32《……セリカは、あんたに会えるはずがないの。絶対に》

 しまいに頭まで酸素がいかなくなるまで走って、ようやく追手の気配は消えた。

ぜいぜいと荒い息を整えようとするが、口の中がカラカラで吐きそうだ。帰宅部運動音痴男子には辛い。


 隣を見ると、セリカ妹も死にそうな顔をして息を整えている。どうやら、駅の方まで来たらしい。学園から駅までは軽く1キロはある。さすがに1キロを全速力で走り切るなんて酔狂は、陸上部でなければ慣れていないだろう。1キロ近くも諦めずに追ってくる先生達の職業意識にも脱帽だ。さすがのプロ根性。こんなに決死の鬼ごっこをしたのは初めてだ。それだけ僕が不審だったんだろうか。あの鬼の形相はちょっとしたトラウマになりかけた。おそらく今日の夢に出てくるだろう。怖い怖い。


 ちょうど近くにあった自動販売機に這うようにして向かい、スポーツドリンクを2本買った。1本をセリカ妹に渡し、もう1本をすぐさま飲み干す。喉を甘く爽やかな液体が滑っていく。スポーツドリンクを飲んでこんなにおいしいと思ったのはおそらく人生初だろう。キャップを開けるのももどかしいぐらいだったが、何とか人心地ついた。

 

 セリカ妹も大人しくペットボトルを傾けている。黙っていればますますセリカだ。


「……ちょっと何見てんのよこの変態」


「!」


 真顔での変態発言はかなり胸に来るものがある。無言で呻いていると、つまらなそうにセリカ妹がスカートの裾をもてあそんだ。

顔をあげないまま、


「……ほんとに、お姉ちゃんに会ったの?」


 うつむいているため髪の毛で顔が隠れてほとんど見えない。だが、薄い肩が細かく震えていることに気が付いた。


「うん。ほら、くま」


 セリカの姿が見えなくなってから、僕は毎日くまと行動を共にしていた。これを、自分だと思って欲しいとセリカも言っていたし。

……なんて、セリカを言い訳にする僕はやっぱり卑怯だ。ほんとはそうじゃない、僕が持っていたいだけだ。彼女との絆の印を忘れたくないだけだ。



 僕が差し出したくまを奪い取るように掴んた彼女の目には、やはり驚きがありありと浮かんでいた。無言でくまを見つめ、壊れ物も触るかのようにそっと華奢な指でなぞる。僕が見ていることに気づくと、やや気まずそうに返してきた。


「……セリカは、あんたに会えるはずがないの。絶対に」


 ぽつりと隣から落ちてきたのは彼女の小さな呟き。激する感情を必死に堪えているような。


「でも、僕はセリカと出会ったんだ」


 何が僕を待っていようとも、僕はセリカを信じる。彼女はいつも無条件に僕を信じてくれていたのだから。ここで僕が信じない訳には行かないだろう?

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