第一章

ほんとにやるの?


「言っておくけど、私は召喚術の授業以外に出るつもりはないの。卒業できないとしたら、あなたのせいだよ」


 妹、イレーナは突き放すような声色で、こちらを睨めつけながら言い放った。


 一体突然、何を言い出すんだこの妹は。この瞬間ほど、頭の中が真っ白になったことはなかった。才能ある妹を差し置いて学びたいなんて言うつもりは毛頭もない。けれど、このままじゃ頭の中は色が失われたままだ。

 

 手にした書類を机に置く。思わず手に力が入り、大事な入学手続書類にシワが入ってしまうのは防げた。けれど、妹への詰問を続けるうちに、それを防げた意味がなくなってはたまらない。

 

 それに、「あなた」ってどういうことなの! この妹が甘えるときはいつだって、狙いすました様にあざとくも「ステファ兄、お願いだよ~」って、今や寒気が走るぐらい可愛らしく振る舞うものだった。

 ……そういえばこのところ、こんな寒気を覚えたことはなかった。そうだ。最後にそんな甘えられ方をしたのは四年ぐらい前だった。詰つまるところ、甘えてくるような機会がそれだけなかったということ。随分たくましくなったね。お兄ちゃんはイレーナの成長が感じられて嬉しいけど、ちょっと寂しいよ。

 

「どうしてそんなことを言うの! イレーナの才能なら、他の分野でだってちゃんと勉強すればいい成績が残せるはずだよ」


「もうまるで興味が持てない……」


 先程までとは打って変わって、戸惑った声色に変わった。妹の中には確かに、ちょっとは検討してみようという気持ちもあったらしい。その努力は虚しくも叶わなかったようだけども。

 

「でもやっぱり、学校に行くからには、教えてもらえる範囲を卒なくこなすぐらいにはやらなきゃだめだよ。ほら、やってるうちに興味も湧くかもしれないし」


「唱えられるところまでは、なんでもあなたが教えてくれたでしょ。その後続いてないんだから、一緒だよ。授業でさえ時間の無駄。正直、召喚術の授業ですらかったるいのに」


 強情なことを言いつつも、その表情からは戸惑い以外の色は感じ取れなかった。何をするにも自信たっぷりなこの妹にしては珍しく、両眉を山形に傾かせて思いの丈を語る。「ステファ兄が教えてくれるなら、何でもできそうな気がするよ」なんて言いながら、にこにこと微笑みながら触媒を掴んでいた姿を思い出す。

 ……ハ! かつての妹の姿に囚われてはいけない。彼女は強く生意気にたくましく育っているんだ。お兄ちゃんとしては、その成長を喜ばなければ。

 

「だけど、今じゃどうあっても興味を持てない以上どうしようもない。そんな時間があるなら、せっかくルディングに通うんだし、一体でも多く召喚獣を呼び出したい」


「わかってる。一番やりたいことが召喚術なんだってことは僕が一番理解してるつもりだよ。学習のためにルディングが一番適した環境ってことも含めてね。……けど、それ以外を疎かにしたらすぐ退学だ。それじゃ一年しか在学できないじゃないか」

 

「わかってるの!! ……ステファ兄の気持ちも、わかってるつもり」


「それだったら」


「違うの!」


「……っ!」


 これまでにない語勢に、ちょっと背筋に寒気が走った。いや。今まで感じていたような、妹の先行きに関する不安が襲ったわけじゃない。この子の目だ。いたずらを仕掛けて、リアクションを期待するような、そういう瞳だった。な、何を期待しているのかな君は。


「簡単なことだよ。あなたがね、代わりに他の授業に出て単位を取ってくれればさ。まるで問題ないんじゃない?」


「いやいやいやいや、いやいやいやいやいやいや」


 僕の頭の中真っ白ランキングが更新された。透き通るような白さだ。この妹は一体何を言い出している?


「双子だし顔はクリア。声は未だに、電話だとお母さんからも間違われるよね。体型だって気味悪いぐらい同じだし、制服も同じので大丈夫そうね。髪ばっかりはどうしようもないから……後でウィッグでも探そうか。亜麻色のやつってすぐ見つかるのかなぁ……私があとでそれに寄せる」


「あの、イレーナ?」


「何? わかってるんだよこっちは」


 妹の瞳に今後の学習方針を最初に告げた時のような、視線の鋭さが帰ってきた。先程までの困りようを哀れんでいたのは確かだけど、今言っている事を考えれば、その力強さは帰ってきてほしくなかった。


「実際、学習意欲に関してはステファ兄の方がずっと上。私のほうが多少よくできたせいで、通学の機会を奪ったことが申し訳ないぐらい。けど私にはあの学校の触媒は必要。でもやるつもりがない他の分野の授業はいらない。ステファ兄だって、通学せずに自学自習するのも限界はあるでしょ? だから代わりに授業に出てくれればお互いウィンウィン」


「だけどやっぱり、成り代わりはだめだよ」


「顔一緒だからなんとかなるって」


 さては、この提案を押し通す気満々だな。確かに、お母さんの蔵書にはもう全部目を通してしまった。今の新居にもいくつか本を持ち込んできたけど、今や大抵が読了済みだ。もっと学習しようと思うと、学校に通うか図書館を利用する必要があるけど……。

 僕らの住まうルディングには、他に魔法学校はない。だからあそこは堂々と地域の名前を冠している。所得の高い人達がよく住まっているし、街はそこそこ栄えている。別にここらがど田舎とは思わない。けれど、他によそに誇るような建物もない。だから大抵単に『ルディング』といえば学院のことだ。文脈を考慮する必要はもちろんあるけれど。

 自分の勉強のためにこの子を一人残してよその学校で寮生活、なんて考えられないしなあ。結構距離があるけど、図書館でも勉強はできる。調べ物の必要ができ次第、列車で図書館に通う形でやっていくつもりだ。これなら才能ある妹を学校に入れて、後に残る教材費でも足りる。

 

 才能。僕になくて、妹にあったもの。

 うちの家、フィデック家は両親の代で魔法の実力を振るい、騎士として身を立てた。この両親に恵まれ、僕らは魔法の学習機会には恵まれている方だった。僕はそれを活かしてこれまでも結構、いろんな分野には触れてきたつもりだけど、どれも一定以上の成果は出せていない。よくて中級魔法に到達していればというところだった。

 

 魔力量はそれなりにあったが、それにしては到底満足できるような域ではない。僕の体はどうも、魔力の扱いについては随分と大雑把なようだった。他人が唱えるために必要とする量よりも、余分に費やしてしまう。ただでさえ大量の魔力が必要な上級魔法、ましてやその上を行く高等魔法なんて唱えられようもなかった。

 

 それに比べて、この妹の場合はどうだ。この子は魔力量には恵まれなかった。せいぜい、一般人に毛が生えた程度だ。けれど召喚術の分野では、上級魔法に分類される召喚獣を何種も召喚できる実力が、この年齢にして備わっている。正直、入学を控えてはいるが『ルディング魔法学院』でさえも学ぶことがあるのかどうかさえ、疑問に思えるところだった。けれど妹が学習する上で、あの学院でなければならない部分があった。


 召喚術を行うには、何をするにも触媒が必要となる。そこらに生えている花から、この天体の裏側まで足を運ばねば手に入らないようなものまで。魔法の上達にはトライアンドエラーありき。一定の段階からは誰も教えてくれはしない。召喚術の場合、大量に必要になる触媒の調達が、常に付きまとう課題として立ちはだかることになる。

 召喚術は高位の魔法でも、相応の質の触媒を必要とする代わりに、それほど魔力は必要ない。だからこそ、イレーナの魔力量でもこの領域に至れているとも言える。だけど、これ以上の上達を狙うには、触媒の用意にお金がかかりすぎてしまう。

 

 しかしルディング魔法学院では、生徒ならほぼ自由に利用可能という形で、豊富な種類の触媒が潤沢に用意されている。

 遠征に出ているお母さんが用意してくれた教材費。用途は二人で相談して決めるようにと言ってくれていた。一般的な職人の年収数年分になるような金額でびっくりしたものだけれど、これからイレーナが手を出す領域を思うと不安が残る。ルディングに二人で通うにもちょっと足りなかった。

 十分に稼いでいる方の騎士家庭でさえ、一人分の学費しか用意出来ないような、とんでもない学校であることには理由があるものだ。

 

 そうだ。この兄のなんと無配慮なものか。最近のイレーナが見せてくれていた、華やかな活躍に目がくらんでいたようだ。すっかり彼女が抱える、この問題に気も回さずに他の分野を勧めるだなんて。魔力量の少なさは、他分野ではそれだけで上達の頭打ちを早める。そんなことに気づかない妹ではなかった。

 

「……僕が他の授業で単位を取りさえすれば、イレーナはちゃんと進学に向けて努力してくれる?」


「当然だよ。人が教えてくれる程度の事なら片手間でこなせるし」


「いくら召喚術でも、授業に出ないと単位は出ないよ」


「……善処するから」


「わかった。なら協力する」


「やった。そうと決まったらさっさと確認しよう。まずは試着だね」


 クローゼットを広げて、自分の服を物色するイレーナ。あ、そうだ。妹に成り代わって通学するとしたら、イレーナの制服に袖を通す必要がある。それは当然、女生徒のものであって。

 まずい。とんでもないことに同意してしまった気がする。



――――――



「あのさあ」


「……」


 若干やけ気味に、黙ったままの妹に感想を促す。

 学院の制服はまだ届いていない。まずは試しにと、僕はイレーナの服を借りることになった。伏し目がちながらに、期待を込めた瞳で彼女の顔を見つめた。彼女は何も言わず、ただしかめっ面をしている。申し訳ないけど、その顔を見ると期待が膨らむ。一言、言ってくれるだけでいいんだ。「まるで似合ってない」と。

 

「うえぇ……」


 イレーナは思いっきり眉をひくつかせる。期待通りの反応と言えた。

 

「まるで違和感がない……これから、お姉ちゃんって呼んだ方がいい?」


「勘弁してよ」


 けれどその口から飛び出た言葉は、僕に割とキツめの絶望を叩き込んだ。男としてはひょろっとしてる自覚はあるけどさあ。あんまりだよ。

 

 確かに乳母さんからは「任せられたときは二人を姉妹だと思っていた」とか言われたことさえある。ただそれも何年も前のことだ。その頃から依然としてたくましくならない己の身体がショックでならなかった。妹の神経はこうも図太くたくましくなっているというのに!


 それ以上にショックだったのは、今まさに鏡に映っている自分の姿が見えてしまったことだった。妹のブラを身に着けるのだから、胸も同じくらいに詰めた。ただつけただけではスカスカ過ぎて保持できなかったからだ。正直、重い……。

 

 それくらい徹底して女の子の格好になっている。そしてまた、その格好が『ちょっと髪型が違うイレーナ』にしか見えない自分が辛かった。鏡に映っているのは自分のはずなのに、という違和感がとてつもなく気持ちが悪い。

 ただそれも、妹が感じてる気持ち悪さとはどうも種類が違うみたい。


「だけどさ。あなたブラだけしといて、何ナチュラルにトランクス穿き続けてるわけ? これからスカート穿いて一日外で過ごすのに、ちょっと風吹いただけで終わりだよそれ。ちゃんとそっちも女性ものを穿くの」


「あぁ……やっぱりそこから徹底しないとダメだよね、うん、買ってくる」


「ダメ。兄を自分が女装するための下着を、自分で選ぶような変態にまではしたくない。いくら自分がけしかけたこととはいえ」


 イレーナは立ち上がって、自分の棚から下着を物色し始めた。確かに自分が身につけるつもりで、女性ものの下着を見回るなんてマネはかなり、男としての尊厳に傷が付きそうだ。その気遣いはとってもありがたい。けど、妹の下着を結局女装のために使うのとでは、変態度合いには大差がないような気も……。


 いや、せっかくの妹の心遣いだ。無碍にしてはいけない。妹が突き出した下着を手に取り、物陰で穿き替えた。無心で。

 

「点検するね」


「うわあ!」


「何その勇ましい悲鳴。とっさにでもそんな声出してたら危ないよ? ほら練習! きゃって言え」


「ぎゃあああああ!!」


 スカートを思いっきり引っ張り上げられた。これは……思った以上に恥ずかしい! 別にやったことはないけれど、絶対に女性のスカートをめくるなんて行いはしてはいけないと肝に銘じた。


「……しかしこの」


 イレーナは僕が穿いてる、自分の下着をガン見している。


「物々しさ? どうにかならないの」


「無理だよ!!」


 女性なら、そこにあるはずのない存在。僕は男性なので、当然そこに鎮座しているものがあった。その点については、パンツの下にできるだけもっときっついパンツを穿くことでどうにか妥協することにした。

 そんなものは流石にこの家にはなかったので、結局イレーナが買いに行ってくれた……。自分が女性もの下着を穿くための下着を、妹に買いに行かせる兄が世界のどこにいるというのか。イレーナが戻ってくるまで、軽く自己嫌悪に陥っていた。買ってきてくれたキツいパンツを穿き直すことで、その感情はなおさら強まった。


「まだ名残はあるものの……なんとかなる域? いい感じの線も入ってるし。つっついてみていい?」


「ダメ。絶対ダメ!」


「せっかく悲鳴の練習できるのに。まあ、もうこの程度なら私の幻覚魔法でもごまかせるか」


 そんなことできるんだ。だったら、トランクスでも隠してくれたら良いのに。けどあくまで、この妹が身につけている幻覚魔法は初歩的なもの。期待して良いのだろうか? 助けになるものがあるなら歓迎だけれど……。

 

 指でルーン文字を空に刻みながら、イレーナがつぶやく。『ガラス』の一単語だけの、単純な魔法だ。ルーン文字を適切に描いて魔力を与えると、望んだ効果を持たせられる。ここまでできれば魔法を詠唱できると言ってもいい。一拍遅れて、僕の股間が淡く輝いた。

 だからといって、イレーナが指した物々しさが消えたわけではない。


「いい? これは認識をちょこっと誤解させて、ないはずのものがある訳がない。生えてるわけがない。って思い込ませる手助けをしてるだけの魔法」


「何そのピンポイント過ぎる魔法!?」


 まるで女装するために生まれてきたような魔法だ……というか、実際そうなんだろうなあ。誰がこんなの作ったんだろう。イレーナじゃなきゃいいなあ……。


「うるさいなぁ。もし誰かに男と疑われるようなことがあったら、その人にとっては何の効果も持たなくなるから。気をつけてね」


「肝に銘じておく……」


 どおりで、誰よりも自分を男だと思っている僕には変わって見えなかったんだね。

 しかし、この生活、思ったよりも前途多難では? 妹の将来よりも、最早自分の先行きが気になってたまらなかった。

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