普通に女装して登校
これに今日も袖を通すのかあ。
ルディングの女生徒用の制服。それと近くに置いた亜麻色のウィッグが目に入り、思わずため息をつく。
登校二日目ともなれば、始業式もないのでこれからは本格的な授業が始まる。
今日、火曜日の時間割は、回復・触媒・攻撃・製図。卒業要件としては、攻撃と召喚はどちらか一つ取っていればいい。
召喚術の履修は言わずもがな。攻撃魔法だけど、僕は将来性を感じていない。これ以上学ぶ必要性はなさそうと判断したので、履修登録はしていない。アイラさんはまず出ているだろうから、その点は惜しいけれど。
よって出席するのは一、二、四限だけだった。召喚術の授業がない以上、イレーナが授業に出席する機会はない。つまり丸一日、僕はこれを着ている必要があるということだ……覚悟はしたけど、改めて現実を突きつけられるとくるものがある。ぐすん。
現実というと、一限目から回復魔法だ。
園芸室で見かけた、触媒の薬効に対する熱意を思い出す。まずヴァイオレットは履修していると見て間違いないだろう。僕も出席するので、昨日の今日で早速顔を合わせることになる。正直、結構気まずい。どうしよう。
と言っても、回復魔法自体は攻撃や召喚に並んで人気の分野だ。授業は大講堂で行われる。単なる教室で行われた日常魔法とは扱いが違うね。だから、場合によってはそもそも遭遇しないことも十分あり得るわけだ。
けれど、いくら後ろめたいからって蔑ろにするのも避けたい。好意で協力してくれている人を相手に、これ以上引け目を感じる行為を働き続けるのはよくないと思う。
近くで見かけることがあれば……挨拶はしよう。
「ふぁ……、ふう」
欠伸を漏らして目をこすりながら、イレーナが起きてきた。学校のない日でも、朝ごはんの匂いを嗅ぎつけたらうねうねと寝室から出てきた。早起きは良いことだよ。
「おはよう。今日は早いね」
「平日の朝はね、ステファ兄のご飯食べないと始まらないんだよ……」
イレーナは目をこすっていた手を降ろし、お腹を擦っていた。妹にとって睡眠とは、長時間に及ぶ断食行為だ。うちでお菓子を入れている棚は一つだけ。この棚には僕の方針で、午後九時以降は鍵をかけるようにしていた。今は朝七時半。半日以上の断食は耐えられない子だから、ある程度の時間にはだいたい起きてくる。
「もう準備できてるよ。食べたら二度寝はダメだからね」
「あい~」
と言っても、本来朝に弱い妹だ。腹の虫に叩き起こされているに過ぎない。椅子に向かう背筋はぐったりと曲がっていて、口元はだらしなくふにゃふにゃと開かれている。ゆっくり時間をかけて、やっと椅子までたどり着いたと思ったら、頭を背もたれに乗せている。
その目の前に朝ご飯を盛った皿を置くと、攣らないか心配な勢いで首をブンと振ってご飯と向き合う。
「わぁ、これ好き。今日は生ハムなんだね」
「お母さんが良い原木を送ってくれたんだ。しばらく食卓に並びがちかもね」
カリッと焼いたマフィンに生ハムを敷いて、その上にポーチドエッグを載せる。そして味の決め手となるバターのソースをかけて出来上がり。手間の少なさもあって、エッグベネディクトは我が家の朝食の定番メニューの一つだ。
ハム以外だとベーコンやサーモンを使うことが多いけれど、ほうれん草を加えても美味しいんだよね。この時期はあんまりいいのが手に入らないから、冬ごろまでお預けだけれど。
「ああ目が冴えてきた。学校いけないのがとっても残念なぐらい」
「やる気だね。今日は回復魔法の授業にも出てみる?」
「出ない」
一皿に二つ用意していたエッグベネディクト。それをさっさと胃の中へと収めたイレーナは、すっかりいつも調子を取り戻していた。さっさと自分の勉強机へと向かっていく。と言っても、すぐそこだ。僕らは自分の部屋を持たない。それぞれの勉強机も居間に置いてあった。イレーナの方の机には、最低限の作業空間以外は触媒の容器で占められている。
一方、僕は机を普段から整頓していて……あ。昨日使ったマグカップが出しっぱなしだ。登校前に気づけてよかった。ちゃんと洗っとかなきゃ。
イレーナの手の中を覗く。いくつかの触媒で組み合わせられた、四足のテーブルのような形に組まれた触媒が収まっている。これが召喚術に使える状態になると『人形』と呼ばれるようになる。
人形の製作には、一定以上のレベルとなると、途端に必要な質と量が増える。実験や学習のたびに触媒を大量に用いるフルサイズを作っていては、お金がいくらあっても足りない。だから実験段階では手のひらに収まるぐらいの、ミニチュアサイズで作ることが殆どだった。大きいと実験の後に処分するのも大変だからね。
妹が人形を組み立てていく所を見るのが好きだった。あの構成なら狙いは犬型だろうな……だとか、予想するのも楽しかった。といっても、製作中に「何作ってるの? ムムッこの足の数、頭の数から見るに、ははーんさてはこれ、ケルベロスだね! どうかな?」だなんて身を乗り出しつつ聞いたりなんかしたら、うざがられること請け合いだ。
何を作っているのかは、帰ってからのお楽しみとしよう。妹の作業さえ早ければ、完成品を目にするまでに経過を見届けることはないかもしれない。
自分のを作るついでに、イレーナにもお弁当を用意した。だから昼休みに帰ってくる必要はない。アイラさんにした言い訳のように、一度帰って作ることも考えた。けれど毎回昼休みのたびに帰っているということにするのは不便だし、今後の交友にも悪影響は避けられない。
「じゃあ、留守番は頼んだよ。毎週火曜日はこんな感じになるのかな」
「制服がもう一着届いたら、私も時間をずらして登校するよ。個人の研究室でも、ここよりは設備が揃ってるし」
「あ、そっかあ。早く届くといいな」
製作に集中するのかと思いきや、イレーナは席を立って玄関まで見送ってくれた。
――――――
挨拶をしようと考えていたのは本当なんだけど。いざ前にすると身が固まるというか……恥ずかしいものだね。大講堂の前寄り、左奥の席にヴァイオレットが着座しているのが見えたが、結局声をかけられず。今ぐらいの時間でも、半分ぐらいは生徒が集まっているようで助かった。僕は中段あたりの席に腰掛けていた。
「おはようございます。お隣、いいですか?」
「アイラさん。おはようございます。もちろんどうぞ」
そして、ヴァイオレットに気付かれる前にアイラさんが来てくれた。彼女と初めて顔を合わせたのは昨日の今日だけど、既にアイラさんの顔を見るとなんだか安心できるようになっていた。
途端に、ヴァイオレットがこちらに振り向く。挨拶を交わす声を聞かれたんだろう。その顔は、「なんで!?」とでも言いたげだった。ごめん。
あっ、荷物をまとめ始めた。長机は三人がけ。中央に座る僕の隣がひと席空いているのを見るや否やの行動だろう。苦笑いを返している場合じゃなくなってしまった。けれど、気まずいからって授業を抜け出すわけにもいかないし……。
ここは一つ、腹を括ろう。大丈夫、機会さえあれば彼女には挨拶をする予定だったんだ。その機会を自ら、ふいにしようとしていたことには目をつぶって。
「おはようステラちゃん。ここ空いてる?」
「あ、はい……空いてますよ」
多分使わない席と踏んで、アイラさんと反対側の机に置いていたカバンを床に下ろす。
しまった。僕の微妙な態度を見てか、アイラさんの顔が曇る。大丈夫なのかと問うているようだった。精一杯、問題のない人と伝わるように笑顔を返す。問題なら、僕の方が大有りだからね。
「ステラちゃん、もうお友達ができたの? 私嬉しい。よかったら、彼女に私のことを紹介してくれない?」
「え、先でいいんですか?」
「貴女と私は遠縁でも親戚。身内から紹介するのが先だよ」
それはご尤も。公共に近い場で、親が仕える家の人を軽んじるのは若干抵抗がある。けど、挨拶もせずスルーしようとした僕が考えていいことじゃない……ルディングではその設定を通すしかないし、諦めて従おう。
親戚と聞いて、既に安心したのかアイラさんの顔には微笑みが戻っていた。念押ししておけば、ヴァイオレットとも仲良くしてくれるのかな。
「では、お言葉に甘えて。アイラさん、こちらは私の遠戚にあたるジャ、ぶ!」
「?」
「ヴァイオレットって呼んでね。この髪だし、覚えやすいでしょ?」
「親戚の方だったんですね、よかった。私はアイラ・ブルックラディです。よろしくお願いします」
「アイラさんね! 私の方こそよろしく!」
紹介していたらヴァイオレットに口を塞がれた……これは教えるなという圧だ。彼女はそうそう、割り込んでまで発言しようとはしない。言いたいことはわかる。うっかり侯爵家の娘さんだよーだなんてアイラさんに紹介すると、爵位とは無縁そうな彼女はすっかり恐縮してしまうかも知れない。
家の地位を気にすることなく、交友を築けるまたとないチャンスだからね。せめてもの恩返しとして、こちらについては協力させて欲しい。でも、そうするんだったら最初から自分で自己紹介してくれないかな……。
「ところで、アイラさんはどっちから来たの? ここらじゃあまり見かけない髪色だし」
ヴァイオレット、君がそれを言うのか。アイラさんも苦笑いしながら「ヴァイオレットさんこそ綺麗な髪じゃないですか」なんて返している。
「へへ、ありがと」
そしてヴァイオレットはのん気だった。
「えっと。私はシュラムブルクから来ました。ご近所付き合いはありませんでしたが、両親の口ぶりからすると、あの辺りではありふれた髪色かと思います」
「えっ、あの生存圏境の? ミアズマ多くて大変だったんじゃない?」
「それはもう。家の炉はパンよりもミアズマを焼いている機会のほうが多いぐらいでしたね。来るのを全部手ずから焼いていると、魔力も触媒もまるで足りなくって」
アイラさんのボヤきが始まる。表情は確かに困りごとを思い出したように歪められてはいる。けれど、どうも頑固な汚れが中々落ちない……みたいな、愚痴っているような口ぶりだ。あたかも日常的な悩みを聞かされているかのようで、緊張感が伝わってこない。
「灰になるまで念入りに焼いておくと、火種を取っておくのに便利なんです。ミアズマも役に立つ時があるんだなってちょっと思いました!」
「わお。この子、大物だね。私、ミアズマなんて実際目の前にしたら怖くて動けないかも」
「毎日何匹か見ていると慣れます。ゴキブリやネズミなどでもそうでしょう?」
「ミアズマを害虫呼ばわりですか」
「おおっとステラちゃん。ネズミは有害生物でも虫じゃないよ。それとも何?”害チュー”って言いたい訳?」
なんて親父臭い揚げ足取りなんだ!
ヴァイオレットはどこの赤髪のおじさんに仕込まれたのか、こういうコメントに困る言葉を頻繁に放つ。
黙っていればどこへやっても恥ずかしくない、いかにも貴族のお嬢さんという風体なのに、もったいなさすぎるよ。将来のことも考えて、今の立場でもできる限りは窘めておきたい。それにネズミの鳴き声を文字に起こすならキーキーだ。
「ヴァイオレットさん、反応に困ります……」
「……んふふふっ」
こっちのお嬢さんもそれはそれでツボがおかしいらしい。ヴァイオレットの発言のどこに笑える要素があったのだろうか?
「お。アイラさんもこちら側の人かな? ステラの害チュー発言は引いたよねえ」
「いえ全く。ただちょっと、ステラさんの困り顔を見てるとなんだかおかしくって」
どうやら雲行きが怪しい。ヴァイオレットはしょんぼりしていたけど、ツボの角度、だいぶずれてないかい?
ただ、ヴァイオレットからの『ちゃん』付けが消えた事は喜ばしい。むず痒いったらない呼ばれ方だったからね。
「そっちの同志だったかー。あんまりステラが困ってるイメージないから、いざ困ってるのを見ると面白いんだよねえ」
「あははっ。ステラさんがますます困っていますよ。笑っちゃってごめんなさい」
「別に構わないですけど、程々に頼みます……」
その後二人は授業が始まるまで、ヴァイオレットが僕が困っていた場面を紹介する形で盛り上がっていた。あの。当の本人が挟まれているんですけど。
というか、ヴァイオレットが語るエピソードは全て、僕がステファンとして接していた時のものだ。どれも人の頭に残っていると思うと恥ずかしい話ばかりだが、最も困っている話題については最後まで言及されなかった。
なんせ、ステラとして接している今が、一番困っているからね。
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