今日も間違いなくステラ

 静かに開いた教室の扉。そちらに目を向けたフィオナは、表情を綻ばせて手招きをする。入室した亜麻色の髪の少女、ステラはそれに応じ、フィオナの座る席まで歩み寄る。

 

「ステラさん、ご機嫌よう」


「おはようございます。先日はお世話になりました」


「そんな、あれしきで畏まらないで下さいな。まだまだ伝えておきたい事は山程あるのですから」


「ありがとうございます。お隣よろしいですか?」


「もちろん。どうぞ」

 

 ルディングの大抵の教室では、生徒が座る机は三人がけ。ステラは小さく下げていた頭を戻すと、フィオナが座る席から一つ離れた席に着座した。

 

「……あ、早速使って下さってるのですね。その色を選んで正解でした。貴女によく似合うと思って」


 ステラの唇には薄く口紅が塗られていた。フィオナはその色を懐かしむように眺めて、頷きながら褒めた。


「えっ。わざわざ私に合わせて選んで下さったのですか。ありがとうございます……っくく」


「ん~? 今どこかに笑いどころ、ありましたか?」


「いえ。なんでもありません、ふっ」


 ステラは猫のように丸めた手を口元に当てる。口では否定しながらもまだおかしそうに声を押し殺しているのを見て、フィオナは不可解そうに眉を傾けた。

 

「……まあ、いいです。しかし、今日貴女と会えるとは思っていませんでした。ご覧なさいな、出席しているのは二年生ばかりですよ」


「あー確かに。そうですね……あったあった」


「本当にご覧になった?」


 この教室に、制服に桃色の刺繍が付いている生徒はステラ一人しかいない。しかしその当人は教室に一瞥もくれずに自分の鞄を探っている。授業の準備の他に小さいメモ冊子を用意しながら、聞いているのか、聞いていないのかという返事をした。フィオナの額にひとつ、冷や汗がたらり。

 

「ああ、すみません。別にグループ実習があるわけではないのですし、やることさえやっていれば、他の生徒を気にかけることもないかと思っていまして……。でも、月曜にもフィオナさんはいらっしゃいましたよね。それは覚えていますよ」


「そっそうでしたか! それは光栄です」

 

 カリキュラム上、召喚術実習を履修する場合は月曜三限と水曜一限はセットで出席することが前提となる。つまり、今この場にいる生徒が月曜にいないわけがなかった。それを知ってか知らずか、フィオナは顔に若干強張った微笑みを浮かべる。冷や汗がまたひとつたらり。

 鐘が鳴る。授業が始まるとなれば、そんな場合ではないとばかりに汗を引っ込めるフィオナ。


 もはや老婆と呼べるような高齢ながら、まっすぐ背を伸ばして立つ教師は、前置きもそこそこに、本日の主題となる人形作りの解説に取り掛かった。

 兵士の人形は、召喚術を志すなら最初に手を出すべきとされている標準的なものだ。作り方は教科書の通りに触媒を組み合わせ、その上にいくつかのルーン文字を記すだけ。だが、それに従って組み上げるだけでも、何の心得もない者にはハードルが高い。失敗を考慮してか、各机に今回使う触媒は大量に用意されていた。

 

 フィオナは授業の進行に合わせて触媒を組み上げていく。手付きは素人にしては随分とマシ、という程度。授業は時間をかけてゆっくり行われているので、失敗した後に一から作り直しても十分間に合う。

 フィオナの周りに、人形の失敗作が三つ程溜まった時。ふと彼女は、ステラの周りにも三つの人形が置かれていることに気付く。進行度合いに仲間意識が湧いたのか、微笑みなどを浮かべていた。その親近感がすっかり消えて、またひとつの冷や汗を流し始めるまでにそう時間はかからなかった。目にした人形が、教科書に載っているのと大差ない出来栄えと気付いたからだ。

 

「えっ、はっ?」


「それー、突撃……」


 片手で頬杖を突いて気だるそうに指を伸ばすステラ。指示に従い、兵士の人形は指の指す方へキビキビと歩き始める。先鋒が机の端に至っても、撤退命令は下らない。従順な兵隊はやがて、机上の断崖を転がり落ちていった。


「フフッ、ンンッフフフフフ」


「ステラ・モーレンジ、授業中だぞ。ふざけるな」


「はい、すみません」


 愚直にも落ちていく兵士を眺めてくすくす笑っていたら、流石に落下音が響いたのか教師に咎められるステラ。だらけた態度を一瞬で正して謝意を示した。


「そんな特技を隠し持っていたのですか!?」


 ステラの実力に驚いたフィオナは小声で問いかける。


「特技なんてものではまるでありません。慣れ次第で誰にでもできることですよ」


「いいえ、素晴らしいことです……本当に」


「でしても、これぐらいで褒められていては……私には召喚術しかありませんし」


「ふへえぇ? 組紐はぁ?」


「あーいえ。組紐も大事ですよね。召喚術をやる上でも必要ですし。本当に先日はお世話になりました。今後もどうかよろしくお願いします」


「そうでしたか、うふ、良かった、ふふふふ、ふ……」


 フィオナが今にも泣き出しそうな子供のような声を発したことに驚いて、慌ててとりなすステラ。結局フィオナの瞳から涙が溢れることはなかったが、代わりとばかりに冷や汗がだらだらと流れ落ちていた。

 

 授業が進み、ついに解説は兵士の人形が完成する段階まで至った。今も完成しない生徒は質問しに来るようにと教師から指示が下る。殆どの生徒が教卓へ駆け出して行った。着座したままのフィオナは、解説の終わりと同時に人形を作り終えていた。目を閉じて人形を握り魔力を与える。ここまでに失敗作は合計六つに増えていた。

 かつてステラがしたように、任意の方向へ指をさすフィオナ。ステラのそれと比べたらいびつな形の兵士が歩く姿を、愛おしそうに眺めている。机の端に辿り着く前に反転の指示を出して、適当なところで停止させた。

 

「ん? なんで目を閉じたままなんでしょうか」


 その間、フィオナは目を開くことはなかった。それを疑問に思ったステラが問いかける。

 

「魔力を扱うときは、この方が集中できるんです。別で魔法を唱えることで視えてはいますので、視界についてはご心配なきよう」


「そうですか……」


 理由は示されたが怪訝そうな様子のステラをよそに、再度鐘が鳴る。今度の鐘は授業の終わりを告げていた。質問タイムを同じ教師が受け持つ、次週の月曜日に持ち越して、授業を切り上げた教師は足早に退室していった。

 

「さて、昨年はこの後、製図の授業がありましたが。今年の一年生には何が控えているのでしょうか」


「ええと……ああ、回復魔法ですね」


「そうでしたか。私は専門となる、触媒の研究が控えていますので早々においとましようと思います。ステラさんもこの後、頑張って下さいね」


「はい、ありがとうございます。お疲れさまでした」


「それでは、ご機嫌麗しゅう」


 立ち上がるフィオナを見送って、ステラは荷物を片付けようとした。

 

「ミラーズさん、また目を閉じてる……気味が悪い」


「何か目を病んでいるのかしら? まあ、私たちには関係のないことよ」


「そうよね。くわばらくわばら」


「聞こえていますよ。例え背教者に近付く者に対しても、言葉は慎むように」


「ああ! ごめんなさいグリッタ」


「……」


 振り返ることなく退室していくフィオナ。ステラは声のした方を睨みつける。その方向には生徒が三人。フィオナを悪し様に話していた二人の少女と、少し距離を置いて一人の小柄な少女が着座していた。

 ステラの表情は不快そうに歪められたまま。小柄な少女が二人の態度を咎めはしたが、その方法は決してフィオナの名誉の回復には寄与しない。

 すっかり気分を害したようで、荷物をまとめたステラは早々に教室を後にした。



――――――



「ただいま」


「おかえりイレーナ。ここは家じゃないけどね」


「ステファ兄の顔見たら家に帰ってきたみたいな気分になっちゃって。ふぅ、はいこれ」


「ありがとう」


 時間に余裕を持って、イレーナが研究室に戻ってきた。一息ついたかと思えば、すぐに部屋着に着替えて制服を渡してくれた。若干温かい……人が脱いだばかりの服を着るのもこの生活を始めてから経験したことだ。普通はしない。何から何まで、変なことばかりしている。


「……あぁ、疲れた」


「お疲れ様。今日の方はそんなに大変だったの?」


 とっとと着替えて今で十分ぐらい。移動には昨日の晩、フィオナさんが手帳に送ってくれた対応表があるのでもう困らない。もう少しくらいなら、イレーナと話す時間も取れそうだ。


「授業は月曜と同じ先生がしてる。だから片手間で済む内容だけど……フィオナさん? 可愛らしい人だね」


「だよね! いい人だよね!」


 月曜三限の召喚術の授業に出席していたというフィオナさん。やっぱり今日の授業にも出ているようだ。

 

「だけど……」


「えっ、なにか反りでも合わなかった?」


「いやちょっと、顔見知りの他人の振りって大変だなって思って」

 

 あー。僕も他人の振りをしていることについては同じだけど、イレーナの場合は面識のない人と仲がいいように振る舞わないといけないから、なおのこと難易度が高いんだ。面倒なことを押し付けてしまってごめんね。でもフィオナさんなら、イレーナとも仲良くしてくれると思うんだ。僕の事はともかく、できることなら仲良くなってもらいたい所だ。

 

「……惚れちゃダメだよ。流石に恋人にまでは成り変われないから」

 

「わ、わかってるよ。第一、そんな関係にはならないよ」


「ほんとかなぁ。もし恋愛するんだったら、事情を知ってる人にしておいてね。例えばヴァイオレットさんだったら私も楽だな」


「それこそありえないでしょ!」


 流石に無理がある。こちらは仕える騎士の子供、一方あちらは侯爵家の長女だ。どうあっても釣り合わないという他にない。妙な提案をするのはやめてほしい。

 

「フィオナさん、教室に入ったらもう座ってて。私が入室したのを見たら、すぐ手招きしてくれたよ。顔見ても特に何も言われなかったし、バレてる心配もなさそう」


 なんとなくその光景が想像できる。カルカノの前でもやっていたような呼び方だろうか。

 イレーナが召喚術棟へ向かったのは、先に個人の研究室からの行き来を試してから。予め僕が登校して研究室で待機しつつ、手帳で連絡を取り合っていたけど特に差し支えなく移動ができた。結局、教室に着く頃には普段ぐらいの時間になっただろうから、早い生徒なら先に教室にいてもおかしくはなかった。

 

「そっか。仲良くして貰えそうなんだね、よかったー」


「んー、そうなんだけど」


「何、どうかしたの?」


「フィオナさん、なんだか他の上級生には避けられているような気がして……」


「え……それは心配だね」


 いくら多少は人を選ぶ性格をしているからと言って、避けられるような振る舞いの人ではないと思う。現に、研究室に上げるような友達も居るようだったし……でも、研究の邪魔になると疎ましく思うようなことを言っていた。その人の方が立場が上だとか、邪険にできない理由があって、上げざるを得ないというだけなら……ちょっと気がかりだ。


「あ、あと。やっぱり言われたことがあった」


「えっ、まだ気になることが?」


「顔について。『その色を選んで正解でした。貴女によく似合うと思って』って褒めてくれたよ。これ」


「うぐっ」


 自分の口元を指差してはにやにやとするイレーナ。おめかししたイレーナが素敵なのはわかるよ。けど、後半の情報は聞きたくなかった。イレーナは月曜の段階じゃ挨拶もしてないと言っていたし、フィオナさんの印象に残る程の接触はしていないはず。その時点じゃ、ステラのことはまだ召喚術の授業に唯一出ている一年生、というぐらいの認識だったに違いない。つまり、女装した僕に合わせてこれを用意したということになる……。

 

 イレーナのにやけ顔を見ていると、この後控えていることを思い出した。昨日、ヴァイオレットに散々向けられたのと同じような顔だったからね。類は友を呼ぶというし、イレーナがヴァイオレットとだけは仲良くやって行けているのも、この顔を見れば必然と言うべきか。

 いい機会だからこの学校で、交友の輪を広げてくれればと思っている。新しいお友達が、一緒になって僕をからかわない子だといいなあ。

 

「あとは……授業の途中から目を閉じてたぐらいかな。ああ、それで気味悪がられてた部分もあるのかも」


「えっ、なにそれ」

 

「本人はこうすると魔力の取り扱いに集中しやすいからって言ってたけど……ほら、そろそろいい時間じゃないの? 口紅薄くなってる。あんまり舐めたらダメだよ」


 脳に入る情報の殆どは視覚から得られるというし、それを取り除けば集中しやすくなるというのは理解できなくはない……一度試してみようかな。でも、授業中ずっと閉じてるのはやりすぎな気がする。僕が試すときは自分一人で研究室とかにいるときにしよう。

 

 イレーナは化粧ポーチから件の組紐を取り出して、指先でさっと少量すくう。ああやって弱い魔力を与えると軟膏状に溶けて、唇につけるのに適した形になる。指先に着いた紅をブラシですくい直して、こちらに突き出してくるイレーナ。観念して僕は目を閉じる。まもなくべちょりとした触感が唇に広がっていった。この違和感がとてつもなく気持ちが悪い。よく世の女性たちは毎日付けているものだ。

 

「はい終わり。この後の授業がんばってね」


「……うん、行ってくる……」

 

 

――――――



「え、嘘、今どっち?」


「……これから控えている授業のことを考えて頂ければ」


「それもそう、だよねぇ、うん……」


 ヴァイオレットがここまで戸惑っている所は初めて見た。でも当たり前だ。事情を知る人からすれば困る以外の反応は取りようがないよね。イレーナは自分で化粧ができる子だけど、祭事などで必要に迫られなければ化粧をしなかった。そんな子を妹に持つ男が成り代わるために、なんで化粧をする必要があるのか。

 

「ははぁ、これはあの子の差し金だね。実にナイスだよ。ステラちゃんめっちゃ可愛くなったし」


 その言葉はイレーナと顔を合わせた時までとっておいて欲しい。化粧したイレーナはいつにもまして綺麗になっているのだから。僕の女装なんかを褒めていたら、イレーナと顔を合わせたときに度肝を抜かれることになるよ。

 

「おはようございます、お二人共……あっ! ステラさん、お化粧なさったんですね。私は田舎暮らしが長いせいで詳しくはないですけど、なんだかより大人びた感じがして素敵です!」


 後から教室に入ってきたアイラさんは、一目散に僕らの座る席へ小走りで近寄ってくる。そして僕の顔を見るなり、驚いた顔をすぐに笑顔に変えていく。

 

「あはは……ありがとうございます……」


「んん? どうして浮かない顔を? せっかく綺麗になったのですから笑顔でいましょう。ふふふっ」


「そうだよ。ほら笑って、ブフッ!」


「あ! その笑い方はなにか違うと思いますよ、ヴァイオレットさん!」


 ついに耐えきれず吹き出したヴァイオレットを咎めるアイラさん。その優しさには感じ入るところもあるけれど、今の僕にとっては笑われる方がよかったりする。……わざわざやめるように頼むのも変だから言わないけど。


「ごめんごめーん。でも私もさっきまで褒めてたとこ。あっそうだ。いい機会だし、アイラちゃんもメイク覚えたらどう?」


「えっ、私がですか……?」


「ああっ、良いと思いますよアイラさん!」


「私、そんなに几帳面ではないので、毎日できるかどうか……」


「ずぼらさんな様には見えませんけど、毎日しなくとも今後、式典などに参加する時に備えて、覚えておくのは損はないかと」


「……そうですね、いざという時にできないと恥ずかしいですし……ステラさん、ご教示お願いできますか?」


「え゛っ」


 うっかり他人事で物を言ってしまった。今の僕は女の子としてこの場に立っているのだから、覚えておいたほうが良いという言葉は自分にも突き刺さる。その中で実際に化粧をしているとなれば、教えを請われてもおかしくはない。すっかり困ってヴァイオレットの方を見る。「一体何を困っているの?」とでも言いたそうな顔から……じわじわと申し訳無さそうなしわくちゃ顔に変わっていく。どういう意味だ。

 

「ああああアイラちゃん、だめだめ。ステラは化粧始めた所だからまだ教えるのまではちょっと。だから、私が教えてあげよう! 作法として教わってたのがあるし」


「わあ! お作法としてだなんてすごいですね。是非お願いします。ステラさんも、一緒に頑張りましょう!」


「あぁそうだね。うん、じゃあ二人共、今度の休みにでも集まろうか」


「……はい……お願いします…………」


 どうしてこうなるの!

 ……そりゃ、僕にとってもこの三年間は必要になる技術かもしれないけれど……。

 すっかりヴァイオレットも、当たり前のように僕を巻き込んだアイラさんの提案に乗っかっている。しぼんでいたはずの顔には今や、元々よりも水気が行き渡ったような気さえしてくる。彼女の言葉を無碍にできない僕には、従う他になかった。



――――――



「っぷ、くっ、くふっふっふふふふふふ……見てよこれ」


 一日を終えて帰ってくると、イレーナは笑いを堪えられない様子だった。

 本来は同期されていて、いつでも届いたメッセージが二人共確認できるようになっている手帳。でもイレーナは自分とヴァイオレットとでやり取りしたメッセージにだけは、暗号をかけていた。だからその内容を僕が知ることは、こうしてイレーナから紙面を見せてくれなければできないことだ。

 

 そこには、『今日は一瞬自分が怖くなった。ステラが化粧ぐらい余裕でテキパキできる普通の女の子にしか見えなくって、フォローが一瞬遅れちゃった』……なんて書かれていた。あの時の顔はこれか!


「もー、笑わないでよ。わざわざ僕にまで化粧させるからこんなことになったのに」


 ご丁寧にもその下には、『絶対ショックを受けると思うから、ステファンにはこれ見せないでね』と書かれている。それ書くの、この妹には逆効果だよ。イレーナの性格はヴァイオレットもよく知っているはずだよね……?

 知っているからこそ、僕に見せると踏んでの所業ではないと信じたい。

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