第87話 二枚の紙に、思いを馳せて

 一万回目の告白をした、あの屋上。

 今度は加恋が先に待っていて、俺は遅れて加恋の正面に立つ。


「おっティアラ」


「よく気づいたわね。私こう見えてミスコン取ったから、その景品でね」


「さすが、だな」


「……律があんなに叫ぶから、ミスコンになれたのよ」


 前髪をいじりながらそう言う加恋。

 どうやらばっちり聞こえていたらしい。


 もしかしたらかなり大きな声だったのかもしれない。


「まぁ加恋なら、俺の声援がなくてもミスコン獲ってたとは思うけどな?」


「それは遠回しに私のことを可愛いって言ってるのかしら?」


「さぁ?」


「そ、そこは頷きなさいよ……」


 鋭い視線を向けられる。

 だが心なしか、そんな視線さえも心地いいと思ってしまった。

 

 こんな風に、当たり障りのない会話を繰り広げる。

 

 そのうちに太陽は姿を潜め、辺りが暗くなった。

 校庭の方からは緩やか音楽が聞こえてきて、後夜祭が始まったのだと知る。


 それは同時に、遠回りの終わりを知らせていた。

 近道したって普通に歩いたって、いつしかその道は結局同じところに行きつく。

 そんな当たり前のことに、俺は今更気が付いた。


 ぱたりと会話が止む。

 その沈黙を皮切りに、俺は切り出した。


「なぁ、加恋。これ、覚えてるか?」


 そう言いながら、ある紙を差し出す。

 何でもない、ただの紙。

 昔二人で書いた、ただの紙だ。


 でも俺たちにとっては、特別な紙。


「っ……‼」


 加恋が驚くのも無理はない。

 だってこれは数年前のものだから。


 だけど俺は一時たりとも忘れてはいなかった。


「これさ、昔二人で書いたよな。これを大人になったら、一緒に出そうとか言ってさ」


 考えてみれば、バカな話だ。

 数年前の話を今更持ち出すとか。


 だけど、数年前から変わらない想いがある。


「こんなの役所に提出できるわけないってのにさ」


 そう。


 俺たちは昔、自分たちで自作の婚姻届けを作っていた。

 妻と夫を一枚ずつに分けて、二枚が合わされば完成するように。

 そしていつかこれに名前を書いて、二枚を一枚にして、役所に出す日を夢見て。


 俺はこれを本当に結婚する日まで預かってくれと、これを作ったその日に光さんに渡していた。

 

 だが、出し惜しみはできない。

 これを出さなければ始まらないと思ったのだ。


「俺は変わらないよ、加恋」


 どんなに関係が変わろうと、社会が変わろうと、立場が変わろうと、変わらないものが確かにここにある。


 それは――気持ち。


 幼い頃に思い描いた、鼻で笑われるような――希望。


 もう多くの言葉はいらない。

 言葉の限りは、ずっと尽くしてきた。


 だからこそ今は、シンプルでいい。


 俺は一回目を。

 一万と一回目を刻むように。










「好きだ、加恋」










 加恋の瞳に涙が滲む。

 それは当然のことのように頬を伝ってアスファルトに零れ落ちていった。


 何度も何度も。

 途切れることのない思いのように、涙が零れ落ちていく。


 加恋はポケットからあるものを出して、俺に差し出した。



「私も変わらないよ、律」



 加恋の手に握られていたのは――婚姻届け。

 あの時に作った、自作の婚姻届けだった。


 その『つまになるひと』の欄には、綺麗な字で「紅葉加恋」と書かれている。

 昔よりも大人に近づいた加恋の字で。


「私も忘れないで持ってた」


 そう言って、加恋が一歩近づいてくる。

 そしてミスコンの続きを言うみたいに、笑顔を弾けさせた。







「私も好きだよ、律」







 その言葉を、ずっと聞きたかった。

 だからだろうか。

 俺は駆け出して、両手で加恋のことを抱きしめた。


 柔らかで華奢な体が、腕の中におさまる。


「り、律?」


 少し困惑した様子だったが、すぐに俺の背中に腕を回してくる加恋。

 

 こんなに加恋が小さいんだと知らなかった。


 ずっと一緒にいて、そんな簡単なことすら知らなかった。

 たぶん俺は、まだまだ加恋のことを知らないんだと思う。


 いや、きっと好きな人を知っていくのに、数年では、一万回では足りないんだ。


 十年、二十年、三十年と時を刻んで。

 十万回、百万回、千万回と愛を重ねて。


 そうやって終わりの果てで、ようやく知るものなんだ。


 だから俺たちは、ようやくスタートラインに立っただけ。

 数年越しのすれ違いを、終わらせただけ。


「なぁ、加恋」


「ん?」


「いつか、結婚しよう」


「……うん。する」


「それで温もり溢れる家族になって、幸せになろう」


「うん。おばあちゃんになっても、愛してよね」


「当たり前だ」


「ふふっ。幸せね」


「あぁ。幸せだ」


 これから訪れる、未来を思い描く。


 だけど途中でやめて、空を見上げた。


 一人で考えることじゃない。

 

 これからは二人で、思い描いていこう。



 見上げた空には満点の星空が広がっていて、キラキラと輝いていた。

 その中で、二枚の紙が揺れる。


 どこまでも、風に吹かれていく。


 一体どこまで行くのだろうと思いを馳せながら、腕の中にある温もりを噛みしめる。


 

 ――幸せになろう。



 天を仰ぎながら言い聞かせるように言ったのは、どっちだったっけ。


 まぁどちらにせよ、俺たちは想っている。



 


 ――幸せな未来を。







 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


次回、最終回

2月19日19時、遂に完結

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