第10話 過去への旅

 公園は寒いさなかなせいか、遊ぶ子供もおらず、閑散としていた。

 ブランコ、シーソー、ジャングルジム、鉄棒、ゆりかご。記憶にうっすらと残る遊具は幾つか消えている。数年前に遊具が次々と「危険遊具」と判定を受け、当たり前に公園にあったものが撤去された時があったが、そのせいだろう。

 ただでさえ薄い記憶が、これではヒントにもならない。

 涼子は公園を眺め渡して、そっと溜め息をついた。

 昨日のうちに下調べをして、誘拐事件の舞台に来てみたのである。

 何も思い当たる事が無いが、唯一あるとすれば、記憶が定かではない誘拐事件絡みしかないという結論に至ったためだ。

 そう考えると、あの赤い塗料は赤い靴を示しているようにも見える。

 そう思って事件の資料を調べると、殺された女の子は赤い靴をはいていた。

 しかし、ここにこれ以上いても風邪をひくくらいだろう。

 涼子は、次の場所へ移動する事にした。


 気持ちは焦ってイライラとする。

(そうじゃない。朝のおかしな態度に疑問を抱かなかった俺自身にイラついてるのか)

 礼人はそう自己分析をしたが、それで落ち着けるわけでもない。それでも、やや客観的に、冷静になれと自分に言い聞かせる事はできた。

「お兄さんの所にも行ってないそうです」

 晴真がそう言う。

「本当に、そこに?記憶もないのに?」

「あれの考えそうな事だろ。思い当たりがないなら、記憶の欠落してる所にありそうだと考える。そして、問題解決はそこにあるとなれば、そこを目指す」

「先生、合理的というか、そういう感じですね、そう言えば」

「全く。一言言えば行くのに」

「あれじゃないですか。行きつけのパン屋の店員さんや同僚が殺されたから、誰かと行動したら巻き添えにすると思ったんじゃ」

「俺は刑事だぞ」

「心配したんですよ。だから、先生に会ったら、あんまり怒っちゃだめですよ」

「怒るだろ」

「まあまあ。先輩の気持ちもわかりますけど、先生の気持ちもわかりますよ」

 晴真は苦笑して、礼人は大きく呼吸し、気持ちを落ち着けた。

「会ったら、説教だ」


 監禁場所だった廃屋はとうに取り壊されて更地になり、ただの山になっていた。ここには昔、別荘があったらしい。

 そこに立って辺りを見回してみるが、これと言って、思い出すものは無い。

「20年以上前だしな……」

 言って、なんとなくしゃがんで上を見た。ザワザワと木の梢が風に揺れる。

 急に、不安が押し寄せて来た。


 子供の泣き声がする。

 それに、

「静かにしろ!」

と男が怒鳴るが、怯えて、子供はますます激しく泣く。

 男は舌打ちをして、その子に平手打ちをくらわせ、その子は2メートル程吹っ飛んだ。

 赤い靴が片方脱げて、転がる。

 そしてその子ははね起きると、走り出した。

「待ちやがれ、このガキ!」

 男は数歩で追いつき、女の子の首を、鬼のような形相で締め始めた。

「静かにしろって言うのがわからないのか。ああ?逃げるな。大人しくしろ!

 これだからガキは嫌いなんだ」

 しかし、女の子は目を見開いてグッタリとしたまま、二度と動かなかった。

 その鬼のような男は、涼子の方を向いた。

「お前も死にたくなかったら、喋るな。逃げるな。大人しくしてろ。いいな」

 涼子はコックリと頷いて、声を立てずに泣き出した。


 知らない内に、涙が流れていた。

「ああ……」

 涙を手の甲で拭った時、その枯れ葉を踏む音に気付いた。

「思い出したか」

 知らない男がいた。

「あなたは」

「誘拐されて殺された、上條ゆかりの父親だ」

 涼子は立ち上がった。

 男はゆっくりと近付いて来る。

「同じ誘拐された子なのに、どうして俺の娘は殺されたんだ。どうしてお前は生きているんだ」

 血を吐くような声だった。

 泣いて逃げようとしたから――そういう事を聞きたいわけではないだろう。

「あの子は、あの日新品の赤い靴をはいて、嬉しそうに笑っていた。

 なのに……」

 涙声が混じる。

「妻は、ちょっと目を離した隙に誘拐されたと、自分のせいだと自分を責めて、ノイローゼになり、数年後に首を吊った。白い包帯で」

「……」

「この前雑誌でお前とお前の兄の写真が出てた。

 俺には何も無いのに」

 とうとう男は涼子の真ん前にまで辿り着いた。

「不公平だろう?こんなの、許せないだろ」

 手が首にかかる。

「お前が全て悪いとは言わない。それでも、公平じゃなさすぎだろう」

 手に、徐々に力が入って行く。

「死んでくれよ。娘と妻の為に」

「……」

 涼子の目の前が、赤くなっていく。血液が頸動脈で遮断されているからだ。そして、苦しくなって、フワフワとしてきて、目の前が暗くなっていく。

 どこかで、礼人の声がしたような気がした。



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