の範囲でいくつも作るのは咎められない……のかなぁ。
「あはは、お恥ずかしい限りです……」
「召喚をやっていく上でも、組紐はやっておいて損のないことです。……今も、これを学ぼうとする意向はある、と認識していても構いませんか?」
「もちろんです! これからもご教授お願いします!」
「よかった。と言っても、今日はまだ課題を用意できていないので……カルカノを触る予定だったのですよね? 説明書は、十分な物を借りていますね。後ろに控えていますから、わからないことがあれば聞いて下さいな」
「良いのですか? ありがとうございます」
本当に良くしてくれる人だ。いくら彼女から進んで教えてくれていることとは言え、そのままただ教わっているだけでは罰が当たる。なにか良いお返しができたらいいけれど。
結局、説明書にある端的な説明では理解できないことも多くて。結構な頻度でフィオナさんの読書を邪魔してしまったけれど、彼女の顔に不満げな様子はなかった。おかげで、今日だけで大分カルカノに慣れることができた気がする。
本格的に触り方を学び始めたおかげで気づけたことだけど、これはかなり工程の自動化に向いたブレンダーだ。記憶させた操作を繰り返させることができる。触媒に量と質が求められる召喚術をやっていくなら、実際にお世話になる機会もありそうだ。
イレーナにも使い方を教えてあげたいけれど、二人してここに並ぶわけにもいかないしなあ……どうしよう。
「っと、いけない。もうこのような時間……自分の研究がありますので、この辺りで失礼致します。また明日の授業で会いましょう」
「はい。今日はありがとうございました」
「ウフフフフフ。それでは、ごきげんよう」
フィオナさんは脇を閉じたまま手を上に伸ばして、小走りで去っていった。僕も触媒を片付けたら帰ろう。せっかくだから、セットした触媒の取り外しも操縦円を使ってやろうかな。
「あの~、貴女、新入生よね?」
「ん……はい。こんにちは。いかがされましたか?」
質問できるフィオナさんもいなくなり、取り外しに四苦八苦していた所、見知らぬ上級生に声をかけられた。アイラさんとどっこいか、ちょっと小さいぐらいの佇まい。それに今時珍しいぐらいに眩い金髪を、顎ぐらいの長さに切りそろえてある。彼女もまた、かなりいいとこのお嬢さんなんだろうなぁ。
「さっきまでミラーズさんと親しげにしていたようだけど……彼女からは何も聞いていないの?」
「はっ……何をですか?」
「……まあ、自分から友達のこと悪し様には言わないか。心して聞きなさい。いい?」
「は、はい」
彼女は片手を目線の高さの辺りで開く。ちょうど、眩しい時にやるような形だ。それだけでもこの暗めの室内では異質なのに、もう一方の手もまっすぐこちらに向けて開かれているので、もはや何らかのポーズと言えた。どこかで見たことあるような気はする。
「ミラーズさん自身には別にやましい所はないの。やましいのはその交友関係……おお、名前を出すのもおぞましい……でも言わねばならぬ、この迷える子羊を導くために」
伸ばした方の肘を曲げ、顔を覆う手を入れ替えたと思ったら、両腕で己の小さい身体を抱え始めた。なんなんだ、もったいぶるなぁ。
「言います。ミラーズさんの友人の名を……マーシア・プルトニー・エダートン。死霊術に手を出したエダートン家の末裔なのよ! あああああああ!」
「ちょっ、大丈夫ですか!?」
それだけ言い終えるやいなや、大声を出して膝から崩れ落ちそうになる彼女を支える。もしかしてこの学校、こんな人ばっかりなのだろうか? 見方を変えることができたら多分、貴女もフィオナさんと仲良くできると思うよ。
「……すみません、フルネームを口に出すとつい目眩が。支えて下さって、ありがとうございます。……だけど、言いたいことはこれでわかって貰えたかしら」
「いえ、特に……」
「なんで!? どうして!?」
「うわわわわわわわわ」
と言われてもなあ。急に元気を取り戻して、両肩を掴んでブンブンと揺さぶらないでほしい。召喚術にある程度真剣に関わる人間にしてみれば、死霊術を毛嫌いする人のほうが少数派だし……。
それに、名前を聞いて驚いた。エダートン家といえば、確かに大量に呼び出したアンデットを傭兵にして身を立てた子爵家……いや、元子爵家だ。現在の当主が死霊術を二度と使わないことを宣言して、同時に子爵の地位も捨てていたんだった。
そしてさっき名前の出たお嬢さんは、イレーナが人形のコンクールに参加するたび、いつも入賞枠に名前が載っている……つまり、イレーナのライバルだ!
何という合縁奇縁。ステファンとして挨拶ができないのが残念でならない。いやむしろ、イレーナに対してどういった印象を持っているかといったことは、ステラとしてのほうが聞きやすいかもしれない。互いに、顔を合わせた事はないからね……それをやると、今後兄妹共々顔を合わせられなくなるけれど。
あ、いや違う、そもそも元から顔を合わせることはできないんだ。僕は変装しているつもりでいたけど、その変装対象は妹そのものだし……ちょっとがっかり。
だけど、マーシアさんサイドがイレーナにライバル意識を持っているかはやっぱりめちゃくちゃ気になる。イレーナはバリバリに意識しているからね。
「なあああああにをウズウズしているの!! けれど、友人選びはあくまで個人の自由です。私の警告、ゆめゆめ忘れないよう」
「ああっごめんなさい。忠告ありがたく頂きます……」
「よろしい。……まあ? いざという時には、聖霊王に祈りなさい。多少やんちゃな子羊にも、救いは与えられるでしょう……あの家も、正当化に向けて努力をしているようですし。聖霊王は寛大なのです」
今にも駆け出したい気分になって、拳を作ってうずうずとさせていたら指摘されてしまった。
そして、聖霊王か。さてはこの人、スティバレ王国の人だな。この単語を彼女が口にしたことで、僕の中で合点がいった。ああ、そうだ。さっきやってたあの妙なポーズは、彼の国にいる神官の敬礼か何かだったはずだ。いつか見た資料で変なポーズだなと思ったことがあるから、既視感があったんだ。
スティバレ王国には一大宗教である聖教の聖都がある。
この宗教の信仰されている範囲は広く、ここルイステン共和国でも貴族層はほとんどが信仰している。ヴァイオレットも時々、お祈りの時間だって言って病床の窓から太陽に向けて、拝んでいたのを覚えている。あんなポーズはしていなかったけど。
ルディングに通う生徒は、多くがそれなりの富裕層であることには違いない。男爵や子爵家の子女も少なからずいるだろうし、その子達はおそらく信徒と見て差し支えないかもしれない。
だとすると困ったな。僕はお母さんからも別に聖教の信仰を習慣づけられていない。あくまで騎士の家庭だからだろうか。お母さんが宗教などを鼻で笑うような人間だから……ではないと信じたい。今後はある程度、信仰しているポーズだけは取れるようにしておいたほうが良いかも知れない。ヴァイオレットにも話を聞いておこう。
その聖教をまとめ上げる聖霊王という存在は、死霊術を強く禁止している。だから、信ずる人々もそれを嫌っている。けれど、そんなに忌避する事柄から、自ら動いて遠ざけようとする優しさや勇気は、称賛に値するものだ。せめて、名前だけでも聞かせてもらいたい。
「あの……ご忠告ありがとうございます。私はステラ・モーレンジと申します。どうか貴女のお名前を教えては頂けませんか?」
「……感謝はしても、従うつもりはないんでしょ? なら、私の事は忘れたほうが良いと思うからあえて名乗らない。では!」
また最初のポーズを取っては、キビキビとした動きで踵を帰す。名前は教えてもらえなかった。まあ、フィオナさんと交友を絶つなんてありえないからね。腹に抱えていた物は見透かされていたらしい。
でも、体格が小さいものだから、凛々しい動きをしていてもその姿がどうにも微笑ましい……いけない。彼女はフィオナさんと同じく二年生。殆どの場合は年上だ。年上に対する敬意は忘れてはいけないよね。もうちょっと、ヴァイオレットにも優しくできたらいいな。
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