作戦会議

「さっそく下手を打ったね。ステファ兄」


 帰宅するなり、妹はむっつりとしかめっ面をしていた。これは機嫌を取り直してもらうのは相当骨が折れそうだ。お兄ちゃん、料理の腕がなるなあ。

 

 イレーナは早速、手帳を見せてきた。

 最近の手帳は魔法でかなり改良されていて、紙面を指でなぞり、一定の操作を行うと、登録した人との間でメッセージを送り合う事ができる。

 これはイレーナの私用のものだけど、ルディングでも生徒手帳として、身分を保証する以外にも使える道具として配布されていた。学院の在籍者同士が研究室の番号を教え合うことで、連絡を取ることができる。もちろん、送れる相手だけは学院関係者に限られているけれど、基本的な機能はむしろ強化されている。学院内でなら電話ができちゃうくらいだからね。

 

 僕らも私用の手帳の他に、ステラの名が載った生徒手帳をそれぞれ持っていた。僕のは予備として購入したものだ。内部の情報は常に同期され、メッセージを二人共がすぐに確認できる体制が整っている。これで妹ともやり取りしたければ、自分宛てに送信すれば大丈夫。けれど電話はさすがに同一人物同士ではできないみたい。残念。

 

 妹の手帳の紙面を覗くと、ヴァイオレットの名前が映っていたことで要件を察した。意を決して彼女のメッセージを見た!

 

『中庭に居たの、どっちだったの?』


 なんてリアクションに困るメッセージだ!

 あの場にいたステラという女の子が、僕ら兄妹のどちらかとはわかっていたようだ。だけどそれって、どういうこと?

 すぐ下に『あれは兄です』とイレーナの返事。それにヴァイオレットが返した言葉は『やっぱり! ってまあ、ちょっと考えたら当たり前かー』。

 

 なんで少しでも僕か妹かを迷ったような物言い!?

 っていうか、すぐ下に『今聞いたこと、ステファンには内緒にしててよ?』って書いてあるけどイレーナ、これを僕に見せていいのかい?

 

「けど、今回はまるで問題なし。安心して、ヴァイオレットさんは協力者」


「えっ?」


「まさか本人も入学してくるとは思いもしなかったけど……」


 それならば、なんとなく腑に落ちる事があった。

 ステラ・モーレンジという女生徒。僕らが結託して通学できるように妹が生み出したはずの人格。当然そんな架空の存在に戸籍は存在しない。存在しない戸籍では、当然学校に入学するなんてことはできない。

 けれど、それに侯爵家の娘が一枚噛んでいるとしたら?

 もちろん、いくら貴族といえども成人に満たない娘一人にそれほどの権力はない。ただその人に、強力な後見人がいるとすればどうだろう。……それはつまり、ヴァイオレットの他にも僕らがしでかしていることを知っている人物の存在を意味している。


「じゃあこのことって、カーマインおじ……子爵も知っているんだね?」


「知っているも何も、戸籍はおじさんの所領ででっちあげたものだよ」


 所領公認の身分だったのか。そりゃすんなりと書類も通るはずだよ。

 一体いつの間に、どこまで根回しをしているんだ。

 

 カーマインおじさんは、侯爵家として名だたるラガヴーリン家の中において、本人も子爵の地位についているヴァイオレットの伯父だ。別に僕らからしてみれば血縁者ではない。でも家族でヴァイオレットの家へ遊びに行ったときは、兄妹共々一緒くたに仲良くしてくれた。その時のヴァイオレットがしていた呼び方が、幼かった僕らにもそのまま移っていた。それを咎めることもしない、優しい人だった。

 

 けれど、性別を偽ることにまで協力するのは、優しいだとかで表していいのだろうか? もちろん、その好意がなければこの形で入学することもままならなかっただろうけれど。貴い人たちの考えることはわからない。

 

「説明も面倒だし、後回しでもいいかなって思ってたけど。おじさんの所領って、元々はモーレンジ男爵っていう人が統治してたんだって。もう断絶してるけど……まあ、その名前を借りたってわけ。ラガヴーリン家の遠縁ってことにしてね」


 とすると、慎重でありながらも面倒くさがりなイレーナの性格をよく知るヴァイオレットは、どうせ僕に説明してないのだろうと考えて、中庭では設定を教えてくれていたのかな。だとしたら、僕がヴァイオレットを知らない体で誰かと聞いた時点で、気付いてくれてもいいのに! 余程自信が持てなかったんだろうか……。

 

「話して決めてるなら教えてくれてたらよかったのに……」

 

「面倒だって言ったでしょ。特に関係者がいないことは調べがついていたから、語る必要のない設定だったし。ヴァイオレットさんさえ入学してなければ」


 そんなことまでしていたのか!

 けれど、イレーナが引き出せる在籍者の情報は限られているだろう。それを知ろうとすれば、やはりラガヴーリン家……カーマインおじさんのツテが必要になるが、いくらそんな立場にいる人でも学校へ探りを入れるなら理由が必要であって。

 親族のヴァイオレットが入学を控えている、っていうんなら最もな理由になるよね。これ以上調べるのに適した環境もないだろう。

 

 ヴァイオレットは自分の体のこともあって、病床についている間も回復魔法や薬学を学んでいた。その努力が実って、今やイレーナも一目置くほどの実力を見せている。こちらの分野も召喚術に負けず劣らず、学習に触媒を使う。いくらルディングを直轄している貴族そのもので、元は己の資金だとはいえ、学習に活用できる手段が手近にあるなら使わない理由なんてない。

 

 彼女が学び始めたきっかけは、僕にとっては苦い思い出とはなるけど……。

 小さい頃、ヴァイオレットが突然魔力のバランスを崩し、体調を悪くしたことがあった。その時僕は体の維持に最低限必要な魔力を補う薬を作って、ヴァイオレットに飲ませて対応した。

 ……今となっては本当に危ないことをしたと思っている。結果的に症状は収まり、その後後遺症もなかったからよかったけれど、今以上に拙い僕の知識や技術で医者の真似事をしたんだ。最悪、命を落としていたこともあっただろう。


 実際、ヴァイオレットが薬学に手を出してからしばらくして、その時の薬について聞かれた。覚えている限りで製法を答えたら、あらぬ方を見て「よく助かったなあ私」なんて苦笑いしていたぐらいだ。やっぱり、自分の身は自分で管理できるに越したことはないからね。これが全てとは言わないけれど、学びだした一因にはなっているだろうと思う。

 

「でも、ちょっと安心できたよ。入学早々、通学生活の終わりに片足突っ込んだと思ったんだから」


「気を抜かないの。まあ、ヴァイオレットさんも最後まで半信半疑だったみたいだし、よほどの下手を打たない限り大丈夫だろうけどね」


「うーん……兄妹だし似てるのはそりゃそうだろうけど、女装してても気付かれないって言うのはなあ」


「そんなところまで甘えないの。さ、ちょっとは反省したならご飯にしよう。今日は私が用意するから。ステファ兄の入学祝い」


「僕のって入学したのはイレーナじゃ……って、イレーナが作るの!? うわぁ~楽しみだな。何か手伝えることある?」


「ないよ。貴方は座ってて。あと入学したのは私達のどっちでもなく、ステラ・モーレンジ」


「あ、それもそうだ。じゃあ、二人の入学祝いってことにしよう。デザートは僕が作るね。何が食べたい?」


「いいの!? やった。チーズケーキ……チーズはお昼にたくさん食べたし、スッキリしたものがいいな。果物ってうちにあったっけ?」


「イチゴがあったかな。ゼリーでも作ろうか」


「いいね。えへへ」


 妹が自分から乳製品を避けた!

 ついに体型を気にするようになってくれたんだね。僕の摂生管理がいらなくなる日も近いかな?

 

 しかし、大人しくしているのがこんなにも難しく感じられた瞬間もなかった。リビングの椅子に着座しては居るが、どうしても気になる台所の景色。包丁さばきはどうなのか。指を切ったりしないだろうか。うざがられない程度に視線を泳がせてみる。

 イレーナは湯煎にかけていた、クリームソースのレトルト包装を開いて、予め水で戻していた乾燥ポルチーニ茸を放り込んでいく。

 

 ……手作りの要素がいささか不足しているような気もしなくもないけれど。でも、怪我しないのが一番だからね。料理なんて毎日やることなんだから、いかに手間を削減するかが大事な部分でもある。僕も朝に食べるベネディクトエッグのソースなんかは、前もって用意して冷蔵庫に入れてあるし。

 大切なのは、大事な人が自分のために、料理を用意してくれているということ。その部分に尽きるんだ。

 

 イレーナに振る舞われたパスタはおいしかった。企業努力に加えて、妹の愛情が込められているんだから当然だよね。お返しに精魂込めて作ったはずのイチゴのゼリーは、「? なんか酸っぱい?」とか言われてしまった。

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