共同研究室

 八方、見渡す限りの書架。窓はなかった。本を保管するのに、日当たりの良い空間なんてのは論外だ。適度な間隔に照明が設置されてはいるが、魔力の節約のためか一つおきに消灯されていた。結局、数の割にはこの共同研究室は薄暗めに思えた。

 書架はかなり大きく、人間三人分にもなる高さになる。上の方の本はどうやって取るんだろう? だとか考えながら見上げていたら、設備を使っている上級生が手本を見せてくれた。こちらに一瞥もくれなかったので、別に気を回してくれたということもなく偶然なのだろう。彼女の制服の刺繍は青色、二年生だ。

 

 彼女は設備についたレバーを引くと、近くに開いた八つの円の一つに手を突っ込む。指だけを動かして何らかの操作を行うと、高所の書架からひとりでに抜け出した書籍が、彼女の手元にゆっくりと降りてきた。それをさも当然のように優しく受け止め、目次も見ずに間から広げてパラパラとめくる。やがて目当てのページにたどり着いたのか、動きが止まる。

 

「おおー……」


 思わず感嘆の息を漏らしていると、流石にこちらに気づいたのか、彼女は首をひねって笑顔だけをこっちに向けていた。用が済んだらしい本を近くのティーテーブルに置いて、手をちょいちょいとやってこちらに呼びかけている。念押しのためにも、自分に指差してみる。頷かれた。

 入学早々、上級生直々にお誘いがかかった。相手の素性や真意がわからない事自体は不安要素だけど、今後の学生生活を考えれば、いきなり無碍にする選択肢は考えられない。彼女のもとまで足を運ぶ決心をした。

 

「呼ばれましたか?」


「ええ! よく来てくださいました新入生さん! ご入学、おめでとうございます!」


 なんだかいきなりテンション高い人だな!

 捻った身体を戻すだけなら一回転をする必要はない。芝居がかったゆらりと舞うような大きいモーションで振り返りながら、大きく広げた手は異様なまでに白い。皮膚も薄いようで、血管が若干透けている。 

 その大げさな動きに後からついていく髪は対照的に黒い。あらゆる光を吸い込んで、黒曜石のような輝きを湛えている。顔立ちも化粧っ気がないながらも、パーツの輪郭がはっきりとした派手な容貌だ。間違いなく美人と呼ぶに差し支えない容姿の人だと言えるだろう。

 その容姿を持ってしても、やや過剰気味なまでに優雅に振る舞って、一連の動作を終えると、手元も見ずに設備をいじる。どういう操作かは、僕には指示を受けた設備の動きを見ないとわからない。

 ……答えはすぐに出た。触媒の入った容器に蓋をしたようだ。容器に向けられていた瞳がこちらに向かう。それもまた、彼女の髪と同じ様に黒かった。

 

「あはは……お迎えいただき、ありがとうございます」


「この時間に巡り歩かれているということは、時間はあるのですよね?」


「そうですね。次の授業までの時間を使って、施設を回ろうと考えてました」


「でしたら、ここにきておいてこのブレンダー、カルカノを触っていかない理由はありませんわね!」


「わわ、ちょっ……ってええ!? これ、ブレンダーなんですか!?」


「ええ、そうですとも」


 ぐいっと椅子のもとまで手を引かれ、肩を押さえるようにして僕を席に着かせた。


 投入した触媒を何であろうとバラバラに解いて糸に仕立て、それを数種類編み上げて、より上位の触媒となる組紐を作り出すための道具。それが『ブレンダー』と呼ばれている。適した触媒を作る道具の扱いを学ぶことは、より高度な魔法を学ぶ上で欠かせないことの一つだ。

 なんせ、それ一つで魔法を唱えるのに必要な魔力を用意できる、という前提で作るのが組紐だからね。後はルーン文字を刻む詠唱技術さえあれば魔法が使える。魔法を使う時、触媒無しで唱えられるのがベストではあるけれど、組紐を用意するコストに魔法の効果が見合っていれば、それはやはり用意する価値があるんだ。

 

 そんな道具だけど、普通なら道具と呼べる規模で、手に収まる代物に過ぎない。僕はそう認識していたので、まさかこの機械がブレンダーだとは思いもしなかった。道具のサイズでならうちにもいくつかある。例えば、丁度持ってる通学鞄の中にとかね。けれど、この程度ではばらせる触媒にも限りがある。

 

 しかし……ここに設置されているのは、グランドピアノも顔負けの、大規模な工作機械とさえ呼べそうなものだった。彼女がこれを指して呼んだ『カルカノ』という名前から察するに、スティバレ王国で造られた逸品なのかな。

 

 すごい!

 そんなものを目の前にして、興味が湧かないなんてわけがなかった。

 先程密閉された、ひっくり返したパイントグラスのような容器。その中に入れられていた、何らかの結晶類と思われる鉱物が独りでに形を糸に変えていく。触媒を糸に解く操作はもう終えていたようだ。

 鉱物は触媒として万能ではあるものの、組紐に取り入れるなら当然、糸に作り変える必要がある。その糸への変え難さで言えば、一転してトップクラスに難儀なものへ上り詰める物体だ。組紐に使おうとなんて考えたこともなかった。

 

「じきに紡ぎあがりますよ。その後は貴女の番です」


 自分でも目を輝かせている自覚があった。それを見ての提案だとは思うけれど、いいのだろうか? 少し遠慮を覚えた。ここまでのクラスの設備なんだ。確かに、今の時点では周りにもあと二台同じブレンダーがあるけれど、空いている。

 今は良くても、予約制度や状況についてはまだ調べていない。これだけの設備なのだから、使える時間をそんなに確保できるものではないんじゃなかろうか。

 

「でも、いいのですか? これだけ良い設備なのですし、予約を取るのも大変なんじゃないですか?」

 

 ……けれど、ここはちょっと好意に甘えて。いいと言ってくれるのであれば、触媒をばらしてみるくらいには使わせて貰ってもいいんではなかろうか。

 

「何かと思ったら、そんなことはお気になさらないで下さい! 私が使っていた時に、カルカノが満席になったことは数えるほどしかありません」


「え、そうなんですか……」


 予想外に、このブレンダーはあまり人気がないらしい。確かに、組紐を編み上げる技術を磨こうとする人は少ない。どうしても自分で唱える技術よりも、ましてや花形の攻撃魔法や召喚術などと比べてしまえば、地味な分野に入るせいだろうか。


「わざわざここで紡いでいた甲斐があったというもの。さ、貴女の番です」

 

「はい! その前に、出来上がった組紐を見せてもらえませんか!?」

 

 彼女はこの幾ばくかの間に編み上がっていた組紐をブレンダーから取り出す。シリンダーに巻き付いたままのそれをティーテーブルの上に置いた。組紐は編み上げるのに使ったブレンダーの規模に比例するように、大蛇のように太く長い。

 

「それはもう、喜んで。 ……本当に、ここで作業をしていてよかった。この分野に興味を持つ人は少ないんです」

 

 置いた後に彼女は眉を下げて目をこする仕草をとった。ただその瞳には別に、なんら湿り気は感じられなかった。いやだからといって非難する気持ちはないけれど。ただどれほど言葉をその通りに受け取って良いのか、困惑するというだけであって。

 

「わぁ! すごい……」


「ウフフフフフフフフフフフフフフ」

 

 その程度の困惑は、完成した組紐を目にした瞬間吹き飛んだ。仕上がりについてコメントするなら、戦場で言えば一部隊を吹き飛ばせる程の野砲級。医療で表すと、臓器のひとつ。そういった次元の魔法を唱えるのに用いても、不足しなさそうな代物だった。町の職人の稼ぎでは、費用の用意に節制しても一年はかかってしまうのではないだろうか。

 

 そんなものを学生の時点で作り出せるというのか。改めてこの学院のレベルの高さに肩を震わせていたら、あまりに露骨だったせいで彼女にも伝わったらしい。その態度がよほど心地がよかったのか、優雅とかの度を超えてその身をクネクネと揺らめかせていた。

 なんだか妙……じゃなくて、凄い人に目をつけられてしまったかもしれない。

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