無限回廊のその先に
『指導』を受け終えて、二人とは解散した。上級生の研究室に行く用事があると伝えたら、「もうそんなツテがあるの!?」ってヴァイオレットに大げさに驚かれた。たまたま運が良かっただけだよ。もしかしたら、貴族で同い年なら互いに面識があるかも知れない。今度機会があったら、フィオナさんについてヴァイオレットに聞いてみようかな。
フィオナさんの研究室の番号は、手帳に書き留めてある。
個人の研究室に行くには、各学年の棟の受付に置いてある台帳に、番号を記入すればドア前へのゲートが開く。来客はそれをくぐったあと、部屋主が開けてくれれば中に入れるという仕組みだ。
各学年の棟は無限回廊の中にある。何の案内もなく歩くのは十中八九迷うため、危険だと言われている。一年の棟は場所がわかるけど、二年のはちょっとわからない。先生にでもお願いしようかと思ったけれど……立て込んでいたようなので頼みようがなかった。
ここは迷惑を承知で、フィオナさんに迎えに来てもらえないか頼んでみよう。手帳の部屋番号を書いたページを開く。ちなみに、番号はルーンで書いてある。だからなぞればメッセージの履歴が開けるようになっていた。まだメッセージは送りあっていないので、紙面には片隅に移動したルーン以外何も記されてはいない。
迎えに来てほしい旨を記して送信。メッセージに気付いてもらえるかは運次第だ。けれど、こうする他に手立てもないしね。
資料室の机で原生触媒図鑑に目を通していたら、手帳が新規メッセージが届いたことを通知した。フィオナさんからだ!
『今どこにいますか? とりあえず共同研究室に向かっているところです。そこで落ち合いましょう』
記入しながら歩いているんだろうか? それはちょっと危ないからやめてほしいなあ。今返信したら、またその返信のために歩き入力しそうだ。返事は共同研究室についてから送ることにしよう。
席を立って、図鑑を返却用の棚に戻そうと思ったら勢いよくドアが開かれた。
「ウフッフ、ゼェーッ、見つけましたよフフッ、ゼェーッ、フッ、フゥーフフフッ」
びっくりしてそちらに目を向けると、肩を上下させつつも微笑みを崩さないフィオナさん。薄い肌が災いしてか、顔が完全に真っ赤に染まり切っている。どう見ても走ってきたという風体だ。まさか、走りながら記入していたなんてことは……ないよね?
「わあ! フィオナさん! どうしてこちらに!? メッセージは見ましたけど、まだ返事は出していませんよ」
「製図の時間とっ……聞いていましたのでぇ、フーッ。ならば製図室まで迎えにあっ、あがるほうが、早いかと思いましてぇ……すれ違うかもぉ、知れませんッしいぃ? フーッ」
「とりあえず、息を整えましょう」
すかさず駆け寄り背中をさする。息を切らせている人にやる処置としてあっているかはわからないけれど、時間の経過のおかげか、フィオナさんの呼吸はだいぶ落ち着いてきた。
「……ありがとうございます。もう落ち着きました」
「とんでもないです」
「では早速、参りましょうか……ブレンダーは持っていますか?」
「あ、はい。鞄に入れてあります」
「そう。ならレンタルの必要もなさそうですね。行きましょう」
「はい!」
今日、触媒の授業があったかは伝えていない。あれば用意してくるようには言われているけど、今日はブレンダーを使うところまで授業が進まなかった。だから結局、鞄に入れてきたブレンダーには一日用事がないところだった。
そこまで授業が進まなさそうなのは予想通りのことではあったけれど、用意するように言われている以上は持ってこざるを得ない。今後、忘れてしまった時のためにも、レンタルする手段があることが知れたのは嬉しいことだった。そんなうっかりはそうそうしないだろうけどね。
呼吸が整うとすぐ席を立ったフィオナさん。それに続いて僕も資料室を出る。
「無限回廊への出入り口は校舎の各地にあります。例えばここ」
「おおー」
廊下で突如立ち止まったかと思えば、フィオナさんは手帳を取り出した。それが開き切るのも待たず、壁に扉が浮かび上がる。
「それぞれの行き先は本来決まっていますけど、ある程度自由に好きな所へ繋ぎ変える方法を覚えておけばこれから捗りますよ。見てて下さいね」
彼女は開いた手帳に何やらのルーンを入力すると、ドアノブに手をかけた。この壁の向こう側は多分空き教室だったと思うけれど、扉の先の光景はまるで違うものだった。一年生の研究室がある廊下に似ているが、絨毯や壁紙のひとつひとつが青を基調としたものになっている。学年のカラーに合わせているとすれば。
「えっ! もしかしてここ、二年の研究棟ですか? すごい!」
「ご名答! あとで何がどう繋げられるかの対応表を送っておきますね」
ここに無限回廊への出入り口がある事自体は聞いていた。無限回廊の中でも、物置側に繋がっているということも。収容物は祭具だとか、昔からある用途不明の物ばかりだそうなので、使うこともないかと思ってそれ以上は調べもしていなかった。
「でも、こんな改ざんみたいなことをして、校則的には大丈夫なんでしょうか」
「教員に見つからなければ、校則的には問題ありません。手帳の十三ページを開いて下さい」
「はい」
校則の中でも、学院の禁則事項の前提が記されているページだった。こんなことよく覚えているね。
「『禁則事項を行った現場を教員、あるいは外部の人間に見咎められた場合、学院は生徒を罰する』と記載があります」
あー。つまり、現場さえ抑えられなければ罰則することはないと。この魔法学院の懐の広さと言ってもいい……所なのか、微妙に思えてしまった。
……まあ、気にする振りをしながらも、この近道の存在を知れたことは本当にありがたかった。あと数日としないうちにもう一着の制服は届くだろうけど、明日は一限から召喚術の授業がある。あとに続くは回復魔法。
それぞれを受けるのは別人なので、休み時間の二十分の間に移動と着替えを済ませなければならない。対応表をくれると言って頂けてはいるけれど、ここはもうちょっと甘えて、帰りがけに召喚術棟との行き来に使う術式だけは聞いておこう。移動時間を確認しておかないといけないし。
「それでは、こちらが私の研究室です。ジャーンあああああああ!」
「大丈夫ですか!? 急にどうしたんですか!」
本人が自室に訪れる分には、訪問台帳への記入は必要ない。受付をスルーしてゲートに直行。目前に現れた自室の扉を開いては、くるくる回りながら手を広げて迎え入れてくれたフィオナさんが、膝から崩れ落ちそうになる。思わず駆け寄ってその体を支える。
「見苦しいところをお見せしました。ステラさんはお優しいのですね……それに引き換え、あのあほ……あの子は片付けもしないで!」
すぐそこにある、向い合せに並べられたシンプルな机の上には、お菓子の包み紙が散見された。他に散らかっていると言えそうなものはないし、それを指しているんだろう。ちょっと大げさだね。
「先程までご友人と勉強をされていたのですか? そのような時に押しかけてしまい、申し訳ありません」
「謝らないで下さいな。彼女は邪魔しに来ているだけですので、追い払うのに良い口実にもできました。連絡を頂けて感謝しているくらいです」
「は、はあ……」
この口ぶりからして、フィオナさんのお友達はあまり真面目な人ではないんだろうか。それでもお付き合いを続けているのは、そうせざるを得ない理由があるとかではなくて、信頼の裏返しみたいなものだと願うばかりだ。いい人なのなら、いつか僕も顔を合わせてみたいな。
「では、ブレンダーを触っていきましょう。あっ、キアロ・ディット。良いものをお持ちなんですね」
「あはは、フィオナさんにかかればなんでもお見通しなのですね。道具に関しては、少しでも良い物を用意したいと考えていまして」
「大げさですよ。これでも、実物は初めて見ました。準備を怠らないことは、良い心がけです!」
やっぱりフィオナさんはすごい。僕が持っているブレンダー『キアロ・ディット』は、殆ど世間には知られていないはずの代物だ。なんせ、引退したスティバレ王国の職人さんが道楽で作っているようなものだから、どうしても生産数には限りがある。命名も彼の国の言葉でされている。『輝く指』という意味らしい
その質に関しては、手に入れてきてくれたお母さんのお墨付きだ。兄妹で使って構わないと言ってくれた時には、思わず抱きついてしまうほどに嬉しかった。
魔法を直接は教えてくれないお母さんだったけど、こうして環境を整えることには今まで凄く力を尽くしてくれていた。安直に教えるのではなく、僕らの自主性を尊重してくれているのだと、あくまで好意的に考えている。
そんなお母さんでもルディングの二人分の学費は用意できなかった。そう、今僕はここで贅沢をしているんだ。本来ならここでの出来事は、全てイレーナが触れるべきだったこと。そのバレ方によってはイレーナの今後すら奪いかねない。僕はこれからより一層、慎重に、真剣に取り組まなければいけない。
「そこまでのやる気を見せてくださって、とても光栄です」
合わせた両手を片頬に添えるフィオナさん。また思わずガッツポーズをしていたのを見られてしまった……恥ずかしいから、この癖は治すようにしよう。
「あはははは……それはもう、せっかくの機会ですから」
「であれば、指導のレベルはいかがいたしましょう。甘口・辛口・大辛と考えていましたが」
「ええっと……参考までに、共同研究室ではどうだったのでしょう」
「甘口でぇっす!」
あれで!? 笑顔で告げるフィオナさんのこれ以上なく甘い声色。
それとは全くもって裏腹に、あの日の指導は軍学校に来たのかと思わず考えてしまう指導だったけれど。あの上となったらどんな指導になるんだろう? 想像したくない。
「……で、では引き続き、甘口でお願いします」
「そんなに遠慮しなくてもいいですのに。まあ、いいです。そろそろ始めましょうか」
――――――
最初に与えられた課題は、今フィオナさんが編み上げた組紐をお手本に、その外見だけで素材がなにかを推し量って再現していくこと。前に見せてもらったものとは違って、手のひらに収まる一般的なサイズ。かなりシンプルな代物だった。現状の実力を測るのにこれ以上のことはなかった。
与えられた時間はたっぷりと一時間。そしてヒントは一つだけ。使っている触媒は、今この研究室内にあるもののみを使って作ったとのことだ。保管している触媒は自由に使っていいと許可をくれた。種類ごとにケースで分けられていたのでとても使いやすい。
フィオナさんは僕の組紐が編み上がるまで、ついぞ一言も口を挟んでくることはなかった。けれど目は口ほどに物を言うというか、目というよりは動きというか。
例えばこの組紐の大部分を占める赤い色を参考に、大腐花の刻んだ花びらが詰まった小瓶がある。加工しないととんでもなく臭いけど、鮮やかな赤色が美しい触媒だ。ここにあるのはもちろん脱臭済み。それを手に取って、フィオナさんの方をちらり。
溢れんばかりの笑顔を浮かべている!
真っ黒のカーテンで窓を閉じ込んでいるような研究室なのに、後光でも射しているかのように眩しい笑顔だった。この触媒が当たりだから微笑んでくれているのか、大外れ故のイレーナ……じゃなくて、イタズラじみたものなのかは判断しようもない。だけど、自分の勘を信じてこれを中心に据えることにした。
触媒にある程度あたりを付けては手にとってみて、ちらりと顔色を伺ってしまう。
僕があまり自信を持てないものだと、フグみたいに頬を膨らませては真っ赤に顔を染めている。力を込めてつぐんだ口からは、決して口を挟むまいとする意思がありありと察せられた。
つい面白がって、見当違いな触媒を掴んだときなんて、もうひどかった。口を真横にピンと伸ばして、もはや口角が上がるでも下がるでもなく、綺麗な直線を描いていた。
この人、疑いようもないほどの教えたがりだ。そもそも自分から弟子を取るようなことをするような人だ。共同研究室での作業も、候補を探すためにわざわざしていたと言っていたし。
今彼女がしている我慢は、言わば午後九時以降のイレーナのようなものだ。その後大体、四十分ぐらいで組紐は完成した。イレーナにはその後、十時間ぐらいの我慢を強いてるけど、フィオナさんにはそこまで待たせずに済んだ。
「ほー……」
今フィオナさんは、僕の編み上げた組紐を眺めている。表情は至って神妙……はっ。毎度毎度のぞき込んでいては失礼だ。別にフィオナさんの顔はおもしろ百面相ではないのだから。
「いかがでしたか?」
「思っていたよりはずっと悪くないですね。点数をつけるなら、六十七点?」
うーん、微妙な点数だなあ。触媒選びに関しては、カンニングしたようなものだし。僕が何点取れるものと見込んでのテストだったのかはわからないけれど、自分としては残念な結果に思えた。
「ちらちらとこちらを伺う貴女が可愛らしくて、ついヒントを与えすぎてしまいましたけれど。それを加味しても十分な出来です」
「あう! ごめんなさい!」
あ! バレてた!
あまり人の顔を面白がって眺めるのはやっぱりいけない。と言いながらも先程までのフィオナさんの顔を思い出す。今の僕の顔は、あのぐらい赤くなっているに違いない。
「良いんです。顔に出やすいのはわかっていますから。それに、出来がいいといってもスタート地点としてはという所ですからね。これからのプランを練るのが楽しみで仕方ありません、オホホホホホホ」
「お手柔らかにお願いします……」
「では、今日のところはこんな所にしておきましょう。見本の組紐は差し上げます。と言っても、もう見本としての価値はないでしょうけれど。色が好みに合うなら使って下さいな」
「とんでもありません。ありがたく頂きます」
組紐を頂いてしまった。良い出来だけど、うーん……いまいち用途が想像つかない。
軟膏タイプの薬によくある触媒が採用されている。けれど、大して薬効のある魔力を保持するようにはできていなさそうに思える。光沢のある鮮やかな赤色を見るに、絵の具にでもなるのかなあ。絵を描く趣味はないけど、インク代わりにはなるかも知れない。
本来の用途に関しては、後で復習をするときにでも、構成触媒から逆算してみよう。今直接聞いてもいいけれど、それも勉強になりそうだ。
「さて、ちょっと課題を用意したいので、次は来週の月曜あたりにと考えていますが、ご都合はいかがですか?」
「問題ありません。放課後は毎日十七時ぐらいまで自習でもしようかと思っていますんで、いつでも呼んで下さい。ただ、その後は妹の食事の準備もありますので、遅くなっても十七時半には帰らなければなりませんが……」
「まあ。そんなことまでされていたんですね。組紐の工程はお料理と近いところがあるといいますし、素質や興味があるのはそういうところがあるのでしょうか」
「え、ではフィオナさんも料理をされるのですか?」
「いえ全く。どちらかといえば、大工のほうが得意ですね!」
「はっ、大工ですか? んんん?」
わからない。この人のことを何か知ったかと思えばすぐ頭に疑問符が浮かぶ。大工というと僕にはからっきしで、金槌でも使うのかなあ。ぐらいのことしか想像できない。それと同じくらいには、フィオナさんが金槌片手に釘を打っている姿も浮かんでこない。
「今貴女が腰掛けているのも、私の作品なんですよ」
「えっすごい!」
「ウフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフ」
確かにイレーナの研究室で見たものとは違う、シンプルな意匠の椅子だ。けれど、ルディングに備え付けられていてもおかしくないような出来だった。これがまさかお手製だったなんて。組紐といい、手先の器用さの神に愛された人なのだろうかと思ってしまうくらいだ。
「さて、時間のことをいうならもう貴女の門限も迫っていますし、解散しましょう。月曜日の放課後を楽しみにしています」
「あ。その前に、召喚術棟と一年棟を結ぶ術式があれば、今教えて下さいませんか? 明日は一限に向かう前に、少し準備をしておきたいので、一人でも行き来できるように下見をしたいのです」
「それはもう喜んで! 残りはまた後でまとめてお送りしますね」
フィオナさんには特に疑問を持たれずに教えてもらうことが出来た。これもイレーナとの円滑な成り代わりのためだ。今の発言が嘘にならないよう、イレーナより僕が先に家を出ることにしよう。どうせなら読み飽きた本しかない家で勉強してるよりも、研究室を使っていたいしね。
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