来てしまった入学式

 入学式が終わり、パイプ椅子に腰掛けたまま配布のパンフレットを眺めて、今後の予定を確認していた。

 かつて修道院だったというルディング。入学式のような式典は、以前は礼拝堂だったところで行われるようだ。

 ……なら、何もパイプ椅子じゃなくても、せめて長椅子なんかはなかったんだろうか。本来は厳かだったであろう空間に、パイプ椅子だ。座り心地とかはともかく、ひどく景観を損ねている気がする。

 

 しかし、あの子も入学式ぐらい自分で出ればいいのに。門出への出席さえも、妹は自分に託した。一見たくましくなったようでも、あの子の引っ込み思案には流石に思うところがある。通学を進めるうちに、改善されていけばいいんだけど。

 

 今僕が袖を通しているのは、白に薄っすら青みがかったブレザー。……だけならいいんだけど、胸元につけているのはネクタイじゃなくリボン。そしてブレザーよりもう少し濃い青のスカートを穿いている。完全に女生徒の格好だった。

 スカートを穿くために、足の毛も剃られた。産毛ぐらいしか生えてないんだから、そんな目立たないだろうに。これから一週間ごとに一度、剃るようにイレーナからは言いつけられている。女の子って大変なんだね。

 

 だけど結局、その甲斐があったのか、ここに至るまで誰一人として、この制服姿に突っ込む人は現れなかった。生徒が変態に遠慮を覚えたならわかる。けれど、それを咎める立場にある教師でさえ、一切声をかけてこないとはどういうことか。


 普通だったらこんな現実到底受け入れられない。けれど、今後学習を進めていくための必要経費として割り切ることにした。ここで割り切れないと、今後きっと心が持たなくなるだろうし……。

 それに誰かに気付かれてしまうと、バレ方によっては……妹の学生生活を道連れにすることになる。妹の人生がかかっているんだ。精一杯、女性として振る舞わなければ。

 

「わぁ! ガッツポーズだなんて、とっても気合が入ってるんですね」


 お隣から、いきなり恥ずかしい指摘が入った。

 彼女の言葉は控えめながら、東方訛りを感じさせた。懐かしい。つい最近、僕ら兄妹はルディングの今の住居を借りるまで、東西の言葉が入り交じる地域で暮らしていたから。

 胸の前で構えていた拳を降ろし、お隣さんの表情を窺ってみた。できるだけ妹の声色に合わせて……。


「あはは……いきなり、お恥ずかしい限りです」


「あぅ。ごめんなさい。別に茶々を入れるつもりじゃなかったんです。でも、同じ気持ちでいそうな人を見つけられて、ちょっと嬉しかったんです」


「嬉しかったのですか?」


 申し訳無さそうに笑う彼女の瞳を見る。それまでよほど不安だったんだろうか。確かにその申し訳ないという他に、ほのかな安堵が感じられた。

 

 声に関しては、とりあえずクリアかな? 目の前にいるのが女生徒の制服を着た男だと疑っているような様子はまるでなかった。なんだろう、罪悪感がびっくりするほど湧いてきた……。

 けれど、今後もこの人と接するとすれば、騙し続けることになるのは明らかだった。この罪悪感は、忘れてはいけないものだと思えた。ここが今後の三年間の、最初の関門ってやつだ。心を鬼にして、イレーナにしてって違う。僕の妹は天使だ。

 

「はい。田舎から出てきたばかりで、友達ができるかも不安だったから。なんだか、仲良くなれそうな人が見つかってよかったなって。……えっと、ステラさんでいいんですか?」


 誰だ。

 初めて呼ばれる名前にはやはり、戸惑いを覚えた。あの日あのあと、頭の中真っ白ランキングはさらなる更新をしていた。入学書類に記されていた名前は、ステラ・モーレンジ。妹と同じ長さまで、亜麻色のウィッグを垂らした自分を指す、赤の他人の名前だった。これじゃあ、卒業できてもあの妹の学歴としては使えないんだけど……。お母さんにバレたらなんて言われることだろう。

 

 妹は何を考えてこの提案をしたのか、ますます不安になった。通りで普段は面倒臭がる書類関係を、イレーナが自分でやるって言って聞かなかったんだ。点検すら僕にさせてもくれない徹底ぶりだった。戸籍だってどうやって用意したんだろう? それになんか僕の名前に近いし。

 

「あ、はい。好きに呼んでもらえればと。こちらこそ、今後仲良くして頂けますか?」


「ふふっ、アイラです。私のこともアイラと呼んでください」


「よろしくお願いします、アイラさん」


 彼女は手を合わせて表情を華やがせる。彼女の体格は華奢で、背丈は僕や妹より頭一つは小さそうだ。明るい栗色の髪が、ふんわりと編み込まれている。田舎出身だと自分で言う通り、受け答えの態度や言葉の訛りなど、素朴な印象を受ける。けれどなんだか、所作の一つ一つに気品があるような気がするのはなんでだろう。貴い血筋の流れでも汲んでいるのだろうか。

 

 僕の応対は、妹のよそ行きのものを参考にしていた。イレーナの対外的な姿勢は、僕に向ける刺々しさがまるでない。極めて模範的な女の子然とした態度だった。いや別に、あの子が女の子らしく振る舞うことに違和感を覚えるわけじゃない。むしろ僕にだけは本音で接してくれていて、喜ばしいくらいだ。この振る舞いを真似しておけば、交友関係については示し合わせが必要にはなるが、いざ妹が鉢合わせたとしても大きな問題は起きにくいはず。

 

「あっ。もうこんな時間。早速一限から授業があるんです。ステラさんはどうですか?」


「私は、二限目の日用魔法からなので……それまで、学院の施設を回ってみようと思います」


「あはっ、私もその授業取ってます。また二限に会いましょう!」


 入学式は普段、一限目を行っている時間を使って行われた。その後から月曜日本来の一限目である魔法史の授業が始まる。だから今日だけ、ちょっと帰りが遅くなる。

 

 魔法史だけど、僕は履修登録しなかった。歴史を軽視するわけではないけれど、お母さんの蔵書でおおよその事は知ることができたと思っている。授業で実際に魔法を学ぶ分野ではないし、必修でないなら別のことに時間を使いたい。


 入学式の後、一限目が始まるまでの時間はあまりない。アイラさんは足早に会場を去っていった。見回してみると、もう会場に残っている生徒もわずかだ。僕もそろそろ移動しよう。

 さて。移動先の候補を頭の中に列挙してみる。どのみち、全部見て回ることには違いないけど……。

 

 各種触媒を育てる園芸室。学院が持つ豊富な触媒の出処の一つだ。どんなものならある程度いつでも手に入るのかは確認する必要がある。新たな魔法を学ぼうとするなら、触媒の利用はほぼ必須だ。

 

 続いて、共同研究室。生徒には高等魔法で生み出された、無限回廊の一室を個人の研究室として与えられている。けれど、そこはあくまでイレーナのもの。一人の名前で入学しているので、当然与えられる研究室も一室だけだからね。そこをイレーナを差し置いて自分が使おう、なんて気にはなれなかった。イレーナはおそらく、自分の研究室にこもりがちになるだろう。その邪魔はしたくないので、僕が何かしら研究をしようと思えば必然的にこちらを利用することになる。

 その分というか、いくら世界に名だたるルディング魔法学院であっても生徒分は数を揃えられないような設備が設置されている。物によっては、計画的に予約をしないと満足に使えないかもしれない。こちらだって早めの下見は必須だ。

 

 食堂のメニューも見ておかなくちゃ。どうせ殆どこもりきりになるあの子の昼のお世話は僕の役目だ。毎日お弁当を用意するつもりではいるけど、寝坊したらお世話になるだろうしね。好き嫌いの多いイレーナでも食べられそうかつ、栄養バランスが取れていそうなものにあたりを付けておきたい。

 ……まあ、優先度としては最下位かな。少なくとも、寝坊した経験なんて数えるほどしかないし。

 

 だったら、園芸室にしよう。二限目のあとにすぐイレーナの研究室に行っても話題に困らない。個人的にきのこ菜園があるかが気になるのもある。意外と菌類は、いろんな分野の魔法で扱うものだ。

 食材としても使っていいなら、お弁当の具材にしてみたり……そんな使い方はさすがに怒られるかな?

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