割と盛り込まれていたステラ
「良い資料がいっぱいあるね。うっかり読み耽っちゃった。授業はどうだった? イレーナ」
「まるで苦痛」
研究室に戻ってきた妹は、当然のように渋い顔を向けてきた。わかってる範囲の学び直しって思ったより辛いよね。さっきの日用魔法の授業で僕も思い知らされたよ。
「ここはほら、普通なら取るにはがんばるはずの単位がさ。出るだけで保証されてると思って」
「何か免除される制度がないか、本格的に調べようと思う」
イレーナの眉は困ったように傾いたまま。どうやら話を聞くに、根本的に参っているらしい。日用魔法の教師は私語すら窘めようとしなかったが、彼方は打って変わって授業内容以外の自習をしているだけでも指摘される。どうあがいてもイレーナに取っては手慰みにもならない、初歩的な内容を真面目に聞かざるを得ないようだ。
けれどこれは、学校側からの優しさとも言える対応だ。召喚術は必修に含まれる分野。同じ立場である攻撃魔法も取っていれば卒業や進級に必要な必修単位は確保できるけど、召喚術だけ取った生徒が万が一にも落としたら留年は免れない。ルディングの学費で留年となると、理解して入学してくる層にだって、一年余分には支払えない家庭があってもおかしくはないんだ。
けどそれは落とすような実力の場合の話。イレーナには当てはまらない。基礎を学びなおすことも大事だとは思うけど、それは手詰まりを感じてからでも構わない。どうせ時間を使うのなら、より高度な内容を学びたいだろうに。気の毒にしか思えなかった。
「僕が代わりに出ようか?」
「だめ。落第しちゃう」
これ以上なく単刀直入に言われた! ひどい。
「今授業でやってる部分ならまずこなせるよ!」
反論はしたものの、イレーナだってそのぐらいのことはわかっているはずだ。
お父さんの訃報が届いた時。辺りを照らす召喚獣、テンシボタルを山程作っては色とりどりに輝かせて見せたものだ。僕だって悲しくないはずはなかったけど、悲しみに暮れるこの妹を励まさずにはいられなかった。その時のイレーナの笑顔たるや、僕の精神衛生を強く保つのにも役立ってくれたしね。
思えば、イレーナが召喚術に真剣に取り組み出したのはその後のことだったかも知れない。ところが逆に、僕が途端に前からできていた事ができなくなったのは、この辺りだったかも。
イレーナはもちろん、お母さんまでかなり気落ちしていたので、せめて僕だけはと気丈に振る舞っていたつもりだった。けれど、思ったよりショックが大きかったんだろうか……。
「落第は冗談だよ。むしろ、初級の人形作りならステファ兄のほうが上手だよね。やり方もまるで違うし、そっちの方が問題。いきなり作り方変わったら先生びっくりしちゃう」
「そっか、それもそうだね……免除の方法を調べてる間は、ちゃんと出るんだよ」
「わかってる。けど、あー。かったるいなあ……あ、一年は他にいなかったから、交友関係は気にすることないからね」
攻撃魔法と召喚術のうち、一つは必ず履修しておく必要がある。唱えるのに、直感的に他の分野とそう変わらない攻撃魔法と、触媒に対する十分な知識が前提となる召喚術とでは選択率が極端に違うようだった。
「ん、そっか。安心はできるけど、イレーナも友達は作ってほしいな」
「ステファ兄が声変わりするまでは作らないよ」
確かに僕は、いつ声変わりしてもおかしくない年齢だ。早い子なら三つも下の頃には低い声になっている。女装がバレなくとも、その時が来たら否が応でもこの学生生活は終わってしまう。それまでに、何かしら向いている分野というか、打ち込めるものが見つかればいいな。触媒を自由に使えなくなるのは痛いけれど、妹との成り代わり以外は別にルディングでなくてもできる。
「今日はさっさと帰ろう」
「うん。ちょっとしたら僕も帰るね」
イレーナが鞄を掴む。妹と一緒に帰りたいところだけど、流石にいくら衣服はごまかせていても、同じ顔が二人並んで歩いているのを見られてしまっては、言い訳に困ってしまう。
もうちょっとだけ時間を潰してから、こっそりと帰ろう。
読み散らかした本を片付けて、最後に読みかけていた分を読み終える。その頃には、帰宅には十分な程の時間が経過していた。スクロールの使い方も聞いている。魔力を注ぐだけで、今の衣服を意図した通りの服装に偽装できる。
魔力を注ぐだけ、と言っても僕には何の準備もないとやや難しい。懐にいつも入れているライターを取り出す。オイルタンクは空。フリントを勢いよく回転させて魔力の光を灯す。それをスクロールを炙るようにかざす。本物の火じゃないので、それで焦げたり燃え移ることはない。
僕は魔力の扱いが本当に下手くそだ。魔法の形を整えず、ただ一定量の魔力を放ち続けることでさえ困難とする。簡単なルーンで唱える魔法は、遊びが大きいからそれでもいいけど、一気に過剰な魔力を注ぐとスクロールは破れてしまう。それでは満足に扱えないので、こうして改造したライターを使うことでどうにかごまかしていた。
その試みは今の所うまくいっていて……僕の普段着がルディングの制服へ姿を変えていく。これで安心して外に出られる、なんてことをむしろ女装したときに考えるのはちょっとつらい。けれど、それで魔法の勉強ができるなら背に腹は代えられないよね。鏡を見てがっかりするのはここまでにしておこう。気を取り直して、僕は研究室を後にした。
触媒にできる中でも、比較的たくましい植生の植物は中庭に植えられているらしい。研究室からこそこそと飛び出した先で、一見で目に入った範囲ではそのように思えた。じっくり見ている時間がないのが惜しい。明日、授業の合間に見に来れたらいいなあ。
「ス、テ、ラ、ちゃーん」
覚えのある声を浴びせられた背中がぞくりとした。できることなら振り返らず、蟹歩きでその場を立ち去りたい気分だった。ただ、声の近さからしてそれを行うと、おそらく飛びついてでも組み伏せようとしてくるだろう。激しい動きは身体に障りかねない以上、彼女にそんなことはさせられなかった。
どうして名前を知っているのかは全くわからないけれど、どのみち名札も見ずに呼びかけられたのでは、腹を括るしかない。振り返ると、菫色の髪に包まれた白い顔をほんのり赤く上気させて、満面の笑みを浮かべていた。
「ど、どうして私の名前を……えっと、どなたでしょう?」
「またまたー、とぼけちゃってえー。でも、前会ってからはちょっと開くし、パッと来なくても仕方ないかもね。はいこれ、名札!」
彼女は両手で胸元の名札をつまんで強調する。その名はジャネット・ヴァイオレット・ラガヴーリン。園芸室にいた新入生のグループで、中心人物になっていた子。
僕が君のことを知らないわけが無いよ。
ラガヴーリン家は今なお勢力を保つ貴族家の一つで、爵位は侯爵。両親が騎士として仕えている先の一家だ。このルディング魔法学院のある地域、ルディングの領主でもある。
仕えている家に年齢が近い子供がいるとなれば、己の子らを連れ立って挨拶に行くのは当然のことであって。ヴァイオレットの療養先は、僕らがかつて住んでいた地域とは同緯度にあり……距離で見ても比較的近かった。そのために僕と妹はそこそこの頻度で連れて行ってもらえる機会があった。ワンシーズンに一、二回は行っていたかな?
けれどステファンとして最後に会ったのは、確かに一年は前だ……まさか、そのことを言っているの!? でも、ここにいるのはステラ・モーレンジという君とは縁もゆかりもないただの女生徒なんだ。お願い、見逃して。
「結局遊びに行けてなくてごめんね。夏休みには顔を出そうかなって思ってたけど、最近は体の調子がいいから学校入っちゃった」
「ああっ、いけません! 最近良い薬が見つかったとは聞きましたが、養生を忘れてはだめですよ」
「その口ぶりだと、私のこと思い出してくれたのかな。病気してることもたまには役に立つね」
しまった。うっかり体調の心配をしてしまった。彼女自身の健康のことを持ち出すのはずるい。
通常、人間に限らずあらゆる生物の体には複数種類の魔力が備わっている。と言ってもほとんどは魔法を使うには全く足りない程度の少量だ。けれど、生命活動のとり方を環境に合わせて変えていくためにはそれで十分だ。
しかし、ヴァイオレットは生まれながらにして、ともすれば体内の魔力が単一の種類に染まり変わっていく奇病に冒されていた。彼女の場合は、本人さえ体温を保てない程に強力な凍える魔力だった。本来人間に備わらないはずの寒色系の髪を持っているのもその影響だ。
けれど皮肉なことに、その髪は本人も誇って認める程に美しかった。こうした体質で生まれたことを悲しむべきなのだろうか。それとも。
彼女が家の直轄領を離れ、温暖な南東の地域で療養する必要があったのは、奇病のそうした性質によるものだった。
といっても、今では治療がうまく進んでいるお陰で無事に帰省を果たせている。それがちょうど一年前のことになる。流石に東からラガヴーリンのお屋敷まで向かうのは、東西に広い大国ルイステンのことだから、それこそ中小国一つ分の距離を越えていかなければならない。結局、彼女とはそれきりとなっていた。
「いやー、思い出してくれてよかった。数少ない友達……みたいな、いくら遠縁でも親戚に忘れられたとなったら本当に悲しいし」
遠縁の親戚? ラガヴーリン家と、いくら功績はあっても騎士階級であるウチとの間に、そんな話は聞いたことがない。
「う……、でもまだ、はっきりとは思い出せていなくて」
「病気のことしか覚えられてない!? がっくし……」
ヴァイオレットは宣言通りにがっくりと肩を落とす。どうしよう。まだ彼女の意図が理解できない。今の所はステラとして扱ってくれているけれど、どこで名前を知り得たのかもよくわからない。つまるところ、ステラを演じ切れというのか?
顔を見られてしまった以上は、ここにいるのがステラなんて架空の存在ではなく、ステファンだということは認識しているはずだ。ならば、演技を続ける必要性もないように思えはする。けれど、その言及がなければわざわざ自分から暴露することは憚られた。このことはイレーナにも共有しておこう。まだ、通学が続けられることを信じて……!
「申し訳ありません。せっかく声をかけて頂いたのに」
「ううん、大丈夫。大体ベッドの上にいたし、その印象はごもっともだよ。でも今は出歩けるから、これからはもっと仲良くしてね? そんな有り様だったから、友達がいなくって」
「はい。もちろんです……あれ? 園芸室では、お友達といたのではなかったのですか?」
「彼女らは侯爵家の娘である私と仲良くしたがっているだけ……だって、誰も私のファーストネーム覚えてないし」
……確かに君をミドルネーム以外で呼ぶ人は珍しいけど、忘れるのは酷いよね。改めてヴァイオレットは肩を落としている。先程の演技がかったものとは悲壮感が違った。
それは権力者の家に名を連ねる者の宿命と言えようか。療養のために自室から出ることがほとんどなかった彼女にしてみれば、初めて触れた人間の一面だったのかもしれない。
ぶるるっ……実際に僕の背筋にぞくっときた。ヴァイオレットが何かしら、負の感情を抱くとこうやって魔力が漏れ出すことがある……寒い。本気でがっかりしてるんだと思う。
「というか、園芸室に居るの気付いてたなら普通に声かけてくれたらよかったのに」
「あはは……ごめんなさい」
無茶を言わないで欲しい。女装して通学している時点で大概だとは思うけど、そのまま知り合いにまで進んで声をかけられるほど、図太い神経は持ち合わせていない。だけど、遠縁の親戚というのは、ステラ・モーレンジという架空の存在をこの学院で少しでも馴染みやすくするための方便なのだろうか。そのつもりで今後も接してくれるのならば、これ以上にありがたいことはない。
ステファンとしての挨拶と、恩返しは三年後にさせてもらうから。今はステラとして、彼女のためにできることはいくらでもやろう。
「んじゃあ、試したい調合もあるからそろそろ行くね。今度あったときも逃げないでね?」
「もちろんです。授業で会えたら、よろしくお願いします」
ヴァイオレットはいつの間に摘み取っていたのか、中庭の触媒になり得る植物を抱えては、無限回廊のある棟へ駆け込んで行った。自分の研究をするつもりなんだね。
さて、イレーナにはどんなふうに伝えようかな。少しでも機嫌を保ってもらえるように、用意するデザートのことを考えながら僕は帰路に着いた。
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