Lunchi time

「やっときた!!!!!!」


 個人の研究室は、学院の無限回廊の中にある。番号を頼りに、一年棟のゲートを使って妹の部屋まで飛んでいく。扉を開けると、待ちわびた様子の妹が飛びついてきた。それどころか、両手で襟首を掴んできた。


「服返して!!!!!!」


「わっちょ! 自分で、脱げるから」


 イレーナの手首を掴んで制し、物陰に移動しては予め用意していた普段着に手早く着替える。制服が二着必要なことに気づいたのは、女装させられた次の日だった。その後からの発注になったので、到着まではもう何日かかかる。

 三限目には召喚術の授業がある。だからお昼の間に着替えて渡す必要があった。


 一緒にご飯を食べたがったアイラさんを断るのには苦心した。彼女には、長めの昼休みを使って、妹に食事を用意することになっていると伝えてある。心は痛むけれど、嘘は言っていない。

 

 この急かしよう……ああ言いつつも、なんだかんだ授業が楽しみだったのかな?

 召喚術という分野自体のレベルを考えたら、初年度から受けるようなものではない。用いる触媒や、呼び出す生物の体格など、事前に習得しておくべき知識が多い。これをこれから魔法を一から学びます、という人に求めるのは酷だ。お陰で一年生の履修登録率はかなり低いそうな。

 けれどまあ、イレーナだしなあ。この分野で初歩的な部分でなどつまづきようはずもなかった。そのような配慮は全くもって必要なかった。


 僕が脱いだそばからイレーナはそれを拾って、自分の服を投げ捨てるように脱ぎ散らかし身に着ける。全て整えたあとは、さっきまで僕が履いていたローファーを履いて、一目散に廊下へダッシュ。

 

 数分後、イレーナは戻ってきた。

 

「はあ……やっと、すっきりした」


「ずっと我慢していたの? ただでさえ入学式で時間が押してたから……早く来れなくてごめんね」


「仕方ないけど、まるで生き地獄だった……あ、おいしそう」


 別に授業に行きたいわけじゃなかったようだ。急いで出ていった後、一分が経過したあたりで察した。その後の時間を使って、お弁当を広げておくことができた。

 

 イレーナは、人一倍警戒心が強い子だ。登校のためには、僕の物々しさを隠すよりもしっかりと幻惑魔法を唱えるため、スクロールを用意していた。

 スクロールは、魔力はあっても唱えられない人向けの代物。魔力の抽出や、詠唱のためにルーン文字を宙に刻むことにはセンスが求められるからね。大抵、ルーン文字を図形のように描いた紙を、丸めた状態で流通している。それ自体にある程度、インクなどという形で高度な触媒も織り込まれているので、定められた手法に従えば、魔力さえあればほぼ誰でも中に記された魔法が発動できる。

 僕ら兄妹の実力では、着用している衣服まるごとをごまかせるような幻惑魔法は唱えられない。スクロールを使うことで、制服をごまかす規模の幻惑魔法の発動を可能にしていた。おかげで研究室まで難なくたどり着けたというわけだ。

 

 けれど、それで魔力をだいぶ使ってしまったらしい。授業を控えた今、もう一度スクロールを使って授業に耐えうるだけの魔力が残るかは心配なところだ。

 妹の慎重な性格では、ほとんど廊下には誰も歩いていないとはいえ、ごまかせる状態でなければ、出歩くことは彼女自身が許せなかったのだろう。その後、たとえ限界が近づこうとも。

 

 その警戒心が、人見知りをしてしまいがちという結果にも繋がってはいるけれど。ただ今は、人に知れたら大変困るような行いをしている身だ。それにこれからどれだけ救われることになるのやら、想像もつかない。

 お弁当の用意を済ませておいたことが功を奏した。イレーナの機嫌はそう悪そうには思えなかった。

 

「今日はイレーナの門出の日だからね。いつもよりチーズもクリームも多めだよ」

 

「それでちょっといい感じに見えるのね。ふふ、嬉しい」

 

 妹の好物は多分、ほぼ全て把握できてると思ってる。中でもお気に入りがこのキッシュだ。今日は特に腕によりをかけて作った。普段は六つに分けるが、お弁当箱に詰めるには八等分のほうが都合がいい。そのうち四つを互い違いにして持ってきた。

 入学式にも出ないと言われた時には、さすがに肩透かしを食らった気分になったけれど。

 

「入学式にはでなかったけど、門出には違いないからね」


「着替えの手間が減らせるでしょ」

 

 ごもっともではある。連続した授業の間の休み時間は二十分。無理ではないが、移動時間を考えるとぎりぎりになりがちかもしれない。移動と着替え、お手洗いまでを済ませた今、二十五分ほどが過ぎようとしていた。お手洗いでの用事は先に済ませておけばいいけれど、あんまり余裕がないのは辛いかな。

 

「えへへ、おいひい」

 

 僕が一つ目の半分ぐらいを食べたぐらいのところで、イレーナの手が二つ目に伸びる。この子の食欲は相変わらずだ。

 って、まだ口の中に残ってるじゃないか。にこにこと頬張りながら自分の皿に移している。最近大丈夫だったのに、ちょっとお行儀が悪い。

 

 けれど、これだけ嬉しそうに食べてくれるとなれば、注意する気もすっかり失せてしまう。本当ならいつだって、このぐらいのキッシュを用意してあげたいとは思っているけど、乳製品の量には気をつけないとまた体重が大変なことになってしまう。 

 今でこそ僕とイレーナは身長も体重も同じ。女の子としては縦に大きい方といえるが、今の体重はその中において標準的だといえる。

 ただ体重については、かつてピーク時には僕の三割増しぐらいあった頃がある。見た目ではちょっと丸くて可愛いなってぐらいだったけど、数字を突き付けられては、いい加減に兄妹揃って危機感を覚えた。それからというものの、頑張ってダイエットに励んだんだ。

  結果的にイレーナは今の性格も相まって、クールな美人さんと呼んで差し支えのない容姿を得ることができた。その頃、毎日のように体重計へ乗らせていた名残だろうか。今でも週に一度は自分から乗って、今現在の体重を誇るように伝えてくる。一、二キロ増えてる程度なら、伝えつつヘラヘラと笑っていた。

 一緒に通学することを選んだ以上、リバウンドされると今度は僕が困ってしまう。より一層、食事には気をつけないと。

 

「ああっ、こら。口に含んだまま喋らない!」


「おいしすぎるからいけないんだよ。まだうちにも残ってるんでしょ?」


「あと半分残ってるけど、そんなにたくさん食べたら……そうだ。今度から生クリームじゃなくて豆乳を使ってみよう」


「な、なんてことを言うの……」


 生クリームを使ったキッシュもいいけど、豆乳で作っても風味が変わってこれまたいける。さらにその分のカロリーは十分の一だ。身体によくて味も悪くない。良いことづくめな提案だと思ったけれど、妹の顔は机の高さまでがくっと落ち込んでいて、絶望に塗れているようだった。

 

「生クリームの入ってないキッシュって何? キッシュって言えるのそれは」


「僕はおいしいと思うけどなあ……ヘルシーだし、ちょっと量が多くなっても大丈夫だし」


「ううむ、だけど」


 量が多くできそうなのはイレーナにとってはメリットだろう。もちろんしないけどね。


「とりあえず保留にしておくけど、また体重が増えだしたらやってみるからね」


「……あっ! もうこんな時間。このままじゃ授業に遅れちゃう。それじゃあね~バイバイ!」


「あっちょっイレーナ……もう」


 話の流れが都合が悪いと見ると、イレーナはさっきまで僕が使っていた通学カバンをひったくるようにして掴み、そそくさと研究室を出ていった。

 比較的ゆっくりと食事をしていたけど、授業が始まる時間まではまだ余裕がある。余裕を持って行動できるようになったなんてえらいね。って、こんな向かい方でなければ褒めてあげたかったけれど。

 

 さて。

 本日最後の授業となる四限目は攻撃魔法だ。履修してないし、三限目が終わるのを待っていても、妹と一緒には帰れないのだから、僕が残っている必要はない。帰りは妹が使ったスクロールを借りて、僕が服装をごまかすとしよう。

 けれど、授業がまだ始まっていないのに帰っていく所を誰かに目撃されるのはちょっと困る。帰るにしても、もうちょっと時間を潰してからかな。


 何しようかな。

 スクロールを保管している場所は聞いてるけど、使用限度数は確認してない。だからちょっと外へ出るだけに使うのは避けたい。研究室を見渡す。妹は早速、作業台を触媒でいっぱいに……満たすようなことはしていなかったらしく、台の上はきれいだった。ただ数冊、本が載っているだけ。早速図書館から本の貸し出しを受けていたようだ。だけど、出しっぱなしにしておくのはどうかと思う。

 

 タイトル順に部屋の書架へ入れつつ、試しに僕も一冊手にとる。内容は召喚術について触れたもの。それも結構高いレベルらしい。少なくとも、僕が取り組んでいた頃には、頭ではわかっていても実際の召喚にはたどり着けなかったあたりだ。

 僕だって初級の召喚獣なら、それはもう魔力の量に物を言わせて、いくらでも召喚することができた。けれど中級に差し掛かった部分からは、頭の中では理解が出来ていても、召喚のために用意した人形の構成に問題がなくても、僕の魔力はまるで言うことを聞いてくれず……。僕の実力はそんなところだった。

 特に最近では、その初級の召喚獣でさえ数が出せなくなってきていた。こんな年齢で昔はできていた魔法ができなくなるなんて例は耳にした事がない。何か原因があるんじゃなかろうかと探ってはいるけれど、成果は芳しくなかった。

 

 それでもページを開く手は止まらず、次へ次へと読み進めていく。実際に行うことには諦めがついても、湧いてくる単純な興味まで否定する必要はないよね。これはいい時間つぶしができそうだ。 

 手法や、用いる触媒の組み立て方に関する本は読み終えた。次は、召喚術史について触れた本に手を伸ばす。その書の冒頭は、『至高の失敗作』と評された召喚獣の言及から始まった。

 

 その名前は吸血鬼。皆揃って瞳から赤い魔力の光を放つ以外、人とほぼ一致する容姿を持つ。それこそ、人間の平均よりも高い知能を持った召喚獣。最後に召喚されたのは暦が数えられるよりも前だそうな。

 人の血液を糧にする、人類の不倶戴天の敵として造られた存在……だけど、高度な知能を持たされた召喚獣はいつも自律性を獲得していた。賢い召喚獣が言うことを聞かなかったら大変だからね。今でも力仕事以外を任せられるような召喚獣がいないことには理由があるんだ。

 その中でも吸血鬼は、ある程度以上の社会的地位を持った後見人を立てて、人権を認められている者もいるくらい高度な知能や感性を持つ存在だ。故に、人が使役する存在としてはこれ以上ない失敗作、ということなんだろうね。

 

 基本的な身体能力も高い彼らだけど、日光に当たると衰弱して死んでしまう弱点を持っている。だけど、現代の吸血鬼たちは人との混血も進んでいるようで、日光に当たっても即座に死ぬような事態にはならないとか。

 

 この本の出版からは半世紀も経っていない。そんな時代に生み出され、未だに最高峰の評価を得ているときた。今を生きる者としては、その記録を更新できればどれだけ名誉なことだろうとか考えてしまう。いつかは、イレーナだってそれぐらいの召喚獣を呼び出してくれると信じている。人任せなのは残念なところだけどね。

 

「えっ、なんでまだいるの」


「あ」

 

 すっかり読み耽ってしまっていたらしく、イレーナが戻ってきたときには、結局作業台には読み終えた本が散らかっていた。

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