44《お姉ちゃんはあの後――……》

だが。

ページをめくると、そこには何も書かれていなかった。日記は、12月のある日で唐突に止まっていた。


「これで終わり?」


 この日記とセリカの状態に何の因果性も見つけられない。やや不審に思いつつセリナにノートを返す。とっくに泣き止んでいたらしい彼女は無言で受け取った。ぶーんと暖房器の重低音だけが微かに響いていた。


 息の詰まるような沈黙の後、どう話すか考えあぐね言葉を口の中で転がしていたらしいセリナがようやく話し始めた。


「お姉ちゃんはあの後――……」

 

――……私が悪いのだとセリナは言った。あの日、セリカとセリナは、アイスを買いにコンビニに行った。その帰り道、横断歩道の赤信号を待っていたら、トラックが突っ込んできた。咄嗟にセリカが竦んで身動きの取れなかったセリナを突き飛ばし彼女は難を逃れた。しかし助けた張本人であるセリカは正面からトラックに撥ねられてしまった。そして、その日からセリカは目を醒まさない。怪我は治っても意識が戻らないまま。


 トラックの運転手は、心臓発作を起こし事故を起こしたらしい。そのまま帰らぬ人になった。セリカを撥ねた時はもう亡くなっていたとニュースで報じられた。飲酒運転やよそ見運転なら無条件に加害者を恨めばいい、だが不慮の事故であり本人は亡くなった。誰に怒りをぶつけたら良いのかも分からず行き場のない負の感情をもてあそぶ日々。セリカが目を醒まさぬ限り永遠に続く自問自答。


 行き着く先はいつも同じだ。私がアイス食べたいなんて言わなければ。靴ひもを結ぶのに手間取らなければ。家の近くのコンビニではなくちょっと遠い大きなコンビニまで行かなければ。コンビニで長々と迷って選ばなければ。寒いねなんて笑いながらダラダラ歩かなければ。横断歩道の車道の近くに立っていなければ。素早く避けて固まらなければ。


いや、そもそも私がいなければ――……。


 もうとっくに通り過ぎていってしまった分岐。一つ一つは本当に些細でも、どれかたった一つでも選んでいれば救われた。後の祭りという言葉を痛切に実感する。涙が枯れ果てても自分を責め続けた。


 そしてある日、偶然セリカの部屋で日記を見つける。セリカがいじめられていたとは知らなかった。家ではまったく辛そうな気配を見せず、明るく振る舞っていた姉。実はセリナは、少し前に違う学校の幼馴染がいじめられ自殺したことにショックを受けていた。何の力にもなれなかったと傷付いてしまった妹に心配かけまいと、セリカは家族に隠し続けていたのだ。そんな家族思いの姉を失ったと言うことにまた愕然とする。素晴らしい姉よりも、甘ったれた私が事故に遭うべきではなかったのか。


 心を閉ざしかけたセリナをまた追い詰める者がいた。マスコミだ。セリカもセリナもマスコミ受けする容姿だったが故にセリナは追われ続けた。しかも妹を庇うという美談。手を加えなくても泣かせる話だ。十分絵になる。人の不幸も喰い尽くすその勢いに絶望した。


「セリナちゃんだけでも生きていて良かったですね!」


……同じ立場ならその言葉を吐けるのか。しかも勝手に殺すな。まだ意識が戻らないだけだ。眠っているだけなんだ。そもそも私だけ生き残って嬉しいなんて思う訳が無いだろう。オネエチャンカバッテクレテアリガトウなんてそんなこと。その見え透いた感情に反吐が出る。


「お姉ちゃんの分まで生きなくてはいけませんね!じゃないとお姉ちゃんが悲しみますよ」


……それもお前が言うのか。何を知っているのだ。セリカの分も背負って生きろなんて、何の権利があってそんなことを押し付けるのか。私でさえセリカの意思など分からないのに勝手に代弁するな。そんな、恣意が滲み出るような言葉を。


 悪戯でセリカの病室にお見舞いに来る人も数多くいた。おそらく会ったこともないくせに。隠しきれない好奇心がありありと見える。最初は丁寧に応対していたが途中から張り手で帰すことに専念した。


……どんな騒ぎの中でも眠り姫は何も喋らない。昏昏と眠り続けるままだ。今まで、ずっと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る