ストロングマッチ

 いくら単位のためとはいえ、十分手に馴染んだ範囲を学び直すのはさすがに退屈だった。

 

 今の授業は、日用魔法の一種、弱い火を起こす魔法。弱いと言っても、調理に使うには十分な火力がでる。食事の用意はいつも僕がしてきたし、使用頻度は数年間、ほぼ毎日使っている。

 

 魔法の上達には、まずは唱えることが最も大事。これだけはもはや触媒なしでも唱えられるぐらいに研ぎ澄ませられていた。量だけはある己の魔力から、火の魔力だけを抽出するコツを掴むことができていた。

 

 用意されていた触媒は、ハバネロのおしべ。火の魔力を抽出する作用を持つ、至って一般的な触媒だった。

 こんな火を起こす程度の魔力は、大抵の人間には備わっている。しかしそのままの魔力では大抵、火を付けるには雑味が多くて適さない。火を起こすのに作用するもの以外にも、複数種類の魔力を持っているからだ。それを何らかの作用で、意図した魔力に変換、あるいは抽出する効果を持つ素材が触媒と呼ばれている。

 

 適切にルーンを刻むには、必要な種類の魔力を理解して抽出、足りないなら変換する必要がある。それが己の身でできないうちは触媒を使う。変わっていく感覚は認識できるので、それをうまく技術として身に付けられるかが肝心となる。

 

 そうして必要な魔力を用意したら指に集めて、ルーン文字を宙に刻む。適切にルーンが描かれていれば、魔法が発動できる。これが一般的な魔法の詠唱方法だ。

 

 僕はもう唱えるのに触媒は必要ないけれど、おしべを両手のひらに乗せる。普段よりも多めに魔力を使って、指先全部からバーナー程度の火を噴き出させて遊んでいたら、お隣から面白がられた。

 

「わあ! 器用ですね。流石に同時には、二本が限界です」


 アイラさんは右手におしべを載せて、左手の人差し指と中指の先端から、天上に向けて火を吹き出してこっちに見せていた。僕より更に若干、火が強いような気がする。

 

 授業中の私語は厳禁……と、僕も入学前には考えていたんだけれど。授業開始から三十分ほどが経過しているが、散発的に私語があっても、教師がそれをたしなめるといったことはなかった。ただ淡々と、授業を進めるだけ。授業を担当する教員は授業によって違う。今回たまたま、そういう気質の先生だっただけだろうか。

 

 一見真面目そうなアイラさんだけど、声をかけてきたのは彼女もすっかりその雰囲気に毒されたのだろうか。とはいえ、僕も遊んでいたのだから人のことだけを言える立場ではなかった。役目を終えてたちまちに萎びたおしべを灰皿へ捨てる。

 

「これは慣れの問題です、普段から調理に使っているもので。アイラさんはあまり料理に魔法は使わないのですか?」


「すごい! 私は何を唱えるにも触媒が要るので、お料理にだなんてとても使えそうもないです」


 彼女の名前は改めて聞いた。アイラ・ブルックラディ。

 それが彼女の名前だ。名札も見た。名前が短い、つまりは少なくとも貴族出身ではない。それでも、ルディングの学費を支払うだけの稼ぎがあるということは、おそらく下位の貴族には並ぶ資産はあるのだろうとは考えられる。

 

 そういった家庭にこそ、この学校の利点が輝くんだ。いくら学費が高いといっても、様々な触媒を買い揃えるのと比べたらコスパが違う。ついでに……というのも何だが、いずれは高いレベルの授業も受けられて一石二鳥。さすがに入学したての今はちょっと物足りないけどね。

 

 お母さんは家にそれなりの量、質の面でも問題のない触媒を用意してくれた。おかげである程度の範囲までは、その事情で困ることはなかった。

 それだけの準備のために、やはり無理をしていたのだろうか。だからいざ学費が足りない、なんてことになったのではと思わなくもないけど……いや、そんな考えは罰当たりだ。

 

「だけど、アイラさんだって、いきなり唱えられているじゃないですか」


 触媒のメリットばかりが上がるこの学校だけど、魔法を唱えられる状態で入学する生徒は思ったより少ないようだった。今起きている生徒では、唱えられている生徒は僕ら二人ぐらいではなかろうか。寝ている子たちはおそらく唱えられるんだろうけど、そんな露骨にさぼらなくてもいいのに。初日だよ?


「火を出す魔法なら得意なんです。お料理に使える強さに留めるのって、むしろ難しいんですね。痛感しました」


 ん? 今なんと言った?

 調理の他に火を出すような魔法なんて、攻撃魔法以外はマイナーの部類だ。

 

「攻撃魔法が使えるのですか?」


「あっはい。うちに入門の手引書だけはあったので、その要領で唱えていました。といっても、その内容の範囲でしか唱えられないし、他の分野なんてからっきしです。えへ」


 バレたか、なんて言いたげな観念した顔で舌をだすアイラさん。今となっては進んで学びたい分野ではないけれど、その習得の難しさは身に染みて理解していた。


 攻撃魔法はその目的が故に単純明快。やはり威力を出すのにためには、大量の魔力を必要とする。僕も魔力の量だけならそれなりだけど、効果に対して効率が悪い。攻撃魔法を何度も唱えようものなら、一瞬にして魔力が枯渇してしまう。


 魔法を学ぶには、何よりも回数をこなすことが大事だ。

 例えば、一日に使える魔力が十あって、一度唱えるごとに五も使うAさん。

 魔力が三しかなくても一回につき一だけで使えるBさん。

 この二人がいるとしたら、Bさんのほうがずっと早く上達する。使う魔力が多いほど、余計に魔力を浪費してしまうAさん寄りの人間が僕だ。ただでさえ消費が大きい攻撃魔法以上に向いていない分野はなかった。

 

「うわぁ~すごいな~、ぼ……私にはあまり向いてなかったようで、詠唱は基礎的なところまでしか身に着けていなくて。では、専攻も攻撃魔法を?」


 危ない。つい普段の感覚で感心してしまうところだった。油断しないようにしなくては。


「そうなんです。実家が圏境沿いですから、まだまだミアズマが湧いてきちゃってて」


「ああ……」

 

 ミアズマというのは、簡単にいうと大きさ・形が人ぐらいの、キノコの召喚獣だ。

 戦闘以外の能力は殆ど持たない、まさに戦争のために作られた存在。何年か前まで続いていた戦争では、一大勢力の主力を担っていた。その実力はだいたい、大人三人分ぐらい。

 

 もちろんそれだけの召喚獣をわざわざ、そのせいで地形が変わったような戦争のために生み出す勢力はどこにもいない。魔導師が三度もの宣戦布告を行うのに十分な説得力のある存在だ。それまでにも知られている吸血鬼やケルベロスといった、強力な召喚獣をも凌ぐ凶悪な召喚獣と言えた。

 

 一体いればあとは勝手に増える。胞子を振りまき、魔力を持った植物に根付いて次の個体を育てる。ペースは遅いけど、人間が兵士を徴用するのとでは比べ物にならない速さで数が揃っていく。吸血鬼なんかは一人呼び出すだけでも大変だ。

 

「実家のあるシュラムブルクには、もう兵隊さんが駐屯してくれたから。怯えることもなくなって、こうして学びにも来ることができました。でもやっぱり、森を焼く段階になったら、兵隊さんだけじゃちょっと足りないでしょう? 戻ったときに役立てるよう、少しでも技術を磨いておきたいんです」


 そして根絶にもかなり手間がかかる。

 母体が放つ大量の胞子からは、一回につき三から五体のミアズマが産まれる。胞子がいくらあろうとも、宿主となる木が持つ魔力の量は限られている。胞子同士で魔力の奪い合いをするため、成体まで育ちきれる数自体は少ない。

 それだけに、多少胞子を取り除いた程度では、残った他の胞子がここぞとばかりに成長を始めるだけとなる。半端な除去作業ではやってもやらなくてもミアズマが産まれる数は同じとなりがち。

 しっかり除去しようと思ったら、宿主となった木、またその木が属する森全体を焦土にするぐらいで取り掛からなければ、次が生えてきてしまうのだった。

 

 幸い、この大陸には大森林と言える規模のものはないが……それでも、いくつかが手遅れになってしまい、焦土の文字通りの末路を迎えた地域もある。

 現在でもミアズマはいくつかの地域に爪痕を残していて、次に処理すべきと考えられている目下の候補が、生存圏境沿いにあるシュラムブルク森林だった。

 

 その処理の難しさから、終戦した今でも人類にとってミアズマの残党は、頭の痛い問題だ。実際、現存する国家は総出で軍を派遣し、各地の安全を確保して回っている。

 確保が行き渡った地域のライン。人類は今じゃ、そっちを生存圏境と呼んでいた。戦中は越えればまず生存は望めないと言われていたけど、時間とともに言葉の意味合いも変わるものだね。

 

 僕ら家族も昔は、シュラムブルクと比べたら西もいいところだけど、ここよりはもうちょっと東の方に住んでいた。そこもいい所だったけれど、その地域は戦中に呼ばれていた方の生存圏境に差し掛かってしまった。

 当時、連合国側はかなり押されている状況だったので、そこそこの都市でも即座に火を放って対策せざるを得なかったようだ。

 

 それが余りにも迅速な対応だったおかげで、僕らは命からがら、着の身着のまま出て行く他になかった。出征に出ていた両親はともかく、その頃お世話になっていた乳母さんともはぐれてしまったので、本当に生きた心地がしなかった。両親と再会できるまでは二ヶ月程度と、それほど時間がかからなかったのが幸いだった。

 

「そうでしたか、アイラさんはシュラムブルクの……あの辺りの出身なのですね……ん?」


 だとしたら、ちょっとおかしくない?

 シュラムブルクに軍が派遣されたのは、ついこの一、二年ぐらいのことだ。あの辺りが圏境に定められたのも、その後のはず……?

 

「え、実家があるって……あの辺りで生まれ育ったのですか? よくご無事で……」


「うん、なんとか。いつでも襲ってきて、眠れず辛いことも多かったですが、家族の誰も欠けなかったのでよかったです」


「炎の魔法で、ご家族を守ってきたんですね」


「はい! 本当にたまたまあった手引書が炎の魔法に関するものでよかった。奴らは半端に足を焼いたぐらいでは、手で這ってくるんです。一発で全身を焼けるだけの魔法は知りませんでしたから、手も焼いたあと、油をかけてもう一回焼くんです」


 語る熱さが話の生々しさと、両手でつまんだおしべから吹き出す炎になって現れていた。余程相当の苦労をしてきたのだろう。火柱は、苦虫を噛み潰したような顔になっている、彼女の頭を一個分通り越すぐらいの高さにまで噴出していた。

 

「わあ! ちょっ、アイラさん! ストップストップ!」


「わわわ、ごめんなさい!」


「こらそこ、うるさい」


 僕らのおふざけはそろそろ私語の範囲を越えたらしく、流石に教師からの指摘が入る。二人揃って謝罪をした。

 

 すっかり火の消え失せて、ふとアイラさんが持ったおしべが目に入る。

 先端は少し水気を失っていたものの、その他はそのまま、瑞々しいままだった。

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